かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

転任

2009年03月28日 | Weblog
 春の定期異動で異動になりました。


 転任先の学校を聞いて驚きました。かつて勤務をしていたところです。


 単身赴任をしていることが解消されるうれしさと2年間過ごしてきたところを離れるさみしさを感じます。複雑な気持ちです。


 五馬は本当にすばらしいところです。山の緑、朝の霧、秋の紅葉(こうよう)冬の雪景色・・・そしてその自然の中で活動する子どもたち、温かな地域の方々・・・今の時代に失われつつある大切なものすべてが五馬には、存在をしています。



 同じことが勤務している先生たちとの出会いにもあります。この2年間、学校の移転作業がありました。大変なことが多かったです。でもみんなが一丸となって完成までたどりつきました。

 教育委員会の方も細かいところまで配慮してくれました。

 五馬の新校舎の新しい歴史の一歩に立ち会うことができました。


 管外からきていろんな面でとまどっていた自分を温かく接していただきました。今回引越しをするときも、
「引越しはいつするんですか。手伝います。」
と幾人もの人に言っていただきました。


 このような学校で勤務でき本当に幸せに感じます。感謝をしています。自分にとってのこの2年間はかけがえのないものでした。多くの人たちの出会いは宝物です。

WBC日本優勝!

2009年03月25日 | Weblog
昨日、WBCの決勝戦がアメリカで行われました。相手は韓国。今回の大会で一次ラウンドから合わせると、韓国とはこれで5回目の戦いとなります。


 決勝戦なので、お互いいい投手をたくさんつぎ込むことができます。日本の先発は、ダルビッシュ有。韓国の左投手に今まで押さえられていたので、苦戦することが予想されていました。しかし、終始日本のペースで試合が進められました。


 イチローはこの大会では、2割5分台の打率でした。一般的には、イチローに対しての国民の期待度からして2割5分というのは、低すぎるのでマスコミなどは、一度スタメンから外してみたらどうかというコメントもありました。


しかし、原監督は、イチローがチームの中心としてメンバーを考えているのでしょう。ずっと使い続けました。



次第に打率は上がってきましたが、イチローに対しては、4割・・・くらい打つのが当たり前の感覚になっているので、イチローからすればすごいプレッシャーだったと思います。


「心が折れそうだった。」
という珍しくネネガティブな言葉を大会途中で発していました。イチローだってこんな気持ちになることがあるのですね。


 昨日は、延長10回。ツーアウトからセンター前に2点タイムリーヒット、決勝打を放ちました。


 2連覇。すごい偉業だと思います。韓国はもとより、ベネズエラ、アメリカ、キューバ、オーストラリア・・・強豪の中の頂点に立ったわけです。

今回、ソフトバンクフォークスの川崎選手が控えに回ることが多かったです。しかし、川崎選手が、

「ベンチにいても試合に出ていますから。」
と発言をしています。つまり、試合に出ていなくても、出ている選手と同じ気持ちで、またいつでも試合に出られるモチベーションでベンチにいるということなのです。


チームが一体となっています。横浜ベイスターズの内川選手が途中けがをして帰国した村田選手のユニフォームを優勝トロフィーにかけて持ち上げていました。



「このぼくをレスペクトしないこの雰囲気はなんだ。」と祝勝会ではしゃいでいたイチローの姿はプレッシャーから放たれた解放感に包まれていました。チームも応援をしている人たちも一丸となった決勝戦でした。



暗いニュースが多い中で元気をもらえる戦いでした。

20数年前にタイムスリップ

2009年03月22日 | Weblog
 先週、本耶馬溪町の野球仲間のお母さんが亡くなられました。都合で日田から帰ることができなかったので、今日日曜日におまいりをさせてもらいました。


 野球をされている方とは20代のころから一緒に野球をしているので、長い付き合いとなります。

 お母さんにもいろいろとお世話になっていました。お母さんは、交通指導員をされていました。2つの小学校勤務時代、子どもたちの安全のために、指導をして下さっていました。遺影のお顔を見ながら、元気に交通指導をされていた頃のころが鮮明に思い出されてきました。



 またお参りに行く途中の道での出来事です。雨の中、道路でいちごを売っている人がいました。よく見ると、勤務していた小学校時代、4年生と6年生で担任をしたえいちゃんでした。お兄ちゃんのゆうちゃんも4~6年生まで3年間担任をしました。



