ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

いつまで贈与税の基礎控除について特別措置を続けるのか

2023年12月24日 02時00分00秒 | 法学(法律学)ノート

 2023年12月14日に「令和6年度税制改正大綱」(以下、与党税制改正大綱)が自由民主党および公明党によって決定され、12月22日には「令和6年度税制改正の大綱」(以下、政府税制改正大綱)が閣議決定されました。

 毎年行われる税制改正の方針などを決定し、かつ、国会に提出される改正法律案の骨子を示す重要な文書です。改正が多岐にわたることもあって、租税法の改正の内容を理解するためにも欠かせません。

 与党税制改正大綱および政府税制改正大綱と現行法とを見比べるとわかることがあります。それは、改正の対象とされる事項の多くが租税特別措置法および地方税法附則に関わるということです。勿論、所得税法や法人税法などのいわゆる本則を改める改正も多いのですが、租税特別措置法および地方税法附則の改正の多さも負けず劣らずというところです。

 この租税特別措置法および地方税法附則が、租税法をいたずらにわかりにくくするものであり、公平性などの問題を引き起こすものでもあります。そればかりでなく、租税特別措置法および地方税法附則のおかげで本来の制度が見えにくくなるという難点もあります。最近、政府の各審議会などで「見える化」という馬鹿げた表現がよく使われますが(可視化と書けないのか?)、「『見える化』を言うなら特別措置こそどうにかしろよ」と言いたいところです。まして、租税特別措置法の規定には、とにかく一文が長いものもあり、話の要領を得ない人の語りを聞いているような気分になるものが多いのです。

 また、私のように大学の法学部で租税法の講義を担当する者からすれば「いい加減にこんな特別措置などやめてしまえ」、あるいは「こんな特別措置を続けているならもう本則のほうを改正してしまえ」と思わざるをえないものも少なくありません。

 「こんな特別措置を続けているならもう本則のほうを改正してしまえ」。その代表が贈与税の基礎控除です。

 さて、ここで「問題」です。

 ①贈与税の基礎控除は何円でしょうか。但し、相続時清算課税を選択した場合は除きます。

 ②その金額は何法の何条に書かれていますか。

 両方ともに正解という方は少ないと思われます。

 ①の正解は110万円です。これは多くの文献などにも書かれていることですから、御存知の方も多いでしょう。

 ②については、相続税法と答える方も多いと思われます。たしかに、相続税法第21条の5が贈与税の基礎控除に関する規定です。しかし、同条は次のように定めています(以下、都合上、条文中の漢数字を算用数字に改めています)。

 「贈与税については、課税価格から60万円を控除する。」 

 「おかしい」とお思いの方が多いのではないでしょうか。「贈与税の基礎控除が110万円というのは常識だろ?」、「贈与税の基礎控除が110万円であると本に書かれているぞ!」とおっしゃる方もおられるはずです。お気持ちはわかりますが、相続税法第21条の5が贈与税の基礎控除額を60万円と定めているのは紛れもない事実です。

 いつまでも引っ張らないで、②の正解を記しましょう。租税特別措置法第72条の2の4第1項です。条文を読んでみてください

 平成13年1月1日以後に贈与により財産を取得した者に係る贈与税については、相続税法第21条の5の規定にかかわらず、課税価格から110万円を控除する。この場合において、同法第21条の11の規定の適用については、同条中「第21条の7まで」とあるのは、「第21条の7まで及び租税特別措置法第70条の2の4(贈与税の基礎控除の特例)」とする。

 租税特別措置法第72条の2の4第1項により、23年にわたって110万円とされている訳です。ここまで続けるならば、もう租税特別措置法第72条の2の4を削除し、相続税法第21条の5を改正して恒久的に基礎控除の額を110万円とするほうがよいでしょう。ここで租税特別措置法第72条の2の4の立法趣旨などを探ることはしませんが、租税特別措置法に設けられた規定である以上、当時の経済事情などを念頭に置き、あくまでも臨時的措置として考えられていたはずです。いつまでも特別措置として扱うことの意味がわかりません。

 先程の「問題」で相続時清算課税制度を除外しましたが、2024年1月1日から相続時清算課税制度についても基礎控除が設けられます。実はここにも相続税法という本則に対する租税特別措置法の規定が存在します。しかも、改正当初から特別措置が適用されるのです。

 2024年1月1日から施行される相続税法第21条の11の2第1項は、次のように規定しています。

 相続時精算課税適用者がその年中において特定贈与者からの贈与により取得した財産に係るその年分の贈与税については、贈与税の課税価格から60万円を控除する。

 しかし、やはり2024年1月1日から施行される租税特別措置法第70条の3の2第1項は、次のように規定しています。

 令和6年1月1日以後に相続税法第21条の9第5項に規定する相続時精算課税適用者(第3項において「相続時精算課税適用者」という。)がその年中において同条第5項に規定する特定贈与者(第3項において「特定贈与者」という。)からの贈与により取得した財産に係るその年分の贈与税については、同法第21条の11の2第1項の規定にかかわらず、贈与税の課税価格から110万円を控除する。

 結局、2024年1月1日から適用されるのは相続税法第21条の11の2ではなく、租税特別措置法第70条の3の2です。特別措置の期限が明示されていないので、恒久的に基礎控除を110万円とするのでしょう。最初から相続税法第21条の11の2は死文化していると言わざるをえません。死文化ではなく冷凍保存でもしているような感覚なのでしょう。いつか目覚めさせようと……。

 しかし、立法当時の事情はともあれ(ここでは参照しません)、基礎控除額を110万円としている以上、60万円に改めるべき時期の見通しはあるのでしょうか。むしろ、その時期は到来しそうにないと考えるべきでしょう。相続時清算課税を強化するというのであれば、相続税法第21条の11の2第1項において基礎控除額を110万円と定めるべきでした(ついでに、相続税法第21条の5も改正して基礎控除額を110万円と改め、租税特別措置法第72条の2の4を削除すべきでした)。そうすれば、同じ「所得税法等の一部を改正する法律」(令和5年3月31日法律第3号)において相続税法第21条の11の2と租税特別措置法第70条の3の2の両方を新設するという無駄もなくなります。そもそも、何より同じ改正法律に本則と特別措置が並べられているのもおかしなことであると言えないでしょうか。施行したところで適用の機会のない規定を定める、あるいは残しておく意味がどれほどあるというのか、疑わざるをえません。

 今回は贈与税の基礎控除について記しました。前述の通り、代表例としてあげましたので、他にも「こんな特別措置を続けているならもう本則のほうを改正してしまえ」というものはあります。機会を見つけて紹介することといたしましょう。

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「官報の発行に関する法律」および「官報の発行に関する法律の施行に伴う関係法律の整備に関する法律」が成立した

2023年12月09日 14時10分00秒 | 法学(法律学)ノート

 2023年11月21日0時0分0秒付で「官報の発行に関する法律案」について記しました。この法律案が、12月6日の参議院本会議で可決され、法律として成立しました。

 朝日新聞2023年12月7日付朝刊4面14版△に「官報、電子版が『正本』に」という小さな記事が掲載されており、この記事で知りました。

 また、第212回国会においては内閣提出法律案第9号として「官報の発行に関する法律の施行に伴う関係法律の整備に関する法律案」も提出されており、やはり12月6日に参議院本会議で可決され、法律として成立しました。

 いずれの法律もまだ公布されていないようですが、今年中には公布されることでしょう。

 なお、「官報の発行に関する法律の施行に伴う関係法律の整備に関する法律」は、鉄道抵当法、金融商品取引法、政治資金規正法、図書館法、独立行政法人国立印刷局法、内閣府設置法および復興庁設置法の一部の規定を改めるものです。

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官報の発行に関する法律案

2023年11月21日 00時00分00秒 | 法学(法律学)ノート

 現在開会中の第212回国会に、内閣提出法律案第8号として「官報の発行に関する法律案」が提出されています。

 このような法律案が提出されていることに驚いたとともに、法律学者の端くれである私の不明を恥じるしかありません。官報については「官報及び法令全書に関する内閣府令」があるのですが、この内閣府令は官報の掲載事項および法令全書の集録事項を定めるのみであり、官報の発行主体などを定めるものではないのです。

 官報の掲載事項を内閣府令で定めることは、行政法学において許容されない訳ではないと考えられます。

 行政法学でおそらくは最初に学ぶべきことである法律による行政の原理を振り返ってみましょう。

 まず、この原理の内容の筆頭にあげられるべきものが「法律の法規創造力の原則」です(詳細はリンク先を御覧ください)。次が「法律の優位の原則」であり、続いて「法律の留保の原則」です。官報の発行自体は国民の権利や自由を制約するものでもなければ、国民に対して新たに義務を課するような活動でもありませんから、法律の根拠がなくてもよいこととなります。これまで「官報及び法令全書に関する内閣府令」で済まされたことの理由も「法律の留保の原則」によるものでしょう。

 また、法律などの公布は官報によって行われることとなっていますが、これも日本国憲法の下において慣習法とされています。つまり、成文法の根拠はなかった訳です。

 以上の点を法律の明文によって定めることが「官報の発行に関する法律案」の意義なのでしょう。提出理由には「官報の発行主体、官報に掲載すべき事項、官報の発行の方法その他官報の発行に関し必要な事項を定める必要がある」と書かれています。

 しかし、今更、何故にこのような法律案が提出されたのか、正直なところ意図をわかりかねます。法律案の第5条を読めば、官報のデジタル化の根拠としたいのであろうと考えられますが(附則第7条も参照してください)、これは時機を逸しています。デジタル改革関連諸法案が国会に提出された2021年、第204回国会の段階において「官報の発行に関する法律案」も提出されるべきであったからです。

