ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

なかなか見られない東急2000系(1)

2011年11月29日 22時22分59秒 | 写真

 田園都市線を通勤路線として利用する私ですが、東急2000系を見る機会は少なく、乗る機会となるとさらに限られます。現在は同線に2編成しか入ってこない東武30000系のほうが、むしろよく見られるでしょう。

 その理由として、東急2000系が3編成しかなく、しかもその全ての編成が東武線に乗り入れないものであることがあげられるでしょう。どうしても運用が限られてしまうのです。東日本大震災後、東武線への乗り入れを中止していた時期には日中にも運用されていたのですが、再開後は、平日の朝夕ラッシュ時に限られる傾向が再び現れています。

 (撮影:2011年9月16日、高津駅4番線)

 2000系は田園都市線の輸送力増強のため、1992年に登場しました。上の写真は第3編成(2003F)で、これだけは翌年、8両編成で東横線に投入され、同年中に10両編成化されて田園都市線に移りました。

 前面のデザインは東横線を走る9000系と同じと言ってもよいほどで、実際、見ただけでは区別がつきません。ただ、屋根の上のクーラーキセの形が大きく異なりますし、モーターの音などは全く異なります。ちなみに、3000系からは集中式冷房装置を搭載しているため、東急で長らく続いてきた集約分散式は2000系で最後となりました。

 (2011年9月16日、高津駅4番線で撮影)

 1枚目が渋谷側1号車のクハ2003、2枚目が中央林間側10号車のクハ2103です。この編成は、最初から方向表示機がLED式でした(フルカラーとなったのは最近です)。残りの2編成は幕式でしたが、LED式に改造されています。

 既にこのブログでも記していますが、来年、東急車輛の車両製造部門がJR東日本に売却されます。初代5000系、日本最初のステンレスカーである5200系、日本最初のオールステンレスカーである初代7000系、日本最初のワンハンドルマスコン採用車である8000系など、東急で活躍してきた多くの車両が東急車輛で製造されただけに(他社でも南海のラピート用である50000系など、名車がたくさんあります)、今後はどうなるのか、非常に気になります。どこかで読んだ記憶がありますが、湘南型も東急車輛のアイディアだったとか。

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法律学の勉強の仕方(とりあえず「その1」)

2011年11月27日 11時59分18秒 | 法律学

 11月25日付で「夕刊のベタ記事だけど」という題の下、法科大学院のことを書きました。私自身、2009年度から、前期だけですが大東文化大学大学院法務研究科の「租税法Ⅰ」という講義を担当してきましたので、あれこれと思うことはあります。先の記事を書いた日、國學院大学生協で「ロースクール研究」という雑誌を買い、第6回新司法試験の解説などを読んでいましたが、法学部以外の学部(または法律学科以外の学科)の出身者にはかなり難しい、高度な解答を求める出題なのではないかと思うのです。

 それとともに、法律学を勉強する際に必要となる用語(専門用語)や言葉(専門用語ではないのですが、法律の条文で用いられる言い回しには一定の決まりがあります)の理解が確固としたものとならなければ、合格答案など到底書けないということも、改めてわかります。法科大学院でこの辺りの学習をしっかり行っているところがあるかどうかわかりませんが、法科大学院の学生の中にも用語や言葉の理解が十分でないと見受けられる人もいるのです(勿論、法学部の学生ならもっとたくさんいます)。

 私の大学院時代の指導教授である新井隆一先生は、日頃「法律学は、言葉の学問である」と言われていました。最初、「何となく理解できるが」というのが正直なところでもあったのですが、1997年から大学の教員として法学教育に携わるようになると、新井先生のお言葉の意味がよくわかってきたのです。法律学は、言語学とは違う意味で言葉の学問です。しかも、法律の場合、言葉が社会を動かします。また、我々の行動を規制します。それだけに、法律学は、或る意味で言語の純粋な機能を追究する学問であるとも言えます。一つだけ例をあげますと、「時」と「とき」では意味が異なります。「時」は或る時点を指し、「とき」は「もし誰々が何々をしたら」というような仮定の意味が含まれます。これは法律の条文で用いられる使い方で、法律学も立法実務も当然の前提として使っています。おそらく、日本語を純粋の方向に分析していくとこのような使い方となるでしょう。学校の国語教育や文学などでは全く身に付かないものです。このようなことを理解しなければ、条文を読むことはできません。法学部では一年生の段階で学ぶはずですから、法学部を卒業した法科大学院生なら理解していて当たり前なのですが、法学部以外の出身者は慣れていないでしょう。答案で使い分けをしなければ「基本的なところが理解できていない」として大きく減点の対象となりえます(文章の意味が変わるか通らなくなるかのどちらかになるからです)。