「えいちゃん。」


と声をかけました。



「もしかして、先生?」



 本当に懐かしかったです。十数年ぶりの再会です。お父さんとお母さんもいました。



 時間が20年以上過ぎているのに、お父さんもお母さんもあのときのままでした。えいちゃんとゆうちゃんは頼もしくなっています。


 家族みんなですごい数のビニルハウスを持っています。その中で、いちごの水耕栽培をしています。ご家族みんなを見ると、時間が勤務していた頃に戻ったような気がしました。


 こちらも家族で行っていました。子どもが小さいときに泊まらせてもらったこともありました。子どもは覚えていませんでしたが、お母さんは、覚えてくれていました。


 「みんなでよく来たね。まあ、ビニルハウスの中を見てよ。」


と言われて、中に入りました。真っ赤にいちごが成熟しています。いちごから甘酸っぱい香りが漂ってきました。


「先生、まだ百人一首を覚えているよ。」とえいちゃん。
「ほんと?じゃあ、こころあてに・・・・」
「はいはい、おらばやおらむはつしもの・・・」正解。
「次は、むらさめの・・・」
「かんたんかんたん。つゆもまだひぬまきのは・・・」おっ。





 西谷に行き、いろんな思いがよみがえりました。

中津日田道路をドライブ

2009年03月21日 | Weblog
 国道10号線(北大バイパス)と県道中津~豊後高田線(海岸線)を結ぶ中津日田道路の一部が昨日開通したというニュースが新聞に出ていました。

定留(さだのみ)インターチェンジ(IC)―伊藤田IC間の約3・6キロです。その距離はわずかですが、近くに行ったついでにドライブしてみました。あっという間の運転でしたが、きれいな道路でした。



 かりに中津日田道路のすべてが完成したとしたら、50キロメートルあるそうです。



先日、学校での会話でも話題になりました。


「先生、ほんとに中津日田道路は必要なんですか。」

「えっ?」

「日田は、福岡が近いから、別に中津日田道路ができなくても今の道路で十分だと思うんだけど。お金の無駄遣いですよ。」


「そ、そうかあ・・・・。」

別の先生、
「でも日田で作ったものを中津港から出荷するなどできるんじゃないかなあ。」

「そりゃ、そうですけど。」

なんとなく納得したようなそうでないような。こちらも説得させる言葉が出ない。


 中津土木事務所のホームページによると、


①生活が便利に
1時間で到達できる圏域が拡がることで、交流・購買・文化・医療等、様々な分野でこれまで以上のサービス提供が可能になり、住みよさが一段とアップします。こうした、サービス向上で、地域への愛着や人口減少・過疎化の進展に歯止めがかかることが期待されています。~なるほど、確かに近くなる~




②安全・安心の生活環境
● 大規模災害時に力を発揮します!
● 緊急時の搬送時間が大幅に短縮されます
● 市街地の交通渋滞、騒音等を軽減させます!



③地域産業の活性化に大きく貢献
 ● 産業生産額の増大
 ● 新たな雇用
 ● 商品販売額の増大
 ● 観光入込み客数の増大



④様々な観光拠点・エリアが身近に
 ● 魅力ある広域観光拠点が身近になります
 ● 中津日田地域の周遊観光ルートが確立。知名度がアップ!


これで納得するかなあ。新しいアスファルトで気持ちよく運転ができました。

春爛漫

2009年03月20日 | Weblog
昨日、車を走らせていると、花がきれいに咲いていました。よく見ると、桜の花でした。ついこの間まで梅の花が満開だったのに、わずか1週間足らずで桜の花が咲いています。すでに3分咲き以上となっています。


アパートの近くの公園は、5分咲き程度となっています。例年よりかなり早い桜の開花です。


昨日タクシーの運転手さんが、「亀山(きざん)公園はもうかなりきれいですよ。」と教えてくれました。一度行ってみたいですね。春が駆け足でやってきました。いろんな花がとてもきれいに咲いています。気持ちも高まってきます。下の写真はアパート近くの花です。

この時期でこのような感じなので、月末まで桜の花が持つかどうか分かりません。入学式のシーズンにはすでに花は終わっているような気がします。桜吹雪の中での新入生の姿は残念ながら見ることはできないでしょう。


