ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

当たり年

2016年08月31日 23時57分03秒 | 日記・エッセイ・コラム

 変な意味の当たり年は、あるものですね。

 どういう当たり年であるかは、御想像にお任せします。

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おしらせです(2016年8月26日)

2016年08月26日 11時15分00秒 | 本と雑誌

  管理人の権限を利用して、お知らせです。

 地方自治総合研究所から刊行されている雑誌「自治総研」の最新号(2016年8月号。通巻454号)が刊行されました。

 この中に、私の「地方税法等の一部を改正する等の法律(平成28年3月31日法律第13号)~法人課税および軽減税率の導入を中心に~(地方自治関連立法動向研究12)」が掲載されています(68~100頁)。お読みいただければ幸いです。

 また、この雑誌は、地方自治総合研究所のサイトでもPDFファイルで見ることができますので、御覧いただけば幸いです。

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消費税・地方消費税の税率引き上げ再延期などについて、法律案が提出される

2016年08月25日 08時39分00秒 | 国際・政治

 今年の6月1日、内閣総理大臣が消費税および地方消費税の税率引き上げを再延期するという方針を表明しました。

 勿論、これだけでは何も決まったことにはなりません。消費税法、地方税法、「社会保障の安定財源の確保等を図る税制の抜本的な改革を行うための消費税法の一部を改正する等の法律」などを改正することが必要となります。

 そのための法律案が、9月に召集される予定の臨時国会に提出されることとなりました。これは、例えば今日の朝日新聞朝刊4面14版「消費税引き上げ、再延期閣議決定 臨時国会に法案提出へ」(http://digital.asahi.com/articles/DA3S12527022.html)で報じられています〔関連して、同じ面・版の「臨時国会召集、首相『早期に』 民進代表戦前を視野」(http://digital.asahi.com/articles/DA3S12527020.html)も参照〕。

 消費税および地方消費税の税率引き上げは、今年度の税制改正に盛り込まれた様々な改正のうち、来年、つまり2017(平成29)年に施行される予定であったものの前提となっていました。たとえば自動車取得税の廃止です。しかし、税率引き上げが延期されるのであれば、前提が失われてしまいます。そのため、消費税および地方消費税に話が留まらないのです。実際に、今年度の税制改正を御覧ください。私自身も多くの文献を購入したりしましたが、毎年、税制改正に関する多種の解説本が書店に並べられますので、時期さえ誤らなければ簡単に見つかります。手元にあるものに改めて目を通すと、消費課税はもとより、法人課税、資産課税など、多くのものが、消費税および地方消費税の税率引き上げに結びつけられています。引き上げを前提とするものが目につくのです。

 しかし、6月1日、再延期の方針が示されました。内閣総理大臣は、記者会見で消費税および地方消費税の税率引き上げが内需の腰を折ることになりかねない旨を述べています(朝日新聞2016年6月2日付朝刊9面14版「消費増税再延期 首相会見(要旨)」、日本経済新聞2016年6月2日付朝刊4面13版「首相記者会見の要旨」を参照)。

 そこで思ったのですが、この記者会見がはしなくも明示したのは、少なくとも、消費課税が国内の経済状況に悪影響を及ぼしうるということを、政府によっても認識されているという事実です(事実と記してよいでしょう。少なくとも、示唆は含まれています)。それならば、延期を繰り返すのは無意味である、または有害であるということになります。従って、税率引き上げを完全に止めることが最も筋に適います(さらに言うならば消費税および地方消費税の廃止、とまでは行かなくとも税率の引き下げが理に適うでしょう)。勿論、財政規律の問題を忘れてはなりませんが、そのためにも消費課税一辺倒がよいものとは言えないということでしょう。

 また、余談のようになりますが、リニア中央新幹線に財政投融資を向ける方針が固まりつつあるという報道が繰り返されており、私は懸念を持っています。どう考えても割に合いそうにないからです。このことについては機会を改めて記したいと考えていますが、単なる例としてあげておきました。

