ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

二子玉川駅で

2015年04月29日 18時05分51秒 | 写真

今日(4月29日)、用があって二子玉川駅へ行ったら、改札口の前でイベントが行われていました。

 東急線沿線にお住まいの方ならおわかりでしょう。東急線のマスコットキャラクター、「のるるん」です。2002年から田園都市線で運転が始められた5000系がモティーフにされています。

 電車を擬人化しただけに、頭にはパンタグラフが載せられています。しかし、5000系はシングルアーム形パンタグラフを載せているのですが、何故か「のるるん」のものは8500系などの菱形パンタグラフです。デザインの都合などによるのでしょうか。

 

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秋田内陸縦貫鉄道の路線を維持することはできるか

2015年04月26日 13時18分21秒 | 社会・経済

 2014年10月16日から2015年4月19日まで毎日投稿しましたが、一週間ほど休みました(勿論、仕事はしています)。これからしばらくの間、一週間に一度程度を目処にしようかと考えています。

 たまたま、秋田魁新報社のサイトで4月24日付の「社説:赤字の秋田内陸線 路線維持、広範な議論を」(http://www.sakigake.jp/p/akita/editorial.jsp?kc=20150424az)を見つけたので、一週間ぶりに書いてみようと思い立ちました。以前から存続か廃止かが議論されている鉄道路線の一つで、全国のローカル線、とくに第三セクターの路線が抱える問題が改めて浮き彫りにされているためです。

 秋田内陸縦貫鉄道は、北秋田市に本社を置く第三セクター会社です。同社の公式サイトによれば、創立は昭和59年10月31日、営業開始は昭和61年11月1日です。上位株主は秋田県、北秋田市、仙北市、秋田銀行、北都銀行、東北電力、社団法人北秋田建設業協会、社団法人秋田県仙北建設業協会、秋田商工会議所、田沢湖高原リフトですが、比率などは全く示されていません。そこで秋田魁新報社説に戻れば、秋田県、北秋田市および仙北市が合わせて80%ほどを出資しているとのことです。

 鉄道以外の事業も行っているとのことですが、やはりメインは鉄道で、秋田内陸線という、鷹巣~角館の94.2kmの路線を営業しています。元々、鷹ノ巣(国鉄→JR東日本の駅名表記)~比立内の国鉄阿仁合線、角館~松葉の国鉄角館線を受け継ぎ、鉄建公団が建設していた比立内~松葉を引き継いだ路線です。角館線が第一次特定地方交通線、阿仁合線が第二次特定地方交通線でしたので、利用客が少ないことは当初からわかっていたのでしょう。ただ、鷹巣~角館は大正時代の鉄道敷設法別表第13号に登場する路線であったため、赤字路線であっても建設が進められてきたのでした。この鉄道敷設法という法律こそが全国の赤字ローカル線問題の元凶とも言える点には留意しておく必要があるでしょう。

 秋田魁新報の社説によれば、秋田内陸縦貫鉄道の2014年度経常赤字は2億円を超えており、これは3年ぶりのことです。2010年、秋田内陸縦貫鉄道、秋田県、北秋田市および仙北市はいわゆる四者合意を行っており、秋田内陸縦貫鉄道の赤字を補填するために秋田県、北秋田市および仙北市が毎年合計2億円を拠出することとしています。この2億円というラインを超えないことが、秋田内陸縦貫鉄道の経営目標とされているようです。

 社説には書かれていませんが、秋田内陸縦貫鉄道については、以前にも存続か廃止かで議論がなされました。2008年には当時の秋田県知事、北秋田市長および仙北市長が、2012年まで存続させることで合意をしています。2012年を迎えて存続が決まったのは、赤字が2億円を下回ったからで、上記の経営目標は一応達成されたと判断されたのです。しかし、これは秋田内陸線を走っていた急行「もりよし」号を2両編成から1両編成に減らしたこと、および、普通列車を減便したことによるものです。

