かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

見送り役だったのかも

2011年11月30日 | Weblog
先日の日曜日からふるさとを離れている子どもが帰ってきました。近くに住んでいる子どもたちと一緒に食事もしながら何日間を楽しく過ごしました



 久しぶりにゆっくりとふるさとを離れて暮らしている子どもが今日まで帰省をしていました。



 近くに住んでいる子どもたちも帰ってきて、姉がプレゼントしてくれたフライヤーを使ってみんなで楽しく食事などをすることができました。


 なかなかゆっくり帰省することのない子どもでしたが、今回は、時間を取ることができ、みんなで会話を弾ませました。今日、また戻っていきましたが、なんとなく家がぽっかりと空いたような雰囲気になりました。




 家族の中で見送り役っているような気がします。



 主観的ですが、幼い時から、ふと一番下の自分や親があてはまるのかなあと思います。自分には姉が二人いて、3人兄弟の末っ子になります。



 まだ姉たちが学生だった頃、当時交通事情もよくなかったせいもあり、家の近くから中津の高校に通う場合は、下宿する学生がほとんどでした。上の姉が高校に通い出し、家を出ていきます。



 下の姉が高校に行くために、また一人家を離れていきます。


 さらに上の姉は、今度は大学にいくために、もっと遠いところで暮らし始めます。大学ともなると、めったに帰ることがないので、姉たちが車に乗って、それぞれの生活にもどっていくときに、父や母が手を振りながらも涙を流していたことが今でも心に残っています。




 見送ったあとは、何となく家がひっそりとしていました。大学のあとは、今度は、結婚で家を巣立っていきました。自分以上に父や母にはいろんな思いが交錯していたことでしょう。




 今日、子どもが生活しているところに戻っていきました。寂しくは感じますが、それはそれで、自立していっているんだなあと思うようにしています。今度は親の立場です。



 無事に着いたという電話があったのは、何よりでした。


太鼓日本一

2011年11月29日 | Weblog
禅海太鼓「和」のグループが日本太鼓ジュニアコンクール全国大会において全国優勝を果たしました。その優勝祝賀会に参加をさせてもらいました。会の中で、すばらしい演奏を聴きました


 日本太鼓ジュニアコンクール全国大会が開催されました。本耶馬渓町に禅海太鼓「和」のグループがあります。いろんなコンクールやイベントに活躍中のチームです。中学生を主体に活動をしています。


 メンバーの中に三光中学校の生徒もいます。

 
 禅海太鼓がこのコンクールに出場して見事、全国優勝を果たしています。



 先日優勝祝賀会が行われました。たくさんの関係の方々が集まっての会となりました。各都道府県から選ばれたチームが出て競演をしました。祝賀会の中で、コンクールの様子がビデオで映し出されました。


 すべての都道府県から出ているのですから、会場がいっぱいに埋め尽くされています。ビデオで見ていても緊張感を感じます。発表の瞬間、優勝のアナウンスがされて、メンバーの目からは感激の涙がこぼれていました。過程の中でいろんなことを乗り越えつかんだ勝利であると思います。



 全国優勝を果たすためには、わたしたちの目には触れることのないところでどれだけの努力を積んでこられてきたでしょう。生徒たちはもちろんのこと、指導者も力を入れてきました。



 三光中学校の生徒が、ケーブルテレビの学校紹介があったときに、
「尊敬する人は、太鼓の先生です。先生のような人になりたいです。」
という言葉がありました。



 先生と生徒がめざすものは一つにがんばってきた思いがあるのでしょう。そして見事優勝。おめでとうございます。



 祝賀会の中で、禅海太鼓の演奏を聴かせてもらいました。いつ聴いてもすばらしい演奏です。エネルギーを感じます。聴いている人の心を揺さぶる感動の太鼓の音色と調和です。



 生徒も学校での姿とまた違ったものがあります。汗をとばしながら、快音を体全体で太鼓と向き合い、響かせていました。感動の時間でした。



 今度の日曜日には、三光中学校で演奏をしてくれるようになっています。一流の演奏をぜひ、三光中学校の生徒に聴かせてもらいたいと思います。楽しみです。





「大分の若い風」展

2011年11月26日 | Weblog
労感謝の日、お誘いがあって大分県立芸術会館に行きました。「大分の若い風」展が開催されていました。若手の書家の方たちの展覧会が開催されていました。思い思いに書かれた作品を見ながら心の潤いを感じました


