ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

何度見ても良い NHK特集「シルクロード」

2017年04月30日 21時34分01秒 | 日記・エッセイ・コラム

 今日の14時、NHKアーカイブスを見ました。理由は、あのNHK特集「シルクロード」第2集が放送されたからです。今回は1980年代前半のシリアが舞台となっておりました。

 1980年、私は小学校6年生でした。この時に第1集が放送され、第何週かは覚えていませんが月曜日の20時となると一家揃って見ていました。それまでも、うちでNHK特集を見ることが多かったのですが、毎月一回の「シルクロード」は全員が楽しみにしていたのです。

 タクラマカン砂漠、ヒマラヤ山脈など、過酷なルートの中に、敦煌、楼蘭、「さまよえる湖」としておなじみのロプノール、サマルカンドなど、古代史、中世史に重要な役割を果たした都市、オアシスなどが登場します。既に廃墟となっている所は、映像を通じて我々に何かを訴えかけてきました。当時の私にも、何か息が詰まるような思いがしたものです。おそらく、いかなる文明であれ文化であれ都市であれ、不滅のものはない、ということでしょう。廃墟がメッセージになっているのでした。

 そして、何と言っても喜多郎さんの音楽です。NHKの当時のスタッフがどこかで偶然耳にして決めたという話が、喜多郎さんのLPのライナーノーツに書かれていたことを覚えていますが、それにしても素晴らしい選択でした。しばらくして、1枚だけですがLPを買い、何度となく聴いています(今も実家にあります)。実はもう何枚か、このNHK特集のサウンドトラックは発売されていますが、入手していません。

 第1集が中国、第2集は当時のソ連領からシリアかトルコまでであったはずで、全ての回を一家で見ています。再放送があれば見ましたし、ヴィデオテープに録画もしたはずです。ソグド商人が活躍していた時代を取り上げた回であったか、通訳が何人も登場して、●●語⇔▲▲語⇔■■語⇔日本語というような順でのインタビューが行われていたことを覚えています。

 2005年には「新シルクロード」も放送されました。NHKスペシャルで、日曜日の21時となると、やはり一家で見ていました。こちらのほうは再放送がなされたのかどうかわかりませんが、1980年代の「シルクロード」と比較すると、時代の経過などが強く感じられる点にも関心が深まりました(何と言っても、この間にソヴィエト社会主義共和国連邦が崩壊したという大事件がありましたから)。音楽はチェリストのヨーヨー・マさんらによるもので、私はサウンドトラックのCDを買いました。

 機会があれば、「シルクロード」、「新シルクロード」の全編を再び見たいと思っています。

 そう言えば、あまり話題になりませんが「海のシルクロード」というシリーズもありました。こちらも再度見てみたいし、宗次郎さんの音楽が印象的であった「大黄河」シリーズも同様です。

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二子玉川ライズにて

2017年04月29日 23時09分55秒 | まち歩き

今日(2017年4月29日)の夕方に撮影しました。

 

 

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都営三田線の車内で

2017年04月27日 16時56分35秒 | 写真

こんなものがありました。

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2017年4月23日の午前中、溝口緑地にて(2)

2017年04月26日 08時00分00秒 | まち歩き

前回に引き続き、川崎市高津区溝口四丁目にある溝口緑地の、4月下旬の様子です。Canon EOS Kiss X5で撮影しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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続:消費税・地方消費税の税率引き上げ 「二度あることは三度ある」?

2017年04月25日 20時45分08秒 | 国際・政治

 今年の2月14日、私は、このブログで「消費税・地方消費税の税率引き上げ 『二度あることは三度ある』?」という記事を掲載しました。そこで「議会制民主主義と租税法(議会制民主主義と租税立法と言い換えてもよいでしょう)については『二度あることは三度ある』という言葉が妥当するかもしれない」と記しました。但し、あってよいこととあってはならないことがある訳で、先送りは後者に属することが多いでしょう。

 消費税・地方消費税の税率引き上げ(8%→10%)の実施は、これまで、2015年10月1日から2017年4月1日へ、および2017年4月1日から2019年10月1日へ、二度も延期されています。当初のスケジュールから考えれば4年も先送りされたのです。「二度あること」ですから「三度ある」としてもおかしくないのですが、こうなると対内的にも対外的にも様々な問題を引き起こします。

 さて、私のブログにある過去の記事を引き合いに出したのは、今日の朝日新聞朝刊7面13版に、編集委員の原真人氏による「波聞風問」の「消費増税延期 2度あることは3度ある?」(http://digital.asahi.com/articles/DA3S12908297.html)という記事が掲載されているためです。

 原氏は、「いま専門家たちの間で2019年10月に再々設定された増税時期についても『延期される恐れが強い』(BNPパリバ証券の河野龍太郎チーフエコノミスト)との見方が広がっている」と述べています。