 以下、いくつかの規定を引用しておきます。

 第1条:「この法律は、官報の発行主体、官報に掲載すべき事項、官報の発行の方法その他官報の発行に関し必要な事項を定めるものとする。」

 第2条:「官報の発行は、この法律の定めるところにより、内閣総理大臣が行う。」

 第3条第1項:「日本国憲法改正、法律及び法律に基づく命令(最高裁判所規則その他の規則で内閣府令で指定するものを含む。以下「法令」という。)、条約並びに詔書の公布は、官報をもって行う。」

 第3条第2項:「内閣法(昭和二十二年法律第五号)第二十五条第五項、内閣府設置法(平成十一年法律第八十九号)第七条第五項若しくは第五十八条第六項若しくは宮内庁法(昭和二十二年法律第七十号)第八条第五項、デジタル庁設置法(令和三年法律第三十六号)第七条第五項又は国家行政組織法(昭和二十三年法律第百二十号)第十四条第一項の告示で次に掲げるものの公示は、官報をもって行う。

 一 処分(行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為をいう。)の要件を定める告示

 二 前号に掲げるもののほか、これに類する告示として内閣府令で定めるもの」

 第4条第1項:「官報には、前条の規定により官報をもって行うこととされる公布又は公示の対象となる事項(以下「公布等事項」という。)のほか、次に掲げる事項を掲載するものとする。

 一 法令の規定に基づき国の機関が行う告示の対象となる事項

 二 前号に掲げるもののほか、公示、公告その他の公にする行為であって他の法令の規定により官報に掲載する方法によりしなければならないこととされているものの対象となる事項」

 第4条第2項:「公布等事項及び前項各号に掲げる事項のほか、官報には、次に掲げる事項を掲載することができる。

 一 基本方針、基本計画その他の閣議にかけられた案件に関する事項その他の行政機関(内閣、法律の規定に基づき内閣に置かれる機関若しくは内閣の所轄の下に置かれる機関、宮内庁、内閣府設置法第四十九条第一項若しくは第二項に規定する機関、国家行政組織法第三条第二項に規定する機関若しくは会計検査院又はこれらに置かれる機関をいう。次号において同じ。)の諸活動に関する事項で、一般に周知させるべきものとして内閣府令で定めるもの

 二 国の機関(行政機関を除く。以下この号において同じ。)の諸活動に関する事項で、一般に周知させるべきものとして内閣総理大臣と当該国の機関とが協議して定めるもの

 三 前二号に掲げるもののほか、前項第二号に掲げる事項に密接に関連する事項その他の官報に掲載する方法により一般に周知させることが特に必要なものとして内閣府令で定める事項」

 第5条第1項:「内閣総理大臣は、官報を発行しようとするときは、内閣府令で定める官報の種別ごとに、内閣府令で定めるところにより、官報を発行する年月日、当該年月日に係る公布等事項及び前条に規定する事項その他内閣府令で定める事項(以下「官報掲載事項」という。)を記録した電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られる記録であって、電子計算機による情報処理の用に供されるものをいう。第十二条及び第十三条第一項において同じ。)を内閣総理大臣の使用に係る電子計算機に備えられた官報掲載事項を記録するためのファイル(以下この条、次条及び第十三条第一項において「官報ファイル」という。)に記録しなければならない。」

 第5条第2項:「官報の発行は、内閣総理大臣が、官報ファイルに記録された官報掲載事項(以下「電磁的官報記録」という。)について、内閣府令で定めるところにより、当該官報ファイルを電気通信回線に接続して行う自動公衆送信(公衆によって直接受信されることを目的として公衆からの求めに応じ自動的に送信を行うことをいい、放送又は有線放送に該当するものを除く。第十四条第三項において同じ。)を利用して公衆が閲覧することができる状態に置く措置をとることにより行うものとする。」

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相続、遺贈、死因贈与の意味(「相続法」の講義を履修していない者向け)

2022年11月24日 07時00分00秒 | 法学(法律学)ノート

 前書き:法学特殊講義2B(大東文化大学法学部)において相続税法を扱っています。そのためには、相続、遺贈および死因贈与の意味を理解していなければなりません。私は、この講義の最初のほうで相続法の基礎を説明していますので、このブログにも掲載しておきます。なお、相続税法の学習・研究の前提として必要最小限と思われる部分のみを記していますので、御注意ください。

 

 1.相続の意味

 相続とは「死者の生前にもっていた財産上の権利義務を他の者が包括的に承継すること」である〈高橋和之・伊藤眞・小早川光郎・能見善久・山口厚編集代表『法律学小辞典』〔第5版〕(2016年、有斐閣)811頁〉民法第882条は「相続は、死亡によって開始する」と定めているから、生前相続は、現行法において認められていないこととなる。

 但し、胎児は、相続に際しては既に生まれたものとみなされる(同第886条第1項。同第2項に注意すること)。また、失踪宣告を受けた者は、同第30条第1項の期間の満了時または同第2項にいう危難が去った時に死亡したものとみなされるので、その時点において相続が開始されることとなる。

 また「相続は、被相続人の住所において開始する」(同第833条)。ここで被相続人とは相続される人という意味であり、「財産上の権利義務」が受け継がれる人のことである。これに対し、相続人は、被相続人が持っていた「財産上の権利義務」を受け継ぐ人のことである。

 なお、同第884条および同第885条も参照されたい。

 

 2.相続の効力(効果)

 民法第896条は「相続人は、相続開始の時から、被相続人の財産に属した一切の権利義務を承継する。ただし、被相続人の一身に専属したものは、この限りでない」と定める。この規定から、次のことがわかる。

 第一に、原則として、相続人は、被相続人が持っていた「財産に属した一切の権利義務」を承継することである。すなわち、相続人は、プラスの財産(例.土地、建物、各種債権)だけでなく、マイナスの財産(借金など各種債務)も承継する(同第920条、同第921条も参照)。相続税対策などを行う際に注意しなければならない

 第二に、一身専属的な権利および義務(例.生活保護受給権、年金受給権)は承継されない。なお、祭具や墓などの所有権については、同第897条を参照すること。

 世の中には様々な相続が生ずるが、多くの相続においては複数の相続人が存在する。そのため「相続人が数人あるときは、相続財産は、その共有に属する」(同第898条)。もっとも、相続財産が全相続人の共有に属するのは、遺産分割協議(遺言をそのまま執行することもありうるが、その場合でも遺産分割協議を行うこととなる)による遺産分割までの話であり、遺産分割の後に「各共同相続人は、その相続分に応じて被相続人の権利義務を承継する」(同第899条)。

 

 3.法定相続人

 民法第5編は、相続(第2章以下)と遺贈(第7章では「遺言」)とを区別している。これは、相続については相続人の範囲が法定されているのに対し(なお、法定相続人の推定については同第892条を参照)、遺贈の場合には遺言を残した者の財産を承継する者が相続人に限定されていないからである(相続分についても同様)。そこで、以下、相続については適宜「法定相続」と記すことがある。

 民法は、法定相続人を血族相続人と配偶相続人とに分け、範囲を定めている。また、血族相続人については順位があり、第一に被相続人の子、孫などの直系卑属、第二に被相続人の父母、祖父母などの直系尊属、第三に被相続人の兄弟姉妹である。

 〔1〕血族相続人

 (1)直系卑属

 前述のように、被相続人に直系卑属が存在する場合には、直系卑属が相続人となる(同第887条)。

 ①子

 まず、子がいる場合には、子が相続人となる(同第1項)。子は、実子はもとより、養子も含まれる(同第809条により、養子は縁組の日から養親の嫡出子としての身分を取得する)。但し、普通養子については、相続税の基礎控除額の計算の際に特別な規律を受ける(但し、一部例外がある)。また、前述のように、胎児にも相続権がある(同第886条)。

 ②代襲相続人

 次に、被相続人の子が相続開始以前に死亡していた場合、被相続人の子が相続の欠格事由に該当する場合(同第891条)、または被相続人の子が推定相続人としての地位を廃除された場合(同第892条、同第893条)には、被相続人の子は相続権を失ったこととなるので、孫が相続権を有することとなる。この場合の孫を代襲相続人という〈曾孫が代襲相続人となる場合もありうる(同第887条第3項)〉

 代襲相続人は被相続人の子の地位を引き継ぐ。そのため、代襲相続人が複数存在する場合には、被相続人の子の地位を共同して引き継ぐこととなり、各代襲相続人の法定相続分は同一である(同第901条第1項)。仮に本来の法定相続人となるべき者全員が相続開始前に死亡している場合には、全ての被相続人の孫が代襲相続人となる〈最近では、相続人の全員が代襲相続人であったという事例も見受けられる(執筆者自身も経験した)〉

 (2)直系尊属

 相続人となるべき直系卑属がいない場合には、父母、祖父母などの直系尊属が相続人となる(同第889条第1項第1号)。

 (3)兄弟姉妹

 相続人となるべき直系卑属がおらず、直系尊属もいない場合には、被相続人の兄弟姉妹が相続人となる(同第2号)。なお、その兄弟姉妹が相続開始以前に死亡していた場合、被相続人の子が相続の欠格事由に該当する場合、または被相続人の子が推定相続人としての地位を廃除された場合には、その兄弟姉妹の子が代襲相続人となる(同第3項。但し、同項は同第887条第3項を準用しないので注意すること)。

 〔2〕配偶相続人=配偶者

 被相続人の配偶者は常に相続人となる(同第890条)。相続人の順位についても、同第887条または同第889条により相続人となるべき者と同じである。

 

 4.法定相続分

 被相続人が遺言によって共同相続人の相続分を定めている場合はそれによるが(同第902条第1項)、遺言がない場合(この場合が圧倒的に多い)は、同第900条に定める法定相続分によることとなる。この法定相続分は、相続税の計算の際に非常に重要な意味を有するので、常に頭に入れておいていただきたい〈どのように遺産分割を行おうとも、相続税額の総額を計算する際には法定相続人が法定相続分に従って相続するものとの仮定の下に置かれるからである〉

