その言葉が耳から入ってきたら、どんな風に聞こえるだろうか。もしかしたらそれは、神の声に聞こえるかもしれない。
シロカニ ペ ランラン ピシカン
コンカニ ペ ランラン ピシカン
この美しい響きのある言葉は、アイヌ語とされる。もちろん、もとの言葉は口伝えによるもので、これは『アイヌ神謡集』に収められた13編の神謡(カムイユカラまたはオイナ)の冒頭の部分である。
それまで口承によって伝えられたものを、ローマ字で表記し初めて日本語に訳したのは、知里幸恵(1903〜1922年)という女性。彼女はアイヌの血を引き、アイヌの環境で育った19歳の若い女性だった。
その言葉は、次のような美しい日本語に訳された。
銀の滴(しずく)降る降るまわりに
金の滴(しずく)降る降るまわりに
さらに不思議な言葉は続いている、
という歌を私は歌いながら
流れに沿って下り、人間の村の上を
通りながら下を眺めると
このとき下を眺めているのは、梟(ふくろう)の神とされる。この話は、梟の神が語る形になっている。だから物語の最後は、「と、ふくろうの神様が物語りました。」となっている。ほかにも、狐の神様や狼、獺(かわうそ)、沼貝などの神様が登場する。
これらの神様というのは、アイヌ語ではカムイと呼ばれているが、われわれが考えている神様とはすこし違う。神様を表現するカムイという言葉に対して、人間を意味する言葉をアイヌという。
アイヌ人にとっては、人間以外のものはすべてカムイ(神様)である。カムイとは、人間にないような力をもったすべてのもの、ということになる。それは梟や狐などの生物だけでなく、一木一草、山や川、風や太陽、さらには天然痘などの病気までもカムイだった。アイヌ人は、神様に取り囲まれて生活していたのだ。
カムイはカムイモシリ(カムイの国)に、アイヌはアイヌモシリ(アイヌの国)にと、カムイとアイヌはそれぞれに住み分けていたことになっている。
カムイたちはカムイモシリでは人間と同じ姿をして、人間と同じような暮らしをしていると考えられていた。そして、カムイたちが人間の前に現れるときは、それぞれ熊や狼の姿をしてやってくる。すなわち訪れる神である。熊の神は肉や毛皮をお土産として持参し、人間はお礼として酒やイナウ(御幣)で歓待する。すなわち狩猟と熊送り(イオマンテ)という祝祭がセットになっている。
カムイとアイヌの関係は対等だという。お互いに持ちつ持たれつの関係とみられている。人間からみれば自分勝手な考えのようだが、狩猟民族であるアイヌが、飢えから逃れるための生きる知恵だったのかもしれない。神と人間が対等であるということは、人間は神の罰を受けると同時に、神を罰することもできるということになる。たとえば子どもが川で溺死したりすると、川の神様の不注意だということで、人間は川の神様を糾弾したという。
カムイは全能の神ばかりではない。谷地にいる魔神というのは、人間の村を襲って大暴れするが、最後は報復されて「地獄のおそろしい悪い国」に追いやられてしまう。
また、『アイヌ神謡集』の中には、悪戯な蛙の神様が殺される話がある。悪戯といっても、ただ「トーロロ ハンロク ハンロク!」と綺麗な声で鳴いただけなのだ。若者が「それはお前の歌か、もっと聞きたいね」と言うので、蛙はさらに鳴いてみせる。すると「それはお前のユーカラか、お囃子か、もっと近くで聞きたいね」と若者。そこで、さらに近くで鳴いていると、いきなり燃えさしの薪を投げつけられて、蛙の神様は死んでしまう。なぜか理不尽な殺され方が強く印象に残る物語である。
「トーロロ ハンロク ハンロク!」という、美しい蛙の鳴き声もつよく耳に残る。そのような神様の声がきこえる国があったのだ。
知里幸恵が残した本は、『アイヌ神謡集』1冊だけである。この記録を残した直後に、彼女は持病の心臓病が悪化して、19歳の若さで死んでしまった。
この本の序文で、彼女は書いている。
「その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は、真に自然の寵児、なんという幸福な人たちであったでしょう」と。
大正11年(1921年)3月1日の日付が記されている。
「2025 風のファミリー」