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(「ゲゲゲの女房」 鬼太郎by水木しげる)
■2010/9/23(木) 秋分の日 豪雨・雷の明け方
いよいよ今週、NHKの朝ドラ「ゲゲゲの女房」が最終回を迎える。
このNHK朝ドラマを、私は、久しぶりに全話パーフェクトに見てしまった。
(NHK朝ドラでは、奈良・明日香の和菓子屋を舞台にした「あすか」以来だ。)
といっても通勤時間に放送されるドラマ、見るのは当然録画再生。
毎日だいたい夜の11時過ぎだから、私にとっては夜ドラになっていたが、
この夜の15分間こそが、毎夜の楽しみだった。
この朝ドラが、今までとシチュエーションを異にしていたのは、
これまでは全て、自分の力で、頑張って人生を切り開いていく女性の
ストーリーだったが、今回は、あくまで「専業主婦」という立場で、
苦闘を続ける漫画家の夫に付き添いながら、どちらかと言えば従属的な
環境の中で、日々の主婦の生活視点でストーリーが展開されたことだろう。
改めて「誰の人生にもドラマはあるのだ」ということを認識させられた。
それが現役漫画家、大家でもある「水木しげる」のこれまでの人生、
実話をベースに書かれたストーリーというのだから見る人を引き込まない
はずがない。
まさに「ゲゲゲの鬼太郎」、マガジンの別冊「妖怪辞典」や週刊誌に
掲載された「第二次世界大戦中の島での戦記物」と水木まんがと共に
少年時代から歩みを共にした私にとって、水木しげるの生き方を
ドラマで垣間見るだけでも感動を受けた場面が多々あり、何度か
涙を流したこともあった。
特に「悪魔くん」が、初のTV放送に決まって山陰の夫妻両家の親戚や
地元商店街の人たちが、普及間もないテレビの前に陣取って、放送が
開始された瞬間、バンザイがわきおこったシーンでは、私もしばらく
涙が止まらなかった。
水木しげるが、片腕だけでも生涯愚痴を口にしたことがなかったのは、
「片腕を無くしただけで今こうして生きていられる」といった戦争で
死の淵を経験したからこその実感だろう。
「戦時中、生きたくても生きられない人間がたくさんいた。 それに比べ、
現代は生きられるのに死にたいという人間がいる。私は、止めない。」
みたいな考えもこの人ならではか。
私も水木しげるが、心酔したゲーテを読んでみたくなった。
山陰・境港にも立ち寄りたくなった。
そしてどんなに赤貧でも頑張ってついていった原作者の夫人の姿も
今の時代から見ると感動でしか語れない。
このドラマが始まる前に 本物の水木しげる夫妻の、インタビューが
流されたが、夫人がこんなこと言ってたな・・・
「水木と歩んだ人生は、苦しいことも多かったが、経験できないほど
とても楽しかった。 今はお金はたくさんあるけどお金より
もしもう一度、人生をおくれるのならまた水木と一緒におくりたい。」
思えばその気持ちが、首尾一貫、このドラマの端々に溢れていた。
「だんだん(=ありがとう) !」 まもなく感動のフィナーレ。
来週からちょっこし淋しくなるな・・・
(寅)
社会人になったら朝ドラは録画でいきましょう。
さて「てっぱん」はどうかな・・・ 食べる方ならば、任せとけ! 気分なんですけどね。
(寅)