 まず、配偶者および子(代襲相続人がいる場合も含む)が相続人である場合には、配偶者の法定相続分が2分の1であり、残りの法定相続分である2分の1を子が等分する(同第1号・第4号)。例えば、配偶者のA、子のBおよびCが相続人であれば、Aが2分の1、Bが4分の1、Cが4分の1である。

 次に、配偶者および直系尊属が相続人である場合には、配偶者の法定相続分が3分の2であり、残りの法定相続分である3分の1を直系尊属が等分する(同第2号・第4号)。例えば、配偶者のD、被相続人の父Eおよび母Fが相続人であれば、Dが3分の2、Eが6分の1、Fが6分の1である。

 そして、配偶者および兄弟姉妹が相続人である場合には、配偶者の法定相続分が4分の3であり、残りの法定相続分である4分の1を兄弟姉妹が等分する(同第3号・第4号)。例えば、配偶者のG、被相続人の兄Hおよび姉Iが相続人であり、かつ、HおよびIはいずれも父母の双方を同じくする兄弟姉妹であれば(同第4号ただし書きを参照)、Gが4分の3、Hが8分の1、Iが8分の1である。

 ここで、直系卑属、被相続人の配偶者が登場する相続について、例を示すこととする。

 2022年11月24日に被相続人であるAが死亡した。Aには配偶者のB,長男のC、長女のDおよび次男のEがいるが、Cは2022年10月31日に死亡していた。CにはFおよびGという2人の子がいる(すなわち、FおよびGはAの孫である)。この場合、FおよびGが代襲相続人となるので、相続人はB、D、E、FおよびGである。

 また、各人の法定相続分は、次の通りである。

 B:2分の1

 D:6分の1

 E:6分の1

 F:12分の1(本来であればCが相続するはずであったが、既にCが死亡しているため。)

 G:12分の1(本来であればCが相続するはずであったが、既にCが死亡しているため。)

 △あくまでも、法定相続人となりうるのは被相続人Aの配偶者であるBのみである。Cの配偶者、Dの配偶者、Eの配偶者、Fの配偶者およびGの配偶者は法定相続人ではない。欲深い人は往々にしてこのことを知らないので、注意すること! 何よりも、将来の皆さんのため!!

 △△FおよびGが代襲相続人となるのは、Cが相続開始以前に死亡していたからである(Cが相続欠格事由に該当する場合、または廃除された場合についても同様である)。

 

 5.遺贈

 〔1〕遺贈の意味 

 遺贈とは、単独行為たる遺言(同第960条以下)による贈与のことである。遺言は非常に厳格な要式行為であり、法定の方式に従わないものは効力を持たない(同第960条)。

 ここで、遺贈者は、遺言をした人(=遺言者)、すなわち、遺言により財産を与える人をいう。また、受遺者は、遺言により財産を与えられる人のことであり、遺贈者が自由に決めることができる。従って、法定相続人でない者、さらに法人なども受遺者とすることができる。なお、15歳以上の者は遺言をすることができる(同第961条。同第962条および同第963条も参照)。

 遺贈には包括遺贈と特定遺贈とがある(同第964条)。包括遺贈は、遺産に対する割合を示す方法をいう(例.相続財産の3分の1をEに遺贈させる)。これに対し、特定遺贈は、遺贈する財産を具体的に示す方法(例.相続人Fに東京都板橋区高島平一丁目▲番●号の土地■㎡を相続させる)。

 〔2〕遺言の種類

 民法においては三種類の遺言が定められている。

 第一に、自筆証書遺言である。遺言者は、自ら全文、日付、書名を書き、押印しなければならない(同第968条第1項)。但し、自筆によらない(例えば、PCで作成した)財産目録を自筆証書に添付したり、預貯金口座の通帳のコピーや不動産の登記事項証明書などを目録として添付したりすることが認められるが、この場合でも添付書類の全てに遺言者が署名押印をしなければならない(同第2項)。自筆証書中の加除などの変更については、遺言者が変更場所を指示し、変更の旨を付記して特に署名押印しなければ効力を有しない(同第3項)。

 なお「遺言書の保管者は、相続の開始を知った後、遅滞なく、これを家庭裁判所に提出して、その検認を請求しなければならない。遺言書の保管者がない場合において、相続人が遺言書を発見した後も、同様とする」(同第1004条第1項)。

 また、自筆証書遺言を法務局(支局や出張所などを含む)において保管することができる(法務局における遺言書の保管等に関する法律第1条以下)。法務局に置かれる遺言書保管官は、自筆証書遺言(原本)を保管するとともに、自筆証書遺言の画像情報などを作成し、遺言書保管ファイルに記録する(同第6条・第7条)。

 第二に、公正証書遺言である(同第969条)。公証人役場において作成される遺言であり、費用はかかるが、家庭裁判所の検認が不要である(同第1004条第2項)など、自筆証書遺言よりも利便性が高いとも言える。

 第三に、秘密証書遺言である(同第970条以下)。秘密証書遺言の場合、遺言者が証書に署名押印を行った上で(証書の作成は遺言者の自筆によらなくともよい)、証書を封じて封印し、その封書を公証人1名および証人2名以上の前に提出し、遺言書である旨ならびに氏名および住所を申述する。これを受けて、公証人が証書提出の日付および遺言者の申述を封紙に記載し、遺言者および証人とともに署名押印する。公正証書遺言と異なり、公証人も証人も遺言の内容を知ることはできない。また、秘密証書遺言の開封は家庭裁判所における相続人またはその代理人の立ち会い、および家庭裁判所の検認も必要とする。

 

 6.死因贈与

 死因贈与は、贈与契約(同第549条)のうち、贈与者が死亡することによって効力が生ずるものをいう(同第554条)。

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条項を示す際の表記の仕方 なるべく「第」を付けよう

2022年10月30日 08時00分00秒 | 法学(法律学)ノート

 以前、このブログにも記したかもしれませんが、最近行った小テストで誤記あるいは誤解が目立ったので、ここに記しておきます。

 私は、論文などで法律の条項を記す際に、基本的に「第」を付けます。例えば、憲法第14条第1項、憲法第73条第6号という具合です。公刊物では「第」が付けられていないこともありますが、それは削除されているからとお考えください。

 また、私は講義などの場においても、条項を示す際には必ず「第」を付けますし、学生にも、なるべく「第」を付けるように指導します。そうしなければ、条項の正確な表記ができないからです。具体的に記せば、いわゆる枝番号が付いている法条、例えば国税通則法第74条の2第1項第1号イを正確に示すことができません。

 市販されている教科書などにおいては、この「第」を省略し、憲法14条1項というように記されていることが多いようです。判決などにおいても同様です。しかし、とくに法学部の1年生や2年生を対象とする教科書でこのような表記を採用することは、非常に有害であると考えています。出版社によっては基本的に「第」を付けない表記を推してきますが、やめていただきたいものです。

 もしかしたら、「第」を付けると字数の倹約にもならないし、しつこく見えるからかもしれません。しかし、それこそ見てくればかり重視して教育効果を軽んじる姿勢でしょう。

 そもそも、国会に提出される法律案においては、条文中において「第」は省略されていません。すなわち、条であれ項であれ号であれ「第」を付すのが正式なのです。

 もう一つ、教科書などにおいて「第」を付けないことの弊害は、学生への教育効果において如実に表れます。小テスト、期末試験、レポートのいずれかでわかります。

 先日出題した小テストで、民法第121条の2第1項を解答してもらうという問題を出しました。ここで「民法121条の2 1項」という表記の解答が多く見られました。書き方などによっては「民法第121条の21項」とも読めます。実際には民法第121条第21項などという規定はありません。つまり、実在しない規定が示されてしまうということになるのです。

 このような条項に対応するためか、民法121条の2第1項というように記す教科書が多いようです。つまり、枝番号が付いている場合にのみ、項や号を示す際に「第」を付けるのです。私に言わせれば、それこそ見てくれが悪いとしか思えませんし、統一感もありません。そして、法律学の初学者に悪影響を及ぼしていると言えます。

 どのような条項であっても「第」を付けるような習慣を付ければ、民法第121条の2第1項、国税通則法第74条の2第1項第1号イと正確に示すことができます。

 法律学に取り組んでいる学生、あるいは生徒の皆さん、「第」を必ず付けて表記する習慣を付けましょう!

 結論を先に記しておきましたが、さらに説明などを進めていきましょう。

 日本の法律において、枝番号が付されるものは決して少なくありません。私が専攻する行政法や租税法の世界では、枝番号が付されている条項など当たり前に存在します。行政手続法には第36条の2および第36条の3がありますし、国税通則法には第74条の2、第74条の3などがあります。そればかりか、地方税法には第72条の117という強者があります。そうです。第72条、第72条の2、第72条の3、……、第72条の117となっている訳です。

 また、昨今の民法の改正において、第3条の2、第121条の2というように枝番号が付されることが多くなっています。立法の原則ということで、条および号には枝番号が付くことがあるのに対し、項については枝番号が付きません。これは、元々、項が段落を意味するからです。例えば、憲法第14条は、本来、次のように記されるものです(漢字を現代風に改めているなど、正確な再現ではありません)。

 

 第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。

 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

 

 御覧の通り、市販の六法に付されている①、②、③というものはありません。最近の法律などにおいては第2項以下について「2」などという数字が付されますが、あくまでも便宜であり、本来はただの改行なのです。そのため、項を追加する場合には、例えば現行の第2項を第3項に移し、新たに第2項を加えるという方法も採られます。

 これに対し、条や号については、例えば第40条を第41条とする、第3号を第4号とすることもありますが、それは第▲条なり第■号なりの削除を行った上での第▼条や第◆号の追加を伴うためであり、通常は第29条の後に第29条の2を追加する、あるいは第3号の後に第3号の2を追加するという形を採ります。

