ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

熊本市の銀杏中通りにて

2012年02月29日 07時42分11秒 | 旅行記

 昨年の8月、福岡大学法学部で集中講義を行いました。その初日の前の日に、およそ7年半ぶりに熊本市を訪れました。市街地を歩き回っていたら、こんなものがありました。

透明な柱の中には水が入っているようです。下から上に、気泡(あるいは水?)が出ているのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

斎藤貴男『バブルの復讐―精神の瓦礫―』(2003年、講談社文庫)

2012年02月28日 00時04分22秒 | 本と雑誌

 都内某所(神田神保町ではありません)にある古書店で、タイトルに書いた本を買いました。

 これまで、斎藤貴男さんの本は、見つける度に買ってきました。しかし、この本のことは今まで知らず、タイトルが気になって買ったものです。

 バブル経済期に大学の学部生時代を過ごし、大学の内外で乱痴気騒ぎが繰り返されていたような、またそういうことが好きそうな同年代が多そうであったことに、そして社会全体がJapan as No. 1という言葉に浮かれていたような状況に、いつも違和感を覚えていました。

 斎藤さんは、本の随所に、バブル経済期以降の精神の荒廃を書かれています。たとえば、

 「要するにバブルの時代、何でもかんでも膨れ上がって、能力というより気概もなければ資格もない人間が、やたらでかい権利を得てしまった。それがエリート面をしている。ダメになったあとでも辞めない。おしなべてふつうの人も含めて、今、エスタブリッシュメントが言うところの公共心みたいなものが確かになくなった。それが逆手にとられて、新自由主義者たちに都合のいい文脈で公共心だの市民権だのといった立派な言葉が使われちゃってるのが現実です。」(18頁。佐高信さんとの「緊急討論」での斎藤さんの発言)

 「あらゆる意味で、バブルはこの国をつくづく駄目にしてくれた。政府や金融機関経営者の責任は改めて指摘するまでもないが、個人事業主である私に言わせれば、大多数のサラリーマンもまた、本来なら無傷で済まされるべきではないと思っている。

 あの時期、彼らは一個の人間としての価値判断を完全に放棄していた。人並み以上の教育を受けたはずの人々が、自分自身で物事の善悪を見分ける努力もせず、ただ、上に命じられるままに、ヤクザを使って地上げを行い、人為的に株価を吊り上げて、恥じることがなかった。総労働人口の八割以上を給与所得者が占めるこの国の社会は、常に彼らの行為の集積なのだ。」(245頁)

 「宮沢喜一氏以前の総理大臣にしろ、たとえ二世議員ではなくても、名門一族の出身者ぞろいであることに変わりはない。機会の均等など初めから存在しなかった。ただし平等を謳う戦後民主主義が、それはよくないことだと教えていたから、少し前まで、二世たちの多くは逆に自分たちの出自を隠したがったにすぎない。

 結果として、現実は大衆の目から遮られた。差別をめぐるさまざまな問題が広範な理解を得られなかった大きな原因も、大衆の無自覚に求めることができる。冒頭から繰り返し述べてきた近年の傾向は、したがって戦後民主主義が衰退し機会均等の建前が失われたことと表裏一体の関係にある。

 引き金はここでもバブル経済だった。」(259頁)

 これ以上の引用はやめておきますが、同時代に生きた者として、第一に感覚的に理解できます。これは悪い意味ではありません。感覚的に理解できて、それから論理的に検討する意味が出てくるのです。1990年代後半から所得格差の拡大が指摘されるようになり、最近では格差社会という言葉が完全に市民権を得ていますが、斎藤さんが259頁で述べられているように、バブル経済期も、いや、それ以前も日本は格差社会でした。川崎市に生まれ育った私は、サラリーマンの間における格差を、嫌というほど見ています。それだけに、斎藤さんの指摘を妥当と思うのです。

 補足的に、いや蛇足的に記しますと、私は単純に、給与所得という、或る意味ですぐに目に見える金額の格差だけを言うのは誤っていると考えています。企業が用意する福利厚生面の差、退職金の差、年金の差などにも目を向けています。大企業と中小企業とでは、これらに、あまりに大きな格差があります。それは壁とも断崖とも表現できます。だから、消費税論者の言う生涯所得論は嘘であると、直感的に理解できるのです。

 斎藤さんは消費税増税反対論者です。おそらく、私が上に記したことなど、綿密な取材を通じて痛いほどよく理解されているはずです。

 そういえば、私がまだ大分大学に勤務している時のこと、当時は財務省に勤められていた村尾信尚さんが呼びかけた市民団体の最初の集会が、永田町で行われました。その集会に斎藤さんが来られており、少しばかりお話をし、名刺もいただきました。私は覚えているのですが、斎藤さんはお忘れになっているでしょうか。

 そんなことはさておき、『バブルの復讐―精神の瓦礫―』の一読をお勧めします。バブル経済期を生き、当時の風潮を苦々しく思っておられた方は、共感しうるはずです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世田谷線(1)