 法科大学院では、先の記事でも記しましたように判例中心、ケーススタディ中心というのが一般的でしょう。しかし、これには大きな落とし穴があります。判例は一つの題材にすぎません。日本は判例法の国ではないですし、判例は重要ですが判例だけで動くものでもありません。それに、学部のゼミで痛感していますが、一定の前提知識がなければ、判決を読解することなどできませんから、ケーススタディは、基礎的な部分の学習を終えてからでないと効果がありません。算数や数学の勉強と同じで、いきなり文章題を解くのは難しいのです。それでは、基礎的な部分の学習とは何かと言えば、結局は言葉の意味、用語の正確な理解ということになります。それから、法律学で多用される概念の理解です。行政法で言うならば、行政行為、法規命令、行政規則などの概念の定義、機能などです。

 おそらく、いかなる学問でもそうでしょうが、言葉、とくにその厳密な使い方は非常に重要です。単純なわかりやすさとは程遠いところにありますが、正確さのために不可欠です。まして、社会を動かすような機能を有する法律を対象とする学問の場合は、いっそう必要となります。

 もし、法科大学院で、とくに未修者のための「法律学」などの科目を置いていないところがあれば(いや、そのほうが多いかもしれませんが)、これはかなり大きな問題です。法曹や公務員(言うまでもなく、裁判官および検察官も公務員です)に必要な前提知識がないままに法律学を身につける訳です。土台があやふやな所に高層ビルを建てるようなもので、使い物になりません。

 同じことは、法学部についても言えます。実は、私が中央大学法学部法律学科の学生であった頃、「法(律)学入門」あるいは「法学」というような講義がなかったのです。そのために非常に苦労しました。しかも、当時売られていた「法学」の本は、著者によって中身がバラバラで、あまり役に立たなかったような気がします。後に大学教員となって、法学の講義を担当することとなり、大いに慌てたくらいです。その頃にようやく法制執務の入門書を手に入れ、理解などに非常に役立ったことを思い出します。

 今回は、肝心の中身にあまり入らずに終わります。この先、「法律学の勉強の仕方」として、あれやこれやのことを記していきたいと思います。1997年度から2003年度まで大分大学教育学部(教育福祉科学部)で、2004年からは大東文化大学法学部で法学教育に携わり、2011年度から「現代社会と法」という1年生向けの必修科目を担当する私の、まさに私的な雑文としてお読みいただければ幸いです。

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夕刊のベタ記事だけど

2011年11月25日 11時16分57秒 | 法律学

 今週火曜日(11月22日)の朝日新聞夕刊2面4版に、「大学改革へ協議会」という小さな記事が掲載されました。見落としそうなくらいのベタ記事なのですが、仕事柄というべきか、非常に気になりました。中身は法科大学院の話なのです。

 平成16年度から法科大学院における法学教育が開始され、全国に74の法科大学院が設置されました。その2年後、平成18年に新司法試験が開始されました。しかし、合格率は当初から期待を裏切るほど低く、しかも年々悪化しています。当初は、(うろ覚えですが)旧司法試験の合格率が1桁台(パーセントで)ということで、少なくとも5割以上の合格率が想定されていたはずのですが(違うかもしれません)、蓋を開けてみたら、最初の年である平成18年が50パーセント弱、翌年が約40パーセントと年々落ち込み、平成21年から30パーセントを切り、2割台となっています。勿論、これは全体の数字なのですが、法科大学院によって率にかなりのばらつきがあります。そして、上位校でも5割台というところで、下位校ですと1桁台、どうかすると0パーセントの所もあります。中位や下位の学校では定員割れも起こっており、何年か前に姫路獨協大学が撤退の方針を明らかにした他、今年になって桐蔭横浜大学の法科大学院と大宮法科大学院大学とが統合すること(実質的には大宮法科大学院大学を桐蔭横浜大学が吸収合併する)も発表されました。

