初潮という言葉と海とのつながりとかを
ぼんやりと考えていた頃に
おまえの家は紙の家だとからかわれ
私は学校へ行けなくなった
私は紙のにおいが好きだった
鼻をかむ時のティッシュのにおい
障子のにおい
襖のにおい
紙でできた家があったらすてき
そんなことを文集に書いた
けれども紙の家は雨と風によわい家です
とても壊れやすい家です
紙の家を破いて
とうとう弟も家出した
弟のへやの壁に穴があいている
ぬけ殻のように自分のかたちを残していった
威張っていたけれど小さくてかわいらしい穴だ
壁穴のむこうには何もない
弟には何かが見えたんだろうか
弟があけた壁穴のそばには
きょうだいで画いた古い落書きがある
子どもがふたり手をつないで立っている
目と口の線が笑っている
しあわせを表現することなんて
しあわせになることよりもずっと易しい
台所の壁にも穴があいている
3年前に母があけた
こんな家なんかもうすぐ壊れてしまう
母の口ぐせだった
いつのまにか父も帰ってこなくなった
1年以上も帰ってこないということは
この家を捨てたということだろう
私たちを捨てたということだろう
残ったのは祖母と私だけになった
ふたりとも引きこもりだから出てゆけない
祖母は私を愛していると言う
私は祖母を愛していないと思う
このところ祖母はほとんど言葉を失って
もう私たちに通じあう言葉がない
猫のようによく眠る祖母は
そうやってすこしずつ死んでゆくのだろう
私にはもう涙も残っていないから
しずかに死ねる年寄りはしあわせだと思うことにする
死ぬことも生きることも
私は若いから苦しい
弟のぬけ殻の穴を
私は毎日すこしずつ広げてゆく
壁穴のなかの青い空
切り取られた空は水たまりに似ている
水たまりは湖になり
やがて海になるかもしれない
深い茫洋のそとへ
私は紙の家をすててダイブする
あかい血があおく染まり
そのとき私は
初めての潮になる
(2005)