 校区の知り合いの方から書道の「大分の若い風」展が芸術会館で開催されることを聞いていました。その方も出品なされるというので、先日鑑賞に行きました。休みということもあって、たくさんの人が会場を訪れていました。


 会場の中には、気持ちが込められている作品が展示されていました。



 偶然にも大学時代の同級生や先輩も来ていました。この作品展に出品されているということでした。いろんな作品の説明をしてくれました。



 同級生の作品は紙が長いので、表装は中国でしてもらったといいます。すごい。でもこの作品は、どこで書いたのだろう。またどこに飾るのだろう。とてもダイナミックな作品です。同じ同級生とは思えない。




 先輩の作品は、障子の格子の枠一枚ごと一字ずつ書いて作品にしています。「子どもから大人まで気軽に来てもらいたい。だから興味をひかせる作品はあるけれど、書道の本質はぶらしたくない。」とこの作品展の意気込み。



 技を持っていることはうらやましいですね。もっと幼いころに習字などを習っておけばよかった。今になって後悔。




「書き始めてから終わるまではわずかな時間だけど、それまでの集中力などの心の持ち方が重要になってくるんだよね。それが楽しいんだけど。」
なるほど。



 字を見ながら、きっとこの作品を書かれた方は、こんな性格じゃないかなと人柄も想像します。それぞれの作品に特徴がありました。知り合いの方の字も心の熱さを感じます。


 中津からもたくさんの人が鑑賞に来ていて会話が弾みました。


 夕方からの会があったので、ゆっくりと見ることはできませんでしたが、書道の素晴らしさを堪能しました。


純粋な子どもたちの心

2011年11月23日 | Weblog
今日の午前中は、モラロジー研究所の作文コンクールの表彰式がありました。それが済んでから、大分での書道展覧会、夕方からは、「ZENKAI太鼓 和」が日本一になった祝賀会が行われ、充実した一日を過ごすことができました



 午前中にモラロジー研究所主催の「伝えよう!いのちのつながり」の作文コンテストの表彰式に出席するために、中津市文化会館に行きました。



 三光中学校が団体の部で「モラロジー研究所賞」を受賞しました。



 個人の部、団体の部の表彰がありました。厳粛さと温かみを兼ね備えた表彰式でした。アナウンサーの方が、特別賞及び優秀賞を受賞した個人の部の作文を朗読しました。聴いていると、胸が熱くなる作文ばかりでした。



 表彰式のあとに、会場に来ている受賞者の方、審査員の方々に会場インタビューがありました。


 アナウンサーの方が、マイクを向けると、いろんな子どもたちの本音の気持ちの部分が出されました。感動することが多かったです。例えばこんな話がありました。



 おばあちゃんが交通事故で亡くなり、おじいちゃんが、脳梗塞で倒れました。両親と小学生の娘たち4人で農業の作業や家事を手伝うということでした。家族がまとまって生き抜いている様子の話を聞いて、感動しました。




 小学3年生の女の子は、何かあったりすると、亡くなったおじいちゃんに手紙を書くそうです。そして、作文を仏壇にあげるという話をしてくれました。すごい優しい気持ちの子どもです。



「もう少し生きて欲しかった。」と言います。インタビューの中で、作文ことが話題になりました。作文の終わりでは、おじいちゃんに対して、「ありがとうございます。」という結びになっています。



「ありがとうございました。」ではなく「ありがとうございます。」という言葉は、きっと、この女の子の心の中では、おじいちゃんが生きているというか存在していることを意味しているんだろうと想像しました。




 インタビューの中で、子どもたちのたくさんの優しく美しい心に接することができました。




 すべての子どもたちは、純粋な心を持っていると感じました。それをどのように成長させるのかは、大人の責任が大きいのです。



 作文朗読、子どもたちへのインタビューなどで、この場にいるだけで自分自身の心も柔らかくしてくれているような思いがしました。「命のつながり」の作文を書く中で、生徒たちも自分自身の生き方を見つめなおすいい機会になったことだと思います。



 大分県知事賞を受賞した作文にありましたが、支えあって生きていくためには、「人を思いやる温もりが必要であり、優しさをもって生活したい。」という言葉がありました。



 これからも子どもたちが温もりのある生き方ができるように、大人も見守っていきたいものだと思いました。


秋から冬へと季節は移ってきています

2011年11月22日 | Weblog
なんとなく天候が不順なこの頃です。夏日があったかと思えば、今日の朝の冷え込みは厳しかったです。先日の土曜日の朝は、雨が激しく、川は濁流となりました。そんな最近の気候です



 今日の朝、学校に行こうとして、車に乗り込んだら前が真っ白で見えない。フロントガラスが凍り付いています。初氷?


