アカシアの雨にうたれて~♪
満開のニセアカシアの花の下に立つと、そんな古い歌が聞こえてきそうだ。高い樹の上で白い花をたわわにつけて、強くて甘い香りをふりまいてくる。
歌にうたわれているアカシアも、このニセアカシアらしい。いつのまにどうして、ニセなどという名称が付けられてしまったのか。花にニセモノやホンモノがあるのだろうか。
手持ちの樹木ポケット図鑑をみたら、ハリエンジュという別名も出ていた。
小さなポケット図鑑だから、詳しい説明はない。エンジュというのが日本名だとしたら、炎樹とでも表記するのだろうか。空に燃え上がるように咲いている姿は、まさに炎樹という名前がふさわしい。
その派手はでしさは、日本古来の樹というよりは外来樹ではないかとも思われる。
須賀敦子の本を読んでいたら、イタリアの風景の中にもニセアカシアの名前が出てきた。この樹はむしろ、地中海の風と太陽に合っているかもしれない。
須賀敦子はイタリア人と結婚し、日本文学の翻訳などをしながら、長くミラノで暮らしたようだ。
小さな家と小さな庭、狭い生活の空間を家族が取り合ったり譲り合ったりして暮らしている。そんなイタリアの鉄道員やその家族の下層の生活が、愛情のこもった美しい文章で書かれている。
読んでいるうちに、失われた日本の古い生活なども思い出されて懐かしい。
雨のなかを濡れて走る男たちの話は、傘も買えないほど貧しいので、雨が降ると濡れるしかない、といった話。アカシアの雨にうたれて~、などと歌ってる場合ではない。
だが貧しさの中に、ちょっぴり恥じらいと思いやりがあったりする。それは須賀敦子という作家がもっている、貧しいイタリア人への熱い親近感と愛情だろう。彼女の控えめに抑えた文章をたどるうちに、自然にその世界に引き込まれて共感してしまう。
イタリアでも、いま頃はニセアカシアの花が咲いているのだろうか。
須賀敦子によって書かれた生活や風景も、現代のイタリアにはもうないのかもしれない。
豊かさの時代を経験したわれわれが、いま貧しさを懐かしく思うのは何故だろうか。人々が今よりもずっと近いところで、身を寄せ合って生きていたからだろうか。
それとも、貧しくて叶えられないことが沢山あったからだろうか。叶えられないということは、それだけ夢があったということではないだろうか。たぶん夢が沢山あったのだ。
アカシアの雨にうたれて~♪ その先が思い出せない。
(須賀敦子著『トリエステの坂道』、『時のかけらたち』など)
このまま 死んでしまいたい
夜が明ける 日がのぼる
朝の光の その中で
冷たくなった わたしを見つけて
あの人は
涙を流して くれるでしょうか
風のyo-yo さんとは同じ世代のような気がします。
この歌、懐かしく思い出しました。
西田佐知子などという名前は記憶の彼方に消えていましたが、
Yo-yo さんのブログを読んで蘇ってきました。。。
この歌を聞いていた私は、まだ子供でしたが、
何とも言えないアンニュイな雰囲気に惹かれていました。
ブロブの更新を楽しみにしています。
いつも感性を刺激され、心地よい雰囲気に浸っています。
アカシアの雨と聞くと西田佐知子さんの
「アカシアの雨がやむとき」を思い出します。
”アカシアの雨にうたれて
このまま死んでしまいたい”
ここまでしか歌詞が出てきませんが。。。(笑)
主人のブログに「アカシアの雨がやむとき」の記事があって、アカシアはニセアカシアのことらしいと知ってショックを受けたようなことが書いてありました。
ニセアカシアの木をyo-yoさんのお写真で初めて見ました。満開のニセアカシアの花、綺麗ですね~♪
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
この歌を聞いていたぼくも、まだ子供でした。
アカシアの雨って、どんな雨なんだろうと思っていました。
あらためて歌詞を教えていただいてみると、
今なら、その雨の冷たさもよく解ります。
死んでしまいたい気持ちもよく解るような気がします。
メロディも蘇ってきました。
ありがとうございました。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
今朝はもう、ニセアカシアの花も散り果ててました。
何日か前には、アカシアの雨も降ってました。
とても甘い薫りがしてましたよ。
ご主人のブログにも、
アカシアの雨が登場してたんですね。
アカシアの雨は、ただの五月の雨ではなかったんですね。
日々の中で思うことなど書いています。
詩や俳句も好きです。
こちらへも時々伺い、拝読させて頂きたいと思います。よろしくお願いします。
ご訪問ありがとうございます。
雅楽や春日大社の記事など、
興味深く読ませていただきました。
これからも
楽しい交信ができればと思っています。
よろしくお願いします。