ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

帝京大学医学部附属溝口病院の桜

2016年03月31日 20時34分54秒 | まち歩き

 高津駅から国道409号を西の方へ歩けば、すぐに溝口四丁目の高津警察署、さらに少し進めば、その斜め向かい、三丁目の帝京大学医学部附属溝口病院の前を通ります。この病院の入口に、桜の木が1本だけあります。

今年も花が咲きました。

2015年度、私的には様々なことがありましたが、今日でおしまいです。明日から2016年度、気分を改めたいものです。

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おしらせです(2016年3月26日)

2016年03月26日 21時00分00秒 | 本と雑誌

 管理人の権限を利用して、お知らせです。

 日本評論社から、新・判例解説編集委員会編『速報判例解説vol. 18 新・判例解説Watch【2016年4月】』が発売されます。

 この中の「租税法」のうち、「No.4 都民住宅経営安定化促進助成制度による利子補給金の一括交付と所得区分」(東京地方裁判所平成26年9月30日判決に関するもの)は、私が執筆を担当したものです。

 御一読をいただければ幸いです。

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二子塚公園に残されているもの

2016年03月25日 00時00分00秒 | まち歩き

 私が住んでいる川崎市高津区の二子六丁目に、二子塚公園があります。元々、この辺りに古墳が二つあったようで、そのために二子塚と名付けられたそうですが、古墳の痕跡らしきものは残っていません。

 さて、この二子塚公園ですが、実はもう一つ、隠れた遺産が残されています。「知る人ぞ知る」という表現が相応しいかどうかはわかりませんが、鉄道ファンなどの間では比較的知られているようです。それが、次の写真です。

 一見すると、ただのバスの車体に見えます。「こんなものが『隠れた遺産』なのか?」と思われるかもしれません。

 しかし、隠れた遺産です。「昭和の」という言葉を付け加えておかなければなりませんが、川崎市の歴史を語る際に必要な物であることに変わりはありません。

 実は、この車体は自動車としてのバスではありません。トロリーバスの車体なのです。

 トロリーバスは、自動車と電車との中間のような存在であり、鉄道事業法施行規則第4条第5号では「無軌条電車」という言葉で表現されています。つまり、日本では立派な鉄道の一種でありまして、架線から電気を入れて走るバスと考えていただければよいでしょう。

 日本では、現在、トロリーバスは立山黒部アルペンルートの2箇所、関電トンネルトロリーバス(関西電力)と立山トンネルトロリーバス(立山黒部貫光)のみとなっていますが、かつては東京都(都区部)、川崎市、横浜市、名古屋市、京都市、大阪市で活躍していました。これらはいずれも公営です。また、戦前には宝塚市と川西市に日本無軌道電車という会社のトロリーバス路線がありました(これが日本最初のトロリーバスです)。

 公園の案内板にも書かれているように、トロリーバスが走っていたのは川崎駅前から水江町までです。つまり、川崎区内を走っていたこととなります。同じ時期には川崎市電も、やはり川崎区内のみで走っていました(ちなみに、川崎市が政令指定都市となったのは1972年のことです)。トロリーバスが運行されていたのは昭和26年、つまり1951年から、昭和42年、つまり1967年までのことですから、わずか16年ほどしか走らなかったということになります。

 1967年の廃止前には19両も在籍していたのですが、現在はこの1両しか残されていません。川崎区内を走っていたこの車両が、何故に、川崎駅から10キロメートル以上も離れ、トロリーバスとも市電とも縁のない高津区の二子六丁目に保存されることになったのか。その経緯はわかりません。

 車体はかなり傷んでおりますが、窓ガラスに貼られた白黒の写真が、活躍していた当時の様子を伝えてくれます。現在、車両の内部に立ち入ることはできません。

 実は、私がこのトロリーバスの存在を知ったのは最近のことです。小学生時代から、この二子六丁目や五丁目、隣の坂戸一丁目を自転車で何度も走っていますし、すぐ近くの二子坂戸緑道も通っているのですが、二子塚公園のことは知らないままに過ごしてきました。せっかくのことなので、見ておこうと思い、訪れてみた訳です。

