ゆこちんのトランペット

トランペット奏者 藤井裕子のコンサート情報、トランペット談義のつもりが…こぼれ話や大きな声では言えない話も…毎日更新中♪

1月23日(水)のつぶやき

2013年01月24日 03時59分13秒 | Weblog

ドン・キホーテでラグ買ってもらったー。床がいつもの2倍はあったかいー♪( ´▽`)


【イベント】新潟市ジュニア音楽教室 第9回スプリング・コンサート yukotrumpeter.grupo.jp/calendar/view/…

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どうなる?子ども。。。

2013年01月24日 02時26分13秒 | 雑感
はてさて…

私は音楽って言うのか、トランペットと言うのか、とにかくそういうモノを通して、子供たちと接する機会が多い。

そういう中で、ハツラツとしてチャレンジ精神が旺盛で、何とも「子どもらしい」子どもたちを見て、幸せな気分になったり、応援したくなったりすることがある。


一方で、興味を示さずスカシていて、チャレンジする気がない子や、じっとしていられない、自分の感情をコントロールできない、そんな子に出会うのともまた結構いっぱいある。


そういう子たちは、まるで出来ない子じゃない。ある程度能力がありそうで、いろいろ知っていて、でも努力したくない感じで、頑張って出来なくて恥をかくのがイヤ。

あるいは出来ない自分と向き合うのが悲しくて泣く。




こんな調子でこれからどうやって生きてくんだろう…



何だか殺伐とした気持ちになる。


でも、これって子どもが悪い訳じゃないんだよね。

躾とか頑張る勇気とか出来たときの楽しさとか…そういう子どものときに培うべき大切なことを教育してない周りの大人の責任なんだよな。




ついつい、失敗する前にあーしろこーしろと指図してしまったり


言った通りにやりなさい!と怒ったり


自分で考えなさいと突き放してみたり


上手くいったときは褒め、ダメなときはケナし


やってはいけないことをやったときには、逆恨みされるとイヤだからとキチンと叱らず


良いことをしても見ていない、話を聞いてあげてない


勉強さえ出来れば良し




…そうやって知らず知らずのうちに、どうする?!という子どもにしてしまう。


もちろん、私も知らないうちにやっちゃってることがある。



学校などにレッスンに行くと、これをどうしろってんだい??という状況に出くわすこともある。


結構曲が吹けてる子たち、譜面が読めない子たち、ドレミがどうすれば出るのか分からない子たち、ドとソが違う音だと気がつかない子たち…そんなレベルのまるで違ういろんな金管と打楽器が渾然一体…


1時間でどうすれば???


そんなときもよくある。別に私は構わない。


でも子どもたちがみんな自分中心だとツライ。

他の子たちを見てたら別な子たちはもうつまんない。ちょっと突っ込まれたらふてくされる。泣く。


何とかしてやりたいが何とも…。


アルトホルンよ、なぜ1年やっててドレミが分からないのだぁー?!
それでどうやって曲を吹こうちゅーんだー??
なぜ音階をやらせないんだー!!自分の楽器のドがどれかわかんないんじゃ合奏どころじゃないでしょー!!!
せめてドは分かろうよ…分からせようよぉ…


心のどこかで、先生に文句を言いたくなる気持ちをグッと堪える。


何とかしなきゃ…と思うから、音楽って楽しいよねーという気持ちも吹っ飛ぶさー。



で、ここでゆっくり…


まあ、考えてみれば、1時間で私に出来ることなんぞ限られてるんだから、まるで音が取れない子を急に出来るようになんかできないし、急に音域広げてあげることも出来ないし。


でも、ちょっとした憧れとか楽しさとか目標とか、そんなのなら残してあげられるのかもしれない。

それをどうするかは、その子らの自由だし、あとは学校の先生の仕事だろうけど。私は種まく、先生耕す的な!



最近思う。


マニュアル的な考え。


これ、危険。


「こうしてこうやればこう出来る!」


いかに効率よく、失敗なく、できれば苦労なく…やり方さえ分かれば、すぐに出来るようになるかのような「錯覚」



それを求めてたり、求められてたり。

やり方さえ分かれば、出来る…


こんなの、良く考えれば気付くけど、嘘っぱちだわ。

やり方なんか分かったって、それは知覚なだけ。「出来る」ってのは、例えば楽器で言えば「運動神経」だ。

自分の思い通りに身体を動かすってのは、全くマニュアルでは出来ない。「思い通り」の「思い」という目標を持って、その通りにあらゆる必要な筋肉や神経が最適に動いてくれるまでカラダに教え込む作業。


その繰り返しによって初めて、何かの動作が確立され、思い通りに出来るようになる。


それまでには、イライラもするだろうし、我慢もいるだろうし、くたびれるし、時間や日数もかかる。



でも、それ以外に方法はないってことを知らなきゃいけない。

よく都会の子どもが、「知ってるよ!○○先生が言ってた!」と言うけど、全く試してもないし出来てもないっての。「知ってる」と「出来る」は全く違うモノだってことが、まだ分かってない。


と言うことは、知ってればできるはずと思っているからこそ、知ってるのに出来ない自分にショックを受け、自分の能力は低いんだと悲しくなったり、または自分の能力が低いなんて認めたくないから最初からやる気がないんだもんとスカして自分を偽る。


先生にも、やり方を教えてもらえばすぐにできるはず…という考えがないわけではない。そうとしか思えないオーダーもときどきある。


やり方なんぞ1回説明したのを聞いただけでは、なかなか…


こーかな?あーかな?と試行錯誤し、試して少しづつ掴んで自分のモノになるまで練習しなければ、実力にはならない。


そこで、私なんかもつい「やり方を求められてる」と何とかしてやらなきゃと思ったりしてしまうのがいけない。


いやいや、やり方を教えたって良いさ。でも、「こうなりたい」「こうしよう!」という「思い通り」の「思い」の部分が何より先だ。

それを吹いてあげたり、一緒にさらってあげたり。


今もやってんだけどね。まあ、やり方さえ分かればできる…って考えを変えさせてあげられない子がまだまだいるし、もっと楽しくなっちゃうように吹いて聞かせてあげたいと思う。


それにしても、自分で何度もチャレンジするしかないなんてことは、いーっぱい遊んでたら、分かりそうなもんだけどなー。

ゴム跳びとか、メンコとか、かけっことか、あんなのいーぱいやる以外にできる方法なんかなかったよね?

コツはあるさ。でもいーぱいやってこそ、コツが生きるってもんで、やったことないならコツだけじゃ出来るようにはならない。



もしかしたら、子どもたちから、そういう貴重な時間や経験を大人たちが奪ってるのかもしれないな。


一見無駄な、でも本当は大切なことを大事にしたい。
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