写真を撮ろうと近くまで行ったけれど、雨に濡れていて色が鮮やかではありませんでした。


しかし、何枚か撮って帰りました。気象台では次のように伝えています。



『大分地方気象台は17日午前、大分地方の桜(ソメイヨシノ)の開花を発表した。平年(27日)より10日早く、昨年(24日)より7日早い。1990年(16日)に次いで観測史上2番目に早い。 桜の開花発表は気象台の標準木が5.6輪咲いた状態で出される。見ごろは1週間から10日後となる。』


 菜の花もとてもきれいです。川べりは黄色に染まっています。



 一昨日の大分合同新聞に、日田では昼間23度まで気温が上がったという記事が載っていました。日田の三和小学校では、子どもたちが半そで姿になって遊んでいたということです。


日田では、5月になると、30度を超える日が出てきます。この時期に23度になるのも当たり前なのかも知れません。

今年度最後のPTA

2009年03月20日 | Weblog
今日は、今年度最後のPTAでした。今年度からPTA臨時総会を兼ねています。たくさんのお家の方が参加をしてくれました。



 午前中は、フリー授業参観、午後は授業参観、そして、学年PTA、臨時総会とフルに一日過ごしていきました。 



 この臨時総会をするために、PTA役員会、地区役員会、会計監査などを事前に行いました。来年度の役員が決定したとき、会計監査が終わったときなどホッとすることが多かったです。



 どちらかというと、会計など細かい仕事が苦手です。日々チェックをしながら、なんとか会計を1年間行うことができました。そして、今日は、PTAを迎えました。




 朝から、会場準備などをしていきました。資料もそろえました。こんな活動をしながら、役員さんたちのまとまりも深まっていきました。



また会計監査員の方たちも忙しい中、お世話になりました。



 今日の授業は、1年生がお家の方も参加しての大気圧の理科実験。2年生が体育の授業。親子対抗の卓球大会です。体育館が熱気に包まれていました。



 臨時総会は、多目的教室で行いました。気持ちのいい空間です。和やかな中で行われました。そして、夜は、懇親会でした。天瀬温泉街で行いました。PTA会長さんのお世話でホテルでの懇親会でした。2時近くまでにぎわいました。



 今年度は、夏の暑い時に校舎移転作業がありました。また会場を近くの小学校に移しての体育大会(健脚祭)、秋には校舎落成式など変化のある年でした。

 PTA役員さんを中心にPTA会員の方々のものすごい協力で、事故なくこの1年間を過ごすことができました。生徒たち・お家の方や地域の方にとって思い出多い1年でした。



 このまとまりの中で、1年間のPTA活動が終わりました。


 学校、家庭、地域が連携していくことの大切さを感じることができました。PTA役員の方たちも安堵感にあふれていました。そして、新役員の方へバトンタッチです。

Mくんからの報告

2009年03月18日 | Weblog
先日、小学校時代教えたMくんから電話がかかってきました。Mくんは、関西で仕事をしています。2月のKくんの結婚式のときに久しぶりに会うことができました。


「先生、5月に結婚することになった。関西まで来てくれる?」


という電話でした。



「この間、会ったときには、そんなこと言っていなかったのに・・・。また突然。まったく。」



Mくんとは、なにかと縁がありました。Kくんの家の近くの高校のサッカー部で活躍をしました。身体能力も高く、主力として大分県でも強豪チームでした。練習が終わった後のMくん。家に寄って来ることがしばしば。


「先生ところの晩御飯はなんだろうかなあ。」「おっ、今日はすき焼きやで。」



すっと上がってきて、一緒に家族とご飯を食べることが多かったです。連れ合いも人が良く「しかたないね。」とMくんに言いながらも、Mくんにご飯を作ってあげていました。家族の一員のような感じでした。