 消費税法第1条第2項は、消費税の税収を「地方交付税法(昭和二十五年法律第二百十一号)に定めるところによるほか、毎年度、制度として確立された年金、医療及び介護の社会保障給付並びに少子化に対処するための施策に要する経費に充てる」と規定します。しかし、「社会保障の安定財源の確保等を図る税制の抜本的な改革を行うための消費税法の一部を改正する等の法律」附則第18条第2項は「税制の抜本的な改革の実施等により、財政による機動的対応が可能となる中で、我が国経済の需要と供給の状況、消費税率の引上げによる経済への影響等を踏まえ、成長戦略並びに事前防災及び減災等に資する分野に資金を重点的に配分することなど、我が国経済の成長等に向けた施策を検討する」と定めています。つまり、双方の規定に矛盾または不一致があります。消費税および地方消費税の税率を引き上げても、その全てが社会保障給付などに回る訳ではないのです。

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東急池上線途中下車(6) 戸越銀座駅

2016年08月18日 00時00分00秒 | まち歩き

第5弾として荏原中延駅を取り上げたのは2015年9月5日のことでした。11か月以上も経過して、ようやく第6弾です。

 今回は、東京で最長の商店街、戸越銀座です。日本で一番長い商店街は大阪市の天神橋筋商店街であるということになっていますが、戸越銀座は何番目になるのでしょうか。我が川崎市の元住吉の商店街もかなり長く、西口と東口を足したら戸越銀座より長いのではないかと思うのですが、よくわかりません。何しろ、戸越銀座とはいいますが、実は単一の商店街ではなく、商栄会、中央街、銀六会の総称です。一方、元住吉の商店街も、西から井田中ノ町商栄会、モトスミ・ブレーメン通り商店街(以上西口)、モトスミ・オズ通り商店街(東口)となっています。

 それはともあれ、戸越銀座です。ここは、中原街道から東へ、天下の国道1号線を跨がるように伸びています。西端の荏原二丁目交差点から少し南のほうへ歩けば平塚橋交差点で、そこから武蔵小山の商店街が伸びています。

 関東地方に限られた話でもないと思うのですが、商店街で「▲▲銀座」と名乗る所は少なくありません。その元祖がここ戸越です。元々は「とごえ」と呼ばれ、江戸越えを意味するという戸越の商店街が戸越銀座と名乗る理由ですが、私が見たところいくつかの説があります。

 まず、戸越銀座商店街ホームページの説明では、大正時代、関東大震災で被害を受けた京橋区の銀座(現在は中央区の銀座)から、戸越の人たちが白レンガを譲り受けたことが由来であると書かれています。当時、街灯といえばガス灯で、そのガス灯のためのガス発生炉用に耐火レンガとして使われていたのが白レンガでした。

 もう一つ、宮田道一『東急の駅 今昔・昭和の面影』(2008年、JTBキャンブックス)112頁では、やはり関東大震災で被害を受けた銀座通りの舗装を張り替えるためにレンガ敷きを撤去し、戸越の人々がこのレンガを譲り受けて下水工事に使用したことによると書かれています。

 いずれにせよ、東京の銀座に関係するということです。

 

 戸越銀座商店街のうち、商栄会と中央街の境目にあるのが、東急池上線の戸越銀座駅です。駅番号はIK03となっています。所在地は品川区平塚2丁目16番1号で、駅名と地名が合っていませんが、よくある話ではあります。目の前が戸越銀座商店街なので、これでよいという訳です。東急の駅で、正真正銘、戸越に所在するのは、大井町線の戸越公園駅です(このブログでも取り上げています。「その1」と「その2」を御覧ください)。

 上の写真は、2番線ホーム(上り線)のほうの改札口で、商栄会の東端の前ということになります。中原街道、さらに武蔵小山駅まで歩くには、この商栄会の通りを歩いて行くこととなります。