 法科大学院構想が議論された頃、私は大分大学教育福祉科学部の助教授で、大分県で法科大学院構想を持ち上げた所はなかったということもあり、正直に言えばよくわからなかったのですが、「またアメリカの真似か? また失敗するんじゃないか?」と思っていました。その後、大東文化大学法学部に移り、平成21年度からは大東文化大学大学院法務研究科(法科大学院)の講義も担当するようになりましたが、色々と考えさせられるところがあります。判例中心、ケーススタディ中心というのが一般的でしょうが、実はこれについて大きな問題があることを実感しているのです。

 もう一つ、大分大学時代に思ったことは、司法改革全体を見ると、かたや法科大学院、かたや裁判員制度で、双方が大きく方向性を異にしており、矛盾を否定しえないことです。単純に言えば、専門性の問題です。かたや高度な専門家の要請、かたや民主主義の観点(?)から非専門家の裁判への参加です。正反対の話が同時に進行する訳です。どの方向へ進むのかが全くわかりませんから、矛盾は避けられませんし、こうなるとどちらかは必ず失敗します。

 もっとも、法科大学院についても裁判員制度と同じ観点がなかった訳でもありません。当初、法科大学院の場合、法学部以外の学部を卒業した者にも法曹への道を大きく開くということが言われていました。たしかに、旧司法試験の場合、法学部に在籍して専門的な学習を積み重ねなければ合格できなかったのですが、実は旧司法試験の下でも他学部出身の合格者は出ていました。誰でも受験できるという点では旧司法試験のほうが門戸を広く開放していたのです。しかし、新司法試験は基本的に法科大学院修了者のみが受験できますから、かえって入り口が狭められたという点も認めざるをえないのです。

 上記朝日新聞夕刊の記事によると、文部科学大臣が「大学教育改革について話し合う協議会を設置する」ということで、法科大学院だけの話ではなさそうですが、法科大学院は一つの焦点となるでしょう。即座に廃止するということはないかもしれませんが、今年から始まった予備試験との関係もありますから、慎重な検討が望まれるところです。

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晩秋の高島平遊歩道

2011年11月23日 20時32分25秒 | まち歩き

11月23日は勤労感謝の日ですが、毎年、この日、私は出勤しています。

 今日は久しぶりに、三田線経由で出勤しました。西台駅西口から大学に向かう途中、三田線に沿うように遊歩道が伸びています。木々をみると、改めて晩秋であることを実感します。

 今年の夏、何故か池に水がなかったのですが、今日はありました。枯葉が浮いています。

足元にも枯葉が……。

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来年にはなくなる? 東横線渋谷駅(続)

2011年11月22日 23時53分03秒 | 写真

 10月29日に掲載した「来年にはなくなる? 東横線渋谷駅」の続編です。

 東横線渋谷駅南口です。この写真を撮影したのは2010年6月4日のことで、当時は右側にアートコーヒーがありました。現在は別の店が入っています。結婚する前、國學院大學での仕事の日によく利用しました。この改札口からであれば、学03系統のバス停がすぐそばですし、並木橋方面や桜丘町方面に向かうにも便利です。

 東横線の案内表示は、御覧のようにTV画面のようになっています。非常にわかりやすいものです。少なくとも関東では、様々な意味で東横線渋谷駅の案内が最もわかりやすいと思われます。

 この南口改札の難点は、何と言っても階段の狭さです。電車が到着すると、あっという間に階段が人であふれてしまいます。東横線の場合、1番線以外は乗車と降車が別のホームなのですが、それでも人であふれてしまいます。これを頭に入れておかないと、電車に乗り遅れます。

 どこから電車が出発するかわからないような駅は、とくにJRに多いのですが、東横線渋谷駅の場合は非常にわかりやすくなっています。平日の日中ですと、3番線から特急が発車→1番線から各駅停車が発車→2番線から急行が発車→4番線から各駅停車が発車、となっています。通勤特急が運行される時間帯にはこのパターンが少しばかり崩れますが、それでも特急、通勤特急、急行が1番線や4番線から発車することはありません。

 特急が運行されるまでの時期はもっとわかりやすく、2番線は急行と決まっていました。2番線から急行が発車→3番線から各駅停車が発車→4番線から各駅停車が発車、というパターンだったのです。

 幼い頃から、東横線の渋谷駅を利用してきました。QTOなども利用したりしました。それだけに、副都心線への乗り入れ開始とともに地上2階の渋谷駅がなくなるのも寂しいものです。

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森林公園でのヒトコマ

2011年11月16日 07時41分16秒 | まち歩き

 埼玉県比企郡滑川町にある森林公園(国営武蔵丘陵森林公園)でのヒトコマです。

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今年8月24日に大阪高等裁判所が出した決定は、今後の判例になるのか?

2011年11月14日 19時20分47秒 | 法律学

 以前、私のホームページに設けている掲示板「ひろば」にも書いたことですが、今年(2011年)の8月24日、大阪高等裁判所が民法900条第4号について違憲判断を下しました。私が仕事で利用するLEX/DBにはまだ概要しか掲載されていませんが、決定(判決ではありません)を読んでみたいものです。

 この決定は、10月4日の朝日新聞朝刊1面14版に掲載された「婚外子の相続差別『違憲』 大阪高裁 家族観の変化指摘」という記事で取り上げられています。1ヶ月以上経ってから新聞で取り上げられたのは何故か、という点も少しばかり気にはなりますが、やはり、正面から違憲という判断を下したことが重要でしょう。また、原審の大阪家庭裁判所も違憲の判断を示していますし、最高裁判所への特別抗告がなされず、大阪高等裁判所の決定が確定しているのです。今後、少なくとも家庭裁判所や高等裁判所のレベルでは判例になるのではないかと思われるのです。但し、合憲判断も出される可能性があります。

 民法第900条第4号の合憲性は、かなり前から問題となっていました。私が中央大学法学部法律学科の学生であった頃、憲法学の教科書には書かれていなかったのですが、親族法・相続法の教科書には、この問題に関する記述があったと記憶しています(記憶違いかもしれません)。1995(平成7)年7月5日、最高裁判所大法廷は民法第900条第4号を合憲とする決定を出しました。この時、反対意見もついていました。その後も最高裁判所などで合憲の判断が続いていましたが、必ず反対意見が付されていました。また、法制審議会もこの問題を取り上げていたはずで、嫡出子と非嫡出子との区別(差別)を撤廃する趣旨の案を示していました。しかし、事が親族法であり、家族のあり方に直結しますので、論理だけでスッキリと解決できる訳ではありません。おそらく、現行の民法第900条第4号に何の問題もない、という意見もあるでしょう。むしろ、嫡出子と非嫡出子とで相続分の違いがないとすれば家族の意味がどうなるのか、ということにもなるかもしれません。

 民法第900条第4号は、昨年にも話題を呼びました。或る事件で、やはりその規定の合憲性が争われたのですが、最高裁判所は上告を受理した後、事件を大法廷で審理することを決めました。これには大きな意味があります。裁判所法第10条は、次のように定めています。

 「事件を大法廷又は小法廷のいずれで取り扱うかについては、最高裁判所の定めるところによる。但し、左の場合においては、小法廷では裁判をすることができない。

  一  当事者の主張に基いて、法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを判断するとき。(意見が前に大法廷でした、その法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するとの裁判と同じであるときを除く。)

 二  前号の場合を除いて、法律、命令、規則又は処分が憲法に適合しないと認めるとき。

 三  憲法その他の法令の解釈適用について、意見が前に最高裁判所のした裁判に反するとき。」

 1995年の合憲決定が判例となっているにもかかわらず、大法廷で審理するということは、判例変更の可能性が高いということです。ところが、続報がなかったのでした。これは当事者が和解したことによります。判決を待たずして事件が解決した訳です。

 最高裁判所の判例が下級裁判所によって変更されるということは、おそらく想定されていないでしょう。しかし、2010年に大法廷での審理入りが予定されていたという事実を忘れることはできません。最高裁判所が自らの判例を変更する可能性は高かったのです。その意味では、既に判例変更の動きは見られたこととなります。

 なお、この問題については、次の記事もお読みください。

  http://blog.goo.ne.jp/compasso_2010/e/627fa822a8780cfc119f323019ea46ec

 私は、1997年度から2003年度までの7年間、大分大学教育福祉科学部で憲法の講義を担当していました。それだけに、憲法問題には目を向けざるをえません。

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東急8500系8637F(青帯車)

2011年11月13日 23時44分43秒 | 写真

 現在も田園都市線・半蔵門線で活躍する8500系は、東急で唯一のローレル賞受賞車ですが、10年以上の間に400両が製造されただけに、様々なタイプが存在します。今回は青帯車を取り上げます。