 現在の秋田内陸線の状況からして、今後、再び赤字額を減らして存続することは難しいのではないかと考えられます。社説では「そもそも赤字が続くようでは会社は生き残れない。秋田内陸縦貫鉄道はその重みをいま一度かみしめ、一層の経営努力をしてもらいたい」と書かれていますが、それほど簡単な話でもないでしょう。この種のニュースとなると必ず「経営努力」が叫ばれますが、その必要性が認められることは当然としても(例えば、現業従業員の人件費はカットしても、天下りなどの役員の人件費をカットしなかったり、カットしていたとしても不十分であったりしたのでは、お話になりません。従業員の人件費を確保して役員の人件費をカットするほうが、はるかに理にかなっています)、社会情勢を抜きにしては語れません。第三セクターに固有の問題も様々ですが、ここでは議論の対象から外して考えていきます。

 まず、秋田内陸線には29の駅がありますが、このうち社員配置駅(有人駅)は3つだけであり(鷹巣駅、阿仁合駅および角館駅)、委託駅が3つある(合川駅、米内沢駅および阿仁前田駅)ほかは全て無人駅です。委託を解除して全て無人にするくらいしかできないでしょう。現在の社員配置駅を見直すということも考えられますが、乗降客数の他、いくつかの要素を考え合わせて決めるしかないはずです。

 駅の数を減らすことも検討に値するかもしれません。典型的な例はJR北海道で、函館本線、宗谷本線、石北本線などの路線にある、乗降客数がゼロまたは僅少である駅を廃止しています。逆にこれが上手くいかなかったことの例が、2006年4月に廃止された北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線で、2000年頃に様舞駅および薫別駅を廃止しようとしたところ、地元の反対を受け、結局は廃線時まで存続したのですが、利用客は増えなかったようです。

 ダイヤ改正でいっそうの減便を進めるという手もあります。2012年度に赤字額が減少したのもこの方法によるところが大きかったのでした。秋田内陸線の営業区間が長いだけに、経費がかかることは否めませんから、経費削減を目指すのは理解できます。しかし、減便は一時的な効果しか持たないでしょう。利便性も落ちますし、収入を得る機会も減ります。国鉄末期の赤字ローカル線の多くに見られたように、利用したくともできないようなダイヤでは最初から沿線住民などの選択肢に入りません。

 他に、青い森鉄道のように上下分離方式を採用する手もあります。問題は秋田県などの財政状況ですが、本気で存続を考えるなら選択肢に入ります。線路施設などを秋田県などが保有すれば、秋田内陸縦貫鉄道は固定資産税などの負担をしなくて済みます(現在の状況についてはよくわかりませんが)。このようにすれば、2億円とまでは行かなくとも、一定の金額を県や市が拠出するのと結果的に同じような効果がもたらされることも考えられます。

 しかし、どれほど「経営努力」を行っても、秋田内陸線の存続は難しいものと思われます。残念ながら、今後何年かの間に廃止することも検討せざるをえなくなることでしょう。

 そもそも、秋田県全体の人口が減少しています。朝日新聞社が4月25日3時付で「秋田)県人口、戦後初めて103万人割れ」(http://www.asahi.com/articles/ASH4S5F1ZH4SUBUB00V.html)として報じているところによれば、同県の2015年4月1日現在の人口は102万7091人で、2014年4月1日時点の人口より13673人減少しています(率にして1.31%)。2014年6月に104万人台を割り込み、今年になってから103万人台も割り込んだ訳です。同記事に書かれているところによれば、自然動態(出生数から死亡数を引いた数)は−8960人、社会動態(転入数から転出数を引いた数)は-4713人で、今年3月には転出者が6379人、このうち秋田市については1534人でした。あと2年か3年で100万人を下回る可能性も出てくる状況です。