 その理由は何か。氏は3点をあげています。それぞれについて、私の意見も付け加えながら見ていきましょう。

 氏があげる第一点は、「長期政権化する安倍首相がそもそも消費増税に消極的なことがある」。果たして、「同じ政権が2回も不人気な消費増税をさせられることに不満らしい」か否かはわかりませんが、仮にそうであるならば、延期ではなく中止すればよいだけのことです。急いで付け加えるならば、消費増税を中止する場合には、社会保障・税一体改革(この改革はまだ続いているはずです)の実行のために、これまでとは全く別の財政健全化策、例えば所得税の増税、法人税の増税などを早急に検討し、実行しなければならなくなりますから、「だけのこと」で済まなくなるのは当然です。しかし、延期を繰り返すということは、中途半端な状態を何時までも続けることにつながります。或る意味で最悪の選択とも言えるでしょう。不人気な政策を何時までも続ける意味はないでしょう。続けるのであれば、国民に粘り強く説得するしかないのですが、そうなると選挙結果が頭をよぎる、ということなのでしょう。

 2012年、民主党政権末期に、社会保障・税一体改革については、当初、消費税のみならず、所得税、法人税、相続税など、あらゆる税目についての抜本改革が構想されていました。政権側はそのように考えて法律案を国会に提出しました。どなたの著書に書かれていたことか覚えていませんが、最近、財政再建などのために敢えて国民に不人気な政策を採ろうとした野田内閣を高く評価する見解があります。しかし、当時の野党(のうち、現在の与党)からの反発もあり、ほぼ消費税・地方消費税のみに限定され、税制の抜本改革からは程遠い内容の法律として成立しました。当初から社会保障・税一体改革は中途半端な形とならざるをえなかったのです。悔やんでも悔やみきれないし、そうしても仕方のないことでもありますが、消費税・地方消費税の税率引き上げに限定されず、あらゆる税の見直しを行おうとした当初の法律案が法律として成立したならば、二度の延期はなかったでしょう。2012年当時の判断が、現在にまで影響を及ぼした訳です。

 原氏があげる第二点は「2年半後の景気のゆくえ」です。氏は続けて「19年秋の増税は、翌年に開催される東京五輪で経済が盛り上がっているから大丈夫という前提だった。だがオリンピックバブルは往々にして前年にはじける。建設投資があらかた終わり、翌年の開催が終われば消費ブームも去ると知れているからだ」と述べています。原氏の展望が妥当であるかどうかは問いません。経済は生ものあるいは水物であるからです。2019年あるいは2020年の経済状況について正確に予測できる人は、おそらく、どのような賭け事にも強いことでしょう。

 そして、原氏があげる第三点(「これが一番大きい」とも記されています)は、「昨年の延期で『首相の公約』が簡単に覆される軽いものだとわかったこと」です。氏は朝日新書の「日本『一発屋』論」においても同旨を述べていますが、今日の記事のほうがより明確な主張となっています。字数の都合であるためかどうかわかりませんが、原氏は、一度目の延期については明確な法的根拠があったのに対し、二度目の延期についてはそれがなかったことについて記されていません。或る意味でどうでもよいことかもしれません。いずれにせよ、「これまでのお約束とは異なる『新しい判断』」であるからです。このようにすれば、過去のことなど簡単に打ち切ることができます。私も、この第三点については原氏の見解に賛同できます。それは、二度目の延期が表明される前に、平成27年度与党税制改正大綱および平成28年度与党税制改正大綱において、税率引き上げが「確実に」実施されることと明記されたからです。平成29年度与党税制改正大綱にも同旨が書かれているので、「二度あることは三度ある」と勘ぐられても仕方のないことです。ちなみに、昨年5月31日に開かれた自由民主党の政調税対会議において、小泉進次郎氏は「二度あることは三度ないという説明をどうやったらできるのか。おそらくできない」と指摘したとのことです〔産経新聞社「自民・小泉進次郎氏『そんなおいしい話に若い人たちはだまされない』」(2016年5月31日17時24分付。http://www.sankei.com/politics/news/160531/plt1605310047-n1.html)によります〕。

 原氏の主張はまだ続きますが、これ以上追うと全文(全体)引用になりかねないので、ここで止めておきます。

 今、日本人は、自分たちの得意なことが何かと問われたら、次のように答えるべきでしょう。

 「なしくずし」と「特例法」と「先送り」。 

 

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2017年4月23日の午前中、溝口緑地にて(1)

2017年04月25日 01時06分30秒 | まち歩き

 このブログでも何度か取り上げている溝口緑地は、川崎市高津区溝口四丁目、高津図書館のすぐ前にあります。いや、図書館と緑地は同じ敷地にある、と記してよいでしょう。かつて文教大学付属小学校があった所で、裏に高津小学校があります。