 一時はVVVF制御車を中間に挟み込んでいたことでも知られる8637Fです(上の写真ではデハ8537が先頭となっています)。

 東急のステンレス車で最初に赤帯を巻いたのが8500系ですが(但し、正面のみ)、この8637Fは青帯です。元々はTOKYU CABLE TV号として走っていたためで、デハ8537とデハ8637にはTOQ BOX号と同じように水玉模様のシールも貼られていました。また、車内の広告はすべて東急ケーブルテレビ(現在のイッツコム)のものでした。

 なお、上の写真は2011年3月5日、高津駅で撮影したものです。

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横浜市発行の屋外広告物設置許可証がこんな所に貼られていた

2011年11月12日 22時49分20秒 | 法律学

 今日、仕事のための材料を仕入れるために方南町へ行きました。その帰り、田園都市線に乗り、桜新町で急行の通過待ちをするために電車から降りてみたら、こんなものが貼られているのを見つけました。

 横浜市の屋外広告物設置許可証です。私が乗っていた東武50050系の先頭車両の、乗務員室の扉のそばに貼られていました。

 実は、この編成には東武伊勢崎線沿線のマンションの広告が貼られています。最近あちらこちらでみられるラッピング電車です。これは勿論、広告のために貼られるのですが、屋外広告物となり、規制の対象となります。そのためもあって、ごく最近まではあまり走っていなかったのです。最近は、多少とも規制が緩和されて増えましたが、今でも規制の対象です。普段走っている電車で行政法の勉強をすることができる、ということの好例でもあります。

 横浜市屋外広告物条例の規定を、ここでいくつか紹介しましょう。第1条はこの条例の目的を次のように定めています。

 「この条例は、屋外広告物法(昭和24年法律第189号。以下「法」という。)に基づき、屋外広告物(以下「広告物」という。)の表示及び広告物を掲出する物件(以下「掲出物件」という。)の設置並びにこれらの維持並びに屋外広告業について必要な規制を行い、もって良好な景観を形成し、若しくは風致を維持し、又は公衆に対する危害の防止を図ることを目的とする。」

 電車に貼られていた屋外広告物設置許可証に関連する規定のひとつが第2条で、第1項は「本市内において広告物を表示し、又は掲出物件を設置しようとするときは、市長の許可を受けなければならない」と定め、第2項は「前項の許可には、良好な景観を形成し、若しくは風致を維持し、又は公衆に対する危害を防止するために必要な条件を付けることができる」と定めています。

 許可の申請については、第9条に規定があります。第1項は「第2条第1項及び第7条第2項の規定により許可を受けようとする者は、規則で定める許可申請書正副2通を作成し市長に提出しなければならない」、第2項は「許可の期間は、3年をこえることができない」と定めています。また、申請に際しては手数料を支払わなければならず(第11条)、電車やバスについては1台につき1500円とされています(別表)。上の写真の電車は10両編成ですので、15000円が必要となります。

 前後しますが、ラッピング電車やラッピングバスに貼る広告には規格があり、これについては第8条第1項で「市長は、次の各号に掲げる広告物の形状、規模、色調その他表示の方法又は掲出物件の形状その他設置の方法について、規則で規格を設けることができる」と定められています。その第4号が「電車、自動車等の外面を利用するもの」です。詳しくは横浜市長が定める規則を参照する必要がある訳で、第8条第2項は「前項各号に掲げる広告物を表示し、又は掲出物件を設置しようとするときは、前項の規定により規則で定める規格に従わなければならない」と定めています。

 その他の規定については、次のアドレスからアクセスしてみてください。

  http://www.city.yokohama.jp/me/reiki/honbun/g2020879001.html

 実は、写真をよく見ていただければおわかりになると思いますが、この電車には他の地方公共団体による屋外広告物設置許可証も貼られています。一番わかりやすいのが横浜市のものでした。

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東京急行電鉄8500系8614F

2011年11月10日 00時01分40秒 | 写真

 〔以下は、「待合室」の「別室23」として、2011年4月8日に掲載したものです。一部、文章を修正しております。〕

 以前、「待合室」の別室20(このブログでは2011年11月9日付の記事)で東急8500系8606Fを取り上げました。少なくともデハ8506(下り側の先頭車)とデハ8606(上り側の先頭車)は、現在も田園都市線で走る8500系の車両の中では最も古い車両であり、ほとんどの編成がLED式の行先表示機に変更されている中で方向幕を維持しているという点で、デビュー当時の面影を色濃く残しています。