 そればかりでなく、法律などの改正の内容によっては、例えば第72条の2と第72条の3との間に第72条の2の2および第72条の2の3という新たな条文を追加することもあります。日本の法令においてはここまでの枝番号が許容されています。その上で第72条の2の3第2項第4号という表記をしなければならない訳です。ここで「第」を付ける習慣がない人であれば「第72条の2の3 2項 4号」と書くかもしれませんが、これでは「第72条の2の32項4号」と読みとられる可能性もあります。「スペースをおけばよいだろう」とお考えの方もおられるでしょうが、文章が鉛筆、ボールペン、万年筆などによって書かれているような場合には、スペースを厳格に示せないこともあるでしょう。パソコンなどで作成した場合でも、スペースは単なる脱落としか思われないかもしれません。ただ、「第」を付けることによって第72条の2の3第2項第4号であるということを正確に示すことができます。要するに、妙なところで無精にならない、面倒くさがらないことが大事である訳です。中途半端に「72条の2の3第2項4号」と表記するように指導したところで、条項を正確に摘示することなどできるようになりません。

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法学(法律学)ノート(4):法的責任―民事責任と刑事責任―

2014年11月09日 09時14分13秒 | 法学(法律学)ノート

 法的責任とは「何らかの法規範に違反した場合、制裁を受けなければならない」という地位をいう。以下、具体例を基にして概説する。

 法的責任の例1: A大学の学生Bは、教員Cが率いるゼミのコンパの後、友人D、Eらとカラオケ・ボックスへ行き、酒を大量に飲んで、自宅に帰ろうと自動車を運転した。途中、交差点で赤信号を無視し(あるいは、これに気づかず)、歩行者Fを轢いて人身事故を起こした。Fは病院に運ばれたが、即死だった。

 この場合、次のように法的責任が生ずる可能性がある。

 ①業務上過失致死傷罪(刑法第211条)に問われる可能性がある。この場合の業務とは、「人が社会生活上の地位に基づき反復継続して行う行為であり、かつ、他人の生命・身体に危害を加える恐れのあるものであることを要する」が「行為者の目的がこれによって収入を得ることにあるとその他の欲望を満たすにあるとを問わない」(最判昭和33年4月18日刑集12巻6号1090頁)。また、自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律(平成25年11月27日法律第86号)第2条などの適用を受ける可能性が高い。また、道路交通法第117条の2第1号および同第65条第1号に違反する。

 ②事故の状況にもよるが、民法第709条以下の不法行為に該当する可能性がある。なお、自動車事故の場合、自動車損害賠償責任法が存在し、特別法として民法に優先適用される(自動車損害賠償責任法第4条を参照)。このため、この特別法が適用される場合がある(同第3条を参照。これによると、「事故のために自動車を運行の用に供する者」が自分の責任を免れるためには、民法で求められるよりも厳しい証明責任を負うことになる)。

 また、例は多くないが国家賠償法(これも民法の特別法)が適用されることがある(最判昭和61年2月27日民集40巻1号124頁は、パトカーの追跡を受けて逃走する者が引き起こした事故によって第三者が損害を被ったという事件について国家賠償法第1条の適用を認めた)。

 ③自動車運転免許の「取消し」(道路交通法第103条。講学上は撤回)をなされる可能性がある(普通はなされる)。

 ①が刑事責任、②が民事責任、③が行政法上の責任である。これらは同時に発生することもあるが、一応は別物である。

 なお、Bは酒を飲んでいて酩酊状態にあったということから、刑法第39条にいう心神喪失者または心神耗弱者に該当するか否かが、一応は問題となる。しかし、Bは、自ら酒を飲み(別に誰かに勧められたのでも良い。結局、自分で酒を飲んだのであるから)、自動車を運転するという意思を持っていた。この場合、自分の心神耗弱状態(彼の、行為の是非を弁別する能力またはその弁別に従って行動する能力が著しく低い状態)を利用して犯罪行為を行ったと考えることもできる(原因において自由な行為)。従って、Bは刑事責任を免れない(判例。これに反対する説もある)。

 法的責任の例2:甲が自動車を運転していた。乙(幼稚園児)と丙(小学生)の兄弟が、道路に向かって石投げをして遊んでいたところ、乙の投げた石が甲の運転する自動車にあたり、フロントガラスにひびが入り、全く前が見えなくなった。甲には外傷がなかったが、自動車を修理に出さなければならない。さしあたり、甲が修理代を払ったが、甲は乙と丙の親である丁に、自動車の修理代を請求した。丁は、我が子乙と丙が石投げをして人の自動車のガラスを割ったことに驚き、親の監督不行き届きであることを認め、修理代を支払った。ちなみに、この事件には目撃者が戊など複数いた。

 この場合、まず、刑法第261条に規定されている器物損壊罪に該当する可能性がある。もっとも、この場合、故意があるかどうかといえば、ないであろう(未必の故意または認識ある過失のいずれかが該当することはありうる)。そうなると、過失器物損壊罪という罪はない(同第38条を参照)ので、器物損壊罪は成立しない。また、自動車のフロントガラスを割った乙は、刑事上の理由で罰せられない(同第41条。刑事責任年齢)。従って、この場合に、刑事責任は生じない。

 民事責任となると話は別である。乙は未成年者であり(民法第4条)、制限行為能力者である(同第5条)。また、乙が幼稚園児であることから、意思能力がないものと扱われることになるし、民法第712条により、責任能力もないと考えられる。従って、甲は乙に対して損害賠償を請求することはできない。しかし、それでは甲が泣き寝入りになって不公平であるから、乙の親の丁に損害賠償を請求できなければならない。そこで、民法第714条第1項により、甲は丁に損害賠償を請求できる。丁は、自分が親としての監督義務を怠っていないと立証できない限り、損害賠償の責任を免れえない。民法の中にも故意・過失の存在を問わない無過失責任の原則を採る規定が存在し(例、民法第717条に規定される工作物責任は、その所有者に無過失責任を負わせる)、特別法において無過失責任の原則を採る規定も多くなっている(この場合でも、不可抗力など、たとえ瑕疵がなくとも工作物が壊れたというような場合には、責任は生じない)。

 ちなみに、民法第709条により、不法行為は加害者の故意または過失に基づいて発生することを要し、本来ならば被害者=請求者が加害者の故意または過失を立証しなければならないが、実際には困難であるため、一般的に、訴訟においては、被害者のほうで損害の発生(存在)を証明すると、加害者の過失の存在は推定される。従って、加害者側が故意・過失を否定するには、この推定を加害者側が覆さなければならない《鈴木禄弥『債権法講義』〔改訂版〕(1987年、創文社)12頁。もっとも、この説明には疑問もある。このように考えないと、公害裁判などにおいて原告を救済できないという事実が存在し、それ以降の話ではないかという疑問である。しかし、自動車損害賠償責任法第3条の規定は、この説明を裏付けている》。

 法的責任の例3:薬害エイズ事件。この事件の場合、業務上過失致死傷(安全なクリオ製剤が存在しているにも関わらず、非加熱製剤の使用継続を決定し、非加熱製材の回収を遅らせる原因を作ったために、結果的に非加熱製材によるHIV感染者を増やした)、不法行為による損害賠償責任(製薬会社)、そして行政責任が問われる。

 法的責任の例1から明らかなように、法的責任には、刑事責任、民事責任、そして行政法上の責任がある。このうち、責任を負うべき者に対する制裁などの観点から重要なものは刑事責任と民事責任である。そこで、この二種について概略を説明する。

 まず、刑事責任とは、刑罰という法律効果を科することができるための要件、とくにその一つとしての主観的要件をいう。言い換えれば、犯罪行為について、その行為者を非難しうることである。この意味における責任がなければ刑罰は科されないのが原則である(Ohne Schuld keine Strafe.)。

 犯罪が成立するためには、三つの要件を必要とする。すなわち、①刑罰に関する法律が存在し、その刑罰法規に規定された犯罪の類型が存在すること(構成要件)、そして或る者の行為が構成要件に該当すること(構成要件該当性)、②その行為が法に反すること(違法性)、③その行為者に責任が認められることである。

 〔構成要件に該当しながら違法性を備えない場合として、正当行為(刑法第35条)、正当防衛(同第36条)、緊急避難(同第37条)がある。〕

 なお、刑事責任という語は、刑を科せられるべき地位(罪責)を指す場合もある。こちらのほうがあるいは正確かもしれないが、民事責任との対比の関係で、ここでは、刑罰という法律効果を科することができるための要件、とくにその一つとしての主観的要件、という意味において用いる。

 次に、民事責任とは、広義では債務不履行(民法第415条)による賠償責任(同第461条)を含む(労働組合法第8条に該当する場合など)が、一般的には民法第709条以下の不法行為による損害賠償責任をいう。刑事責任と重なる場合もあるが、刑事責任と民事責任との両者は別物である(上記の例2を見よ)。

 ここで、少しばかりであるが、刑事責任をもう少し詳しく説明する。

 (1)道義的責任か社会的責任か?

 道義的責任とは、自由意思を有する者がその自由な決意の下に行った行為およびその結果は、行為者に帰属させられるべきであり、行為者は、その行為および結果について道義的に非難されるべきである、というものである。これに対し、社会的責任とは、社会に生存しつつ、社会に対して危険性を有する者は、社会から防衛の手段としての刑罰を受けるべき地位に立たされるのであって、この法的地位が責任である、というものである。

 現在では、完全な自由意思を論拠にすることができない場面が多い。行為者の素質や環境により行為者自身の自由が制約されることもありうるからである。逆に「社会に生存しつつ、社会に対して危険性を有する者は、社会から防衛の手段としての刑罰を受けるべき地位に立たされる」という論は、一切の行為を必然の所産として捉えるものであるが、これは責任の範囲を逸脱している嫌いがあるし、行為者に選択の自由がある(場合がある)ことを無視している。従って、ここでは、大塚仁博士の説に従い、相対的自由を基盤に置きつつ社会的倫理的観点から行為者に加えられる道義的非難と解する。

 (2)行為責任か人格責任か?