2012年02月27日 00時02分31秒 | 写真

 東京都の特別区で最も人口の多い世田谷区の三軒茶屋から下高井戸までの軌道線、東急世田谷線は、都内の散歩コースなどとしてもよく取り上げられます。実際、三軒茶屋、若林、世田谷、上町、下高井戸など、味のある街を通りますので、私も時々乗っては街を歩いています(三軒茶屋駅だけは田園都市線の途中下車ですが)。

 そして、世田谷線を走る300系は、編成ごとに色が異なることでも知られています。まだ私も全ての色を見た訳ではないのですが、今回は写真などに残っている5編成を紹介します。

 まずは301F、第1編成です(2010年5月5日、三軒茶屋駅で撮影)。以前は緑一色で、正面にサザエさんの顔のマークをつけていましたが、昔の玉川線、通称「玉電」の色分けに変わりました。

 次は305F、第5編成です(2010年5月5日、下高井戸駅で撮影)。こちらはピンク色です。昼間乗務する女性の案内係「車内アテンダント」(車掌ではありません)の姿も写っています。

 黄色は306F、第6編成です(2010年5月5日、三軒茶屋駅で撮影)。300系は2両編成で、連接構造となっています。


YouTube: 三軒茶屋駅に到着する東急300系308F

 赤色は308F、第8編成です(2012年2月25日、三軒茶屋駅付近で撮影)。

 三軒茶屋駅は、再開発によって建てられたキャロットタワーの1階にありますが、再開発の前はもう少し奥、世田谷通りに面した所にありました。現在はキャロットタワーの前の公開空地などとなっています。また、玉川線(渋谷~二子玉川園)が廃止されるまでは世田谷線も玉川線の一部であったため、渋谷から下高井戸まで運転されていました。


YouTube: 三軒茶屋駅を発車する東急300系308F

 また、短い折り返し時間で下高井戸行きが発車します。次の西太子堂駅までは僅かな距離です。西太子堂駅から世田谷通りに出ると三軒茶屋の商店街の西端で、大学院生時代までよく通った古本屋がありました(残念ながら、今はありません)。

 この300系が登場するまで、世田谷線には冷房車がなく、床が木であったりするなど、懐かしさ、あるいは古さが残っていました。現在は300系に統一されています。


YouTube: 三軒茶屋駅に到着する東急300系310F

 そして、今回の最後は、300系の310F、第10編成です(2012年2月25日、三軒茶屋駅で撮影)。302F、303F、307Fと同じく青系の色ですが、310Fはターコイズグリーンとなっています。この編成が300系の最終製造車となっています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

撮影してきました

2012年02月26日 13時50分37秒 | 写真

 東急7200系のアルミ試作車、デハ7200とクハ7500を改造した架線検測車、デヤ7200とデヤ7290が引退します。今日(2012年2月26日)にさよなら運転が行われました。そこで、高津駅へ行き、撮影してきました。


YouTube: 東急デヤ7200+デヤ7290さよなら運転

 使用したカメラはCanon EOS Kiss X5ですが、まだ慣れていないためか、動画の撮影は難しいと感じています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西武秩父駅でニューレッドアローを撮影

2012年02月26日 00時05分09秒 | 写真



  西武秩父駅に停車中の、特急ちちぶ号として運用されるニューレッドアロー、10000系です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御花畑駅と西武秩父駅

2012年02月25日 07時49分10秒 | 写真

 池袋駅から西武池袋線・西武秩父線の特急「ちちぶ」に乗り、およそ35年ぶりに西武秩父駅を利用しました。

 西武秩父線の終点、西武秩父です。頭にわざわざ「西武」を付けているのは、西武秩父駅の開業が1969(昭和44)年であり、それより55年前に秩父鉄道の秩父駅が開業していること、および、西武秩父駅が秩父駅から離れていることが理由となっています。

 西武には、この駅の他にも自社名を駅名に付けている駅がありますが(例、西武柳沢、西武立川)、駅名標でもアナウンスでも省略されません。同様の例は、東武(例、東武練馬)、京王(例、京王多摩川、京王多摩センター)、小田急(例、小田急相模原、小田急多摩センター)などにあります。また、東京メトロにも地下鉄成増(旧名:営団成増)、地下鉄赤塚(旧名:営団赤塚)があります。

 先程、「西武池袋線・西武秩父線」と記しました。路線名のためです。秩父線ではなく、西武秩父線という名称なのです。西武有楽町線も同様です。同様の例は東急多摩川線です(既に西武に多摩川線が存在するためです)。

西武秩父線の正式な区間は吾野~西武秩父ですが、実質的には飯能~西武秩父となっています。

 西武秩父駅から西武仲見世通りを歩き、さらに数分、細い道を抜けると、秩父鉄道の御花畑駅に着きます。名前も違えば場所も離れていますが、乗換駅です。この日は秩父鉄道に乗っていません。実はまだ一度も利用したことがないのです。

