風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

赤土の窓

2024年07月17日 | 「2024 風のファミリー」

 

このところ疲れているのかもしれない。しんどい夢をよく見る。
どこか知らない街にいて、家に帰りたいのだが道も駅も分からない。路地のような処をさんざん迷った末に、目の前に突然赤土の壁が現れる。そんな夢を見たことがある。壁の一部分が崩れている。その崩れ方に見覚えがあって懐かしく感じた。目が覚めてからも夢の感覚が残りつづけて、その後しばらく寝付けなかった。

だいぶ以前に書いた「赤土の窓から おじいさんの声がする」という、詩のような語句を思い出した。そして、夢に出てきた赤土の壁が、この赤土の窓と関わりがありそうに思えた。
赤土の窓なんて変な窓だが、詩の言葉だから何でもありで、読んだひとが勝手にイメージを広げてくれればいいし、それを期待しての表現でもあった。
しかし改めて、その光景を散文で表現しようとすると、すこしばかり言葉の説明がいるかもしれない。

祖父が住んでいた家だから、ずいぶん古い。私の記憶もかなり曖昧で、赤土の窓というのが記憶のイメージに一番近い。だが記憶をさらに鮮明にしようとすると、そのような窓があったのかどうか、それが窓だったのか、単に土壁が崩れて穴があいたままになっていたのか判然としない。ただひとつはっきりとしていることは、その窓だか壁穴だかが路地に面していて、私ら子どもたちの目線よりもすこし高いところにあったので、その窓めがけて小石を投げ入れては悪戯していたことだ。

そこには祖父と祖母の部屋があった。土間を挟んで家族の部屋からは独立していた。その部屋の右手は土間続きで炊事場になっており、かまどや流しや他にもごちゃごちゃと何かがあったが、薄暗くてよく分からなかった。
部屋の反対側は農具などが置かれた納戸のような所で、その一角に石臼があり、祖母が足踏みの杵を踏みながらよく玄米を撞いていた。実際にいまも耳に残っているのは、祖母の声ではなく、玄米を撞く杵の音だったかもしれない。

祖父は言葉が少ない人だったから、声の記憶は少ない。だから赤土の窓から、子供たちの悪戯を叱る声がしたかどうかも憶えていない。もしかしたら、祖父の叱る声を期待して、子供たちは小石を投げ入れたのかもしれない。
ぶどうの栽培をしていたので、ぶどうを梱包して市場に出荷する木箱を作るため、祖父は黙々と釘打ち作業をしていることが多かった。祖父の周りではいつも杉の薄板の匂いがし、土の匂いがし、選別して捨てられた古いぶどうの饐えた匂いがしていた。それらは祖父の匂いであり、家の匂いでもあった。

その後、跡を継いだ叔父が家を改築したので赤土の窓は無くなった。新しい家には、すでに祖父もこの世を去って居なかった。きれいになり明るくなった家は、もはや土の匂いはしないし木箱の匂いもしなくなった。暗がりもないし石臼もなく、薪で焚く風呂もなくなった。
ぼくらも悪戯の年齢をとうに過ぎて、その家からも次第に足が遠のいていった。
夢は古い記憶を唐突に掘り出してくるが、記憶を綴るには散文はリアルすぎる、と。記憶は赤土の窓のような形でよみがえる。その記憶はポエムの形をしている。ときどき詩のようなものを書きたくなるのは、詩というものが言葉の悪戯だからかもしれない。小石のような言葉を投げてみたい衝動にかられる。そして、そのとき私の目線の先には、あの赤土の窓があったりする。




「2024 風のファミリー」




 

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