青い鳥を常に求めて

人生の理想を追求する姿勢で何事にも当たりたい。

長崎原爆の日

2010-08-09 07:53:00 | Weblog
広島から3日を経て長崎が被爆した。情報戦で完敗の日本が悲劇を大きくしたとも最近、分かってきた。

報道管制のために一般市民には知らされなかったと思ってきた。

我々の知り得た知識は「マッチ箱爆弾」だった。当時、この広島に投じられた爆弾を「原子爆弾」と訳し政府へ連絡していたという。

原爆に対する情報が乏しかった日本はみすみす長崎の次の投下を防止できなかったことになる。

 終戦直前に広島へ投下された兵器の正体を、国内でいち早く「原子爆弾」と訳し、政府に報告したのは、埼玉県川越市で海外放送を傍受した通信社だった。

共同通信社や時事通信社の前身だった同盟通信社の川越分室。杉山市平氏と杉山市平氏である。

大本営は結局、しばらくは「新型爆弾」としか発表せず、放射能の脅威が知らされないまま2次被爆の拡大につながったと指摘する専門家もいる。

記録は残っていないが、当時の史実を知る人物が現存する。