その頃の時間になると、まだ元気だった父母も「Mくんがもうすぐくるんじゃないかね。」


たしかにたいていその時間があたっています。相棒のHくんも一緒にくることが多かったです。泊まっていくこともしばしばで家が一気ににぎやかになりました。


子どもたちにとっては、おにいちゃんみたいな存在でした。あれから月日が過ぎ、結婚ということです。早いものです。



 中学校時代、お母さんを病気で亡くしています。お母さんのお見舞いに行ったときに、「Mが成長するまで死なれないね。」としみじみ語っていました。


Mくんも妹のK子さんも辛いことが多かったと思います。しかしそんなことを表に出さず、いつも明るく振舞っていました。



 K子さんは、病気のお母さんをみてきたのか、看護師になりました。患者さんは弱い立場です。でもきっとそのK子さんの明るさが患者さんに勇気や安らぎを与えていることでしょう。



 今度の結婚をお母さんが生きていたらどれほど喜んだことでしょう。まだおかあさんの年賀状をとっています。



「M、K子をよろしくおねがいします。」その年賀状が最後になりました。



 Mくんの晴れ姿を楽しみにしています。

日本の伝統文化にふれ

2009年03月17日 | Weblog
 3月16日(月曜日)に能面教室を開催しました。今回で6回目を迎えます。五馬中学校伝統行事です。


 大山町から講師をお呼びして1年生を対象に能面教室を実施しました。教育課程の中には、随所に、


「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた郷土を愛し・・・。」などというような内容が入っています。日本文化の見直しが求められています。


 講師の方の話の中で、


「先人の心を探す旅をしなければならない。国際化、国際交流をしていく中で、もっと私たちは、日本の文化を知る必要がある。」


と語ってくれました。



 講師の方は、20代のとき宇佐神宮に参拝したときに、能面との出合いをしています。それをきっかけに能面づくりをしています。また能面をつくるならば、能のすべてを知る必要がある「能面のために能がある。」という考えを持っています。



 能面を理解するために仕舞いや謡いを学んでいます。講師が話す一言一言に重みがありました。生徒たちは、話を聞くだけでなく、実際に能面をつけさせてもらいました。能面から見る視野の狭さを感じ、能をする人の立場に立ってみました。


 また講師の仕舞なども目の前で見ることができました。
 生徒たちにとっては、貴重な体験でした。



 最後に謡い「高砂」を講師と一緒にうたいました。


「所ハ高砂の 所ハ高砂乃。尾上の松も年ふりて。老いの波も寄り来るや・・・。」


 初めてにしては、生徒たちは、とても上手に講師がうたうあとをつけていきました。



これからもいろんな機会をつくりながら、忘れてはいけない、引き継いでいかなければならない日本の文化について学んでいけたらなあと思います。


春になり野球の試合

2009年03月15日 | Weblog
 三光中学校の野球部の教えた生徒たちが集まって三光中学校グランドで野球をしました。

 天気もよく(ちょっと花粉が気になりましたが・・・)絶好のスポーツ日和となりました。


 お盆や正月と違って、遠くに行っている人や社会人になっている人は参加しにくかったと思いますが、こちらに残っている人や高校生が集まり楽しく野球をすることができました。



 今までOB戦はこの春高校を卒業した生徒がずっと世話をしてくれていました。大変だったと思います。日の設定、グランドの使用許可書、いろんな学年に連絡・・・すべてリードしてくれていました。

 早くから企画をしてくれていました。その生徒も福岡の大学に進学していきます。


 次回からは、今度はその下の代の生徒たちが世話をしてくれます。


 今日は、20人近くが集まり、午後から野球を楽しみました。かったかくんも三光を離れてから2年が過ぎます。その間、ときどきは会うこともあるのですが、みんな中学校のときよりはるかに頼もしくそして、たくましくなっています。


 三光中学校の野球部の場合、中学校から野球を始める生徒がほとんどでした。3年生は、夏までで終わりなので、つまり、2年間とちょっとの間だけの野球の生活となります。

 
 キャッチボールができない生徒たちが、小学校からの経験者が多い学校と対決していくので、ある意味ではスローな練習はできません。効率的な練習法と時には、叱咤を受けながらの厳しい練習も入ります。楽しく感じるときもあったと思いますが、苦しいことも多かったと思います。



 うねりを持ちながらも生徒たちは経験が浅いので成長が大きいです。でもこうして、生徒たちが卒業して、野球を一緒に楽しむことができることにうれしさを感じます。



 2試合行いました。体を久しぶりに動かしました。運動不足です。この春、卒業した生徒たちはそれぞれの場所で目標をもってがんばってほしいと思います。またこれから就職活動、受験に向かう生徒も夢を達成できることを祈っています。


