こんにちはー!!!
今日も朝はめっちゃ寒くてー!!布団からちょっとでも手を出したら、キンキンでっせーww
と言いながら、しばらくは布団の中であれこれ動画を見て、さーて起きねばなりますまい・・・と起きて、ストーブ代を浮かせるために寒い時間は散歩に限る!ってんで、気の向くままに歩いて・・・
気持ちよくテクテクと、荒神山の登山口まで、、、と思い歩いてみたら思いがけずあっという間だったから、もうちょい、、、もうちょい、、、っときっと真ん中よりは登ったんだろうか?
朝ご飯も食べてないし、水も持ってきてないから、油断して道に迷ったり滑落したときに困っちゃうから、無理はすまい・・・と思いながらも、ついついね!
でもとっても気持ちよく登りました。こういうとき「金鉱まであと3フィート」だったかな??あとちょっとで金の鉱脈だったのに、金が出ないと思って二束三文で売った人の話を思い出すと、あとちょっとあとちょっと、、、って思っちゃうけど、また来るから、無理はしない。。。で、さてさてと下山。
そんで、渡良瀬川にかかる、赤くてとってもキレイな五月橋から川をジーっと見てたら、アオサギがパーっと飛び立って、カッコいいな~、、、
ここの水ってこんなにキレイな緑色だったんだな~エメラルドみたいな色?
そしたら、モズなのか?なんかわからんけど中型の鳥がパーっと2羽、、、
きっとオス&メスなのだろう。めっちゃ自由に追いかけまわして楽し気に飛んでいた。
あ~、、、自由で良いな~。鳥はいいな~、、、
、、、、
ん???んん???
あれ???
誰か私を縛ってますかね??
私は自由じゃないですか???ん??
なんとなく、なにをやっても罪悪感がある。
たまーに、すっごい軽くなってめっちゃ晴れ晴れウキウキすることがあるけど、いつもそういられるわけじゃなく、存在そのものに罪悪感を感じたりして、
するってーと、なにかやるにしてもどうも人に迷惑と思われるんじゃないか?とかそういう気持ちになったりしちまう。
そうすると、全パワーかけてやろうと思っても、どこかにストッパーがかかり、ストッパーかかってても出来るようなことなら別に良いけど、それじゃ無理ってモノが自然に行かなくなるから、今度はちょっと強迫観念が付いてきて、これを何とかしなくちゃいけない!!!みたいな、、、
こういう「思考癖」は子どもの頃からではない。
子どもの頃は、人に迷惑かけようが何だろうが、関係ないねッって発想だったと思う。
ただ、なににつけても「まったくこの子は・・・」って言われるようなことになる、、、というのは思ってた。
ああ、そうか。悪い子なんだな、、、
でも、子どもの頃は「悪い子ですけど、それが何か?!」っていう、ナゾの強気があったんだよねwwwむしろ「なんか悪いか?!悪いのはそっちだ!!」くらいのwww
どっちだってどうかしてるんだけど、それくらい強気だったから、何言われても全く平気っていう。みんなにハブられようが、全く問題ない。分かる人には分かるさッ!っていうね。
で、実際世界中が敵であったわけではなく、必ず誰かがワタシを見てくれて、助けてくれ、認めてくれてたと思う。めっちゃツイてる!
35すぎてからだと思うなー。。。その強気がだんだん変わってきたのは。
で、周りではなく、自分の中になんか責めるヤツがさー。そう、自分なんだよね。周りがそう思ってるんじゃないか?と思う「自分」。
コイツが何かしらブレーキをかけてくる。100%で存在することを許さないような何かブレーキ。ブレーキかけられてもやらなきゃいけないことがあるから、何とか頑張る。何しろ、それまで強気で生きてきたんだから、こんなことくらいで弱音を吐くわけには・・・
と思うと、今度は自分の心を無視することにする、、、みたいな。
ぜーんぶ無視すれば、なんか責めてくる自分ってのも無視できるのにね(笑)
が、それは出来なくて、何かブレーキ踏みながらアクセル噴かす的な。
それでもまだアクセルが勝ってるウチは良いけど、そういうことばかりしててはいろいろヨロシクないよね。
今日見た、自然農のYouTubeで、「時間というのは人間の意識の中にしかない」って話をしてて、「自然は生きることに目的なんかない」ってことも言ってて。
生きることに目的がないって言うと、「生きてる意味がない」と勘違いするけど、そんなことは言ってなくて、
「今」という時間から離れるから、過去を引きずったり未来に不安を感じたりする。
今にいる、、、
「今」しかない
あ、そうだ!こんな話も別の回で聞いたな。
みんな同じモノを見て、同じ空間にいたら、共通認識できてると思っちゃうけど、
実は、同じ映画館のスクリーンで人それぞれ別の映画を見てる、、、
そんなモンだ。そこに映画館ってのはあるんだけど、みんなそれぞれの見方でそれぞれの時間で生きてる。でも同じ映画館にいる、、、