 貴重なトロリーバスの静態保存を見たい、という方のために、簡単な道案内を記しておきましょう。

 路線バスを利用する場合:東急バス溝02・溝03または川崎市バス溝05の南二子バス停が最寄りとなります。小杉駅方面から乗車の場合、このバス停で降りて目の前のセブンイレブン(川崎二子店)の手前にある細い道に入ってください。その道を進んで次の角を右に曲がれば、すぐに二子塚公園に着きます。溝の口駅または高津駅方面から乗車の場合は、南二子バス停で降りて少し手前に戻り、サイエンスパーク入口交差点で交差する道に入り(左折、ということになります)、かながわサイエンスパーク(KSP)の方向へ進みます。すぐに、左側にセブンイレブン(川崎二子6丁目店)、右側にうなぎ割烹みや川が見えますので、そこの四つ角を左折します。少し歩けば、二子塚公園に到着します。

 田園都市線の高津駅から:同駅西口を出て、国道409号(府中街道)を小杉・川崎駅方面に進みます(改札口を出たら左のほう、つまり灰吹屋や亀屋万年堂のほうへ歩きます)。サイエンスパーク入口交差点を右折し、次の交差点(セブンイレブン川崎二子6丁目店とうなぎ割烹みやがわが目印)を左折してください。そのまま進めば、左側に見えます。

 南武線の武蔵溝ノ口駅から:やや離れていますので、バスを使われるほうがよいかもしれません。バスターミナルで溝02に乗り、南二子バス停で降りてください。また、歩いて行く場合は、ペデストリアンデッキを使って溝口中央商店街(ノクティと、カラオケの鉄人やスギザキなどがあるビルとの間の道。右にも左にも回転寿司屋があるので、それらを目印にしてもよいでしょう)に出るのが最もわかりやすいでしょう。この商店街を真っ直ぐ進みます。そうすると二ヶ領用水という川に出ますので、橋を渡ってから右に曲がり、二ヶ領用水に沿って歩いてください(かなり歩きます)。すると、二子塚橋(セブンイレブン川崎二子6丁目店、順風一路という中華料理屋が目印)に出ます。左折して、すぐに右折してください(セブンイレブンの裏のほうへ進む感じになります)。

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溝の口駅のホームドア もうすぐ稼働か

2016年03月24日 08時54分15秒 | 写真

 東京急行電鉄の溝の口駅には、2015年度中にホームドアが設置されることとなっています。但し、第一段階として大井町線用のホームである2番線と3番線に設置され、第二段階として田園都市線用の1番線と4番線に設置される予定です。

 観察などをする機会がなかったのですが、2番線と3番線には、既にホームドアが設置され、稼働を待つばかりとなっていました。

 東急線で最も早くホームドアが設置されたのは目黒線の各駅ですが、その後、東横線の駅で次々と稼働しています(また、池上線と東急多摩川線の各駅ではホーム柵とホームセンサーが取り付けられています)。

 大井町線では、既に大井町駅に設置されていますので、溝の口駅が二例目となります(もっとも、大井町線の正式な区間は現在も大井町~二子玉川であり、二子玉川~溝の口は田園都市線の一部です)。

 溝の口駅のホームの長さは、田園都市線の10両編成に対応するものです。しかし、大井町線の場合は各駅停車が5両、急行が6両となっているため、電車が停まらない部分もあります。手前側を見ると、まだ工事が完了していないのかもしれません。

 大井町線でCS-ATCは採用されているものの、ATOやTASCは採用されていないためか、ホームドアの幅はやや広くなっています。なお、このようにホームドアが設置されている路線にはワンマン運転が行われているところが多いのですが(例、目黒線、東京メトロ南北線、同丸ノ内線、同副都心線、都営三田線)、大井町線については、現在のところ、ワンマン化の話はありません。

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気仙沼線の不通区間、鉄道での再開が断念される

2016年03月21日 11時46分34秒 | 社会・経済

 2015年6月7日の12時34分08秒付で「気仙沼線は鉄道として復旧されるか、それとも完全にBRT化されるか」という記事を投稿しました。そこでも国鉄時代に開業した最後の地方交通線であったことを記しましたが、全線開業までに半世紀を優に超える時間を費やしたものの、終焉はあっけないものとなりそうです。今年(2016年)の3月18日18時48分付で朝日新聞社が「気仙沼線、復旧を断念 JR東のバス輸送提案受け入れ」(http://digital.asahi.com/articles/ASJ3L514DJ3LUNHB013.html)として報じていましたので、ここで取り上げておきましょう。なお、3月6日付の朝日新聞朝刊1面14版に「JR常磐線の全通『20年春まで』目標 気仙沼線はバス固定化へ」という記事が掲載されており(http://digital.asahi.com/articles/DA3S12243849.html)、同朝刊3面14版には「被災鉄路 分岐の未来」という記事〔デジタル版では「被災鉄路、分岐の未来 『大動脈』待ち望む常磐線」(http://digital.asahi.com/articles/DA3S12243787.html)〕が掲載されていますので、参考になります。