何人かと今日これなかった野球の仲間がバイトをしているレストランで食事をして家路に向かいました。

サクラサク3月

2009年03月15日 | Weblog
 3月13日の金曜日は、中学校3年生にとっては、ひきごもごもの一日だったと思います。それは、県立一次入試の合格発表でした。


 すでに私立入試などで合格している人は、友だちの合否が気になったことでしょう。



 朝9時、発表の時間です。かつては、受験生は自宅で待機。学校からの電話で合否が分かるというところも多かったです。しかし、今は、携帯電話など通信手段の発達もあってそれぞれが高校に合格発表を見に行きます。当然そこには、悲喜こもごものシーンが見られます。



担当の先生たちは、その時間に高校に行きます。受験者の合格証書を高校にもらいに行きます。生徒も先生たちもともにがんばってきた喜びを感じるときです。



 五馬の生徒たちも昨日の発表で、全員の進路が決定をしました。学年の先生たちもほっとしたようです。それまでにいろんな取り組みや生徒たちには目に見えないところで書類作成などの作業をしてきました。



合格証書をもらいに、10時から生徒たちがやってきました。みんなうれしさでいっぱいです。みんなのサクラが咲きました。



「番号を見て、涙が出ました。」お家の方。火曜日に試験が終わってから発表の金曜日まですごく長い時間だったと思います。



「子どもが泣いて帰ってきたんですよ。びっくりしました。数学で問題をあかしたところがあったそうなんです。子どもの姿を見てこちらも寝られなかったですよ。」
という方も。


 でも合格ということでよかった。受験などあとからどうしても悪いところを見てしまいます。



 今は、喜びのあとは、携帯電話です。「予約をしていたので、今日取りにいきます。」なるほど・・・。予約をしておかないと人気機種はかなりの日数待たなければならないとか。参考書から携帯電話とにらめっこする子どもたちになるのでしょう。

富士号のラストラン

2009年03月14日 | Weblog
 3月14日、土曜日はブルートレイン「富士」のラストランでした。1964年から東京~大分間を運行してきました。あれから45年の月日が過ぎ、スピード化の流れの中で姿を消すことになりました。



 昨日からテレビや新聞で報道されています。テレビでは特集も組まれています。この富士号には多くの人たちの思い出が積まれているのでしょう。



 かったかくんも幾度となく家族や親戚を中津駅のプラットホームで富士を見送りました。また一番の思い出は、先生になって一年目。4年生の担任でした。社会の時間に時刻表を使いながら地名を覚えていきました。


「○○市まで行こう。時刻表を使いながら列車で行ってみよう。」と新幹線を使って、新幹線を使わないで・・・いろんなパターンを調べていきました。だれが、一番に着くかな?とゲームも。



そんな時、愛知県の豊田市に行く機会がありました。そのとき猛くんたちが考えてくれました。



「先生、富士に乗って、名古屋まで行って・・・何分待って・・・乗り換えて、何分の列車で豊田に・・・。帰りは、新幹線で・・・。」紙に中津~豊田往復の日程を書いてくれました。無駄がない完璧な日程でした。その通りの行程で行きました。



 8年前に大分市に一年間列車で通っているときにたまに富士で大分から中津まで帰ったり、中津から大分まで行く機会もありました。



 そして、今日が見納めでした。中津駅まで行きました。山陽本線での人身事故のために2時間遅れの到着でしたが、たくさんの人がカメラを持って来ていました。拍手の中で「富士」が迎えられました。そして名残惜しむように汽笛を鳴らしながら大分に向けて中津を離れていきました。



「富士」の姿が見えなくなるまで見送っていた駅員の姿が印象的でした。見送っていた人の中には涙を流している姿も。見送っている人の多くもそして中に乗っている人も手を振りあっていました。昭和の時代がちょっと冷たい春風に乗ってまた一つ消えていきました。




名前だけのお別れ会

2009年03月14日 | Weblog
数日前、たぶん異動するであろう知り合いの先生の送別会をしました。日田に赴任しています。その方とは、同じ職場に勤務したことがあります。同じ部を担当をしていて縁がありました。



 そして、同じ日田市で勤務するようになりました。たびたび会うことはありませんでしたが、食事をしたりナイター観戦に行ったりしました。同じ勤務地にいるということでこちらも心強かったです。




 昨年異動するかと思い、お別れ会をしました。ところが、異動していませんでした。「お別れ会してあげて損をした。今度は、あなたがおごらんとね。」



 「今度異動しなかったらずっと日田にずっといないとね。」とみんなから冷やかされていました。まあそんなこんなで今年もその人を取り囲む6人でお別れ会をしました。



 「この会をしたら、異動できないジンクスを作っている。このお別れ会は来年も続くよ。」など言いながら、本当のお別れ会ではなく、食事の名称がたんに「お別れ会」の会?!を行いました。






 かつて担任をして今日田で先生をしている人も参加。今度日田を離れて他県の高校の体育の先生になります。その県の国体に向けて強化チームの監督そして選手として赴任していきます。今年度も大分国体に世話をしていきました。



 今回はある意味ではもっと責任ができます。でも久しぶりに会う姿は、本当に生き生きとしていました。きっとその県に行っても活躍をすることでしょう。



 知り合いの方の場合はこの会に出たので?!異動できるか、するかどうかわかりませんが、教えた生徒は日田を離れていきます。



 これから別れ、出会いの季節・・・3月、4月を迎えます。

旬のPTAの話し合い

2009年03月13日 | Weblog
 年度末は、いろんな事業のまとめの季節となります。今は、PTAの話し合いが旬?となっています。



 特に、今年度は、PTA規約改正がありました。今までは、4月のPTA総会から役員が発足して次の年の総会までが任期ということになっていました。



 
 今度の改正で、任期が4月1日から3月31日までとなりました。PTAの方たちの要望からこのような形となりました。だから、いつもの年より、役員など決めることが早くなっています。



 今週、来週とPTA行事が続きます。夜の会議がほとんどです。昨日は、来季のPTA会長さんなどの選出の会議でした。それぞれの地区代表が集まり、その中から、会長を決めていきます。



 出てきた人たちみんなが前向きに発言してくれました。会長となると、一歩引く感じになるのかなあと思いましたが、参加された方の中でだれもがなっていいような感じでした。そんなに時間がかからず決定をしました。




 そして、今日は、PTA会計監査でした。これは、一年間の収支を監査委員に見てもらいます。通帳、日計簿、領収書綴り・・・いろんなものと照合をしてもらいました。




 昨年もそうでしたが、一年間を通していろいろ気を使います。一円でも違ったり、項目がずれていたりすると大変なので、日々細かくチェックをしておかなければ、あとの整理が大変になります。




 でも入金や出金は連絡員の方がよくしていただけるので、ありがたいです。監査員のための弁当も行きつけの食堂のおばちゃんが、「つくってあげるよ。」とボリュームたっぷりの弁当を作ってくれました。気合いが入りました。ありがたかったです。




 決算報告書に印をもらったときは一年間、管理に気を使っただけにほっとしました。




月曜日は、PTA役員会、そして、木曜日は、学年末PTA及びPTA臨時総会さらに夜は、懇親会とさらにPTA活動は続いていきます。




 それぞれの会をするときのレジメなどの準備が大変と言えば大変ですが、昨日の会にしても今日の会でも、お家の方がすごく協力的で、会のあとの雑談が弾みます。



 まもなく今年度のPTA活動も終わろうとしています。

五馬の梅源郷

2009年03月11日 | Weblog
一昨日は、卒業式のお礼状を生徒が配れない地域に持って行きました。郵送でもいいのですが、持っていくと地域の様子も分かります。季節の移り変わりの景色がすばらしいところが多いです。


 今は、広い敷地に梅の花が満開に咲いているところがあります。梅は、天瀬町の隣りの大山町が有名です。「梅を作ってハワイに行こう」の言葉のもとに梅づくりを進めていきました。




 天瀬町も大山町の隣りということで、梅の木を植えているところが多いです。梅の花が今満開となっています。先日、大山町ひびきの郷の梅祭りに行きましたが、すごい人手でした。しかし、すでに花が散りかけていました。ちょっと残念。しかし、五馬は、標高が大山より高いので、今が花の盛りとなっています。とてもきれいです。春の訪れを十分に堪能することができます。




