退院のときはほぼどこも痛くなかったのに今はちょこちょこ痛く実家へ帰るのは延期中。
「そんな時こそ実家でゆっくりすればいいのに。」とか言われるけどそんな時はひとりでいたい派。
それで思ったけど、生き方がそれぞれ違うように死に方もそれぞれ違う。
「たくさんの人に囲まれて賑やかな中で旅立ちたい。」と思う人もいるだろうし、そうでない人もいると思う。ぼくはどちらかと言うとひとりで行きたい。
たぶんぼくは死ぬ時に、「【死ぬ感じ】を全力で味わいたい。」と思うはずなので、手を握られて「がんばってぇぇえ!」などと言われると、「気が散るなあ〜。」って思いそう。
たまに、「ちょっとご飯を買いに行ってる間に亡くなって見送れませんでした。」とかって話を聞くけどそれはそんなに気にしないでいいんじゃないかと思う。
『看取り』とは、呼吸が止まるその瞬間に立ち会うことだけではなく、そこに至るまで支えた時間、お葬式への参加、また遠くからその人を想う時間、その全てが看取りなのです。
これはぼくが病気になってからYouTubeでたまに見てるDr.Toshが言ってました。
そしてギリギリ間に合わなかった場合でも、言いたいことは言えば伝わると思うし、その辺はアバウトでいいと思う。そもそも死んだら生きてる時とは違う力を持ってるので、言葉にしなくても想うだけで伝わってる気がする。