 人口が減少すれば、モータリゼイションの進行云々に関わりなく、鉄道の利用者は減少します。秋田内陸線の利用客は、比立内~松葉が完成し、阿仁合線(秋田内陸北線)、角館線(秋田内陸南線)を統合して秋田内陸線として全線開業した1989年度がピークで107万人でした。1年間でこの数字ですから、粗い計算をすると一日あたりの利用客数は約2932人です。その後は一貫して減少し、2013年度には33万人(一日あたりで約904人)となりました。2014年度については4月から12月までの分しかわかりませんが、25万人余であったとのことです。

 鉄道事業の収入のうち、特に重要とされるのが定期券利用客数です。大手私鉄も含めて全国的に定期券利用客が減っているとのことですが、中小私鉄(多くの第三セクター鉄道もここに分類されるべきでしょう)では非常に深刻です。モータリゼイションの進化・深化は容易に想定できますので、これを頼りにすることはできないでしょう。そうなると割安な通学定期券利用者に頼るしかないのですが、少子高齢化で高校生(など)の数が減少しています。また、秋田内陸線の場合、かなり曖昧な記憶ですが、或る殺人事件がきっかけとなって小学校などで鉄道利用からスクールバス利用に切り替えられたという話があったはずです。

 秋田魁新報社の社説では「観光利用も思うように伸びていない」と書かれていますが、これも当然のことでしょう。首都圏や京阪神地区などであれば別ですが、多くの地方では、せっかくの観光地でも公共交通機関を利用しづらくなっています。私自身、7年間も九州は大分県に住んでいた経験を持っていますから、この点はわかります。自家用車を利用して訪れることが前提となっていますから、遠方より訪れたくとも難しいのです。外国からの観光客など、一定のツアープランを組んで貸し切りバスを利用するなら行きやすいでしょうが、そうでなければ面倒なだけです。公共交通機関が存在しない地域もあるでしょうし、存在するとしても貧弱で、利用しづらいのでは、自家用車利用の日帰り客しか見込めません。

 〔ついでに記しておきます。秋田内陸線の時刻表を参照してみると、角館駅からの上り(鷹巣方面)列車は10本で、朝は6時59分発(阿仁合行き)の次が9時23分発(鷹巣行き)となっており、13時58分発(鷹巣行き)の次が16時48分発(鷹巣行き)となっています。また、鷹巣駅からの下り(角館方面)列車も10本で、朝は7時5分発(角館行き)に始まりますが、9時台、11時台、13時台および15時台の列車がありません。〕

 既に秋田県、北秋田市および仙北市は、秋田内陸縦貫鉄道の存続に50億円以上という金を費やしています。問題はここからで、多額の「公費」が投じられているからには、それなりの効果が求められることとなります。抽象的にお題目を唱えるだけでは意味がない訳で、具体的な需要がないのであれば、廃止するのが筋である、ということにもなるでしょう。秋田魁新報社の社説によれば、2014年12月に、秋田県議会に設けられた「第三セクター等の経営に関する調査特別委員会」が報告書をまとめており、秋田内陸線については「地元の熱意を見極め」た上で、成果がなければ廃止などを検討すべしと述べているようです。そして、抽象的なお題目の下に「公費」の投入を続けていても秋田県民の理解を得ることができないという趣旨の指摘も行っています。

 そして2015年度に、秋田県は沿線住民の3000人に対してアンケート調査を行うことにしています。結果次第では廃止ということにもなるでしょう。ただ、こうなると、公共交通機関空白地帯が出現することも考えられ、地域の荒廃がいっそう進むことにもなりかねません。

 他方、これは「炎上」覚悟で申し上げますが、「地元の熱意」をどこまで考慮すべきであるかということについても疑問が残ります。これまでの路線存廃論議でも「地元の熱意」が実を結び、存続が決まったという事例があります。その中には、運営会社、地元住民などの「熱意」や努力によって利用客が増えた路線もあるでしょう。しかし、存続が決まってから「地元の熱意」が急速に冷めることも考えられます。そうなると、路線の危機はいっそう深刻になるばかりで、手も付けられない状況になることでしょう。アンケート調査でどのように「地元の熱意」を汲み取るのか、そもそもどのようにして「地元の熱意」を測るのかが問われます。

