先日、いろいろあってオケを辞めたい…という生徒と話をした。
とっても熱心で頑張り屋さんの子だったので、辞めるなんぞというとは思いもよらなかったけど、さりとて思い当たることがないではない。
とあるオーディションの件で、その子にとって受け入れがたい結果だったのだ。
私自身もその結果にはちょっと引っかかる部分があった。
でも、それは別に不正があった、とかそんなのはひとっつもなくて、そういうことではなくて、教育的意味をとるか、それとも集団の利益をとるか?的な、そういう観点の違いによるもので、審査の過程には一つも問題がない。
要するに、何を優先するか、という観点が人によっていろいろあるんだな…ということ。ただそれのみである。
私としては、教育的観点を最優先に考えた。今回のオーディションに向けて頑張って来た跡がどのくらい見えるか、とかね。
でも、それのみが大切とは限らない。
ちょっとした性格による向き不向きとか、有利不利なんかも常にあるものである。
だから、その審査の場に立ち会って逆に勉強になった。
あ~、そういう観点もあるのか…!!!なるほど!!!
自分が正しいと思ったことが、いつでもどこでも正しいとは限らない。
自分の意見はもちろんある。
でも、それが通らないことがあっても、別の考えの方に理があれば、それもまた受け入れなければいけない。
逆に、いろんな意見があって、それを自由に言えてこそ、その団体は健全で素晴らしいと思う。
その違う意見をぶつける中で、最終的にみんなの判断として、ひとつのことを決めていく。
それでいいと思う。
若い頃にそんな風に思えたかは、全くもって全然違ってたと思うし、物事をひとつの面からしか捉えられてなかったこともいっぱいある。今もあると思う。
なので、今回の生徒の反応は理解できる。
でもそれはそれで、少し若気の至りのようにも見えるし、自分が頑張ればすべて思うようになる…という幻想は捨てなきゃいかん。
あ、自分が頑張れば…ってのは、ちょっと説明がいるかもしれん。
自分なりに頑張った、というだけですべて自分の望むようになるとは限らない…そういう意味だな。
自分なりに…ってだけでは、もっと凄い人が現れれば、越されることもある。そもそも越されるも何も、すでに自分より上に居る人がいる場合もいっぱいある。
だから自分なりに精いっぱい、というのは、自分の中での幸福感や満足感を考えるときにはバッチリいい事だと思うけど、周りを含めて、他人が関係しているような場合には、それだけで何でも思い通りになるとは限らない。失敗しても失敗しても諦めずにやり続ける…そうしているうちに自分の思った通りになる…そういう事だと思う。
だから一回のオーディションで、自分なりに頑張ったのに認められなかった…と諦めてしまうのは、「自己満足」イコール「世間も認める」になると思っているって事で、なかなかそうはいかないでしょう…と思う…それは年齢による経験のおかげで思うのかもしれんけどね~。
何か、やりたいことがあって、それを一生懸命やってるうちにその道が拓けた!!!そういう場合と、何かやりたいことがあって、そうなるまで絶対に諦めずに何度失敗してもくじけず前進し続けたから成し遂げることができた…そういうことが必要なのかな、と思う。
生徒に分かってもらいたくて、あれこれ話した。
顔を見ていると、気持ちが手に取るように分かる。いや、自分の学生時代に照らして考えてるから、ちょっと違うのかもしれないけど、まあ分かる気がする。
だから余計に、そういうことじゃないんだよ!といいたい。何とか分かってほしい。
で、多分、その子は頭もいい子なので、言わんとしてることは分かったと思うし、頭では言われなくても分かってたと思う。
でも気持ちが、なんでやねん!もーやだ!!!という風になっていて、それが支配してるんだと思う。
結局、その場では絶対辞めるともやっぱり続ける、とも言わなかった。でもそうしながら、係の仕事を一生懸命やっていた。
で、それから2日経って…私自身に問うている。どうするべきだったのか?
いろんなことを話した。
だけど、ふと気がついた。
あー。もっとはっきり共感してやれば良かったなと。
その子の気持ちを聞いて、「そうか、悔しかったんだね」「そうだったのか、そういうのは許せなかったんだね」「一生懸命頑張ったんだね」…そう言ってやれればよかった。
悔しかったことも許せない気持ちも精一杯頑張ったことも伝わっていたし、分かってた。でも、それは分かるけど…とその先を話してしまった。
そうじゃない、今のそのやるせない気持ちを受け止めてやれば、きっとその子は自分がダダをこねてるだけだときっと気付くことが出来たと思う。
でも、「それは分かるけどね」とされると、行き場のない気持ちがどうしても素直にその先のことを考えられなくしてしまって、誰も分かってくれないなら…と脳が自己擁護するような感じになって、なかなか「辞める」ということを正当化する思考回路から抜けられなくなってしまう。
は~…まだまだ未熟じゃ、わたし。
あ~あ。
とりあえず退団届けは阻止されているので、書類上はまだ辞める事はできない状況にはしてあるのだけれど、もう一回、その子の気持ちを共感してやる機会があるといいんだが…。やり場のない気持ちを誰かが受け止めてやれれば、きっとその子本来の元気ややる気を出してくれると思うんだ。
いや、まあ結果としてその子がどういう道を選んでもいいけど、でも誰も分かってくれないわけではない、分かってる人もいるよ、ということを伝えてやりたいよ。
なので、また来週オケに来ますように…祈。
とっても熱心で頑張り屋さんの子だったので、辞めるなんぞというとは思いもよらなかったけど、さりとて思い当たることがないではない。
とあるオーディションの件で、その子にとって受け入れがたい結果だったのだ。
私自身もその結果にはちょっと引っかかる部分があった。
でも、それは別に不正があった、とかそんなのはひとっつもなくて、そういうことではなくて、教育的意味をとるか、それとも集団の利益をとるか?的な、そういう観点の違いによるもので、審査の過程には一つも問題がない。
要するに、何を優先するか、という観点が人によっていろいろあるんだな…ということ。ただそれのみである。
私としては、教育的観点を最優先に考えた。今回のオーディションに向けて頑張って来た跡がどのくらい見えるか、とかね。
でも、それのみが大切とは限らない。
ちょっとした性格による向き不向きとか、有利不利なんかも常にあるものである。
だから、その審査の場に立ち会って逆に勉強になった。
あ~、そういう観点もあるのか…!!!なるほど!!!
