風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

そのとき人は風景になる(10)

2021年07月16日 | 「新エッセイ集2021」

 

 ごんしゃん、ごんしゃん、何処へゆく

いちどだけ、エムの家に泊めてもらったことがある。
朝食の味噌汁にソーメンが入っていたのが珍しかった。奈良ではそのような食べ方をするのかと思ったが、それがにゅうめんというものだと、だいぶ後に知った。
彼の家はまだ新しく、子供らも小さくて盛んにはしゃいでいた。その後、ぼくはエムとは幾度も会っているが、彼の家を訪ねたことはそれ以後ない。

通夜のときに久しぶりに会った彼の子供らは、小さかった頃の面影もないほど成人していた。二人の息子の一人は長身で体格がよく個性的な顔立ちは母親に似ているようだった。
それに対してもう一人の息子は、背も低くほっそりしていて病弱そうで、その容姿は郷里にいた頃のエムの姿を彷彿とさせた。
そのせいか彼の所作が気になって仕方なかった。小柄でひ弱そうだった青少年期のエムの姿が、そっくりそこにあったから。

年が変ってエムの年賀状が届いた。死の何日か前に投函されたものだった。年をまたいで彼の生死は分けられたのだった。
エムの忌明けの法要の日、奈良盆地は雪が舞っていた。積もるほどではないがかなり激しく降っていた。高速道路の上を雪は細長いうねりとなって駆けまわっていた。盆地を取り囲む山々の頂は白く、舞い上がった雪は風とともに山の上に吸い寄せられているように見えた。
エムも今や風となったのだ。彼の魂が風となって、彼が生前愛した山々の方へ飛翔していくのを想像した。法要の席で、彼が好んで飲んでいたという越後湯沢の酒が出された。その酒は水のようにさらりとしていた。そんな酒を呑みながら彼は山への熱情を高めていたのだろうか、と思った。彼が温めていた数々の熱い想いが、そのまま風となって吹きすぎていくようだった。

今も、あの高原を風が吹いているだろう。
いつのまにか長い歳月が風のように過ぎ去ったのだ。あの大きな岩も風化して、ぼくたちが刻んだ文字もすでに岩に還ってしまっただろう。
エムがよく歌っていた歌がある。
北原白秋の詩が元になっている『曼珠沙華(ひがんばな)』という歌だつた。

   Gonshan(ごんしゃん)Gonshan(ごんしゃん) 何処へゆく
   赤い お墓(はか)の曼珠沙華(ひがんばな) 曼珠沙華(ひがんばな)
   けふも手折りに来たわいな

この歌を、ぼくもいつのまにか覚えてしまった。あのゴンシャンは、どこへ行ってしまったのだろうか。
ぼくたちはよくハーモニカも吹いた。とぎれがちな会話の間をハーモニカのメロディが繋いだ。大きな風のようにたゆたう風景がそこにあり、その風景の中にぼくたちの一瞬があったのだ。

 

 

(1)そこには風が吹いている

 

 

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