おはようございます!!
チェックアウトまであと20分弱あるので、ちょっと書こうかな~とw
参政党のメルマガで、四端教育についてのシリーズがあって、ちょいとメルマガ配信の規則が変わったために、ワタシが聞けた(音声メルマガなのよ!)ところの先に続きがあるのかどうかが分からないんだけど、
江戸時代にどのようにして教育が行われてきたかについて、学ぶことができるシリーズでね。
私は参政党のメルマガで聞いてたけど、普通にネットで検索するとこちらのシリーズの感じなのかな?!
あ、こっちでも分かるか!
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こちらのリンクから引用でコピペしますね!
人間にはもともと「惻隠の心」(困っている人を見て気の毒に思う心)、
「羞悪の心」(自己の不善を恥じ、他者の悪を憎む心)、
「辞譲の心」(譲り合う心)、
「是非の心」(道理にしたがって良い悪いと判断する心)という精神の基盤をなす
四つの要素があり、それらを「四端」といいます。
四端はやがて「仁義礼智」へと育まれていきます。
社会の中で自分の天性を発揮するには、この仁義礼智が非常に重要です。
なぜなら、他者(自分以外のすべての人間)と良好な人間関係を築くことなく、
それを果たすことは不可能だからです。
「羞悪の心」(自己の不善を恥じ、他者の悪を憎む心)、
「辞譲の心」(譲り合う心)、
「是非の心」(道理にしたがって良い悪いと判断する心)という精神の基盤をなす
四つの要素があり、それらを「四端」といいます。
四端はやがて「仁義礼智」へと育まれていきます。
社会の中で自分の天性を発揮するには、この仁義礼智が非常に重要です。
なぜなら、他者(自分以外のすべての人間)と良好な人間関係を築くことなく、
それを果たすことは不可能だからです。
(以上 田口佳史のメッセージ | タオ・クラブ | 天は学び続ける者を助く。田口佳史公式サイト よりコピペ)
それでさー、
これのどこにあたるのか、忘れちゃったんだけど、「智」ってのがね、その中にあるのだそうで。
「智」というと、「知」と何が違うねん??って思ってたけど、
善悪の判断の規範を持っていること、、、なのだそうだ(聴いてから1ヶ月くらい経ったから、ちょっと違ってたらゴメンナサイw)
これさー、、、ホント知りたかったヤツだよね。
人生において、なにが良くて何が悪いのかを知ってるって、すごく大事じゃなーい??
人生って選択の連続じゃない??
その時に、今はさ「損得」が判断の基準になってな~い???
こっちがこっちが安いとか、こっちが儲かるとか、こうやっておけば得だ、とかね。
それって、良い社会を作ることじゃない。
だけど、自分の持ってる基準が「損得」しかなかったら、それでしか判断できないじゃん?
でもここで「善悪」ってモノの基準がしっかりと備わっていればさ、洗濯するときに「最善」ってのを見つけることが出来るじゃない???
そんな教育を受けて育てば、スッゴイ良いよな~。
得することが、必ずしも生きやすくて素晴らしいことになるとは限らないから。誰かが得をすると誰かがその分損してるってこともいっぱいあるから。
そんな「智」ってのを知りたい。
知識をたくさん持つんじゃなくて、物事の道理っての??人はどうあるべきかという道を知ってたら、絶対いいなぁ、、、
それが分からなくて、世間に合わせときゃ良いのか?とか、人の言うこと聞いときゃ良いのか?果たして自分は善ができてるのか?とか迷っちゃう。
そしてグラグラしちゃう。
他人に合わせて、それが良くないことだったりってこともある。でもチョイスしたのは自分となればさ、責任は自分が取らなきゃじゃん。
でも「智」があれば、善を選んだのだからと思えば、それが多少損でも納得できる。ずーっと善を積んで行けば「徳」(得じゃないかもだけど)になって、ひいてはきっとお天道様が見てるってヤツになる。
あ、チェックアウトしなきゃー!
言いたいことは書けたから今日はこれにてー!またねー!
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