 西武秩父線と秩父鉄道線の線路はつながっており、西武秩父線からの直通電車が走ります。左側が、西武秩父線の西武秩父駅につながる線路です。

 秩父鉄道には元東急8090系や8500系が走っています。かつては初代7000系も走っていました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しおりとして使っているテレホンカード

2012年02月24日 00時27分52秒 | 写真

本のしおりとして使っているテレホンカードです。

 1997年、私は大分大学の教育学部に講師(専任講師)として就職しました。その2年後に改組が行われ、教育学部が教育福祉科学部となりました。そして5月31日、創立50周年を迎えたのです。

 当日、大学の第1体育館で記念式典が行われました。その時であったかどうか覚えていないのですが、配られたのが上のテレホンカードです。

 記念式典の4日前に、或る研究会に出席するために川崎へ帰り、翌日にその研究会に出席した後、横浜は関内駅付近で或る人と飲んでいたら終電がなくなってしまい、仕方がないので翌朝まで飲み続けていました。「そんなこともあった」と、カードを見て思い出すのです。もう13年が過ぎようとしています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夜の溝口

2012年02月23日 00時00分39秒 | まち歩き



再びCanon EOS Kiss X5による写真で、今度は溝口です。どの写真もストロボ、スピードライトを使用せず、ISOの数値を高めて撮影しました。

 ここは再開発により、20世紀の最後のほうに大きく変わりました。私が大学院生であった1992年4月から1997年3月まで、この辺りは工事中でしたが、ここまで大きく変わるとは思ってもいなかったのです。ノクティが建っている場所は、溝口の中央商店街の一部であり、また、裏通りの一部でもありました。ノクティがオープンしたのは、私が大分大学に就職してからのことです。最近は妻と買い物などのために入ります。

 ペデストリアンデッキにより、JR南武線と東急田園都市線・大井町線との乗り換えは非常に楽になりました。下はバスターミナルで、再開発前よりも広くなり、便利になりました。

 しかし、再開発前のほうが、溝口の街は賑わっていたように思います。南武線の駅前から田園都市線の駅にかけて、ショッピングセンターのヤストモがあったことを、今も思い出します。大学院生時代、ヤストモの中にあった珍来軒で、よく弁当を買い、早稲田に向かっていました。安くて美味い弁当というと珍来軒を思い出します。

 中央商店街の方向です。再開発によってノクティができてから、商店街は衰退してしまいました。私は1990年代までの賑わいをよく知っていますので(逆に妻は知りません)、考えさせられてしまいます。灰吹屋、天野屋などは残っていますが、えんよし、みづほなどはなくなりました。何と言っても大きいのは、長崎屋がなくなったことです。現在は、1階から3階までがドン・キホーテ、地下1階がパチンコ屋になっています。他に、川上楽器溝ノ口店がなくなり(駅前に音楽センターはありますが)、マルエツのB館は飲み屋などが集まる建物になりました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年度の担当科目の教科書について

2012年02月22日 01時22分48秒 | 受験・学校

 少々気が早いのですが、2012年度に担当する予定の科目の教科書について記しておきます(但し、全部ではありません)。

 (1)大東文化大学法学部法律学科の「行政法1」/国学院大学法学部の「行政法Ⅰ」

 櫻井敬子・橋本博之『行政法』〔第3版〕(2011年、弘文堂)

 (2)大東文化大学法学部法律学科の「税法」/西南学院大学法学部の「税法」(集中講義)

 増田英敏・林仲宣編『はじめての租税法』(2011年、成文堂)

 (3)大東文化大学法学部法律学科の「専門演習(3年生)」および「専門演習(4年生)」/大東文化大学大学院法務研究科の「租税法Ⅰ」

 金子宏・佐藤英明・増井良啓・渋谷雅弘『ケースブック租税法』〔第3版〕(2011年、弘文堂)

 (4)大東文化大学大学院法学研究科の「税法特殊講義」

 速報判例解説(法学セミナー増刊)の7号~9号。また、各自が学部生時代に使用した、または所持している教科書も活用してください。

 (5)大東文化大学法学部法律学科の「現代社会と法」

 石山文彦編『ウォーミングアップ法学』(2010年、ナカニシヤ出版)

 (6)大東文化大学法学部法律学科の「法学特殊講義2A」および「法学特殊講義2B」

 教科書を使用しません。但し、2Aについては各自が所持する憲法学の教科書を、2Bについては各自が所有する行政法学の教科書(行政組織法、地方自治法に関する章を設けているもの)を持参してください。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二子玉川駅と二子玉川ライズ

2012年02月22日 00時26分32秒 | まち歩き

Canon EOS Kiss X5で、二子玉川駅と二子玉川ライズを撮影してみました。

 田園都市線の駅で、一番大きく変わった所といえば、第一にたまプラーザ駅、第二に二子玉川駅でしょう。とくに、二子玉川駅の場合、西口はそれほど大きく変わったとも言えませんが、東口は別物になったという表現が相応しいほどです。

富士観会館の跡地に建った高層マンションを背景にしてみました。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする