ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

『カフカ断片集』(新潮文庫)に書かれていたこと

2024年06月02日 00時00分00秒 | 本と雑誌

 気になるページに付箋を貼りながら読んでいました。

 これは、「或る意味でそうだ」と納得するとともに、「こうであってはならない」とも思うものです。

 「そう、あらゆる教育は、おそらく2種類に分けられる。

 ひとつは、まだ何も知らない子どもたちが、真実に向かって猛烈に突進していくのを防ぐこと。

 もうひとつは、骨抜きにされた子どもたちを、そっと、気づかれないように徐々に、虚偽へと導いていくことだ。」

 世に様々な教育論が溢れていますが、端的に、しかし見事に、実態を言い当てているのではないでしょうか。

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おしらせです(2024年4月18日)

2024年04月18日 09時00分00秒 | 本と雑誌

 管理人の権限を利用して、おしらせです。

 清文社から、石村耕治編「税金のすべてがわかる現代税法入門塾」、通称「現税塾」の第12版が発売されました。

 私は、この本の第7版から執筆者の一員に加わっています。勿論、この第12版も、です。

 御一読をいただければ幸いです。

 なお、「現税塾」は、私が担当する講義「税法A」(前期、火曜日)、「税法B」(後期、火曜日)、「法学特殊講義2A」(前期、木曜日)および「法学特殊講義2B」(後期、木曜日)の教科書としております。

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お知らせです(2024年4月2日)

2024年04月02日 10時30分00秒 | 本と雑誌

 管理人の権限を利用して、お知らせです。

 ぎょうせいから、月刊誌の「税」2024年4月号(第79巻第4号)が刊行されました(3月29日に、ぎょうせいのサイトで紹介されています)。

 この中の「巻頭言」として、私の「森林環境税の賦課徴収が始まる」が掲載されました。

 一読をいただければ幸いです。

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面白いフレーズ 4

2023年08月07日 22時39分30秒 | 本と雑誌

 ライナスが安心毛布を二つに裂き、一つをチャーリー・ブラウンに分けて言うのが次のセリフです。

 Happiness should be shared!

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榎本博明『教育現場は困ってる 薄っぺらな大人をつくる実学志向』(平凡社新書)

2023年08月02日 00時00分00秒 | 本と雑誌

 タイトルに示したのは、先日、地元で購入した本です。私も大学の教育現場におりますので「そうだよなあ」と思いつつ読んでいました。

 この本で強調されているのが日本語の読解力不足であり、会話偏重の英語の授業です。私は第二外国語の非必修化も懸念すべき事柄であると考えていますが、読解力不足は常に感じており、とくに期末試験の採点の時期に頭痛と腹痛が同時に発生しかねないほどに痛感するのです。アクティブ・ラーニングなどと言われますが、基本が根付いていないのにアクティブ・ラーニングなど無理だと思っているのです。それだけに、榎本氏が「まずは多様な知識の吸収に徹することが大切だ。体系化など考えずに、バラバラでもいいから吸収する。バラバラな方が、後で自由自在に結びつけることができる」と書かれていることには同感せざるをえません。このことは、演習(ゼミ)をやるとすぐにわかります。報告の大前提である知識の吸収ができていないので、演習の報告ができていない訳です。いや、書き方が悪いかもしれませんが、演習(ゼミ)が成立しない場合が少なくありません。

 今回取り上げた榎本氏の本を読んでいて思い出したのが、J.S.ミルの講演です。まともな教育関係者なら、この講演を読んで日本の現状について憂慮せざるをえないはずです。私は、「地域における大学の振興及び若者の雇用機会の創出による若者の就学及び就業の促進に関する法律(平成30年6月1日法律第37号)」という論文において、次のように記しました(原文の脚注は本文に組み込みました)。

 

 ジョン・ステュアート・ミル(John Stuart Mill, 1806-73)は、1867年2月1日のセン ト・アンドリューズ大学名誉学長就任演説において「大学は職業教育の場ではありません。大学は、生計を得るためのある特定の手段に人々を適応させるのに必要な知識を教えることを目的とはしていないのです。大学の目的は、熟練した法律家、医師、または技術者を養成することではなく、有能で教養ある人間を育成することにあります」と述べている〈ジョン・ステュアート・ミル(竹内一誠訳)『大学教育について』(岩波文庫、2011年)12頁〉。

