こんばんはー!!
今日は、いっぱい練習して草臥れました~(笑)
あはは!!
ところで、、、
子どものレッスンをしていて、ちょっとした運動とか、ちょっとした動きとかさせたりするんですけど、
ワタシ自身もちょっと間違ってたな~って思う節があるんだけど、
なにか動きをさせると、それが「《直接》楽器を吹く動きになる」と思われちゃう部分があって、、、
わたしもちょっと間違ってたフシというのはその部分について、「この動きが吹くときのモーションになるのか??じゃあこの動きはなんだ??」みたいに思ってたのが「間違い」って話なんだけど、
例えば「吹き矢」を吹くとか、何かを吹き消す動きとか、〈S〉の子音を伸ばすときの呼吸と支えみたいなの、、、これらの動きが直接楽器を吹く動きなんだとしたら、動きとして違う部分が多すぎないかー?と思ったり、
片足で跳んでみたり、口の中を舌で触ってみたり・・・それが直接吹くことにどういう関係があるのかな?なんて思っちゃってて、
で、子どもや親御さんも何かの動き(例えばゆっくりストローで水をブクブクさせるとかね)「こういう風に吹くんですね?」って言ってきたりするんだけど、
それらはさー、
「直接」そのまま吹く、というよりは、
そういうことができる身体を作っておく(神経を繋いでおくとか、動きが認識できるようにとか、筋力をつけるとか、感覚を得られるようにしておく・・・)ってことをしているってことなんだよなーと!!
自分の体だからって、すべてを認識できてるわけじゃないし、なんでも思った通りに動かせるわけじゃない。
子どもは身体の柔軟性も高いし、ポテンシャルもめっちゃある。
だけど、認識が出来てない部分ってのが大いにある。
それでいて、いろんなことに敏感であったりもする。
オトナは柔軟性などがあまり高くないけど、動きを認識することは少し慣れてるかもしれない。
でももはやいろんな感覚が鈍感になってる可能性もある。
子どもは、自分の身体を自由に動かすというポテンシャルはあるけど、何がどうなってるのか?を認識あんまりできないがゆえに、結果として必要な動きが出来ないってことがいっぱいある。
その動きがどんなものかってのがあまり理解できない可能性もある。
言葉で分からなかったり、具体的にそういう動きの経験がなかったり、想像がつかないからやってみようがなかったり、、、
そういうことを「楽器を吹く」ことと少しだけ切り離して、先に訓練しておく、、、
それが、いろんな動きをさせる理由ってのかなー。
それに、できるポテンシャルがある体があったとしても、使わないでいると、人間ってとっても凄くて、
不要なモノは退化させていく、、、
という、めっちゃ合理的な機能があって、
「使わない」ってことは「要らないってことだね!」と判断して、そこを認識しないようにしたりしちゃう・・・
で、筋肉とか神経とかそういうのがなくなっていくって言う、、、
ホントにビックリするわー。
それって、内臓だってそうなのよ!!ホントにホントにビックリよ。
薬とかそういうの使って補ってると、「あー、んじゃ作らなくて良いね」って身体から分泌させるのやめたりするらしいからね、ホント安易に薬とかで治せると思ってると、それなしではダメな身体になったりするから、マジ注意。。。
話が逸れたが、
そんなことらしい。
耳もそーみたいよね。
9歳だったかなー、、そのくらいのときに話してる言葉を「母国語」として認識して、それ以外の言葉は要らないね!ってんで、母国語に特化した耳にしていくってんじゃないの!!わーぉ!!
発音できないモノは聞こえない(逆もあるかも。聞こえないモノは発音できないってのね)って言うからね、それ、ロシア語やってるとホントそーだなと思う。聞き分けられない音は発音できないのよね、、、💦
そんな、ちょー節約モードが人間に付いてる、、、同時に適切に使って行けば、そこの回路が徐々に繋がっていくわけで、、、
そういう効果を狙って、いろんな動きやなんかをやるわけで、
そういうのを「無駄」と決めつけずに、楽しんでやれる人がきっと「急がば回れ」的な感じで、いろんなことが体得できるんだろうなーと。
考えてみればさー、
昔は、すっごく高い滑り台があったりさー、ブランコもめっちゃ長ーい鎖のがあったり、回旋塔なんていうめっちゃデンジャラスな遊具もあったりまえにあったりして、
そういうのに飛び乗っては、めっちゃ深い擦り傷なんか作りまくってねww
ブランコからジャンプして、そのまま囲いに飛び乗ってる子なんか、結構いたよネ?
靴はいた後に部屋まで戻らなきゃー!!ってときに、今みたいに簡単に脱げる靴じゃなくて、紐靴だったりするとさー、脱ぐのがめんどーだからって、膝立になって、そのまま靴が床に付かないようにしながら、部屋まで戻ったり、、、
池とか川とか、飛び飛びにある岩なんかにピョンピョン飛び移って、うっかり水に落ちるとか、、、結構あったw
そういう「どういう動きをしたら、どうなるのか?」ってのを、「こうしたらこういう効果がある」だの「これはこのための動きだ」なんていう「ケチ」なこと言わずに、
なんの役に立つとか関係なく、とにかく自分の身体の限界っていうのか、どんな動きが出来るんだろう、自分の身体って??っていうような精神で、いろんなことにチャレンジしてたと思うわけね。
だから時にはこっぴどい怪我もしてたし、もう皮膚が削れたどころの騒ぎじゃない、、、みたいな擦り傷も結構しょっちゅうで、みんな当たり前だったじゃん?
こういう自分の体を好きなだけ使う、、、っていう、「生きてる~ぅ💖」っていう喜びを思う存分感じることって、めっちゃ生きてるモノに与えられた贅沢だし、これは存分に使うことこそ、幸せってもんで、
これがケガするといけないからって、檻に入れられてたり、縄で縛られてたりしてたら、奴隷みたいなもんで、
実質、いろんなことを制限したり、「有効」だと思うモノしかやらない、、、ってことになると、それは一見幸せへの近道に見えるけど、実は奴隷になってるようなもんで、
自由がないってことなのかもしれない。
楽器を教えるっていうからには、もちろん楽器に直結するようなところを極力押さえておきたいわけだけど、
そのことと、今やってる1つの動きですべてが出来るようになる、、、なんていう魔法みたいな動きもないわけで、
いろんな動きが複雑に混ざり合って、複雑なんだけど、でもそれがほとんど意識しなくてもできるように訓練していく、、、ってのが楽器の練習なんだろうから、
いろんな動きの感覚を鍛えておくってのは、ホント大事なんだと思う。
今は、ゲームはできるけど手先は不器用って子も結構いるからねー。
ワタシも昔に比べたら、すっごく不器用になったなぁー、、って思ったりする。細かい作業を丁寧にやるってこと機会が減って、自分自身も「だいたい出来てたらいいさ」なんて、結構アバウトになってたりするから、たまに折り紙なんか折ってみると、いやはや💦角をぴたーッと合わせるなんざ、昔は朝飯前だったでしょーよ??と思うよぉー。
そんなかんなで、
ひとまず、
世の中の大人の皆さん、子どもにはいっぱいいろんな動きとか、いろんなことを感じる機会とか、自然をゆっくり見る機会とか、ギリギリ命に関わらないラインが分かるように、ちっちゃい危険をちょいちょい経験させるとか(危ないからこそ、経験させないんじゃなくて、「見守ってる」ことが大事よね)、勉強さえしてればそれで解決なんてことあり得ないから、そこは手を抜いちゃダメよね。一見無駄なこともどんどんやらせて!!
それらの蓄積から、いろんなことができるようになっていくと思うー!!
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