自分が正しいと思ったことが、いつでもどこでも正しいとは限らない。
自分の意見はもちろんある。
でも、それが通らないことがあっても、別の考えの方に理があれば、それもまた受け入れなければいけない。
逆に、いろんな意見があって、それを自由に言えてこそ、その団体は健全で素晴らしいと思う。
その違う意見をぶつける中で、最終的にみんなの判断として、ひとつのことを決めていく。
それでいいと思う。
若い頃にそんな風に思えたかは、全くもって全然違ってたと思うし、物事をひとつの面からしか捉えられてなかったこともいっぱいある。今もあると思う。
なので、今回の生徒の反応は理解できる。
でもそれはそれで、少し若気の至りのようにも見えるし、自分が頑張ればすべて思うようになる…という幻想は捨てなきゃいかん。
あ、自分が頑張れば…ってのは、ちょっと説明がいるかもしれん。
自分なりに頑張った、というだけですべて自分の望むようになるとは限らない…そういう意味だな。
自分なりに…ってだけでは、もっと凄い人が現れれば、越されることもある。そもそも越されるも何も、すでに自分より上に居る人がいる場合もいっぱいある。
だから自分なりに精いっぱい、というのは、自分の中での幸福感や満足感を考えるときにはバッチリいい事だと思うけど、周りを含めて、他人が関係しているような場合には、それだけで何でも思い通りになるとは限らない。失敗しても失敗しても諦めずにやり続ける…そうしているうちに自分の思った通りになる…そういう事だと思う。
だから一回のオーディションで、自分なりに頑張ったのに認められなかった…と諦めてしまうのは、「自己満足」イコール「世間も認める」になると思っているって事で、なかなかそうはいかないでしょう…と思う…それは年齢による経験のおかげで思うのかもしれんけどね~。
何か、やりたいことがあって、それを一生懸命やってるうちにその道が拓けた!!!そういう場合と、何かやりたいことがあって、そうなるまで絶対に諦めずに何度失敗してもくじけず前進し続けたから成し遂げることができた…そういうことが必要なのかな、と思う。
生徒に分かってもらいたくて、あれこれ話した。
顔を見ていると、気持ちが手に取るように分かる。いや、自分の学生時代に照らして考えてるから、ちょっと違うのかもしれないけど、まあ分かる気がする。
だから余計に、そういうことじゃないんだよ!といいたい。何とか分かってほしい。
で、多分、その子は頭もいい子なので、言わんとしてることは分かったと思うし、頭では言われなくても分かってたと思う。
でも気持ちが、なんでやねん!もーやだ!!!という風になっていて、それが支配してるんだと思う。
結局、その場では絶対辞めるともやっぱり続ける、とも言わなかった。でもそうしながら、係の仕事を一生懸命やっていた。
で、それから2日経って…私自身に問うている。どうするべきだったのか?
いろんなことを話した。
だけど、ふと気がついた。
あー。もっとはっきり共感してやれば良かったなと。
その子の気持ちを聞いて、「そうか、悔しかったんだね」「そうだったのか、そういうのは許せなかったんだね」「一生懸命頑張ったんだね」…そう言ってやれればよかった。
悔しかったことも許せない気持ちも精一杯頑張ったことも伝わっていたし、分かってた。でも、それは分かるけど…とその先を話してしまった。
そうじゃない、今のそのやるせない気持ちを受け止めてやれば、きっとその子は自分がダダをこねてるだけだときっと気付くことが出来たと思う。
でも、「それは分かるけどね」とされると、行き場のない気持ちがどうしても素直にその先のことを考えられなくしてしまって、誰も分かってくれないなら…と脳が自己擁護するような感じになって、なかなか「辞める」ということを正当化する思考回路から抜けられなくなってしまう。
は~…まだまだ未熟じゃ、わたし。
あ~あ。
とりあえず退団届けは阻止されているので、書類上はまだ辞める事はできない状況にはしてあるのだけれど、もう一回、その子の気持ちを共感してやる機会があるといいんだが…。やり場のない気持ちを誰かが受け止めてやれれば、きっとその子本来の元気ややる気を出してくれると思うんだ。
いや、まあ結果としてその子がどういう道を選んでもいいけど、でも誰も分かってくれないわけではない、分かってる人もいるよ、ということを伝えてやりたいよ。
なので、また来週オケに来ますように…祈。
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