 学校教育を受けたことがなく、大学教員としての経歴もない彼が大学の役割をこのように理解し、表明したことは、彼が幼少時に受けた英才教育、『論理学体系』(A System of Logic, Ratiocinative and Inductive, 1843)、『経済学原理』(Principle of Political Economy, 1848)、『自由論』(On Liberty, 1859)などの古典を著してきたという経歴に由来するものであるにしても、驚嘆すべき事実であり、その慧眼に感嘆せざるをえない。かように高邁な思想は、現代の世界ではもはや通用しないのかもしれないが、こと日本においてはそれが顕著である。竹内洋氏は「いまや大学改革のキーワードが『アカウンタビリティ』(説明責任)や『ステークホルダー』(利害関係者)などの市場経済用語になっているように、大学時代がビジネス文化に侵食されはじめている。覆いつくさんばかりの『商業精神』(ビジネス文明)の自浄作用を担うのは教養教育をおいてほかにないはずである」と指摘する〈ミル(竹内訳)・前掲書173頁〔竹内洋氏による「【解説】教養ある公共知識人の体現者J.S.ミル」〉。

 

 榎本氏も実学偏重に危機感を示しています。これは榎本氏に限らず、大学の講義や演習を担当したことのある者の多くにも共有されていることでしょう。「法律学は実学だろう?」と言われるかもしれませんが、実際に学んでみると、例えば社会科であれば政治、経済はもとより、倫理、地理、歴史についての知識も必要であることがすぐにわかります。分野によっては他の知識も必要になります。教養がなければ薄っぺらい、いや、使い物にならない実学にしかなりません。このように書くのは、私自身が、これまでに身につけてきた教養の薄さを悟っているからです。

 このことは、COVID-19で明らかになったのではないでしょうか。日本の製薬会社は、結局、2020年にワクチンを作り出すことができなかったのです。勿論、歴史的経緯があることを否定する訳ではありませんが、理系の分野でも実学偏重があり、基礎科学が疎かにされてきたためでもあります(そのほうが重いでしょう)。私の前掲論文から引用させていただくならば「大学が高等教育機関としての使命を果たすことよりも、時の政権や経済界の意向に振り回され、産業競争力の強化のための駒に堕するようでは(科学)研究力が低下するのも当然である」のです。

 もう一つだけ記せば、「失われた30年」などと言われ、ITについては後進国ともなることとなった日本の長期低落傾向は、このブログで何度か記し、安藤忠雄氏も口にした成功は失敗のもと」を実証しているように思われます。記憶が定めではありませんが、たしか、野村克也氏は、成功に必然はなく、失敗に偶然はないという意味のことを言われていました。これも、「失敗は成功のもと」よりも「成功は失敗のもと」のほうが妥当性が強いことを示していないでしょうか。野村氏はそのことを理解されていたように思われます。

 私が「成功は失敗のもと」と繰り返しているのは、20世紀後半の高度経済成長の最中に生まれ、1980年代後半のバブル景気とバブル崩壊、そして1990年代以降の「夢をもう一度」を体験しているからです。高度経済成長は、日本を豊かにしましたが、同時に日本の謙虚さなどを失わせたりしたのです。歴史を紐解くと、国の最盛期と言われる時代に衰退の原因の多くがつくられていることもわかります。平家物語の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」は、その直後に中国史の現実が端的に指摘されていることにより、名文であり名言である訳であるのでしょう。

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おしらせです(2023年4月13日)

2023年04月13日 10時00分00秒 | 本と雑誌

 管理人の権限を利用して、お知らせです。

 有斐閣から、ジュリスト1583号・令和4年度重要判例解説が本日刊行されました。

 この中の「行政法4 懲戒処分により停職期間中の公務員が行った同僚等への働き掛けを理由とする停職6月の懲戒処分の適法性」が、私の担当部分です。

 お読みいただければ幸いです。

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興味深い本ではあるけれど、少々気になる

2023年02月06日 00時00分00秒 | 本と雑誌

 先日、池口英司『JR旅客6社徹底比較』(河出書房新社)を購入しました。

 今、読んでいる最中なのですが、気になることがありました。

 この本の78頁に、次のようなことが書かれています。

 「企業のもうひとつの顔ともいえる資本金を見比べてみると、JR北海道が90億円、JR東日本が2000億円、JR東海が1120億円、JR西日本が2261億円、JR四国が35億円、JR九州が160億円(いずれも2020年)となっており、これはどこも堂々たる数字となっている。/ちなみに私鉄最大手となっている近畿日本鉄道のそれは1億円であり、JR6社が鉄道会社として別格であるといえる規模を誇っていることがうかがわれる。」

 まず、引用文の冒頭の意味がよくわかりません。資本金は会社の規模などを知るために非常に重要な情報です。従業員数も非常に大事ですが、資本金と従業員数を「顔」と表現することの意味は何なのでしょうか。

 次に、資本金で言えば、近畿日本鉄道の資本金というのは、おそらく近鉄グループホールディングスの子会社としての近畿日本鉄道の資本金のことでしょう。親会社の近鉄グループホールディングスの資本金は1264億7600万円で、子会社の近畿日本鉄道の資本金は1億円ということのようです。