 車の温度計を見ると、1度となっています。朝の冷え込みが厳しかったです。つまり朝方は氷点下まで下がったのでしょう。



 つい最近、夏日があったかと思えば、この冷え込みです。繰り返しの中で、だんだんと季節は冬へとなっていくのでしょう。




 このところ、天候も不順で、この間の土曜日の朝は、すごい雨でした。川も濁流となっていました。朝学校に行くときに、川に沿って走るところがあります。なんとなく恐ろしさを感じ、ついつい車を中央線によらせながら走りました。


 同じ学校の先生もそのようなことを言っていました。それほど恐ろしいほどの濁流でした。



 3年前まで日田の五馬に2年間勤務していました。五馬高原と言われるだけに、寒さもすごいものがありました。九州山地の中です。


 家の気温より4~5度低かったです。土日に家に戻っていて月曜日に家から学校に行くときのことです。



 家が0度だったとしたら、五馬の学校に着いたときは、マイナス4度~5度といった気温となっていました。同じ大分県でもこんなにも気候の違いがあるかと思いました。冬には、朝は、マイナス4度、5度の世界が当たり前という感じでした。




 寒いといろんな現象があります。例えば、学校の窓ガラスが凍りついていたこともあります。下の写真でわかるかなあ。透明なガラスですが、凍って白くなっています。




 他にも・・・。学校の斜面が白くなっています。最初は、雪かなあと思ったけれど、深い霜の朝でした。
            



 外には、昔はよく踏んだものですが、長い霜柱がグランドにできていました。踏むとサクサクという心地よい音がしました。



 温暖化と言われる中で、冬を感じることができないこの頃ですが、冬の季節をしっかりと体感することができました。寒いですが、なんとなく冬の訪れが嬉しくも思いました。




 下の写真はなんだか分かりますか。これは、グランドに落ちていたテニスボールです。ボールに氷が張り付いています。寒い一夜を過ごしたボールです。



 でもテニスボールを拾った上を見上げると、日が昇る前の木々と空が綺麗だったことを今でも覚えています。その時の写真です。



 たぶん、今日の五馬も寒さの中での風景がきれいだっただろうなあと思いながら、エンジンをかけ、フロントガラスの氷が溶けるのを待っていました。

合唱祭が来月に

2011年11月21日 | Weblog
毎日、学年練習や全校練習で合唱祭の向けての練習が始まっています。来月の日曜日に三光中学校の合唱祭が開催されます。目標をもって取り組みの強化をしてもらいたいと思います


小学校に勤務しているときには、秋に小学校の文化祭的な行事がありました。



「西谷文化の祭り」「樋田っ子文化祭」「木の子まつり」などネーミングも考えてきました。先日、おばがいる施設に行ったときに、「樋田っ子文化祭」のポスターが貼られてありました。



ちょうど勤務しているときに、「図書館祭り」からちょっぴり地域にも広げていこうと「樋田っ子文化祭」と当時の児童会や先生方とネーミングを考え変えました。まだその名前が残っていることが懐かしく感じました。



 劇などをみんなで創り上げたことが懐かしく感じられます。劇づくりなどをすると、クラスがさらにまとまっていくことを体感できます。あの頃の子どもたちも大人になっていますが、それぞれの劇のことは忘れることはないと思います。



 中学校に勤務してからは、合唱コンクールとなっています。一番最後にクラス担任したときに、生徒たちが歌いたいと言ってきたのがカーペンターズの「イエスタディ ワンス モア」です。英語の曲でした。



「できるのかなあ。」
と思ったけれど、生徒たちが英語の先生に発音を聞いたりしながら創り上げていきました。全校合唱は、「大地讃頌」でした。




 ある知り合いの方が病気で苦しんでいました。携帯電話を使って、クラスで練習している生徒たちの歌声を聴かせました。もう亡くなりましたが、思い出の合唱コンクールでした。



 今、生徒たちは、12月初旬の合唱祭に向けて練習に励んでいます。今週末はリハーサルとなっています。校区内の小学生も見学に来ます。合唱祭を通しながら、みんなが一つの目標に向かって、歌声を完成させて欲しいです。