 行為責任論:個々の犯罪行為に向けられた行為者の意思に責任非難の根拠を認める見解である。

 人格責任論:団藤重光博士によれば、責任とは、第一次的には行為責任であり、行為者の人格の主体的現実化としての行為に着眼されるべきであるが、行為の背後には、素質と環境とに制約されつつも、行為者の主体的努力によって形成された人格があるのであって、このような人格形成における人格態度に対して行為者を非難しうる。そこで、第二次的に人格形成責任を考えうる。人格責任論は、行為責任と人格形成責任とを一体として扱おうとする理論である。

 規範的責任論:上記二つが責任の基礎を何に求めるかに関する説であるのに対し、これは責任の内容としての要素の性質をいかに捉えるかという点に着目する。責任の実体を、行為者の心理的関係(故意および過失)の他に、行為者に適法行為の期待可能性が存在したことと捉える。

 責任の要素は、主観的責任要素、客観的責任要素に分けられる。主観的責任要素は責任能力を意味する。すなわち、故意犯については犯罪事実以外の違法性に関する事実の表象および違法性の認識であり、過失犯についてはこれらを欠如したことについての行為者の不注意である。これに対し、客観的責任要素は適法行為の期待可能性であり、行為者自身の内面的事情や人格形成環境の意味も考慮される。

 責任判断とは、構成要件に該当する違法な行為について、その行為者を刑法的に非難しうるという行為者人格に向けられた無価値判断を意味する。

 次に、民事責任をもう少し詳しく説明する。

 通説によると、不法行為の成立要件は、①故意または過失による行為が存在すること、②行為者に責任能力があること、③行為によって他者の権利が侵害されたこと、ないし行為が違法であること、および④違法な行為によって他者に損害が生じたことである。

 〔但し、民法第709条にいう「権利」の語を厳格に解すると、不法行為に対する保護の範囲が著しく狭くなる。その例として、大審院判決大正3年7月4日刑録20巻1360頁(雲右衛門浪曲事件判決)がある。しかし、現在では、権利の語を緩やかに解し、違法な行為によって他人に損害を与えれば不法行為が成立するというのが通説である。〕

 民事責任に関しても違法性阻却事由が存在する。すなわち、①正当防衛(民法第720条第1項本文)、②緊急避難(同第720条第2項)、③例外的な自力救済の認容、④法令で認容された行為など、⑤被害者の承諾である。

 このうち、正当防衛は、客観的な違法行為があれば成立するのであり、加害者に責任能力があるか否かなどは関係ない。なお、民法の正当防衛と刑法の正当防衛は若干意味を異にすることに注意しなければならない。例えば、強盗Aに襲われたBが隣家の塀を破ってCの家の庭に避難した場合、刑法では緊急避難である(BとCとの関係から)が、民法では正当防衛となる(CはBに損害賠償を請求できないが、Aに対して請求できる)。

 また、被害者の承諾は、比較的に違法性阻却事由となる場合が多いというに留まり、全てが違法性阻却事由となるのではない。このことにも注意が必要である。

 刑事責任と同様に、民事責任の成立にも因果関係が必要である。民法の世界においては、相当因果関係説が通説である。

 最後に、参考として証明責任(立証責任、挙証責任)を説明しておく。

 訴訟上、権利または法律関係の存否を判断するのに必要な事実につき、一切の証拠資料によっても裁判所がその存否を判断しかねる場合がある。この場合、どちらかの裁判当事者に不利に仮定しなければ裁判が進行しないので、こうした仮定により当事者の一方が不利益を被ることにした。これを証明責任という。言い換えれば、或る事件について、当事者同士の権利または法律関係の存否を判断するのに必要な事実につき、裁判所が一切の証拠資料を参照したがその存否を判断できなかった場合に、どちらか一方が証明を充分に行わなかったとして、結果的に不利益を被ることになる。

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法学(法律学)ノート(3):法の解釈

2014年11月07日 00時03分03秒 | 法学(法律学)ノート

 或る事件(刑事でも民事でもよい)が発生し、紛争が生じたとする。これを解決するためには、まず事実を認定する必要がある。しかし、これだけでは到底足りない。解決するためには、認定された事実を法律に定められている要件に当てはめる必要がある。その際に必要となるのが、法の解釈である。

 法の解釈は、大別して二種に分かれる。

 通常、法の解釈という場合には学理解釈を指す。これは、法を理論によって解釈することである。

 これに対し、有権解釈というものがある。これには二つの意味がある。第一に、法文またはその文字の意味を法規によって明らかにすることをいう場合がある。例として、民法第85条・第86条・第87条・第88条、刑法第245条(擬制が使われる例)がある。しかし、これは、むしろ「定義」や「用語法」の問題である。第二に、最高の権威を有する機関がなした解釈を指す場合がある。政府の解釈を指すこともある。「公定解釈」ともいう。普通はこちらの意味において用いられる。

 しかし、有権解釈(とりわけ「公定解釈」)であっても、学理解釈と無関係ではありえない。むしろ、有権解釈をなす際にも、学理解釈の様々な方法を駆使することになる。

 そこで、以下、学理解釈の方法を概観する。

 (1)文理解釈

 法の文字・文章の意味を、その言葉の使用法や文法の規則に従って解釈する方法をいう。これが原則である。刑法、租税法においては、文理解釈が大原則である。但し、文理解釈のみでは意味を確定できないことも多い。

 (2)論理解釈

 Aという条文と他の条文との関連、問題となっている法令・法領域あるいは法体系全体のなかでAが占める位置など、法の体系的位置・関連を考慮しつつ行われる解釈の方法をいう(後に述べる目的論的解釈と関係する)。

 (3)拡大解釈

 法の文言や文章の意味を拡張して解釈することをいう。論理解釈の一種とも考えられる。若干の例をあげておく。

 ・刑法第129条の「汽車」に気動車を含める(大判昭和15年8月22日大審院刑事判例集19巻540頁)。

 ・公文書のコピーを刑法第155条の「文書」に含める(最判昭和51年4月30日刑集30巻3号453頁、最決昭和58年2月25日刑集37巻1号1頁)。

 ・刑法第175条にいう「わいせつな文書、図画その他の物を……公然と陳列した」に映画の上映を含める(大判大正15年6月19日大審院刑事判例集5巻267頁)。

 ・鋤焼き鍋や徳利に対する放尿を刑法第261条にいう「他人の物」の「損壊」に含める(大判明治44年2月16日大審院刑事判決録17巻197頁)。

 (4)縮小解釈

 法の文言や文章の意味を縮小して解釈することをいう。これも論理解釈の一種と考えられる。例として、民法第177条にいう「第三者」を、全ての第三者ではなく、背信的悪意者や不法占有者などを除いた、登記がなされていないことを主張するにおいて正当な利益を有する第三者に限定する、というものがある。

 (5)歴史的解釈

 これは、或る法律・条文の成立過程、法案・理由書、立案者の見解、政府委員の説明、議事録など、立法資料を参考にしつつ、歴史的な意味内容を解明することによる解釈の方法である。この方法は重要であり、法の元々の意味を確定するためにも有効な方法であるが、立法後の社会・経済的状況の変化に対応できないこともある。

 (6)目的論的解釈

 法自体の目的や基本思想、あるいは法の適用対象の要請などを考慮し、それらに適合するように法の意味内容を目的適合的・合理的に解釈することをいう。上記の論理解釈と重なることも多い。

 例えば、刑法においては、母体から一部露出した赤子を殺した場合には、堕胎罪でなく、殺人罪になる(日本の通説・判例)。これに対し、民法においては、原則として、母体と赤子が完全に分離した時、赤子は「人」となる(但し、民法第721条・第886条第1項などに注意すること)。これは、民法が権利義務の主体としての「人」を問題とするのに対し、刑法が「人」の生命の保護を問題とするからである。

 (7)類推解釈

 これまでの解釈方法とは異なり、Aという事実に関して規定する法(条文)がない場合(「法の欠缺」という)、そのAに似た性質・関係を有する事実に関して規定する法(条文)を間接的に適用する方法をいう。

 類推解釈は、刑法においては許されない。これは罪刑法定主義の要請である。但し、類推解釈は拡大解釈と判別しがたい場合も多い。

 これに対し、民法においては、類推解釈が用いられる場合が多い。これは、民事裁判においては法の欠缺を理由に結論を出さないということが許されず、むしろ原告、被告のいずれかを勝訴させなければならないことによる。若干の例を挙げておく。

 ・民法第416条が債務不履行の場合に適用されるのみならず不法行為の場合にも類推適用される場合(大連判大正15年5月22日大審院民事判決集)。

 ・同第94条第1項が、物の共有者の一人が他の共有者(取引の相手方ではない)と通謀して持分権の放棄を仮想した場合に類推される場合に適用される(最判昭和42年6月22日民集21巻6号1479頁)。

 ・同項が、財団法人設立関係者の通謀に基づいて財団設立行為(寄付行為)の一環をなす出捐行為を偽装した場合(最判昭和56年4月28日民集35巻3号696頁)に適用される。

 なお、法律自体により、特定の行為について類推適用を指示する場合がある。これを「準用」という(例.民法第13条・第361条・第741条、刑法第251条・第255条)。この場合は、「準用」を指示する規定をそのまま適用するのではなく、事実の性質や関係の差異に応じて必要な変更を加えて適用しなければならない。

 (8)反対解釈

 Aという事実だけに関する法の規定がある場合、Bという事実については反対の効果を認める、という解釈をいう。例として、民法第3条第1項から、胎児は原則として私権を享有できないとする解釈があげられる。また、民法第85条についても反対解釈が可能であるが、この場合は類推解釈が可能な場合があり、現に判例で認められている(電気など)。