 また、東京地下鉄株式会社の資本金は581億円ですし、東急電鉄の資本金は1億円ですがその親会社である東急の資本金は1217億2400万円です。もう少し続けると、東武鉄道の資本金は1021億3597万1747円、名古屋鉄道の資本金は1011億5800万円、阪急電鉄の資本金も1億円ですが阪急阪神ホールディングスの資本金は994億7400万円、小田急電鉄の資本金は603億5900万円、西鉄の資本金は261億5729万円です(西鉄の資本金はJR九州より多いということです)。

 その他の大手私鉄については省略しますが、池口氏の記述は、比較の基準なり対象なりがよくわからないものになっています。企業形態、事業内容などからすれば、JR東日本やJR西日本と比較すべきなのは、東急、東武、近鉄グループホールディングス、名古屋鉄道、阪急阪神ホールディングス、小田急電鉄、西鉄なのです。

 (ちなみに、このブログの「存廃問題に揺れる近鉄内部線・八王子線に乗る(その1)」に記したところを再掲しておくならば、2012年3月末日の時点での近鉄の資本金は927億4100万円、東急が1217億2400万円でした。この時点で1000億円を超える資本金を有する私鉄は東急だけでした。)

 中小私鉄とされる鉄道会社でも、例えば富士急行の資本金は91億2600万円であり、これはJR北海道より多いということになります。

 以上のことからすれば「JR6社が鉄道会社として別格であるといえる規模を誇っていることがうかがわれる」とは言えない訳です。むしろ、JR東日本、JR東海、JR西日本は近鉄、東急、東武、名鉄などのような巨大私鉄と同等かそれ以上の資本力であることがうかがわれます。

 企業の力は様々な方面から検討しなければなりません。単に営業キロだけで日本一などと判断してはならず、資本金、輸送人員、輸送密度など、要素はたくさんあります。

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おしらせです(2022年11月24日)

2022年11月24日 14時05分45秒 | 本と雑誌

 管理人の権限を利用して、お知らせです。

 有斐閣から「行政判例百選I」および「行政判例百選Ⅱ」の第8版が11月に刊行されました。

 「行政判例百選I」の「77 公務員懲戒処分と裁量審査」が、私の担当部分です。お読みいただければ幸いです。

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植草甚一日記 1970年

2022年11月01日 16時30分00秒 | 本と雑誌

 先日、古書で『植草甚一読本』(晶文社)を入手しました。

 まだ学部生か院生であった頃に、晶文社から刊行されていた「植草甚一スクラップ・ブック」の『植草甚一日記』を購入し、よく読んでいました。たしか花田清輝氏の解説が付いており、その解説にも書いていたと記憶していますが、読んでいるとやる気になるような何処かを歩きたくなるような、不思議な気分になるものでした。

 『植草甚一日記』には1945年1月1日から8月15日までの日記と、1970年1月1日から12月31日までの日記が掲載されていました。『植草甚一読本』には1970年の日記のみが掲載されていますが、読んでいると、何となく、当時の東京の様子が浮かんでくることがあります。私は1968年生まれなので、1970年といえばまだ2歳、東京の様子を目にしたところで記憶しているはずもないのですが、1970年代後半の記憶が蘇ったのかもしれません。

 大阪万博など目もくれず、東京の神保町、経堂、三軒茶屋、渋谷、六本木など各所へ行き、時には京都などへ足を運んで古本や洋書を漁りまくり、そして原稿執筆に明け暮れる日々が綴られています。こうした生活の様子が当時の若者の人気を集めたというのも理解できます。実際、街を歩く様子を読めば、うらやましくもなるのです。今、古本屋が少なくなっているから、余計にそう感じるかもしれません。

 植草氏の文体は独特で、東京の下町育ちらしい言葉遣いもふんだんに現れながら或る種の気品があるものです。文章というよりは語りに近いと言えるかもしれません。『植草甚一読本』に収録されている「植草甚一自伝」はその典型ですが、ジャズ、映画、英米の文学などに関する文章もそうです。ちなみに、植草氏はピーナツブックス、そう、チャーリー・ブラウンやスヌーピーなどが登場する漫画に、かなり早くから注目し、読んでいたようです。

 時々、日記と銘打った本を買って読むことがあります。公刊する以上、私的な日記ではなくなり、著者の実際から多少とも離れ、脚色されたりして、虚実が入り交じることもあるでしょう。それでも、日記には著者の本音などが示されたりするものですから、読み返して新たな発見があったりするものです。

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面白いフレーズ 3

2022年06月13日 00時30分00秒 | 本と雑誌

 犬と鳥は自分でビタミンCを作ることができるのでしょうか。

 スヌーピーがウッドストックに、次のように言います。

 Human beings cannot manufacture their own vitamin c.

 続けて、

 Neither can Guinea Pigs, Monkeys, an Indian Fruit Fly nor the Bulbul Bird!

 それから、スヌーピーとウッドストックは大笑いします。 

 ウッドストックが何の種類の鳥なのかは結局わからずじまいですが、ビーグル犬は自分でビタミンCを作ることができるのでしょうね。

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