 
 残り10日間の取り組みがずっと先になっても忘れることのできないいい思い出のひとコマになってくれたらと思います。写真は、昨年の合唱祭の様子です。


12月4日(日曜日)に三光中学校合唱祭がおこなわれます。是非、たくさんのお家の方、地域の方のご来校をお願いします☆



姉たちの来訪

2011年11月20日 | Weblog
この土日に姉たちが、母の見舞いなどを兼ねて訪れてくれました。母にとっては、娘たち、孫たちが集まってくれました。元気だったらどんなに喜んだことでしょう。でも時折見せるほほ笑む顔が母の喜びを表しているのかも知れません




土日を利用して、姉たちが母の見舞いを兼ねて訪問をしてくれました


 娘二人、孫、ひ孫などが集まって母を囲むことができました。たくさんの人たちに囲まれて、ふだんはベッドで寝ている母も、にぎやかな時間を過ごしました。



 また母を介して、日頃は関東、四国、九州と別々のところで生活していますが、夜遅くまで顔を会わせながら楽しく談笑することができました。来た孫たちも結婚しているので、連れ添う家族同士もつながりを母が持たせてくれたと思います。




 父や母たちが元気なころ、
「きょうだい、まごどうしがいつまでも仲良くしてくれることが一番のしあわせ」
と口癖のように話していました。また何かにつけそのような方向にいつも仕向けてくれていたことに感謝をしています。



 その思いがかなえられていること、そして母のもとにみんなが来てくれたことに母もそして亡くなった父も満足をしていることでしょう。昨日は、姉たちが、そして今日は孫たちがご飯を母に食べさせてくれました。



 何より、これから担っていく若い孫どうしみんなが温かいつながりを持てていることがとてもうれしく思います。


大分県中学校文化祭

2011年11月18日 | Weblog
中文連主催の大分県中学校文化祭が宇佐市のウサノピアで開催されました。大分県合唱コンクール、大分県吹奏楽コンクールで金賞を受賞した学校の演奏などを聴くことができました。秋が深まっていく中で、文化を香りを感じました




 大分県中学校文化祭が宇佐市のウサノピアで開催されました。この文化祭の開催は、昨年度から大分市を離れ、郡市持ち回りになっています。今年度は県北地区の担当でした。主に宇佐市が中心となって準備を進めてきました。会の役員にもなっているので、参加させてもらいました。




 三光中学校からも2年生がこの文化祭を見るために、宇佐に行きました。



 合唱、吹奏楽においては、夏のコンクールで金賞を受賞した学校が参加をしています。すばらしい演奏を繰り広げました。




 地元開催地からは、豊後高田市の河内中学校から、「西叡太鼓」が披露されました。25名という小さな中学校ですが、そのうちの16名がステージにあがり、豪快に演奏をしました。



 さらに真玉中学校から、「真玉歌舞伎」を披露。めったに見ることができない文化に触れました。すばらしい演技でした。生徒たちも真剣なまなざしで見入っていました。




 ここからは、金賞校の演奏。大分市の判田中学校、大分大学付属中学校の合唱。きれいなハーモニーが会場を包みました。



今、合唱祭に向けて、生徒たちは頑張って取り組みをしています。さらによりよいものを創っていこうとするいい機会だったと思います。




 次に豊府中学校の演劇。中学校で演劇部があるのは、わずかです。そのレベルの高い劇を見せてくれました。




 最後に吹奏楽部の演奏です。別府市の朝日中学校、中津市の中津中学校、そして、大分市の大分中学校・高校の演奏を聴くことができました。コンクールと違い、文化祭ということで会場を楽しませてくれました。



「AKBヒットメドレー」や「JIN~仁 メインタイトル」「もののけ姫セレクション」などトップレベルの演奏で文化祭を盛り上げました。
 


 生徒たちの感想を聞くと、
「どの学校もすごいね。先生、感動をしました。」
という言葉も。



 きれいな文化をたくさん聴いたり見たりすることは、心の潤いにもなりますよね。今日の出演者は同じ中学生。それぞれの目標は違っても、きっと2年生は刺激を受けたことと思います。自分の今していることを、せいいっぱい充実させて欲しいと願っています。





 もう一つ感激をしたことがあります。大学時代の野球部の先輩である先生がこの日のために、文化祭のステージ横断幕を習字で書いていました。もともと習字の師匠ですが、先日の話し合いの中で、「よかったら、しますよ。」と引き受けていました。