 この駅は、東急池上線や大井町線などの多くの駅と同じく、1番線ホーム(下り線)と2番線ホームのそれぞれに改札口があり、駅構内には跨線橋などがないので、例えば1番線に入ってしまうと2番線に行くことができません。乗り間違いに注意しなければなりませんが、2番線側の改札口では130円区間の切符しか買えず、運賃表にも大崎広小路および五反田しか掲載されていないので、わかりやすいと言えるでしょう。

 こちらは1番線側の改札口で、中央街の西端の前ということになります。自動券売機の上の路線図・運賃表では、大崎広小路と五反田の部分が空欄となっています。荏原中延、旗の台、蒲田方面の乗り場であるためです。

 戸越銀座駅は、隣の荏原中延駅と同じく、1927(昭和2)年8月28日に開業しました。この日、池上電気鉄道は雪ヶ谷から桐ヶ谷までを開業させました。従って、戸越銀座駅は終点の一つ手前であった訳です。ちなみに、同年の10月9日に桐ヶ谷から大崎広小路までが開業し、桐ヶ谷駅は1945(昭和20)年7月25日に休止し、1953(昭和28)年8月11日に廃止されています。

 駅の構内に踏切があるという駅は、日本全国に結構多く残っているものですが、東急では池上駅だけとなりました。かつて、池上線の駅には構内踏切があった所も多かったようで、戸越銀座駅もその一つでした。おそらく、上の写真の手前に構内踏切があったものと思われます。宮田道一氏の前掲本112頁によれば、1955(昭和30)年頃に廃止されたとのことです。

駅を降りればすぐに商店街が伸びています。 こちらは、駅から中原街道のほうに伸びる商栄会です。

駅から東へ、国道1号線まで伸びるのが中央街で、今、そこを歩いています。今回は時間の都合もあって午前中に来たのですが、次は夕方に歩いてみたいものです。

私が生まれ育った川崎市でも、商店街には魚屋があったものですが、最近は見かけなくなりました。しかし、戸越銀座にはあります。このお店以外にも何軒かあるのでしょうか。

この商店街を歩いたのは何十年ぶりで、しかも二度目であるため、よく知らないのですが、脇道を見ると住宅地になっています。戸越銀座は一直線の商店街であるようです。

中央街の東端である国道1号線の戸越銀座交差点に近づいてきました。 奥は銀六会です。時間帯によっては人の往来が激しい商店街なのだろうと想像を巡らせています。

 国道1号線の戸越銀座交差点です。中央街から銀六会に向かって、つまり西から東へ歩いてきたので、左に曲がれば五反田、三田、日本橋方面、右に曲がれば中延、馬込、横浜方面ということになります。また、高輪台駅(昔の二本榎)から西馬込駅まで、都営浅草線が通っています。

 世代によっては、国道1号線というよりも第二京浜というほうが通りがよく、第一京浜=国道1号線と思っている人も少なくないようです。実際に、戦前の1号国道から第一京浜という通称が生まれたのでした。第二京浜が整備されて国道1号線となったのは第二次世界大戦後、1950年代のことです。

 今回は時間の関係でゆっくり歩いていませんが、銀六会の部分です。この道を真っ直ぐ進めば大井町のほうに行けるとのことですが、地図を見る限り、西品川1丁目の交差点でJR東日本の東京総合車両センターに突きあたります。また、銀六会の東端が何処なのかがはっきりしませんが、豊町1丁目であることは戸越銀座商店街ホームページの案内図からも読み取ることができます。

 そう言えば、この商店街には猫が描かれた幟が多いことに気づきました。マスコットキャラクターで「戸越銀次郎」という名が与えられています。 

 戸越銀座交差点から、今度は中央街を撮影します。中央街は平塚1丁目、商栄会は平塚2丁目にあり、銀六会は戸越の1丁目から3丁目、豊町1丁目にあるということになります。また、銀六会の途中を右に曲がると宮前坂で、さらに進めば宮前商店街に着きますが、ここまで行くと大井町線の戸越公園駅のほうが近くなります。

