分校の校庭(運動場)と堤防の間には、幅2mくらいの道があります。
その道は、神社の横を通り、電車の駅の下に10数mのトンネルがあって、駅の反対側に出ます。
そこには、工場がひとつと、その先に火葬場と墓地がありました。その他は、その先の別の集落まで田畑が広がっています。
私の父が亡くなった時は、福井市内の足羽山という小高い山のところに市営の火葬場がありました。母の時には、更に山間の方に新しい火葬場ができていました。
ただ、私が子供の頃は、トンネルの先の火葬場で火葬を行っていました。近づいた事がないので、良くは覚えていないのですが、四本の柱に屋根だけの構造で、壁はなく、中にブロックか何かで作られた四角い台のようなものがあり、そこで棺を燃やしたのだと思います。
私の居た地域で、どなたかが亡くなると、葬儀が行われ、火葬場に向かう葬列が堤防の下の道を通っていきます。棺は何人かでかついで運んでいきます。
分校で授業を受けていると、その葬列が見えます。
そのため、トンネルを通る事はほとんどありませんでした。怖かったんです。
神社の境内で遊ぶ事は、よくありました。大きな木が沢山あり、全体的に昼でも陰になっているので、とくに熱い夏場は、絶好の遊び場でした。セミやいろんな虫も沢山いました。
ただ、その先のトンネルには近づきませんでした。
今が、神社が移転し、トンネルは残っていると思いますが、火葬場は使われなくなっています。確認していないので、もしかしたら無くなっているかもしれません。
子供心に、怖い場所でした。
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その道は、神社の横を通り、電車の駅の下に10数mのトンネルがあって、駅の反対側に出ます。
そこには、工場がひとつと、その先に火葬場と墓地がありました。その他は、その先の別の集落まで田畑が広がっています。
私の父が亡くなった時は、福井市内の足羽山という小高い山のところに市営の火葬場がありました。母の時には、更に山間の方に新しい火葬場ができていました。
ただ、私が子供の頃は、トンネルの先の火葬場で火葬を行っていました。近づいた事がないので、良くは覚えていないのですが、四本の柱に屋根だけの構造で、壁はなく、中にブロックか何かで作られた四角い台のようなものがあり、そこで棺を燃やしたのだと思います。
私の居た地域で、どなたかが亡くなると、葬儀が行われ、火葬場に向かう葬列が堤防の下の道を通っていきます。棺は何人かでかついで運んでいきます。
分校で授業を受けていると、その葬列が見えます。
そのため、トンネルを通る事はほとんどありませんでした。怖かったんです。
神社の境内で遊ぶ事は、よくありました。大きな木が沢山あり、全体的に昼でも陰になっているので、とくに熱い夏場は、絶好の遊び場でした。セミやいろんな虫も沢山いました。
ただ、その先のトンネルには近づきませんでした。
今が、神社が移転し、トンネルは残っていると思いますが、火葬場は使われなくなっています。確認していないので、もしかしたら無くなっているかもしれません。
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