台風21号や24号の被害記事が、あちこちで報告されている中で、
私の、24号で受けた被害を報告するのは、、もうしわけありませんが・・・
ベランダの植木や花の鉢が、倒れたり、引っくり返って居ていて、
慌ててやったので、画像は有りませんが、植えなおしたり、
体裁を良くしたり、片づけたり清掃したりで、三時間かかりました。
その後、急いで、菜園へ行ってみました。
上の写真は、捥ぐのを省いてくれたように、落ちた渋柿の内傷、傷もく綺麗な
ものだけを、拾い集めたものです。
この四倍程は、まだ確り木にしがみついていました。
今日午後、皮を剥いて、干し柿にしたいと思っています。
栗は、先日、自然落下したものだけ,拾ってきましたが、
今回の台風で落ちた分は、先日の自然落下ほどもありません。
栗の収獲の都度思うのですが、子供の頃台風の去った後
よく父に連れられて、夜明け前から、裏山の栗林へ行って、
栗拾いをやりました。
茹でて食べたり、皮を剥いて渋を取り、栗ご飯を作って
もらいました。
当時は、栗を拾いに行くことも、皮を剥いて渋を取ることも、
全然苦にならなかったというより、喜々として
やっていたはずなのに、今は結構面倒くさくなって
しまいました。
妻は「手間を掛けて、光熱費もかけて料理するより、買ってきた方が
安上りよ」と言います。
昔を思い返して、父が嬉しそうに手間を掛けていたのは、子供達が
嬉しそうに「美味い」「美味い」と言って食べる姿を、楽しんで
いたのではないかと思うのですよ。
何か、korolemonさんのコメントを読んで、
郷里の風景を,懐かしく思いだしました。
殆どの家の軒下には、それぞれ干し柿が、
何百個も吊り下げてありました。
周りの景色が、黄金色に代わり、
日が短くなっているのに、明るくなったのを、
はっきり覚えています。
しかしこの光景は、子々孫々が眺められるものではないのですね。
私の菜園は、強くは誘いませんが、息子や娘は見向きもしません。
墓守がいないとか、仏壇は誰も引き継ぐ人がいないとか、
深刻なテーマから見れば、贅沢と言われるかも、知れませんがね。
子供の頃、田舎に行くと軒先に「干し柿」が吊るされていました。今はほとんど見ません。作る人もいなくなったという方が正しい表現かもしれません。
従妹が後をとっていますが、当然のことながら、「作ろうかな?」という感覚すらないと思われます。「買ったほうが早い」、まさにその通りです。
息子が釣りにハマりだし、たぶん今月一緒に釣りに行きます。凄く楽しみです。
たぶん、一緒に栗拾いに行っても、干し柿を作ってみても・・・ 凄く楽しみにしていると思います。