 国道1号線にある都営浅草線の戸越駅です。所在地は戸越3丁目4番17号となっていますが、これは駅の事務所か何かの所在地です。実際には戸越3丁目と平塚1丁目に跨がっています。

 都営浅草線は押上から西馬込までの路線ですが、途中の泉岳寺で京浜急行に接続しており、相互乗り入れを行っているため、泉岳寺から西馬込までの区間運転も行われています。2番線で電車を待っていると、平日の日中には3本に1本の割合で京成線への直通電車(快速佐倉行き)、残りの2本は泉岳寺止まりです。朝夕ラッシュ時などには成田空港行きや印旛日本医大行き、さらにはわずか1本ながら芝山千代田行きも来ます。京浜急行との直通運転区間から外れるので、乗客は少ないように見えます。

  この駅は、1968年11月に、泉岳寺から西馬込までの区間が開通したのと同時に営業を開始しました。すぐ近くに池上線の戸越銀座駅があり、大井町線には戸越公園駅があるのに、後発のこの駅が戸越を名乗ることができたのには、理由があります。「東急大井町線途中下車(13) 下神明駅 その2」で記したように、現在の下神明駅が初代の戸越駅だったのです。つまり、そのものズバリの「戸越」が空いていたから名付けられた訳です。

 東急大井町線の大井町から大岡山までの区間は、1927(昭和2)年7月6日に開業します。初代の戸越駅も同じ日に開業しました。現在の下神明という駅名になったのは1936(昭和11)年1月1日のことです。戸越銀座駅が開業したのは1927年8月28日でしたから、この時点では戸越という名前を与えることができなかったでしょう。もっとも、現在の池上線は池上電気鉄道により建設されたのであり、同社は東急の母体となった目黒蒲田電鉄とは敵対関係にありましたから、戸越と名付けようと思えばできたはずです。現に、両者は洗足池を巡って洗足池駅(池上線)、「池月」→「洗足公園」→北千束駅(大井町線)と対抗していました。また、現在の旗の台駅は戦後になって開業しており、それ以前は池上線に旗ヶ岡駅、大井町線に東洗足駅があって、両駅は近かったものの全く接続していなかったのでした。目を他所に転じて阪神本線と阪急神戸線を見ると、場所が離れていて接続・連絡もしていないのに両方に御影駅、春日野道駅があります。他にも、同じ駅名なのに全く別の駅という例は日本に多く存在します。池上電気鉄道に対する目黒蒲田電鉄の牽制があったのではないかと推察されますが、いかがでしょうか。

 戸越と名乗ることができないのであれば、所在地をそのまま駅名にしてもよさそうなものです。しかし、現在の戸越銀座駅がある場所は平塚です。神奈川県には、天下の東海道本線の平塚駅があります。全く同じでは混乱を招きますし、国も認めようとしないでしょう。武蔵小山のように、頭に「武蔵」を付けるという手もありますが(現に、西武池袋線には武蔵藤沢という駅があります)、結局、戸越銀座に落ち着きます。地元からの要請があったのでしょうか。

 (ちなみに、現在の戸越公園駅は、1927年7月6日の開業から1935(昭和10)年12月31日まで蛇窪と名乗っていました。)

 私にとっては寄り道しにくい場所にある戸越銀座ですが、また、何かの機会を見つけ、次は夕方の商店街を歩いてみようと思っています。

 

 第1弾:洗足池(大田区) 「待合室」の第180回(2006年8月18日から25日まで)および第181回(2006年8月25日から9月1日まで)

 第2弾:池上(大田区) 「待合室」の第209回(2007年3月30日から4月9日まで)

 第3弾:大崎広小路(品川区) 「待合室」の第380回(2010年9月16日から23日まで)、第383回(2010年10月8日から15日まで)および第384回(2010年10月15日から21日まで)。