 (9)勿論解釈

 Aという事実だけに関する法の規定がある場合、Bという事実についても同じ効果を認める、という解釈をいう。

 以上、法の解釈の方法をあげてきたが、刑法などの刑罰法規については類推解釈が禁じられる―但し、類推解釈か拡大解釈かが判然としない場合もある―が、その他に一般的基準がない。「立法者意思説」(法律制定当時の立法者の歴史的・主観的意図を探求し再現しようとする)と「法律意思説」(立法者の意思を問わず、法律自体に内在する合理的意味内容を解明しようとする)との対立もあるが、決定的なものがない。

 出発点は、法の文言の文理的・論理的解釈である。但し、これによっても複数の解釈の可能性が残される(否、それが通常である、と言いうる)。それから、歴史的解釈、立法後に社会的・経済的情勢が変化した場合(および立法時における見解の相違があった場合など)には、それに対応する根拠を見出さなければならなくなる。

 結局、憲法以下の法体系全体を考慮し、それに整合するように解釈しなければならないであろう。また、社会一般の、正義とか衡平という感覚とも両立する、最も合理的な内容を突き止めなければならない。

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法学(法律学)ノート(2):法体系

2014年11月06日 00時00分14秒 | 法学(法律学)ノート

 一口に法と言っても様々なものがある。手元の六法を開けば、最初に日本国憲法が掲載されており、それから多くの法律や条約など掲載されていることであろう。例えば、三省堂の『デイリー六法』平成27年版には234件の法令が掲載されており(但し、一部のみが掲載されているものもある)、憲法、法律はもとより、会社法施行規則(法務省令)、最高裁判所裁判事務処理規則(最高裁判所規則)なども掲載されている。また、私が仕事で使用する税務六法や自治六法(どちらもぎょうせい刊行)には、政令、総務省令、財務省令も多く掲載されている。

 これだけ多くの数、そして種類の法が存在すると、気が遠くなるかもしれない。しかし、少なくとも、国内法は、それぞれが単独に、バラバラに存在するのではなく、一つの体系(システム)として存在するし、そうでなければならない。

 (1) 法源

 法の存在形態に着目した言葉で、裁判の権威を正当化するものとして認められる一般的規準の存在形式を指す、という説明もあり《佐藤幸治・鈴木茂嗣・田中成明・前田達明『法律学概論』(有斐閣、1994年)204頁[田中成明執筆]》、法がどのような現象形態かを示す言葉と説明されることもある《三ヶ月章『法学入門』(弘文堂、1982年)210頁》

 [1]成文法

 制定法ともいう。簡単に言えば、法が文書の形において示されているというものである。厳格に定義するならば、国家機関が一定の形式および手続に従って制定し、公布し、施行する、文書の形における法のことである(日本国憲法第7条・第41条・第59条・第72条・第73条第6号・第74条・第95条、その他、国会法、内閣法、国家行政組織法を参照)。

 日本、ドイツ、フランスなどのヨーロッパ大陸法系諸国においては、制定法主義を採るし、判例法主義の英米法系諸国においても、成文法が判例法に優越する。

 成文法の長所としては、次の点をあげることができる。

 ・法の存在形式として明確であり、安定している。社会が発展し、複雑化すればするほど、この長所が要請されてくる。

 ・成文法は、慣習法などに比べて普遍性が高い。慣習法の場合、人的適用範囲や場所的適用範囲については普遍的でない場合がありうる。

 ・「計画的に制定され、内容も体系的・論理的に整除されて」いることをあげる例もある《佐藤・鈴木・田中・前田[田中]・前掲書205頁》。そのような傾向を有することは肯定できるが、必ずしもその通りであるとは限らない(政治的な駆け引きの産物たりうるからである)。

 他方、成文法の短所として、次の点を上げることができる。

 ・規定の仕方が抽象的である。法の存在形式としては確かに明確であるが、具体的内容が不確定であったり煩雑であったりする。もっとも、慣習法や判例法では、そもそもさらに抽象的であったり具体的な内容が不確定ということもありうる。

 ・改正が容易ではない。そのため、社会の変動・発展に即応するだけの弾力性に欠ける。

 [2]不文法

 簡単に言えば、成文法でないものを不文法という。もう少し丁寧に記すならば、国家機関が制定・公布・施行したものではない法のことである。文書の形で存在しないことが多いので、不文法という訳である。

 不文法とされる法には、次に掲げるものがある。

 ①慣習法

 事実たる慣習(例えば祝儀)があり、これが社会成員が自らの行動を正当化するための理由あるいは他人の行動に対する要求とか非難などの理由として用い、相互の行動・関係を規制しあうようになり、かつ、国家がこの慣習を法として認めることが、慣習法成立(あるいは確認)のための要件となる。

 法の適用に関する通則法第3条は「法律と同一の効力を有する慣習」という見出しの下に「公の秩序又は善良の風俗に反しない慣習は、法令の規定により認められたもの又は法令に規定されていない事項に関するものに限り、法律と同一の効力を有する。」と定める。ここから明らかであるように、事実たる慣習が国の法令に反したり、公序良俗(民法第90条を参照)に反する場合には、慣習法としての効力は認められない。例えば、村八分は刑法第222条に違反し、脅迫罪が成立する(大判大正13年11月26日刑集3巻831頁)。

 他方、民法第236条(相隣関係。同第234条・第235条を参照)、同第263条・第294条(入会権)は、慣習法による補充を認めており、民法に規定がない農業水利権や温泉権や譲渡担保も、慣習法として成文法と同等の法源として認められる。また、商法第1条第2項は「商事に関し、この法律に定めがない事項については商慣習に従い、商慣習がないときは、民法(明治二十九年法律第八十九号)の定めるところによる。」と規定する。

 ②判例法

 或る事件に対して、一定の内容の判決が出された場合、その判決で示された一般的基準が先例として規範化され、その後の同種の事件においても同内容の判決が下されるようになる。これが繰り返されることにより、先例としての機能がさらに明確になる。これが判例法(裁判官法ともいう)である。

 英米法系の国は、判例法主義を採るため、判例は非常に重要である。しかし、日本などの大陸法系諸国においても判例の意義は小さくない。

 日本においては、裁判所法第4条により、判例の先例としての拘束力が制度的に保障されてはいない(「その事件について下級審の裁判所を拘束する」程度にすぎない)。しかし、同第10条第3号は「憲法その他の法令の解釈適用について、意見が前に最高裁判所のした裁判に反するとき」には最高裁判所大法廷において裁判を行う旨を定めている。また、刑事訴訟法第405条第2号は、高等裁判所の下した判決が最高裁判所の判例に違背する場合を上告理由として認めている〔同第3号も参照。同じ趣旨の規定として、民事訴訟法第312条および民事訴訟規則第190条以下(とくに第192条)がある〕。判例法が存在することにより、成文法の具体的な内容が明らかになったり、慣習法の存在が確認されるという利点もあるし、法的安定性などの確保、さらには訴訟経済の点においても意義がある。

 判例となりうる判決は、主に最高裁判所、大審院、高等裁判所(最終審の場合)が下したものである(但し、これらに限られない)。

 英米法では、ratio decidendi(判決理由の中で、具体的事件の解決に必要かつ十分な範囲での法的争点についての判断)とobiter dictum(事件の解決には直接的に関係しない裁判官の説示部分)とを分け、 ratio decidendiにのみ先例的拘束力を認める。しかし、日本においては、このような区分はなされていない。

 ◎応用問題1:通達(国家行政組織法第14条第2項)は慣習法たりうるか?

 通達とは、上級行政機関が法律の解釈などに関して下級行政機関に対して行うものである。行政命令の一種とも考えられ《新井隆一編『行政法』(青林書院、1992年)22頁[首藤重幸執筆]。実質的には行政規則として捉えられている。》、行政規則の一種である。これは、行政機関内部において拘束力をもち、この通達に従って国民に対する処分がなされたとしても(あるいは偶々通達に違反する処分がなされたとしても)国民は通達そのものを訴訟の対象にすることができないと解されてきた。

 しかし、所得税法基本通達などのように、通達が公開され、通達に基づく事務処理が繰り返されるなど、実質的に国民に対して拘束力を持つものもあり、そのことから、通達に基づく事務処理が定例化する可能性を多大に帯びている。しかし、通達は形式上、国民に対する拘束力を持たないとされているから、随時変更される可能性もあり、慣習法たりうるか否かの判断は微妙なものになる。この点は、パチンコ遊技機が物品税の非課税扱いを約10年間受けてきたが、国税局長の通達により課税対象とされた、という事件が争われた最判昭和33年3月28日民集12巻4号624頁において問題となったが、判決においては答が出されていない。

 ③条理

 社会生活において相当多数の人が一般的に承認する道理を、条理という。

 刑事裁判では、罪刑法定主義の要請により、条理を援用してはならないが、民事裁判の場合、成文法にも慣習法にも判例法の中にも適切な裁判規準がない場合には、条理に従うものとされる。

 但し、条理は、裁判官が具体的な事件に即して適切な裁判規準を形成するための手がかりであり、または心構えである。その意味において、慣習法のように、一般的規準として存在するものではない。そのため、条理の法源性を否定する見解もある。

 ④学説

 これを法源に含めるか否かについては問題がある(肯定するならば、これも不文法の一種である)。古代ローマにおける著名な法学者の学説は、帝政期において法源として機能した。また、東ローマ帝国初期においても、こうした法学者たちの学説がユスティニアヌス法典に大きな影響を及ぼした。また、19世紀のドイツにおいては、形式上はローマ法が現行法とされていたこともあり、サヴィニー、ヴィントシャイトなどのパンデクテン法学者の学説が法源とされていた。

 しかし、現在では、学説が直接的に法として裁判官(場合によっては行政官)を拘束するのではない。もっとも、或る条文の解釈について参考となることはある。また、立法においても、学説の影響があるという場合も否定できない。現に、日本民法の基となったドイツ民法においては、パンデクテン学者、とくにヴィントシャイトの影響が強く見られる。