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市ヶ谷駅周辺(2)

2015年04月19日 21時02分38秒 | まち歩き

今回も市ヶ谷駅周辺です。

 

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市ヶ谷駅付近(1)

2015年04月18日 23時51分31秒 | まち歩き

 2010年11月から六番町にある地方自治総合研究所「地方自治関連立法動向研究会」のメンバーとして、そして今年の4月からは市谷田町にある中央大学大学院公共政策研究科兼任講師として、市ヶ谷駅周辺に行くことが多くなっています。もっとも、私は、通常、地下鉄有楽町線を使うので、向かう場所によって市ヶ谷駅と麹町駅を使い分けています。最近は半蔵門線半蔵門駅から歩くことも多くなりました。

 市ヶ谷駅はJR中央本線、東京メトロ有楽町線・南北線、都営新宿線の駅ですが、JRと都営地下鉄の駅は千代田区に、東京メトロの駅は新宿区にあります。区界をなすのが外堀で、南側が千代田区、北側が新宿区です。

 外堀通りは新宿区側を通っています。駅の近くで靖国通りと合流し、少し進むとすぐに分岐します。中央本線に沿って進むのが外堀通りで、四谷のほうへ向かいます。雪印メグミルクの本社は本塩町にあり、市ヶ谷駅前にかかる橋からもよく見えます。

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閉館後の東急プラザ渋谷

2015年04月17日 09時26分32秒 | まち歩き

4月になり、新学期となりました。2015年度も、非常勤講師として国学院大学法学部で行政法の講義を担当します。

その初日は4月10日でした。田園都市線渋谷駅を降り、西口を歩いたので、閉館後の東急プラザを撮影してみました。

 ここがオープンしたのは1965年のことです。それ以来、2015年3月22日まで営業を続けてきました。「もうじき閉館」では記さなかったのですが、東急プラザは東急不動産の系列にあり、かなり広い範囲にわたる業種のテナントが入居していました。地下1階には新鮮市場という名称で魚屋、乾物屋などが入っており、ここだけが他の階とは全く異なる雰囲気を持っていましたし、8階には病院なども入居していました。6階から8階までには一度も行ったことがないままに終わってしまいました。

 東急プラザの第1号は自由が丘で、現在は自由が丘東急ビルとなっています。また、藤沢にあった東急プラザには、東急ハンズ第1号の藤沢店も入っていました(東急ハンズも東急不動産の系列にあります)。最近では表参道原宿をあげる方も多いでしょう。

 結婚前から妻と時折行っていたロゴスキーは、移転先が決まらないまま閉店という形になってしまいました。非常に残念です。渋谷で食事(supperでもlunchでもなく、dinnerです)と言えば「まずはロゴスキー」と思い浮かんだ方も多いのではないでしょうか。私自身がそうでした。神保町のロシア料理店にも入ったことがあるのですが、味といい雰囲気といい、渋谷が一番であったと思えました。

左奥にセルリアンタワーなどが写り、新旧が対照的に見えます。今後、東急プラザの建物は解体され、新たにビルが建設されるようです。

最近では、東口の東急文化会館が解体され、渋谷ヒカリエになりました。これで東口も大きく変わっています。西口も変わることでしょう。

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数年後に引退する静岡鉄道1000系を撮影した(その2)