 しかし、8500系は東急で最も多く、かつ長く製造された形式です。それだけに、よく観察すると様々なタイプが存在します。また、8614F、8634F、8637Fは特別な色の帯をまといましたし、大井町線用の5両編成(8638F~8641F)は同線のラインカラーであるオレンジも入った帯をまとっています。これらの中で、8614Fと8637Fは、赤系ではなく青系の帯をまとっているという点で、田園都市線の中でも目立ちます。どちらも、田園都市線を通勤用などとして利用する私であってもなかなか機会がありません。とくに、8614Fを見る機会には恵まれず、従って撮影の機会もなかったのです。2011年4月5日、たまたまその編成に乗ることができたので、今回は8500系8614Fを取り上げることとします。全て、同日、渋谷駅で撮影しました。

 田園都市線内は各駅停車でしたが、東武伊勢崎線・日光線への直通電車は全て急行か準急となりますので、渋谷で種別が変わります。田園都市線の場合、東横線、大井町線および目黒線と異なり、各駅停車の場合には何の表示もされません。渋谷に到着後、向かって左の種別案内機の表示が急行に変わりました。

 東急8500系のうち、1編成のみ、8614F(上の写真は下り側のデハ8514)は、伊豆急行のカラーに変更されています。東急系である伊豆急行の宣伝のための編成です。2年前にも見たことがあるのですが、それ以来のことでした。

 前面には「早春の伊豆」と書かれたステッカーが貼られています。これは時期によって貼りかえられているようで、最初は「伊豆の夏」であったと記憶しています。また、何も貼られていない時もありました。

 8500系の側面は無塗装が基本ですが、この8614Fは側面にも伊豆急のカラーが帯として入っています。また、伊豆急の宣伝、伊豆半島にある各市町村の宣伝のステッカーが貼られています。しかし、車内の広告は普通の編成と変わりません。何年か前まで田園都市線および東横線に走っていたTOQBOX号(田園都市線では8500系8634F)は、車内の広告が一社に統一されていたのですが、最近はそのような編成がなくなりました。

 ここ数年、首都圏のどこの鉄道路線を利用しても、中吊り広告を筆頭に車内の広告が減少しています。とくに、東日本大震災により、本来であれば広告が貼られているはずのスペースに空きが目立っています。

 8500系が1975年にデビューしてから、早いもので36年が経ちます。このデハ8514(デハ8500形)も1975年、東急車輌で製造されています。客室内には、乗務員室の扉の上にローレル賞受賞のレプリカが貼られています。

 出発時刻になり、渋谷駅を出発しました。東武日光線の南栗橋まで走ります。半蔵門線内は各駅に停まりますが、押上から東武伊勢崎線に入ると、曳舟、北千住、西新井、草加、新越谷、越谷、せんげん台、春日部、東武動物公園の順に停まります。東武動物公園から日光線に入りますが、日光線内は各駅に停まります。久喜行も同様で、東武動物公園から久喜までは各駅に停車します(その途中の駅は和戸しかありませんが)。また、準急は、新越谷から先は各駅に停まります。

 日中、東武線直通としては南栗橋行、久喜行のどちらかが来ますが、時間帯によっては東武動物公園行、北越谷行も来ます。東日本大震災の後、4月1日まで東武線直通の運転はなかったのですが(東武30000系、50050系も入線していません)、2日から再開しています。

 今回のテーマからは外れますが、田園都市線の新主力、新5000系も取り上げておきましょう。今回は5112Fです(写真はクハ5000形の5012です)。

 新5000系は、当初から東京メトロ半蔵門線、東武伊勢崎線・日光線に直通運転ができるようになっています。上の写真では31Kという運用番号の表示で、急行の南栗橋行きとなっています。

 初期の編成は行先表示のみLED方式で種別表示は幕式でしたが、東横線用の5050系が種別表示にフルカラーのLEDを採用した頃から、5000系にもフルカラーのLEDを採用した行先表示機が搭載されました。上の写真では、デジタルカメラのせいなのか、ただ赤い光が発せられているように見えますが、白い字で「急行」と書かれています。

 5000系と言えば6扉車です。これも全ての編成に入れられている訳ではありませんが、先頭車に「6DOORS」と書かれたステッカーが貼られていれば、4号車、5号車、8号車が6扉車です。

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