 横断幕のみならず、表彰者の賞状一枚一枚すべて手書き。賞状をよごさないために、右から書いていくのではなくて、上から書いていったそうです(意味分かるかなあ。)すごいの感動。あんなきれいな字の賞状をもらって、もらう人もすごく感激をすることでしょう。
 



 たくさんの感動をもらった一日でした。

生徒総会が行われました

2011年11月17日 | Weblog
生徒総会が今日の午前中に行われました。いよいよ生徒会も3年生から2年生に移り変わります。学校の中のいろんな組織が2年生中心となっていっています。もうそんな時期となってきています



 今日は、午前中、体育館はちょっと寒かったのですが、生徒総会が開かれました。3年生から2年生へと生徒会がバトンタッチされました。学校の主軸が2年生になりました。バトンタッチ・・・。



 8年前に三光中学校に勤務していたときに野球部を担当していました。部活の練習試合に行っているときに、何度か電話がきました。




「お父さんが具合が悪いから、すぐに帰って来て。」



監督を保護者の方にお願いをして、涙を拭きながら病院に直行した思い出があります。でもその時は、なんとか持ち直しました。やっぱり親って死なないんだろうなあ・・・なんていうような錯覚にも陥りました。



それから幾分体調もよくなりました。ある土曜日の午後、午前中の部活が終わってから、父のお見舞いに行きました。容体がよくありません。



 主治医の先生がやってきて、「たぶん、二、三日かも知れません。」との言葉。その日は、聞き取りにくい声でしたが、父と話ができました。姉たちも駆けつけてくれました。その会話が最後となりました。その会話を一生懸命に録音しました。



 あれから8年が過ぎました。父から自分たちの代へとバトンタッチがされました。父の思いを大切にバトンを受けたことへの重みを感じながら、思いを大事にしていきたいと思っています。




 母は、父が亡くなってすぐに、認知症を患いました。でも母からバトンタッチはまだ受けようとも思いません。自分の名前を呼ぶこともないけれど、母がいる存在感は、まだまだ自分の中で大きな支えとなっています。




 命のバトンタッチというのは、生きている限りどこかで受け、どこかで渡さなければなりません。生徒会も2年生へとバトンタッチがされましたが、今まで多くの先輩たちが思いを大事にしながらつないでくれました。



 受けた2年生が、伝統の継承をし、さらにレベルアップ(発展)を図ってほしいと願っています。




 今日は、学習のこと、学校美化のこと、生活規律のことなど種々の取り組みが提起され、可決されていきました。lan(プラン)Do(実行)heck(反省)ction(改善)のPDCAサイクルのPの部分ができあがりました。これからD・・・つまり実行・実践をしていく時です。



 学校をいい形でうんと盛りあげてほしいと願っています。2年生、よろしくお願いします。


海を眺めながら

2011年11月16日 | Weblog
知り合いの方に誘われて、ヨットに乗る機会がありました。今まで、釣舟などには乗ったことがあるのですがヨットから見える海の風景は初めてでした



 先日の日曜日、知り合いの方に誘われて、延び延びになっていた「ヨット体験」をさせてもらいました。


 「海に行くよ。」


と言われていましたが、日程がうまく組めずに今までいましたが、ついに日曜日に決行ということになりました。




 知り合いの方は、セーリングの国体選手でもあります。最初はセーリングに連れて行かれるのかと思い、躊躇しましたが、ヨットでの体験でした。



 中津の港に行くと、すでにヨットが用意されていました。すぐに出航をしました。



 エンジン付きで中津港の沖まで出て行きました。ダイハツの船などが停泊をしていました。写真の海もきれいでしょう。そこで、エンジンを止めて、帆を張りました。「スーッ。」と船が進んでいきました。波が船の横で「バシ、バシ」という波の音がなんとなく心地よさを感じました。



 下の写真が帆を張ったところです。




 知り合いの方は、さすがです。風の向きをしっかりみながら、進路をとっていきます。



「ヨットを進ませるためには、帆の上の線を見ておくんですよ。」



 よくは、理解できませんでしたが、風をとらえることが大切なことはわかりました。帆の上には、風向計もありました。
 かじもとらせてもらいました。


「むかしは、いるかがヨットについてきていたのですが、今はそんなことはなくなったですね。」

へえっ、中津沖でもそんな時代があったのか・・・。



 中津沖からみる中津の町並みもきれいでした。
 
 