 また五馬は雑木林が多いところです。クヌギの木などが植えられています。その雑木林の雰囲気は、高原独特のものだと思います。落ち着きのある風景となっています。




 今の季節、枯れ葉が地面に敷き詰められていて、葉がない雑木がまとまって立っています。絵になります。枯れ葉の上に横たわりたいなあという場所もあります。ちょっとした軽井沢の感じです。




 梅に雑木林に素敵な風景です。



     
 子どもたちが配れないところは、そんな場所が多いです。
 冬には、雑木の枝から粉雪がさらっと落ちて、雑木林からの木漏れ日に光りながら揺れながら雪が舞い落ちている現象に出合うことがあります。五馬のダイヤモンドダストです。




 秋は、雑木林の紅葉、春は新緑。かったかくんがお薦めする隠れたスポットをいろんなものを配布する中で見つけました。




 今まで自然をこんなにじっくりと見たことはありません。五馬に来て自然の美しさに心が奪われることが多いです。





 自分の心にゆとりがあるから美しさがみれるとかでなく、見ただけでだれもが感じる美しさだと思います。自然の美しさが広がっている五馬です。



(綴りをここまでで休憩)



 とここまで綴り、学校を出て帰るときに、梅の花の写真を撮ろうと6時くらいに車に乗り込みました。すると、環境整備の方が、車でやってきて、



「どこに行ってるのかな。」




と話しかけてくれました。「梅の写真をとりに・・・。」と言うと、



「そりゃ、もっと学校に近いところにきれいなところがあるよ。」




と教えてくれました。「車でついておいで。」ということで、軽トラの後を追いました。車で7~8分ちょっと登ったところでしょうか。きれいな別荘地がありました。学校の近くにこんな素敵な別荘地があるなど知りませんでした。




 その横にたくさんの梅の木が一面に植えられ、満開でした。グランドよりまだ広い面積です。桃源郷ではなく、梅源郷でしょうか。とてもきれいでした。いい香りを漂わせながら写真のように春を演出しています。




 別荘、梅の花、そして、高台から見える山々の景色・・・今まで見た五馬の景色の中でも指折りの景観でした。




「すごいいいところだろう。ここの別荘の仕事もしているんですよ。」と環境整備の方。 雑木林の木立の中にある別荘の雰囲気がすごいです。モダンなつくりです。そこから見える九州山地の山並み、下に見える五馬地区の家々。




春の風がすっと頬にあたり気持ちがさわやかになるような感じでした。




 下の写真は、木立から日が沈んでいく様子です。ロマンティックな光景です。





 「ここは、朝、よく雲海が見えるんですよ。雲海があるときは教えてあげるから見においで。」




 「ぜひぜひ。」と言うことで、雲海が広がったときは伝えてもらう約束をしました。新たな五馬の発見でした。

これやんからの手紙

2009年03月11日 | Weblog
「先生、新聞に出ていたね。」
と大阪にいるこれやんからの電話。今朝の朝刊の投稿欄にエッセイが掲載をされていました。

今から、30年前になるでしょう。大学3年生の時、付属中学校に教育実習に行きました。そして、大学4年生の時の実習も同じ学年を担当しました。実習の最後の日は、涙涙でした。そのときの生徒にこれやんがいたのです。

それからのつきあいです。他にもまだ連絡を取り合っている人が数人います。全国各地で活躍をしています。みんなすばらしい仲間です。前にも話したように、そのときに、「健先生」と呼ばれていました。だから、長男の名前を「健」とつけました。そんな思い出のあるクラスですし、忘れることができません。

結婚式の時も何人かで大分からかけつけてくれました。自分の教員として原点があのときの実習にあると思っています。わずか一ヶ月の実習でしたが、すごい本が一冊できるくらいの内容は十分にあります。この時のドラマは、また退職をしてから書きます。テレビのドラマになってもいいくらいです?!


もうお子さんも大きくなっています。


「大分にいるお父さんから電話で教えてもらった。お父さんが電話で記事を読んでくれたんです。」と話をしてくれました。お父さんの心配りに感激でした。

お父さんは、大分のテレビ局に勤めていましたが、奥さまの実家の中津で退職後は過ごされています。お父さんの電話番号も教えてもらい、すぐにお礼の電話をしました。とてもなつかしい時間でした。