 第4弾:旗の台(品川区) 「待合室」の第436回(2011年8月20日から27日まで)、第437回(2011年8月21日から27日まで)および第438回(2011年8月27日から9月8日まで)

 第5弾:荏原中延駅(品川区) このブログ(2015年9月5日8時0分に掲載)

 まだ取り上げていない駅:五反田(品川区)、長原、石川台、雪が谷大塚、御嶽山、久が原、千鳥町、蓮沼、蒲田(以上、大田区)

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ボビー・ハッチャーソン氏が死去

2016年08月17日 00時29分52秒 | 音楽

 8月15日に、ジャズのヴィブラフォン奏者ボビー・ハッチャーソン氏が亡くなりました。75歳でした。

 私が彼の曲を知ったのは、中学生の頃、秋葉原でラリー・コリエルの「トリビュータリーズ」という、コリエル、ジョー・ベック、ジョン・スコフィールドの三人がオベーション・アダマズを弾きまくる名作をLPで買ったことがきっかけでした。このLPのA面3曲目が、ボビー・ハッチャーソン氏の名作「リトル・Bズ・ポエム」です。後に六本木WAVEで「ワン・ナイト・ウィズ・ブルーノート」を買い、作曲者本人の演奏を聴きました。

 また、高校1年生になったばかりの頃からエリック・ドルフィーの演奏を聴いている私には、ドルフィーのリーダー・アルバムに参加したハッチャーソン氏の演奏を忘れることができません。ブルーノートから出た「アウト・トゥ・ランチ」の各曲でのヴィブラフォンが極北と言えるかもしれませんが(今は亡きトニー・ウィリアムズのドラムとの絶妙なコンビネイションにも注目!)、「カンバセイションズ」と「アイアン・マン」での演奏も、勿論単なるピアノの代役ではなく、開放感(解放感)を伴うバッキングに驚かされるのです。

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北海道が「分県」?

2016年08月11日 13時21分52秒 | 国際・政治

 たまたま、Yahoo! Newsを見たら、北海道新聞社が配信したという「北海道は分県を 自民道議が案」という記事(11時付。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160811-00010001-doshin-hok)を見つけました。北海道新聞社のサイトでは「北海道を3県か2県に 自民道議が分県案 『知事1人では限界』」(8月11日10時44分付。http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/politics/politics/1-0303196-s.html)となっていますが、IDとパスワードを入れないと全文を読むことができません。そこで、今回はYahoo! Newsのほうを頼りにしつつ、見ていくこととします。

 都道府県と一言で表現しても、人口、面積などについて大小様々です。陸地の面積という点では北海道が最大、香川県が最小で、たしかに北海道の広大さ、市町村数の多さでは、様々な政策について適切な対応を採るのが難しいかもしれません。

 今回の「分県」という案は、自民党の北海道議会議員の研究会がまとめた報告書(案)によるものです。北海道新聞社は「都道府県の枠組みや道内の自治の仕組みを根本から変える提案」と書いていますが、後者はともあれ、前者については、それほど大げさなものなのかという疑問は湧きます。歴史を見ても、北海道が最初から単一の地方公共団体であった訳ではなく、旧国名をあげるならば石狩国、渡島国などと分かれ、廃藩置県の後には函館県、札幌県、根室県が存在していた時期もあります。北海道にまとめられたのは、ひとえに人口の少なさによるものでした。広大な領域のために、渡島支庁、石狩支庁などの支庁制度が存在し、現在は振興局または総合振興局が置かれています。

