
秋の日暮れは早く、雪はもう暗くなった大学の構内を一人トボトボ歩いていた。
頭の中は考え事でいっぱいだ。
どうしよう‥また学外で探さなきゃなの?最近採用厳しいのに‥。
てかもう三年なんだから、就職と関係した仕事をすべきじゃ‥でも一体何の仕事を‥

雪は図書館のバイトをクビになったことから、未だ立ち直れずに居た。
他のバイトを探そうにも、これから先の進路を考えると簡単に決断出来る状態でも無いことが、雪の頭を悩ませた。
雪は依然として悶々としながら、秋の夜道を歩く。
この際勉強に本腰入れるか?今回清水香織と横山のゴタゴタで、中間あんまり良くなかったしな‥。

いや、じゃあどうやって大学に通うっての?!
昨日あんなに大暴れしたくせに、お金出してくれなんて絶対言えないし!

アルバイトを安易に決めることが出来ない状況だが、お金が無いと大学に通えない。
昨日あれだけ小遣いの問題で揉めたのに、ノコノコ帰って金の無心なども出来るはずがない。

けれど冷静に考えてみると、そもそも自分は金の催促など一度もしたことが無いことに気がついた。
心の中に、冷たい隙間風が入り込んでくる気持ちがする。

段々と夜は深まり、徐々に空気が冷え込んで来た。
木々は既に色づいた葉を落とし終え、やがて来る冬に向けて枝のみを伸ばしている。
雪は俯きながら、ゆっくりと落ち葉の絨毯を踏みしめ歩いていた。カサカサという寂しい音だけが、歩く度耳に入って来る。
私‥前は何の仕事してたんだっけ?‥そうだ、事務補助‥。
あの時は先輩が仕事でも塾でも助けてくれて‥。
一人で何とか頑張ってみようと思ったのに、どうしてこんな風になっちゃったんだろ‥。

夏休み前、困っていた自分に手を差し伸べてくれた先輩が頭の中に浮かんだ。
結果、彼のお陰で塾も通えた。夏休みいっぱい、事務補助のアルバイトもすることが出来た。
先輩‥

雪の脳裏に、こちらを向いて微笑んでいる彼が浮かんだ。
こんな時、いつも先輩が傍に居てくれたっけ‥。けど突然こんなことで連絡するのもな‥

自分から連絡を断っておいて、いざ困ったことが起きたからといってすぐに連絡出来るほど、雪は鉄面皮では無かった。
けれどそう考える頭とは裏腹に、心の中は彼を思って徐々に湿って行く。
それでもこういう時は先輩が‥いつも‥笑顔で‥

心の中に、泣きたい気持ちが漂っていた。けれど彼女はいつもそれを飲み込む。
胸中に膨らむその気持ちを抱えながら雪は、今一番彼に逢いたいと思った。
笑顔が見たい。

助けて欲しい。

あの穏やかな声で、言って欲しい。
聞くだけで安心するあの魔法の言葉をー‥。
「雪ちゃん」

ふと、彼の声がした。
幻聴かと思って顔を上げた雪だったが、思わず目を丸くした。

目の前に立っているのは、確かに彼だった。
電柱に凭れていた彼は、彼女の姿を認めてそこから身を離す。

彼は少し気まずそうな仕草で前髪に触れてから、首の後に手を当て、彼女の方に向き直った。
「あ‥やぁ」


雪は信じられないものでも見るかのように、じっとその場で目を丸くしていた。
掛ける言葉も挨拶すらも、咄嗟には何も思い浮かばなかった。

そして彼は、雪の方を見て手を上げた。
彼女がずっと脳裏に思い浮かべていた、あの懐かしい笑みを浮かべて。

会いに来たよ、と淳は言った。
けれど目の前の彼女は、じっとその場に佇んだまま微動だにしない。

淳は、首に手を当てながら少し気まずそうに口を開いた。
「えっと‥勝手に来ちゃったけど‥大丈夫だよね?」

淳の言葉を聞いても、雪は無表情のまま立ち尽くしていた。
その表情は、どこか不満を覚えているように彼には見えた。

淳は首に当てた手を下ろしながら、穏やかな口調で話を続ける。
「あ‥怒ってる?勝手に来ちゃって‥」

するとそこで、雪の表情が変わった。
彼の方を見ながら、徐々に眉が下がっていく。

淳はそんな雪を前にして、キョトンとした顔で「どうしたの?」と言った。
彼女が浮かべるその表情は、淳にとって予想外だった。

「何かあったの?」と、続けて淳は雪に優しく聞いた。
淳の存在とその空気感の前に雪は、張っていた気がみるみる緩んで行くような気持ちになる。

雪は、もう限界だったのだ。
けれど自分はまだやれると、まだ頑張れると、自分を騙してここまでやって来た。
「う‥」

でももう誤魔化せなかった。
今まで自分が苦しい時、いつも傍に居てくれた彼が、また目の前に現れたのだ。
「うう‥」

小さく声を漏らしながら近づいてくる彼女を見て、淳は不思議そうな顔をしていた。
雪は自分の方に向かって、よたよたと一歩一歩、歩みを進める。

その場に佇んだままの淳の元に、とうとう雪は辿り着いた。
小さく喘ぎながら、彼に向かって縋るようにその両手を伸ばす。

雪は淳の服をぎゅっと掴み、俯いた。小さく震えている。
淳はそんな彼女を、ただじっとその場で俯瞰している。

そして沈黙する彼女に向けて、淳はゆっくりと口を開いた。
「待つって言った手前、こうやって会いに来るのは気が引けたけど‥」

雪は彼の言葉を聞いても、その苦しそうな表情を変えることなく俯いていた。
彼女の中にある何かしらの激情が、その身体を細かに震わせている。

弱った小動物のようなそんな彼女を、淳はそのまま優しく抱き締めた。
彼女は淳の長い腕に、すっぽりとおさまるように包まれる。

そして淳は、彼女から見えないところで微かに口角を上げた。
「来て良かったよ」

彼女を胸に抱きながら、淳の心は満足感でいっぱいだった。
彼女が自分の元に戻って来てくれたことに、やはり自分は間違っていないのだという思いに、淳の心は充足した。
そして淳は彼女の頭を撫でながら、その背中をゆっくりと擦りながら、優しく声を掛けたのだった。
「大丈夫。もう全部大丈夫だから」

それはいつも淳が口にする、魔法の言葉だった。
「Everything's gonna be alright.」
淳はいつにもましてその言葉が心に沿う気がした。
やはり自分は正しいのだ、そんな絶対的な確信が、彼の盲目に拍車を掛ける‥。
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<Everything's gonna be alright.>でした。
やはりハイライトはこの先輩の笑みですね。

なんだかこれを思い出します‥。

震える雪ちゃんを心配するよりも、自分の元に帰って来たことの方が嬉しいように見えますよね‥。
(まぁこの時はなんで雪ちゃんがこうなっているのか、先輩はその理由は知らないんですが)
その心の内は不安でいっぱいだったと思いますが、やはりここの笑みが気になりますねぇ。
次回は<泣けない彼女>です。
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