もっと量子論的に言ったら、別に人間だの時間だのなんか、確固たる存在じゃなくて、観察すれば有るけど、見てなきゃボンヤリとした状態なのかもしれない。。。
だから、自分が「こうだ」と思ってしまえば、そういう状態で存在してしまう。
同じ場所にいるんだから、みんなそう思ってるでしょ?って言っても、それは定かじゃない。
何しろ、他の人になれないんだから(笑)
どう頑張っても、ほかの人になることはできない。だから完全に人のことを理解し得た、と思ったところで、自分のフィルターで見ているだけで、まったく間違ってるかもしれないし、間違ってたとしても、「自分」でいる以上、自分のフィルターから逃れること能わずだから、確認のしようもない。
だとしたら、もうそれが確固たる真実だ!と思っても仕方ないよね、、、
でも、それが誰にとってもハッピーな信念なら、それでも良かろうけど、そうじゃないなら、アホくさってなるなー。。。
人間は「幸せに生きる義務がある」って言われる。権利じゃない、義務w
流されて生きると、悪魔に支配されると、ナポレオン・ヒル博士が著書「悪魔を出し抜け」の中で言ってた。自分のアタマで考えろ!って。
はてさて、、、自分の頭で考えるってのと、生きることに目的なんぞないってのが、はたしてどうなるのよ?って感じだけど、
「どうせ・・・」「やっぱり、、、」とか思ってるのは、「幸せに生きる義務」を怠ってる。。。
それに、「目的なんぞない」なら、「みんながこう思ってるんだろうから・・・」「これじゃダメ」とか「もっとこうじゃなきゃ」とかってのも、そー言えばないのかもしれない。
もっと楽しくするにはどうする?とか、そういうのは義務を果たしてる。
何かが縛ってる気がするのも、勝手に作ってるモノであって、リアルじゃないのだとしたら、世間の考えに流された結果、自分のアタマで何かいい方法を考えたりもせずに「ダメだ」とか「これが出来なきゃ」とか「存在するだけで罪悪感」みたいな謎の論理を作り上げて、そこに流されて「それに甘んじてる」って言うことになるのか、、、
鳥みたいに好きにオリャーって飛んで、何か悪い?
やってごらんよ!!
やったら良いじゃん???
アタマの中の誰かが、「でも、、そんなことして、何か言われたら、、、」っていうわけだけど、
あくまで「頭の中」だから。
それに実際言われたとして、それがなんだろう??
人それぞれ別の映画を見ていて、しかも別のモノを見てるとは思ってないわけだから、それぞれ別の感想を持ったとしても、仕方ないw
で、、、
もう一つ別の見方からすると、、、
「愛」ってのがきっと大事なんだろうな。
人は褒められたい。認められたい。愛されたい。必要とされたい。
なにげに、ついつい
「褒められる人」「認められる人」「愛される人」「必要とされる人」に
「(自分が)なろう!」「(自分が)ならねば!」
って思ってしまう。そう!!!思ってます、思ってしまいます!!!
でも、そこが間違ってる可能性も大きい。
みんな褒められたく、認められたく、愛されたく、必要とされたいんだから、
「褒めてくれて」「認めてくれて」「愛してくれて」「必要としてくれる」、、、そんな人が一番最強じゃないか???
そりゃ、ひとりさんが言ってた!!
それがなんか腑に落ちて来た。
結局、どんな人が好きですか?って言ったらさ、自分の存在を受け止めてくれる人じゃない??
スゴイ人ってのも、そりゃスターとして良いけど、スターにしてくれる人ってのがいなかったら、成り立たない。
武田邦彦先生なんかは、「特技」がある人ってのは、むしろその人のせいで、それが出来ない人が「ダメ」って思われるんだから、何かが凄くて「エライ」って言えるの?ってwww
何かが凄いから「エライ」んじゃない。例えば勉強できたからって、それが何ですか?足が速いからって、偉いですか?って話。
この観点は凄い!!
特技が無いと人の価値がない、、、って感じがどこかにあるじゃない?
それこそ「世間では」そう思われてるじゃない?
その考えに流されて、特技が特技じゃなくなったら、もう価値がない・・・みたいな風に思い込んじゃって、切なくなる。
こういう考え方すら、世間に「流されてる」のか、、、
本当にやりたいこと、、、じゃなくて、自分に価値を付けるためにやってることだったりするから、それが上手く行かないとなったら、イコールぽんこつって気持ちにもなるのか。。。
武田先生の考えでは、では一番大事なのは?って言ったら「かけがえのない人」だそうな。
例えば「お母さん」とかみたいに、その人がいなければみんなが困る人。
かけがえのない人かー。
人生の最後まで、「幸せに生きる義務」を果たすとしたら、どう生きるのが良いのか?ってのを、もう一回考え直すのも良いのかも知れないなー。
おっと、Amazon!!インクカートリッジが届いた💖遠くまでいつもありがとー!!
話を戻して、、、そういうことを考えた今日のお散歩でした。