 私の自宅のすぐ近くで、時折通勤の途中で歩くこともあります。

 ここを含め、東急田園都市線高津駅から、国道409号の起点でもある国道246号溝口交差点までの溝口三丁目・四丁目・五丁目は散歩のコースでもあり、私にとっては何度歩いても飽きません(小学生時代から馴染んでいます)。

 今回は4月下旬、まさに春真っ盛りの晴天の日曜日に、5年前に買ったCanon EOS Kiss X5で撮影した写真を載せておきます。写真の腕前云々は脇に置いてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

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生で見てみたかった

2017年04月24日 21時19分41秒 | 日記・エッセイ・コラム

 落語家の三代目三遊亭圓歌師匠が、昨日亡くなられました。

 私は、勿論、幼い頃からこの方のお名前などを知っておりましたが、或る日、まだ日本エアシステムの旅客機があった時代のこと、その旅客機の便で「中澤家の人々」(川崎市民プラザでの録音)を聴いて爆笑したことがあり、それ以来、録音や録画で何度となく楽しんできましたが、一度も生で体験したことがなかったのでした。

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桜新町駅前で(2)

2017年04月23日 00時03分57秒 | まち歩き

 

 

 

 

 

 

 

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桜新町駅前で(1)

2017年04月22日 23時59分35秒 | まち歩き

 

 

 

 

 

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志賀島の金印公園

2017年04月19日 00時41分51秒 | 旅行記

 (今回は、2013年3月24日から4月1日まで「待合室」第518回として掲載した記事です。なお、一部を修正していますが、内容は基本的に当時のままです。)

 2012年9月2日の朝、私は、宿泊していたホテルを出て、天神駅から地下鉄空港線に乗り、博多駅でJR鹿児島本線に乗り換え、香椎駅で香椎線のディーゼルカーに乗りました(「海の中道線(香椎線西戸崎~香椎)」)も御覧ください)。

 同線の起点である西戸崎駅に到着しました。ここから志賀島へ行く訳ですが、歩くとかなりの時間を必要としますので、西鉄バスに乗ることとしました。

 通称「海の中道」を通り、海の中道海浜公園の南西側を通ります。そのような場所にも、東区大岳には市営住宅などがあり、小規模な商店などもあります。実際、バスに乗っていると、およそ海岸に近い観光地とは思えない様子です。リゾート風味が少しばかり加えられた新興住宅地、と表現するほうがよいでしょう。

 しばらくすると、その住宅地も途切れ、公園の緑地と海に挟まれた場所を走ります。程なく、短い橋を渡ります。これで、志賀島に入りました。

 すぐに、海の家、駐在所、郵便局などがある集落があり、ここに志賀島バス停があります。私が乗っているバスは、志賀島小学校前から先、勝馬まで走りますが、途中の金印塚バス停で降りました。道路の片側にしかバス停の柱が置かれていません。

 早速、バス停のそばから博多湾にカメラを向けました。南方は福岡市西区に属する能古島、北西には同じく西区に属する玄界島、西方には福岡市西区と糸島市に属する糸島半島が見えます。空は少しばかり霞んでいましたが、福岡ドーム、マリノアなども見えます。

 関東の政令指定都市に、このような風景を楽しめる場所はあるでしょうか。私は、1時間ほど前まで福岡市中央区天神にいたのですが、既に大都市の一部地域とは思えないような場所にいます。頭の中で、何度も、ここは福岡市東区であると確認しながら、博多湾を眺めていました。

 

 

 

 金員塚バス停で降りたのは、日本史の教科書でおなじみの「漢委(倭)奴国王」金印が発見されたという場所を訪れてみたかったからです。バス停のすぐ目の前に、金印公園があります。入口に、御覧のような石碑が立てられていました。

すぐに小高い丘を登ります。

 階段を昇り終えると、中腹に御覧のような案内板が設置されています。

 金印は、たしかにこの島で発見されたようです。江戸時代のことで、誰が発見したのかはわかりませんし、出土場所についても正確なことはわかっていないようですが、さぞ驚かれたことでしょう。

 しかも、これが日本の弥生時代のものだったのです。弥生時代という名称は、現在の東京都文京区にあった弥生町で土器が発見されたことに因んでいますので、江戸時代にはどのように呼ばれていたのでしょうか。

 「漢」と書かれていますが、ここでは後漢(25~220年)のことで、初代皇帝である光武帝(劉秀)が新を滅ぼして再興した王朝です。一方、「奴(な)」は、弥生時代にこの福岡市付近にあったとされる国の名前です。金印は後漢書にも登場しているようです。

 ちなみに、実物は早良区百道浜にある福岡市博物館に展示されています。

 

ちょうど足元に、金印を模したモニュメントが置かれていました。

 志賀島は、昔から海上交通の要所でした。そのために、古事記、日本書紀などにも登場しています。案内板に描かれている地図を見ても、志賀島が重要な位置に存在することがわかります。「奴」国の中心がどこにあったのかはわかりませんが、この島を押さえていたことは確実でしょう。

 

 

 

 

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