2015年04月16日 22時13分46秒 | 写真

静岡鉄道静岡清水線を利用したのは先月のことです。1000系に乗って短い全線を乗り尽くすとともに、せっかくの機会ということで何編成かを撮影しました。

まずは、新清水駅で撮影したクモハ1006(+クハ1506の編成)です。

次は、新静岡駅で撮影したクハ1504(+クモハ1504の編成)です。

 最後に、新静岡駅で撮影したクハ1503(+クモハ1503の編成です)。

 今回撮影したのは、すべて、当初は非冷房車として登場した編成です。該当するのはクモハ1008+クハ1508までの編成です。冷房化された際、屋根には集中式のクーラーが載せられました。また、パンタグラフは普通の菱形です。

 これに対し、クモハ1009+クハ1509以降の編成は、当初から冷房車です。屋根には東急7200系・8000系・8500系・8090系・8590系でおなじみの集約分散式のクーラーが載せられています。また、パンタグラフは下枠公差式です。

 残念ながら、クモハ1009+クハ1509以降の編成を撮影することができなかったので、機会を見つけてまた撮影したいと考えています。

 (2015年5月27日に追加)

 動画も撮影したので、掲載しておきます。

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法学部の学生は、世界史(とくに社会思想史)を勉強しなさい!

2015年04月15日 00時48分26秒 | 法律学

 2012年10月10日21時40分45秒付で「法学部の1年生は、社会思想史を勉強しなさい!」という記事を掲載しました。理由については当該記事を御覧下さい。

 2013年度、2014年度に続き、2015年度も2年生の「基本法学概論」を担当します。先週木曜日、すなわち4月9日に第1回の講義を行い、小テストも行ったのですが、やはり社会思想史に強い学生が少ないことがよくわかりました。高校までの科目で言うならば世界史、倫理、政治・経済の分野が非常に手薄である、ということです。

 人文科学はもとより、社会科学も、多くの概念などを歴史に負っています。この表現がわかりにくければ、多くの概念には歴史的な背景があります。法律学では、たとえば立憲主義が代表的です。法の支配、法治主義などの概念も、多分に歴史的なものであり、概略を知らなければ理解できないのです。

 大分大学時代に、就職を控えてSPI試験に向けて勉強していたゼミ生から請われるなどして、ゼミ生など数名に対して世界史などを教えたことがあります。その経験などから言えば、「●●という事件は▲▲▲▲年に起こった」というような知識は、ないよりはあったほうがよいというところであり、むしろ大事なのは時代を大掴みにして、背景などを理解するということです。勿論、細かく正確に記憶する必要もありません。概略をつかめばよいのです。

 今後、私の担当クラスでは、歴史などの問題を、とくに社会思想史に絞って出題しようか、などと考えているところです。

 以上のように記した私は、中央大学法学部法律学科の1年生の時に社会思想史(担当は、先日亡くなられた泉田渡先生でした。御冥福をお祈り申し上げます)の講義を選択し、その教科書を何度となく読み返しています(今もその教科書を持っています)。元々は史学科を志望していたということもあるのかもしれませんが、歴史に触れると触れないとでは様々な分野の面白みが違ってくるということを実感しているからでもあります。

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数年後に引退する静岡鉄道1000系を撮影した(その1)

2015年04月14日 19時00分22秒 | 写真

先月某日、静岡市に寄る機会がありました。この時に乗じて静岡鉄道の静岡清水線を利用し、1000系を楽しんできました。

 JR静岡駅から北の方へ歩くと、静岡鉄道の新静岡駅があります。道案内が今ひとつで、近くなるとかえってわかりにくくなりますが、東急ハンズなどが入居する新静岡セノバの1階に駅があります。付近にSHIZUOKA 109や静岡パルコがあり、渋谷の一部が移転してきたかのような印象も受けます。JR静岡駅にもハンズ・ビーがありますし、東京でもおなじみの店が多いようです。

 静岡清水線ではPASMOも利用できます。それを使って自動改札機を通ると、ちょうど新静岡セノバの広告車となっているクモハ1008+クハ1508の2両編成が到着しました。

 オリジナルの1000系は無塗装のステンレス車ですから銀色なのですが、現在はほとんどの編成がラッピングなどを施されています。 

 

