こんばんはー!!
うーん、今日の棋聖戦第3局、渡辺明棋聖vs藤井聡太七段、、、いやはや、素晴らしい試合でしたぁー。
もう目が離せなくて、対局の昼食休憩からABEMAで見てたんですけど、いやーすごかった。
将棋「中継」ファンなので、もうめっちゃ楽しみましたし、もちろん藤井聡太ファンですから、うーん今日決めちゃってほしかったけど、もう1回対局が見れる!!と思うと途端に楽しみが増える。
王位戦もあるから、体力のために今日決めちゃってーって思ったけど、良いんだ良いんだ、素晴らしい試合だったからねー。
解説の森内九段、高見七段、室田伊緒、中村桃子、、、みなさんとても素晴らしかったですー。
で、目は離せないけど、練習はする笑
先日、ブレスの「吸う方」を強化しよう!!って考えたんだけど、
今日はさらに進んで、
持ってる息を有効に使って(使いすぎずに)、極力響く状態を作る
ってことにしてやってみたー。
そうすると、またこれがいい。
音を柔らかくするための練習にもなるし、ppで練習するってよく言うけど、それの本当の意味ってのもわかってきて、とても有意義でしたよー。
ppで練習って良さそうだから、今までの人生で何百回もチャレンジしてきたけど、今ひとつピンとこないし、うまくなる感じがしない、って思って、自分の中の流行が終わると、放り出される練習の1つだったんだけど、
今日ついにわかったかもしれん!!
1ブレスで長く吹くような練習だと考えて、その中でもいかにいい音で響くようにするかって考えると、何しろ1ブレスでロングトーンとして長いフレーズ吹こうとしてるわけだから、無駄に息つかうわけにはいかないってわけで、自然と少しずつしか吐けない。そうすると、そのちょっとずつしか使えない中で、音の芯を捉えるっていうか、効率よく鳴るところを探すというか、、、
そうすると、無駄吹きや力ずくや、センターずれてるけど息入れれば鳴る!みたいな考えとか、ハイトーンを力ずくでとか、どれも出来ないもんだから、自然と丁寧に練習できるし、細かなチェックも可能になる。
そう、今まで何が間違ってたって、ppで練習しようと思った時に、大きい音で「鳴らないように」という、「鳴らない」を目指して練習してしまってたってところ!!
逆だった!!
少ない息、少ないパワーで「鳴らす」んだね。
たくさんの息のパワーで吹いてるのに、「鳴らない」ようにするとなると、「軽く吹いて鳴らす」ことだと頭はわかっているけど、ppになるようにいろんなところに力を入れて「止める」ことで小さい音にしようという、二律背反的な練習をしていたわけで、そりゃーアクセルとブレーキ踏むんじゃさー、最小限の力で最大効果とか無理(笑)
なーるほどー。。。
やっと分かりましたー。
人は分かる時にしか分からない、ということを体現しております、、、あはは。
それとね、
練習してて、なんかいろいろできるようになったぞー!!って思って、その日の練習終わって、次の日とかのしょっぱなにその状態になってないと、「あーん、昨日はできたのに、ダメじゃんー!!」と自分を否定にかかっちゃうんだけど、
よーく考えてみると、
前の日の終わりにうまく出来るようになる前は、めっちゃヘボかったわけで、その状態と現時点でのMAXの間からスタートしたのだとしたら、ダメじゃんってガッカリするどころか、本当なら、「おお!!昨日より上手い状態からスタートしておるな、ウンウン!」と喜んで認めて、そこからスタートして前日の最後よりもっといい状態になるように、
ってやっていけば、2歩下がって3歩進む(365歩のマーチの言い方違い的な)ってなって、1年後には365歩進んでるってことになるわけで、
常に1番良いところを覚えてて、その状態に朝1でならないからって、ガッカリするなんてもったいないし、モチベーションによろしくない影響を与えるし、自己肯定感がだだ下がるから、もっとちゃんと見るべきだね。
良い勉強になりました。
そう!!
勉強といえば、依然オンラインサロンから流れてくる変態的オタクな情報(ここでの変態は最上級の褒め言葉。普通の人なら、そこまでの知識必要か?と突っ込む辺りの1段上行く人たち、、、凄すぎて、たまげる)の隅っこ辺りに何とかかじりついて、あれこれ勉強しております。
そうするとさー、全く知らなかったことがまずボンヤリとした知識として頭に入るじゃん??
そのボンヤリとした知識を携えて、別の資料に当たるじゃん??
そうすると、だんだん状態がハッキリ見えてきて、
その後、最初の資料に戻ったりするじゃん?
そうすると、最初には見えなかったり読んでも全くただの「文字」としてしか認識されてなかったものが、急に立体的に見えてきて、いろんなものに「意味」が付いてくる。
そういう作業の繰り返しで、いやはや、もうなんて言ったら良いか、、、
こういうオタク的(サブカルってことじゃないよ、普通なら知らなくても誰も咎めないレベルの情報ってことね)な情報って、実際知らなくても演奏に全く影響ないし、知らない人の方が多いだろうし、知ったからって別に何が楽器のテクニックが上がるかって言ったら、全く関係ないと思うけど、
でも、同じものを見ても受け取れる情報量が違ってくるんだよね、こういうものを知ってるかどうかで。
私なんかは、まだ端っこに齧り付いてるってレベルだから、見えてないものだらけだけど、
まずはそれでも「知ろう」としないことには始まらないし、そんな端っこ噛んでるだけでも、もうモノの見え方が全く違うんだから、こりゃやらない手はないよ。
こうやって勉強し始めると、ちょっとした会話とか解説なんかを聞いても、うーん、、、そうじゃないんだよねー、、、それはまだ浅いんだよねー、、、って思っちゃったりして、でもそれがプロの世界だったりもして、何だかそれで良いのか??って気持ちにもなるし。
区別するわけじゃないけど、なにげにアマチュアの人の方が、こういうオタク情報持ってるからね。
文字通り「アマチュア」=「(音楽)愛好家」な訳だから、それで良いのかもしれないけど、
ついつい「プロ」ってのが、「音楽の」プロじゃなくて、「楽器の」プロになってるのかなーって思うようにもなってきた。
楽器自体を自在に操るって、人生かけるくらい時間かかっちゃうから、「楽器のプロ」って、それだけでも凄く価値があると思うんだけど、イコール「音楽のプロ」かどうか、、、となると複雑な心境にはなるね。
でも実際、「音楽のプロ」と言えるほど勉強してる日本人って多くはないかもしれん。。。(もちろん、いる!!いるってのとみんなそうだってのは違うってことね)。
ヤバイところを突いてる気もして来た。
またゆっくり考えよう(笑)
というわけで、また明日ねー!おやすみなさーい。
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