 ⑤自治法規・協約規範

 これらについては、不文法とする説《山田晟『法学』〔新版〕(東京大学出版会、1964年)52頁》と成文法として捉える説《佐藤・鈴木・田中・前田[田中]・前掲書207頁》とがある。また、これを法源と捉えるか否かについても問題が残る。

 (2) 法の種別

 ①成文法と不文法:上記の通りである。

 ②強行法と任意法

 法は強制規範である。しかし、当事者の意思によって法の定める内容と異なる内容(効果)を生じさせることを法自体が認める場合がある。これが任意法である(例として、民法第902条および第900条・第901条を参照)。よく、私的な利益に関係する法は任意法であることが多いと言われるが、直ちにこのようには言えない(例として、民法第175条を参照)。

 ③一般法と特別法

 一般の国民を対象とし、または一般の事柄を対象とする法があり、特定の国民を対象とし、または特定の事柄を対象とする法がある。より一般的な人的対象または物的対象を有する法が一般法、より特別な人的対象または物的対象を有する法が特別法である。両者の関係は「特別法は一般法を破る」(但し、両者が同位でなければならない)。例えば、民法は民事関係(私的取引関係)に関する一般法であるが、これに対する特別法として、借地法、借家法、商法などがある。

 ④組織法(機構法)と行為法(作用法)

 法律制度の枠組自体を規律する法が組織法(機構法)である(例、国家行政組織法、裁判所法。憲法も、国家の基本組織を定めるという意味においてこれに含まれる)。これに対し、社会において行われる個々の行為を規律する法が行為法(作用法)である。なお、行政法においては、これに救済法を加えることがある(国家賠償法、行政不服審査法、行政事件訴訟法など)。

 ⑤実体法と手続法:事柄の実体に関する法が実体法である(例、民法、商法、刑法)。事柄を進める法が手続法である(例、刑事訴訟法、民事訴訟法。行政手続法、行政不服審査法、行政事件訴訟法も含まれるだろう)。

 ⑥公法と私法

 これはローマ法に始まり、大陸法系諸国においてみられる分類であるが、何を基準にするかによって見解が分かれる(両者の区別は相対的である)。

 〈1〉公益・私益を区別の基準とする説(利益説):これだけでは区別できない。

 〈2〉(国家と私人との)権力関係を規定する法が公法であり、(私人間の)対等な関係を規定する法が私法であるとする説(権力説):これは、ドイツ行政法学に見られる考え方である。この考え方でいくならば、憲法および行政法が公法である。刑法などは刑事法という別のカテゴリーに入ることになる。

 〈3〉少なくとも一方の当事者が国または(地方)公共団体である法律関係を規律する法が公法であり、私人間の法的関係を規律する法が私法であるとする説(主体説):これは、説明としてはわかりやすいが、国または(地方)公共団体が私人間の法的関係と同じ性質の法的関係を私人と結ぶときには私法であるとしなければならないし、区別の規準がかえってあいまいになるおそれがある。なお、この説でいくと、憲法・行政法・刑事法・民事訴訟法・国際公法(など)が公法、民法・商法・国際私法などが私法となる。労働法・経済法などは社会法と呼ばれることもある。

 (3)法の階層―成文法を中心として―

 国内法においては、法は階層をなして存在する。

 〈1〉憲法

 憲法とは、国家の存在を基礎づける基本法をいう。最上位の法であり、最高の法である。なお、法律学において、国家とは、一定の地域(領土)を基礎として、その地域に定住する人間が、強制力をもつ統治権の下に、法的に組織されるようになった社会のことであると解されるのが一般である。

 形式的意味での憲法:憲法典という特別の形式において存在する憲法のこと。

 実質的意味での憲法:国家の構造・組織および作用の基本に関する規範一般のこと。形式的意味での憲法と重なることが普通であるが、大日本帝国憲法下の皇室典範のように、形式的には憲法でないという場合もある。また、実質的意味での憲法は、憲法典が存在しなくとも必ず存在する(英国など)。

 上記に示した憲法の性質から、憲法の授権規範的性質、および最高法規としての性質が導かれる。

 授権規範的性質を持つ憲法 憲法は国内法における最終的授権規範である。すなわち、憲法は、その権威(または権限の行使)を法律や国家機関に委ねるという性質を持つ。この時、憲法が国民の権利・自由の保障という事柄を主な構成要素とするならば、授権はその範囲において行われるし、授権された法律や国家機関などは、その範囲を超えてはならないということになる。

 最高法規としての性質を持つ憲法 国家の存在を基礎づける基本法であるから、憲法が全ての法の中で最高法規としての性質を有するものであることは、当然のことと考えられる。しかし、最高法規としての性質を真に有するためには、憲法が通常の立法手続によって改廃される(軟性憲法)のでは不十分である。そこで、憲法の改廃(改正)については、通常の立法手続よりも厳格な手続が要求されることにより、憲法の最高法規としての性質が明確になる。そして、憲法に矛盾する全ての法規範は、一切その効力を認められないとされて、最高法規としての性質は完全になる(日本国憲法第98条第1項を参照すること)。

 〔「法規」という概念は多義的である。最広義においては、法規範一般を指す。広義においては、成分の法令を指す。狭義においては、①抽象的意味を持つ法規範を指す(この点で、裁判判決や行政行為とは異なる)、②一般人民の権利・義務に関係する法規範を指す(Rechtssatz)。〕

 ここで、憲法の保障として、憲法の最高性を担保する方法を掲げておく。

 ・憲法の最高法規性の宣言

 ・憲法尊重義務(公務員に対する)

 ・権力分立制

 ・硬性憲法

 ・違憲立法審査権

 ・抵抗権 国家権力の重大な不法に対する、国民の側からの、自らの権利・自由を守り人間の尊厳を確保するための、実定法上の義務を拒否する抵抗行為(および、それをとる権利)で、他に合法的な救済手段が不可能となったときに採られるものである。憲法典に明文化されていないのが普通である。

 ・国家緊急権:非常事態において国家の存立を維持するため、国家権力が、立憲主義的な憲法秩序を一時的に停止して非常措置を取る権限のこと。但し、これは、憲法を保障する場合と憲法を破壊する場合との両方がありうる。日本国憲法に国家緊急権の規定はない(例として、大日本帝国憲法第8条・第14条・第31条など、ヴァイマール憲法第48条)。

 〈2〉法律

 形式的意味の法律とは、立法機関(日本においては衆議院と参議院との双方からなる国会)の議決を経て成立した法のことであり(憲法第59条・第41条を参照)、成文法である。

 実質的意味の法律とは、「法規」(Rechtssatz.特定の内容を有する法規範の定立)のことであるが、「国民の権利を直接に制限し、義務を課する法規範」という意味と「およそ一般的・抽象的な法規範」という意味とがある。後者のほうが広くなり、妥当である。なお、憲法第41条の「立法」とは「法規」の定立のことである。

 〈3〉命令

 内閣が発する政令(憲法第73条第6号、内閣法第11条)、各国務大臣が発する省令(総理府令を含む。国家行政組織法第12条)がある。狭義の法律とは異なり、法律の委任がなければ、国民に義務を課したり権利を制限する規定を設けることはできない(前期の各条項を参照)。憲法および法律を施行するためのものである。

 〈4〉規則

 〈5〉地方公共団体の条例

 憲法第94条により、地方公共団体の議会は、法律に抵触しない限りにおいて条例を定めることができる。条例は、地方公共団体の議会の議決を経て制定される(地方自治法第14条第1項では、国の「法令に違反しない限りにおいて」となっている。この他、同第16条および第96条を参照)。条例の場合には、違反した者に対する制裁を規定することができる(同第14条第5項)。

 〔条例において制裁を規定することについては、一応は憲法第31条との関連が問題となる。しかし、条例は地方公共団体住民の代表機関である議会の議決によって制定されるのであるから、条例において罰則を設けることも許される(最大判昭和37年5月30日刑集16巻5号577頁を参照)。同じ理由により、条例において財産権に対する規制を加えることも、財産権(の内容)が一地方の利害を超えるとか全国的な取引の対象になりうるというのでなければ、許される(一応は憲法第29条第2項との関連が問題となるが)。〕 

 なお、法律と条例との関係については、いわゆる法律先占論がかつては有力であったが、現在では、法律よりも厳しい規制基準を設けることを法律がとくに禁止していないのであれば適法である(法律に定められた基準が最低基準である場合)とか、法律と条例とが別の目的を(対象は同じであるとしても)規制の目的とする場合には許される、という解釈が一般的になりつつある。

 〈6〉地方公共団体の長が定める規則

 地方自治法第15条により、その権限に属する事務に関して定めることができ、罰則として5万円以下の過料を定めることができる。

 ◎法の序列は、憲法>法律>命令>条例>規則(地方公共団体の長による)となる。

 (4)法における原則

 「上位法は下位法に優越する」

 「後法は前法を破る」(但し、同等の効力を持つ成文法相互間に限る

 「特別法は一般法を破る」(但し、同等の効力を持つ成文法相互間に限る

 (5)国内法と国際法―両者の関係をどう理解するか?―

 現在の国家においては、権力が国家に集中し統制される―これは、独裁国家に見られるような権力の集中を意味しない。三権分立をとる国家も、権力が国家に集中するという点においては変わりがないし、そうでなければ三権分立そのものを語り得ない―のが一般的である。しかし、国際社会は、その国家が複数存在する社会であるから、国内社会と違う局面が見られる。国際法においても、強行法規(jus cogens)は存在する(ウィーン条約法条約第53条も存在を認める)。そして、国際司法裁判所の存在もある。しかし、法の実効性ということでは、国際法には国内法ほどの強行規定性はないとも言いうる。

 国際法と国内法との関連については、次のような見解が存在する。

 国内法優位一元説:この説によると、国際法の妥当する根拠と範囲は国内法の授権に帰することになるが、国家の意思が変化しても国際法(条約)はその国家を拘束するという事実を説明できない。