 気仙沼線は、石巻線の前谷地駅(石巻市)から大船渡線の気仙沼駅(気仙沼市)まで、73キロメートル弱の路線です。このうち、前谷地~柳津は東日本大震災から約1か月半後に鉄道として復旧したものの、残る柳津~気仙沼の区間は、被害があまりに甚大であったため、復旧もままならない状態が続いていました。JR東日本は、2012年にこの不通区間をBRT区間として「仮復旧」させたのですが、遅くとも2015年の段階で柳津~気仙沼を本格的に鉄道として復旧することを断念する意向を明示しており、地元の自治体なども受け入れる方向を打ち出していました。ただ、気仙沼市は鉄道での復旧を望んでいたようで、これまで同市は回答を保留していました。

 3月18日、気仙沼市はBRT化を受け入れる旨を表明しました。これにより、気仙沼線の柳津~気仙沼は廃止されることになるようです。また、気仙沼で接続する大船渡線の気仙沼~盛もBRT化される方向です(同線の一ノ関~気仙沼は2011年4月に鉄道としての営業を再開しており、今後も存続します)。ただ、線名は変更されるかもしれません。大船渡駅はBRT化される区間に含まれているからです(盛駅の一つ手前です)。

 輸送量、復旧のための費用などを比較検討するならば、鉄道路線の廃止およびBRT化はやむをえない、と言いうるでしょう。 常磐線や仙石線とは、事情があまりにも異なるからです。但し、鉄道路線の廃止が長期的にみて地域にどのような影響を与えるか、という問題は残ります。また、気仙沼線の前谷地~柳津は残るとしても、部分廃止の影響が何らかの形で現れるのではないかと懸念されます。

 

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新橋駅烏森口と言えば

2016年03月17日 08時46分59秒 | 写真

今年の1月30日の午後に撮影したものです。

 新橋駅の烏森口に静態保存されている蒸気機関車、C11の292号機です。戦前に登場したタンク式蒸気機関車で、使い勝手がよかったためか、製造数も多く、活躍範囲も広範にわたりました。現在も動態保存として大井川鐵道、真岡鐵道およびJR北海道で運転されているものがあり、静態保存されているC11もかなり多く残っています。

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名城大学の法科大学院も募集停止

2016年03月13日 10時49分15秒 | 受験・学校

 昨年も法科大学院からの撤退を表明する大学が続出しましたが、2016年になってから、募集停止が明らかになったのは初めてではないかと思われます。

 名城大学の法科大学院が、2017年度以降から学生募集を停止します。中日新聞社が,今日の8時41分付で「法科大学院、名城大が募集停止へ 中部3校だけに」(http://www.chunichi.co.jp/s/article/2016031390084107.html)として報じています。

 これにより、中部地方に残る法科大学院は名古屋大学、南山大学、愛知大学および金沢大学の4校のみとなります。既に信州大学、静岡大学、新潟大学、愛知学院大学および中京大学の法科大学院は募集を停止しています。

 64人の合格者を輩出した名城大学が法科大学院の募集を停止する決断を下したことの原因は、やはり定員割れです。2011年度の定員は40人で入学者は35人となっておりましたが、2015年度の定員は25人で入学者が6人と、4分の1にも満たない数となっています(受験者は10人だったそうですが、これも5分の2という数字です)。これでは改善が見込めないと判断せざるをえません。

 他の多くの法科大学院でも厳しい状況は続いており(おそらく、ここから抜け出すことは不可能であるとまでは言えないまでも、相当に厳しいことでしょう)、これからしばらくの間、さらに撤退を表明する大学が続くものと予想されます。

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あの日から5年

2016年03月11日 08時49分28秒 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は3月11日、金曜日です。5年前、つまり2011年の3月11日も金曜日でした。

 そう、あの東日本大震災の日です。

 被災地では、果たして「復興は進んでいる」と言えるのでしょうか。肯定できる部分もありますが、否定せざるをえない部分も多いことでしょう。そればかりでなく、時間が経過するにつれて、むしろ拡大している問題があるのではないでしょうか。たとえば、安全神話の復活が生じていないでしょうか。

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2016年2月某日、長津田車両工場に集められた1000系

2016年03月11日 00時53分52秒 | 写真

 

 

 

 

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再び、桜新町駅前で

2016年03月07日 23時16分27秒 | まち歩き

 

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