風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

光をもとめてサンダーバード

2019年07月11日 | 「新エッセイ集2019」
東北の旅(1)光はどこに


パソコンが絶不調に陥った。
いままでも、さまざまなトラブルはあった。だがそれは、風邪であったり消化不良であったり、その程度のことだったので、ぼくの力でもなんとか克服できた。
けれども今回は重症だった。
まるで迷路にまよい込んだように、あれこれ試しても行き止まりの袋小路ばかり。ついにはパソコンの方でも疲れきってしまったかのように、スローな反応しかできなくなってしまった。
もう打つ手がない。というか、パニックになった。

だいじなファイルは外付けのハードディスクにコピーし、思い切ってリストアすることにした。
Enterキーを押し、あとはパソコンの動きにまかせる。
ときどきパソコンのファンが激しく唸りをあげ、モニターの画面が明るくなったり暗くなったりした。長い時間がすぎた。
そうして、パソコンは再起動した。
まるで知らない人のような顔をして、生まれ変わった。
モニターの画面も小さくなって、文字も画像もにじんで偏平になっている。こんなブスに生まれ変わるなんて、ますます状況は悪くなったのではないか。
そとは雨、雲は低くたれこめて暗い、ああ、ますます暗澹たる思いにしずむ。

日常が非日常になってしまったみたいだ。
習慣でしていたことが、習慣でできなくなってしまった。なにげなくキーボードに触れれば、モニターが反応して何事かを応えてくれたものだ。バーチャルだとはいえ、そこには日常の延長があった。
考えてみれば、日常とはそのように安易なものであり、慣れたことの繰り返しでもあったのかもしれない。
だが、新しい顔は健忘症に罹っている。過去のことはすべて忘れてしまっている。あったはずのものがない。何かを始めようとしても始まりの場所が見当たらない。
まるで、ぼく自身が健忘症になってしまったみたいだ。

日常生活とはなんだったのだろう。
一日の半分をパソコンと付き合ってきた、ぼくの生活の半分はモニターの画面の中にあったともいえる。喜びや悲しみを光の粒として浴び、それらをコピーしセーブしながら積み重ねてきたものがあったはずだ。
モニター画面の中には光があったのだ。
明るい光や明るくない光、さまざまな光の形、あるいは光の陰、そこに日常生活の自分自身の投影をみていたのかもしれない。
それらの光は、どこへ行ってしまったのか。

南からは雨雲が追いかけてくる。
特急サンダーバードに乗って、ぼくは北へ向かうことにした。






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