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新しい5月のカレンダー、爽やかな季節だ。とくに5月の朝は特別な朝、明るい光の中で目覚めもいい。
5月の朝の東雲(しののめ)、と口ずさみながらベランダに立って、明るくなってゆく東の空をしばし眺めていた。
ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに。 (萩原朔太郎『旅上』)
27歳の朔太郎のふらんすは、どんなフランスだったのだろうか。
20代の頃、フランス語を少しだけかじったことがある。
『太陽がいっぱい』、『ぼくの伯父さん』、『シェルブールの雨傘』など、ぼくのフランスは、映画館の暗闇をひたすらに彷徨っていた。『昼顔』のカトリーヌ・ドヌーブのような、怪しく美しいアテネ・フランセのフランス人女教師。やわらかい口元から転がるように漏れてくる魅惑的な言葉。
“Qu'est-ce que c'est?”(ケスクセ?)。美しいひとの言葉は、響きも美しかった。
あの頃は、5月の緑色の風も吹いていなかったけれど、「われひとりうれしきことをおもはむ」と、貧しく熱く、昼も夜もやたらと街を歩き回ったものだった。
ふらんすはあまりに遠し……、あれからずっと、ぼくのフランスは遠いままだ。
この5月の休日、ルイ・ヴィトンのバッグを提げた日本人が、ルーブルやベルサイユ宮殿を気軽に逍遥しているのだろうか、などと夢想しながら、ぼくは近くの公園の草むらに寝転んで、若葉のみずみずしい茂みを見上げている。
重なり合い、空を覆うほどに、樹にはどうして、あんなに沢山の葉っぱがあるのだろう。樹にとって、それは必要なものなのなのだろうかと、ぼんやり考える。樹が答えてくれるわけでもなく、植物学の知識がないぼくに、正しい答えなどないが、ただ漠然とそんな考えに引き込まれていく。
眺めている間にも、生長を続けているだろう緑の群生の遥けさは、徐々に5月の空へと萌えあがってゆく。ぼくの未熟な夢想の中で、緑色したフランスは涼やかにそよぎはじめる。
その空の、緑色の波にのって、無数の緑色の果実が漂っている。
ぼくが寝転がっていたのは、梅の木の下なのだった。
青梅に塩をつけてかじり、あとで腹痛をおこした少年時代。梅の実を見つけると採ってかじらずにおれず、そのあと決まって腹を押えてうずくまっていた。ただ食べることに貪欲だった無知なる時代があった。
うら若草も知らず、緑色の風も知らず、フランスも知らず、ただ梅の実の苦くて酸っぱい記憶ばかりを、ポケットにいっぱい詰め込んでいた。そんな青い時代。
そして緑色の波を越えて、はるか向こうにパリの空。淡いピンクとグレーの流れはセーヌ川だろうか。
アポリネールはうたう、
ミラボー橋の下をセーヌは流れる
ときは流れる 私はたたずむ
マリー・ローランサンもうたう、
死んだ女より もっと哀れなのは
忘れられた女です
ローランサン22歳、アポリネール27歳の若い旅の時代。セーヌ川のそばでふたりの恋は始まり、セーヌ川を流れ流れて、やがてふたりの川は忘れられた。
5月のいまは緑色のとき。フランスはなおも遠く、セーヌ川はさらに遠い。
ぼくはうら若草の流れの中にいる。固くてあおい梅の実が揺れて漂っている。少年の臓腑が痛む。いつしか緑色の川を流されている。
Bon voyage! (よい旅を!)