 1000系は1973年に登場した車両で、1980年代まで、東急車輌で製造されました。東急7200系を基本とした設計で、正面こそ非貫通で印象が異なりますが、側面は7200系とほぼ同じと評してよいでしょう。もとより、東急と静鉄とでは走行条件などが異なりますから、細部には違いがあります。また、1000系は、1969年に登場した東急8000系と同じくワンハンドルマスコンを採用しています。 

 側面の表示器です。静岡清水線では1975年からワンマン運転が行われているため、「ワンマン」の表示が見られます。また、同線では1958年から1996年まで急行の運転が行われており、2011年10月から平日の上り(新清水→新静岡)では朝6時台から8時台まで通勤急行が、平日の下り(新静岡→新清水)では同時間帯に急行が運転されるため、側面で「急行」の表示も行われます。

クモハ1000形1008号(新静岡側)の車番プレートです。 東急の初代7000系以来、2代3000系まで続いた、あの見慣れた車番プレートと全く同じ形です。

 こちらはクハ1500形1508号(新清水側)の車番プレートです。1000系はクモハ1000形+クハ1500形の2両編成で、12本が在籍しています。

 静岡鉄道1000系が東急7200系と基本設計を同じくしていることの理由は、1970年代に東急車輌製造しかオールステンレスカーの製造技術を有していなかったことなどがあげられますが、もう一つ、静岡鉄道の筆頭株主が東京急行電鉄であることと無関係ではないかもしれません。

 1941年、当時の静岡電気鉄道は東京横浜電鉄の傘下に入り、1943年に藤相鉄道や中遠鉄道などと合併して静岡鉄道となりますが、その初代会長が東京急行電鉄の五島慶太でした。静岡鉄道が東急グループの一員であった時代は短く、1947年まででした。しかし、筆頭株主の地位は変わっていません(静岡銀行、静鉄従業員持株会、日本生命保険の順に続きます)。

 クハ1500形の正面です。写真では窓の右側に手すりのような金具が付けられていますが、ここにはバックミラーが取り付けられていました。ワンマン運転が始められたことによるものです。現在は撤去されていますが、何時のことかはわかりません。

 1973年に登場して以来、最も古い編成では42年も動いている1000系ですが、そろそろ新車が出るようです。昨年(2014年)12月10日付の10時付で、朝日新聞社が「静岡鉄道、全車両を新型車両へ 16年から順次登場」として報じていました(http://www.asahi.com/articles/ASGCX6R9ZGCXUTPB01D.html?iref=reca)。この記事によると、2016年度から新車を投入し、2023年度までに1000系を置き換えるようです。

 

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春の多摩川、兵庫島 その4

2015年04月13日 00時14分12秒 | まち歩き

春の息吹を強く感じながら、兵庫島を歩きました。野川に架かる橋を渡る際に撮影した花と緑の写真を掲載しておきます。

 

 

 

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川崎市高津区選挙区(神奈川県議会議員選挙)でも無投票に

2015年04月12日 00時09分22秒 | 国際・政治

 何日前か覚えていませんが、確か朝日新聞で、地方議会議員候補のなり手がいないという趣旨の記事が掲載されていました。読んでいて「そういう事情も考えられるな」などと思っていたのですが、ふと足元を見れば、神奈川県議会議員選挙について、高津区選挙区では無投票となっていました。

 神奈川県議会議員選挙の選挙区は、政令指定都市の行政区、市、郡を基本単位として49に分かれていますが、無投票となったのは次の11選挙区です。

 横浜市西区(定数1)

 横浜市金沢区(定数2)

 川崎市幸区(定数2)

 川崎市高津区(定数2)

 相模原市緑区(定数2)

 鎌倉市(定数2)

 小田原市(定数2)

 三浦市(定数1)

 厚木市(定数3)

 伊勢原市(定数1)

 足柄上郡=中井町、大井町、松田町、山北町および開成町(定数1)

 

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