鳴り響く着信音の主は、父親であった。
淳はベッドに腰掛けると、通話開始ボタンを押した。
「‥はい、お父さん」
いつもより長いコール音を受話器の向こうで聞いていた父親は、休んでいたのかと淳に問うた後、
早速話の本題を口にした。
「来週からインターンだが、準備の方は進んでるか?」
はい、と淳は小さく返答した。尚も父の話は続く。
「朝の出勤はきちんと時間内にな。遅刻すると減点だぞ」
「僕は小学生じゃありませんよ」
まるで小さな子供に言い聞かせるような父の注意に、淳は溜息を吐きながらそう答えた。
そうだったな、と言って父は笑う。
「けれど私にとってお前はいつまでも子供だよ。お前も父親になったら分かるだろう。
まぁ、優秀な我が息子のことだ。上手くやるとは信じてるがね」
心配無用です、と淳が答える。
大人しく返答する息子に、父は改めてこれからのことを言及した。
「もう本格的に仕事が始まるのだから、これ以上学生気分ではいられないぞ」
父は厳しい口調でそう言ったかと思うと、続けてどこか寂しさを帯びた調子で言葉を紡いだ。
「インターンが終われば大学も卒業で、社会人になって‥。
本当にもう独り立ちする時期が来たんだな。大人として、これからやっていけそうか?」
それは父と息子の会話であると同時に、大企業の会長とその跡取りの会話でもあった。
いつも向けられる多大なる期待と、のしかかる重圧。しかし淳は表情を変えること無く、
「心配要りません」
そう感情の読めない口調で返答した。
「期待ハズレにならないように頑張らなくちゃ」
淳はそう言って笑った。浮かべた表情は、顔に貼り付いているような笑顔だった。
父親の笑い声が受話器の向こうから聞こえる。
そして「ところで、」と続けて淳は切り出した。
「独立しなければならない子供達が、僕の他にまだ居るのではないですか?」と。
淳の言葉を聞いた父親は、暫し受話器の向こうで黙り込んだ。
そうだな、と小さな声でつぶやくと、亮と静香のことを口にした。元気でやっているか心配だ、と。
「お父さん」
淳はそんな父の情を断ち切るように、ハッキリとした口調でその敬称を呼んだ。
口元を歪めたあの笑顔で、そして流暢な言葉遣いで話し始める。
「僕もあの子達も、もうお父さんに頼らず生きていく年齢です。
お父さんが後援をされるほど、彼らの独立がどんどん遅れて行きます」
自分達の力だけで生きて行くべきです、と淳は自信ある口調で言った。
父は暫し思案していたが、やがて心を決めると彼にハッキリとその気持ちを口にした。
「‥そうだな、お前の言う通りだ。もう亮と静香もそんな年になったんだな。
特に静香は一番年上で結婚も考えて良い頃なのに、一体どう思っているのか‥。
‥私は既に大きくなった子供達の面倒を、わざわざ買って見ているんだな」
そう言って黙り込む父に、淳は言葉を続けた。彼らに対する自分の立ち位置について。
「静香には僕から話をしておきます。そして亮は食堂で仕事を始めていますよ」
淳の言葉に、彼の父親は幾分驚きを込めて言った。
どうしてそんなことを知っているんだ?と。お前は亮に対して関心が無いと思っていたのに、と。
「最近知ったんです。いくらなんでもまるで無関心というわけにもいかないでしょう?」
父はそれを聞いて笑った。幾分ホッとしたような空気が伝わってくる。
「そうか。お前がこんな風に気にかけておいてくれると安心だ。
良い働き口と嫁ぎ先を探すよう、お前から言っておいてくれ」
父からの言付けに、淳は笑顔で了承する。
「どうせ彼らにはしばしば会うので心配要りません。
僕が彼らの状況を、お父さんに度々伝えますね」
そして親子は別れの挨拶を告げると電話を切った。
淳は通話終了ボタンを押した後、すぐさま着信履歴をスクロールする。
そして淳は通話開始ボタンを押した。
画面に”河村静香 呼び出し中”の文字が踊る。
何度目かのコール音の後、静香は電話に出た。不機嫌な彼女の声が、電話口から聞こえてくる。
「ようやく連絡して来たってワケ?あんたカード‥」
「お前、すぐに今の家を引き払え」
淳は静香の言葉をぶった切り、開口一番そう言った。突然の彼からの宣告に、静香は当然当惑した。
「はぁ?!」
「一週間以内だ。そこはもう売却する」
淳はそう言うなり、一方的に電話を切った。
通話が終わると淳は寝転がり、一人そのまま天井を眺める。
父親はもう積極的に亮と静香を支援しようとはしないだろう。
淳は今の結論に父を導いたことに、満足感を感じていた。
一人笑みを浮かべながら、自らを肯定するようにその心を口に出した。
「そうだ、これでいい」
自分の周りの物事や人々が、全て誤っているという認識。
正しい自分が、周りに振り回されて疲弊するという感覚。
「間違ったことが多すぎる‥」
そんな淳の呟きが、秋の空に溶けていく。
満月はそれを否定も肯定もせず、ただぼんやりと空に浮かんでいる‥。
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<正しさと誤り>でした。
一体誰が正しくて誰が誤っているのか? 物事は本当に正否に沿って、”正しく”決まっていくのか?
そんな問いが感じられる回でした。
しかし淳父、亮と静香に淳の友達になってほしいと思っていながら、生活態度についての苦言を淳を通して伝えるとは‥。
この矛盾が、彼らの関係を破綻させている一因を担っているような気がします。
次回は<不安な先行き>です。
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