 昨今の道州制の議論、市町村合併の流れからすると、北海道の「分県」には違和感を覚えるという方もおられるでしょう。都道府県の合併による道または州の設置という方向性とは逆になっているからです。ただ、北海道新聞社の記事には、「報告書案は『人口減少対策で個々の市町村が成果を求められている』と強調している。また、市町村数が179に上るため『道知事は個別の案件で国への要請を行えない』と訴えた。複数の知事の連携で国から大型事業の予算を引っ張ってきた九州、四国の例にも言及した」とあります。九州と言えば、かなり前から九州知事会が道州制を積極的に提唱してきた所です。その意味では、道州制の議論と無関係、または道州制と矛盾するものではないことがうかがえます。北海道一道のみか九州7県かという視点なのです。

 勿論、「広大な北海道に知事が1人だけでは、政治力で他の地域に見劣りし、市町村へのきめ細やかな対応ができないと問題視」という観点を忘れてはいけません。ただ、問題は札幌市への一極集中が顕著であることで、分け方によっては経済力に極端な格差が生じかねません。

 報告書(案)は、①「道央・道南」、「道北」および「道東」の三つに分ける、②「道央・道南・道北」と「道東」の二つに分ける、という案を出しています。他にも「道南」、「道央」、「道北」および「道東」の四つに分ける案と、「道東」をさらに三分割し、全体を六分割する案もあったようですが、「道南」(具体的にどこを指すかは明示されていません)は人口、域内総生産のいずれについても全都道府県を下回ってしまうので「道央」と一緒にするしかないようです。また、「道東」は、産業構造が大規模農業を中心となっていることから、「道央」などの地域とは別とする、といいます。

 なお、いずれについても、分割後のそれぞれの県庁または道庁の所在都市は示されていません。

 仮に上のいずれかの案が推されるとして、今後、様々な手続が必要とされ、実現は容易でないと思われます。報告書(案)もその点を指摘しています。また、分割しないとしても、かつての支庁制度を復活させた上で権限を支庁に配分する、などの手もあるでしょう。今後に注目しておきたいと考えております。

 それにしても、他の政党がこのような案を出さないのは、現在の北海道という地方公共団体に何の問題も感じていないからでしょうか、または政策策定能力がないからでしょうか。これでは「対案を出せ」と言われても仕方のないところでしょう。

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大東文化大学法学部「行政法1」「行政法1A」の前期末試験問題などを公開します

2016年08月10日 15時39分58秒 | 受験・学校

 私のサイト「川崎高津公法研究室」に「行政法試験問題集」を掲載しております。

 本日、次のものを追加しました。お役に立つことがあれば幸いです。

 その53:国学院大学法学部「行政法Ⅰ」の夏季休暇課題

 その54:大東文化大学法学部「行政法1」「行政法1A」の前期末試験問題

 その55:大東文化大学法学部「行政法1」「行政法1A」の前期追試験問題

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都電荒川線の写真

2016年08月06日 22時18分02秒 | 写真

(都電8500形8503、早稲田電停にて)

(都電7700形7701、新庚申塚電停にて)

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なかなか見られない東急2000系(5)

2016年08月01日 22時52分38秒 | 写真

なかなか見られない東急2000系(4)」以来の(2015年2月25日20時49分10秒付)以来の、東急2000系の写真を載せておきます。

 今回は2003Fです。渋谷側1号車から中央林間側10号車に向かって、クハ2003−デハ2253−デハ2203−サハ2703−デハ2353−デハ2303−サハ2803−デハ2453−デハ2403−クハ2103となっています。

 2000系といえば田園都市線の輸送力増強用の系列ですが、この編成のみ、当初は東横線で運用されました。勿論、8両編成です。しかし、数ヶ月後に10両編成化され、田園都市線・新玉川線・半蔵門線で運用されるようになりました。

 3編成しかない2000系でも、2003Fには他の2編成と異なる点があります。まず、2003Fは1993年製造であること(他の2編成は1992年製)、次に、行先表示が最初からLED式であったこと(他の2編成は当初幕式)です。

 最近、2003Fが休車扱いとされました。まさか廃車では? などという声も聞こえたのですが、営業運転に復帰しました。登場からまだ23年しか経っていませんから、あと10年以上は走るでしょう。

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