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王子様とお妃様の話




テレビも新聞もこの話でもちきり、うんざりしているのだが、ある人から質問されたので自分の意見をメモしておこうと思う。

とある連邦王国の、王子とお妃のインタビューについてである。


王室の内とその周囲が人種差別的傾向を持つというお妃の告発は、だいたい事実でもおかしくはないだろうと思う。

差別というのは人間ならば誰もが持ちうる感情だ。だからこそ、その感情はコントロールし、勉強し、克服し、現状が少しでも良くなるよう努力し、発言には十分注意すべきである。

差別は完全に、1000パーセント間違っている。
条件付きでオッケーとか、程度問題とかいう話でもない。完全に間違っている。

その上で、公や社交の場で完全に公平である人が、例えば家族内や親友との会話の中で、差別発言をすることはあり得ると思う。
個人的には親友からであってもそんな話は聞きたくないが。

友達や仕事仲間はどんな肌の色でもいいけれど、家族に迎えるにはそうはいかないと密かに考えてる人は少なくはないと思う。
映画『招かれざる客』というすばらしい例もある。

だからといって家族内、親密な間柄ならば、オフレコで差別的な発言をしていいというわけではもちろんない。

われわれは一人一人が差別問題に取り組み、よりよい世界を実現するべく努力しなければならない。それがどれだけ由緒ある独特の価値観を持つ集団であっても。何ごとも差別をする言い訳や理由にはならない。

これがひとつ。


もうひとつは、王子と妃が境遇を逆手に取り、啓蒙運動を通して世の中に多いに役に立ちつつ、ビジネスにしたと考えているのもおそらく事実なのだろうと思う。

そのためには宣伝活動が必要で、あの有名インタビュアーによるインタビューは、今後のボランティア、チャリティ、政治活動、啓蒙運動を含めたビジネス宣伝、プロモーションビデオでもあった。


あるところに優れた女性がおりました。彼女はその勇気と行動力と強い意志で、囚われの身の悲劇の王子様を救います。彼女には多くの困難が立ち塞がりますが、王子様の力を借りつつ、二人は障害を克服し、世界中の人のために尽くすカップルになるのです、と。

すばらしいディズニー映画になりそうではないか。


「世界をよりよくする」「私たちは真実を知っている」と自分たちの活動を聖別することによって、彼らに反対する人たちを「人種差別」とか「いじめ加担」と反撃できる。これはなかなか賢いビジネス戦術である。

彼らのやり方に違和感を感じている人たちがひっかかっているのは、王室や歴史、文化、あるいは啓蒙活動をすべてビジネス化するこういう姿勢に対してなのかもしれない。

しかし、成功するのも貧乏になるのも自己責任というリバタリアン、セルフ・メイド・マンを奉じる多くのアメリカ人にとっては「お金」こそまさに平等の概念なのだろう。アメリカ出身のお妃にしてみればこのバランスは当然のことなのだ。
事実、お妃はセルフ・メイド・マンである。


最後に、彼らに関するここ数年の記事で、わたしが最もあきれたのは、彼女を「奴隷の子孫」と卑下する発言についてだ。
卑下されるべきなのは元奴隷の人ではなく、人間を奴隷扱いした人の方である。
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