 二元説:国際法と国内法とは、規律領域を異にし、それぞれ独立した法体系を成しているとする説。

 国際法優位の一元説:この説の理由付けは論者によって異なる。例えば、「合意は守られるべし」(pacta sunt servanda)を法の基本命題とする説、国内法の効力範囲は国際法の定めによるものであるとする説などである。

 国内法に基づく行為が国際法の基準に適合しない場合には、その行為の国際法的効力が否定されることがある。また、国内法(例、憲法)を援用して国際法上の義務を逃れることはできない(ウィーン条約法条約第27条)。

 日本においては、国際慣習法は法律に優先する国内法としての効力を有すると解される(憲法第98条第2項。このことが明文によって示される例として、ドイツ連邦共和国基本法第25条がある。なお、イギリスは、慣習国際法より国内成文法に優位を与えている)。また、条約についても、一般的に国内法に受け入れ、法律に優先する効力を認めるものと解される(この点についても国により異なる)。

 最後に、憲法と条約との関係について述べておく。国内法としての効力においては憲法優位説が通説と思われる。条約の国会承認手続よりも憲法改正手続のほうが厳格である(条約承認手続は法律制定手続よりも簡易である。憲法第61条を参照)。そのため、憲法に反する内容の条約が締結された場合には国民主権原則および硬性憲法の建前に反することなどが理由である。しかし、これはあくまでも国内における効力の問題であり、国際的効力の問題ではない。

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法学(法律学)ノート(1):法とは何か、法律とは何か

2014年11月04日 00時32分33秒 | 法学(法律学)ノート

 〔まえがき〕

 2011年度および2012年度に1年生の「現代社会と法」、2013年度および2014年度に2年生の「基本法学概論」を担当しています(いずれも大東文化大学法学部法律学科の必修科目です)。内容に法学概論の一部を含むため、私なりの「法学」または「法律学」のノートをホームページで公開したいと考えておりました。

 1997年度から2003年度まで、大分大学教育福祉科学部で「法律学概論I」、「法律学概論II」などの科目を担当しておりましたので、ノートを作成しました。その一部を、このブログでとりあえず公開し、今後に生かしたいと考えております。御意見などをいただければ幸いです。なお、現在の状況に合わせるために、修正を施しております。

★★★★★★★★★★

 法学または法律学は、法を対象とする学問である。それでは、そもそも法(law ; Recht ; droit)とは何か、法律とは何か。

 実は、法の概念そのものについても、法哲学において論争がある。しかし、ここでは、一般的に説かれていることを中心にして、私なりの見解を示しておきたい。

 まず、法律という言葉の意味を確定しておく。広い意味では法と同義である。すなわち、法=法律である。ドイツ語のRechtswissenschaftにあたる日本語を法学としたり法律学としたりするのも、法律を広義に捉えることに由来するのであろう。

 しかし、学問上、法律という言葉は狭い意味で用いられるのが通常である。別の機会に取り上げるが、法には様々な種類のものがあり、成文法をあげても法律、政令、省令、内閣府令、条例などがある。そのため、法=法律と捉えるのでは厳格さを欠くし、日本の法体系を理解することに対する妨げになってしまう。

 ここで日本国憲法第59条を参照することとしよう。次のように定められている。

 第1項:「法律案は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、両議院で可決したとき法律となる。」

 第2項:「衆議院で可決し、参議院でこれと異なつた議決をした法律案は、衆議院で出席議員の三分の二以上の多数で再び可決したときは、法律となる。」

 第3項:「前項の規定は、法律の定めるところにより、衆議院が、両議院の協議会を開くことを求めることを妨げない。」

 第4項:「参議院が、衆議院の可決した法律案を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて六十日以内に、議決しないときは、衆議院は、参議院がその法律案を否決したものとみなすことができる。」

 便宜上、全ての項を掲げたが、第1項から明らかであるように、狭義の法律とは、立法機関(日本においては衆議院と参議院との双方からなる国会)の議決を経て成立した法をいう。そして、憲法第41条が「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。」と定めることから、法律を制定する権限を有するのは国会だけであることが明らかである。

 〈余談であるが、時折、憲法と法律を区別しない者がいる。困ったことに法学部の学生でも見られる。憲法は国内法で最高の地位にある法であって、法律はその下位にあるものである。混同してはならない。〉

 それでは、法とはどのようなものであるのか。様々な機能が考えられるが、代表的なものと考えられる事柄を以下に示しておく。

 ①まず、法は社会に妥当・通用する規範(ルール)の一種である。すなわち社会規範である。しかし、道徳、宗教、習俗なども社会規範であるから、これだけでは充分でない。

 ②同じ社会規範であっても、道徳、宗教、習俗などには、国家による強制力が伴わない。これに対し、法は、国家の強制力を背景とする社会規範である。すなわち、法は強制規範である。

 強制規範という表現から、法に違反する者に対して制裁が予定されていることを思い浮かべる者は多いであろう。その通りである。刑法が典型的である(例として、殺人罪を定める第199条を参照すること)。刑罰という制裁が用意されている訳である。違反者に対して刑罰を科すことを定める規定は、刑法のみならず、所得税法第238条以下、会社法第960条以下など、多くの法律に置かれている。

 また、強制規範が常に刑罰を用意するとは限らない。法に従って行為をなす者には、法の力によって効力が担保される、という趣旨の規定がある。これも強制規範の一種である。法に従わなかった者に刑罰が科される訳ではないが、従わなかったという事実により、その者の意思に沿った効果が生じないのである。

 例えば、民法第175条は「物権は、この法律その他の法律に定めるもののほか、創設することができない。」と定める。或る者が民法に定められていない物権、例えば「場所取り権」なるものを勝手に想定し、それを実行したとしても、物権としては認められない。また、同じ民法の第177条は「不動産に関する物権の変動の対抗要件」として「不動産に関する物権の得喪及び変更は、不動産登記法(平成十六年法律第百二十三号)その他の登記に関する法律の定めるところに従いその登記をしなければ、第三者に対抗することができない。」と定めており、土地や建物が自分の物であると天下万人に主張するためには登記を備えておかなければならない。そうしなければ、いくらその者が「この土地は俺の物だ!」などと主張しても、他人がわからないからである。このように、自らの意思通りに効果を発生させたければ、法の定める通りに活動を行わなければならない、という意味で、法は人々の活動を規制し、人々に一定の活動を促進する一面を持つ。これも立派な強制規範としての性格である。

 法に従わない者には、その者の意思に沿った効果が生じないという趣旨の規定は、他にもある。ここでは、典型的な例としてよくあげられる民法第960条をあげておこう。同条は「遺言は、この法律に定める方式に従わなければ、することができない。」と定める。遺言の方式は第967条以下に規定されており、これらの規定に従っていない遺言は、遺言として認められない。すなわち、遺言をしたものが亡くなってから遺言としての効力を発せず、法的な意味を伴わないただの文書となる。

 〈民法など、この種の強制規範も数多く存在する。探してみるとよい。〉

 ③とかく世の中には紛争がつきものである。我々は、時によって権利を有し、または義務を負う訳であるが、どのような権利を有し、またはどのような義務を負うのかがわからないようでは、無用な紛争ばかり生じてしまい、我々がまともな社会生活を送ることはできない。そこで、法には紛争予防または解決のための規範としての性格が与えられている。すなわち、第一に、人々がいかなる権利を有し、義務を負うかを明定することにより、紛争を予防する機能を有する(民法が代表例である)。第二に、紛争が発生し、当事者間だけで解決できない時のために、裁判所における訴訟手続を明示して、紛争の解決を図るという機能をも有する。訴訟手続を定める法律として、民事訴訟法、刑事訴訟法、行政事件訴訟法などがある。

 ④法とはいかなるものであるかという問に対する答としては、以上の三点でまとめられることが多いかもしれない。しかし、これらのみでは、現代社会における法の存在意義として不十分である。例えば道路や下水道の新設、整備、学校教育、年金制度に見られるように、現代の国家は、単に国民から租税を徴収するのみならず、その租税を用いて国民に資源を配分している。単に事実としてこのようになっているというのみならず、国家が資源配分機能を果たすことが法的にも求められているのである(憲法第25条、第26条などを参照)。こうして、法には資源配分規範としての性格も認められる訳である。

 現代の法律には、このような資源配分機能を有するものが多くなっている。行政法の多くがこの機能を持っている(環境基本法、国家賠償法など。教育基本法や学校教育法も、この種の規範と考えることもできる。租税の再配分ということでは、地方交付税法、地方財政法のごとき法律もある)。

 以上の4つの性格は、それぞれが独立・無関係なのではなく、相互に関連する。そして、いずれの性格を有するにせよ、法は、存在(Sein)に対する当為(Sollen)としての性格を有する。また、技術的な性格を強く有する(何故なら、法は、次に示す目的を実現するための手段であるからである)。

 法はいかなる目的を有するのか。この問も古くから存在するものであるが、次の二点としておこう。

 ①人間社会における秩序の維持、そして調和の実現

 ホッブズ(Thomas Hobbes, 1588-1679)流に言えば、人間は万人に対して狼である。

 ②正義(Justice, Gerechtigkeit)の実現

 もっとも、「正義とは何か」という問題もある(Vgl. Hans Kelsen, Was ist Gerechtigkeit?)。実は、「正義とは何か」という問題に充分・満足に解答を出せるかどうかも問題なのである。しかし、これはあまりに哲学的問題であるし、追求すればするほど迷宮に入り込むので、ここでは論じない。

★★★★★★★★★★

 (das) Sein:存在を意味するドイツ語の中性名詞であるが、英語のbeにあたる動詞seinを名詞化したものである。日本語の仮名読みでは「ザイン」である。

 (das) Sollen:当為、義務、なすべき事というような意味を有するドイツ語の中性名詞であるが、英語のshallに相当する動詞sollenを名詞化したものである。但し、英語のshallとドイツ語のsollenは、言語の由来などからして相当関係にあるということで、意味などには違いもある。

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