青い鳥を常に求めて

人生の理想を追求する姿勢で何事にも当たりたい。

孫娘Sの二泊三日

2005-07-03 20:34:00 | Weblog
昨日、今日と100%満足して彼女は帰る。親たちと名古屋とこちらの中間点で合流、荷物とともに帰す。

その自転車は一昨日見事乗れるようになったので、今日も雨の合間にもう一度試して
乗れるのを確認する慎重さ。

昼、スープの美味しいレストランへ三人ででかけ、珍しくハンバーグのセットを食べたいという。飲み物は私の影響でもないのだろうが、ミルクティなのである。

親たちと合流する少し前、着いたら起こしてと言って、家内のひざで寝入ってしまった。お別れが悲しいから、寝たふりをする
最近、大人になって、分かれる際の大泣きはなくなった。

夜、静かになって、ホッとする反面、忘れ物をしたような虚ろな気持ちになる。そんな言葉が家内から出るのは、・・・と思ったが、私は淋しくて仕方がないのだが、静かに二人夕食をとる。味気ない。

一昨日車のラジオで郷里のこと

2005-07-03 20:15:00 | Weblog
郡山の采女祭りのこと、語りべのことなど、方言が懐かしい。

安積の采女の話になり、語りべのお話しを聞いた。郡山空襲で近郊の父の里へ疎開した。小学校5年生だった。

以来、高校卒業までそこにいたわけで、采女の里である。合併して今は郡山名物のようになっているが、語りべのないようにいささか違いを感じた。

春子と次郎という若夫婦の物語である。当時の奈良が日本の中心だった時代の物語。

奈良からの偉いお役人が村へ来て、美人の春子を見初めて、奈良へ連れてゆく。

奈良の生活に馴染めず、夫次郎を思うあまり、ある夜、猿沢の池に着物、履物を残して、郷里へ必死に歩いて戻った春子を待っていたのは、連れてゆかれて以来悲しみ続けて死んでいた次郎のことであった。

悲しみのあまり、春子は采女の沼に身を投げて死んだ。これがあらすじで、方言の懐かしさと出てくる安積山の名はよく語られていた。

ただ、肝心の締めくくりに不満があった。
地元で育った私が聞いたのは、猿沢の池に身を投げたと奈良では思われ、最後が采女の里の沼であったから、猿沢の池と采女の沼は続いていると思われた。

という一節である。人から、人へ伝えられるうち段々と内容が変化するのだと思った。地元片平の人は誰も訂正しないのかと
不審に思った。

昨日のグループ展の主宰者

2005-07-03 09:46:00 | Weblog
彼から、メールが入っていた。お礼の次に次回のわが展の目玉と希望が書いてあった。

彼は審査員であるから、出品者を予選で選択して、こちらへ送り込む。彼のリーダーシップで否、義理で出してくる人もいる。

長年貫いてきた、100、150号の大きさで競う展覧会は私は好まない。美大の卒業製作なら腕試しに大作も良いが、毎年、描き続けると置き場がなくなる。

公的機関や画商が買い上げる大きい作品は一年に限られている。絵描きさんは腕を上げるほど小さくなる。

一般の人が手に入れるには価格の展でも小さい方が求めやすい。

日本の家屋で飾るのには、一般的には10号が限界である。

そんな意味で10号で腕を競う催しを続けて
十数年以上になる。十分力を発揮できる大きさなのだ。

東京の展は未だに続いている。地方発の展覧会をと地元に戻って主宰して10年近くなった。

質を上げて、喜ばれることと、多くの人が参加できることにすることが相反する。
が、ともに大切なことで悩むのである。

理想は身障者も健常者(と分けることが差別であるが)も、大人も子供もバリヤフリーの展覧会を開催したいのである。