ヒヴァのホテル、マリカホレズム
小さいホテルでしたが、居心地の良いホテルでした。
旅行前はサマルカンドへ心を寄せていました。
「青のサマルカンド」といわれる期待は裏切られなかったのですが、
帰国後印象強く残ったのはこのヒヴァでした。
ヒヴァとは、アムダリヤ川下流のオアシスの待ちで、
古代ペルシャ時代からカラクム砂漠の出入り口として繁栄した。
ヒヴァは8世紀には存在していたことが知られていたが、当時はシルクロードからカスピ海、
そしてヴォルガ川へと向かう脇道の小さな中継の町に過ぎなかった。
その後アムダリヤ川の水系が変わったためにヒヴァに都が移され、
17世紀にはホレズムの政治、経済、宗教の中心地となった。
ホレズム随一のイスラームの聖都となったヒヴァの町は外敵の侵入を防ぐために
外壁と内壁の二重の城壁で守られた。
内壁の城壁に囲まれた内城(イチャン・カラ)には20モスク、20のメドレセ、
6基のミナレットはじめ数多くの遺跡が残されている。
1990年、ユネスコの世界遺産に登録された。ー地球の歩き方より抜粋ー
オタ・ダルヴァサ門(西門)
ヒヴァ(イチャン・カラ)の正門のような所
西門広場
入場してすぐの所あった案内図
西門を入ってすぐに見えるカルタ・ミナル(未完成のミナレット)
ウズベクの人々は子供も大人も人懐っこい。
カメラを見ると撮ってというし、彼らがカメラを持っていると被写体になって欲しいと言う。
ムハンマド・アミン・ハン・メドレセ
中央アジアで最も大きな規模の神学校。
今はホテルとして使用。
門の天井
中庭
日曜日のせいか子供達の見学も多かったです。
キョフナ・アルク
17世紀に建てられた「古い宮殿」という意味のハンの宮殿。
内部です。
展望台から見たイチャン・カラ
ジュマ・モスク
多様式建築で、10世紀に建てられた。
3m間隔に213本の木の柱がある。
撮影スポット
タイムスリップしたような路地。
轍(わだち)の後がくっきりと。
夕食は夏の離宮であったレストランでいただきました。
ウズベキスタンでの食事は、
前菜のサラダが3種類、ナン、主食、デザート、お茶がほとんどでした。
雨が降らないと言われているヒヴァで、
ウルゲンチの空港に向かうバスでは、
スコールのような激しい雨にであいました。
次はブハラに向かいます。
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