 沖から上がると、ヨット仲間の手づくり小屋へ。
 海の男たち?!だけに、気さくな方ばかりでした。話も弾みました。



「またいつでも乗りに来て下さいね。」
という言葉を受けながら帰りました。はじめての違う世界を体験させてもらい、気分爽快のちょっとした航海の旅でした。



感動のドラマ 県駅伝大会

2011年11月15日 | Weblog
大分県駅伝競技大会が行われました。この大会をもって今年度の三光中学校の中体連関係の行事は終わります。7月から4ヶ月間、生徒たちは、一週間に1.2度の練習に頑張ってきました



 7月からいろんな部から希望する生徒を集めて、臨時の男女の駅伝部を結成しました。それぞれの部に影響ができるだけでないように、日曜日の夕方に1時間程度練習を積んできました。



 市の大会では惜しくも女子は予選突破の2位以内に入ることができませんでしたが、男子は優勝。中津市第一代表として、大分県駅伝競技大会の出場権を得ました。



 7月からの練習でした。練習時間が限られた中で、いろんな方が、指導して下さいました。お家の方、隣の小学校の校長先生、元三光中学校そのほかたくさんの方が、日曜日の夕方グランドに来て下さり、和気あいあいの中、また時折の厳しい練習の中、わずか1時間の練習でしたが、取り組んできました。



 生徒たちもいろんな方々がいい形で関わりをもって下さり、幸せだったと思います。いろんな方たちの影響を受けながら、技術も心も成長を遂げてきました。



 そして、今日の大分県駅伝競技大会。県の大会ともなれば、市とは違った緊張感あふれる雰囲気があります。大銀ドーム周辺コースで予選を突破した25チームが参加して開催されました。



 緊張感の中でもやる気を見せたチームができていました。試合前のコンディション作りもみんながしっかりと整えていました。



 1区は、2年生Kくんがいい位置につけました。2区では、Sくんが3キロ9分台に迫る10分5秒の自己記録で3区へ。3区のTくんは、1年生からの選手。安定して走りで4区へつなぎます。



 4区は、最短の2キロ区間。ここで3年生のOくんが快走。区間7位。見事でした。そして、5区のNくんへ。貧血というアクシデントがありましたが、気力でたすきをつなぎました。感動のたすき渡し。「あまり覚えていない。」というくらいのきつさの中でもしっかりとつなぎました。



 アンカーは1年生のUくん。1年生ながら見事に2人を抜いてゴールへ。昨年の23位からなんと14位に躍進しました。




 また素晴らしかったのは、出場することがなかった選手です。しっかりと責任を決めて、選手をサポートしていきました。この働きがなければ、躍進もなかったでしょう。「縁の下の力持ち」になって責任を果たしたことは、何ものにもかえることができない大きな財産となったと思います。




 駅伝でがんばり抜いたことをこれからの学校生活の中にも活かしていって欲しいと願っています。




 生徒たちに感動をもらいました。これからも駅伝のみならず生徒たちのたくさんの素晴らしいドラマを見ていきたいです。

同じ世代に生きて

2011年11月14日 | Weblog
同じ世代で、いろいろとお世話になってきた方の訃報に接すると何とも言えないせつなさと寂しさを感じます。昨日、道路に立てられた通夜、葬儀の看板に教えた生徒のお父さんの名前を見てショックを受けました。



今日の朝、通勤で車を走らせていると、
かつて担任したことのあるMちゃん姉妹のお父さんが亡くなったことを記した葬儀社の看板が目に入りました。


近くに住んでいる方に電話をしました。
「病気で亡くなったんですよ。」
という言葉。



 病気にかからないだろうな・・・というような人でした。とても温和で優しいお父さんでした。何かにつけ、話す機会があり、他界するなんて思いもよりませんでした。



 同じ世代で頑張ってきた方が亡くなることがつらく感じます。自分たち以上にご家族の方は、どれほどの悲しみを抱えておられることでしょう。
 今日の昼から葬儀でした。仕事の関係で葬儀には出ることができなかったので、午前中に斎場にお参りをさせてもらいました。



 3年前、Mちゃんの結婚式の時のことが思い出されます。かわいがってきた娘を嫁がせる喜びと寂しさを語ってくれていたことが今でも強く心に残っています。



「息をひきとるときに子どもたちがよびかけると血圧なども上がってくることもあったんですよ。」



と親戚の方が語ってくれました。あまりにも突然のことで、元気だった頃のことしか知りません。遺影を見ても、逝ってしまったことが実感できません。自分の心の中ではまだお父さんがどこかにいるような気がします。


 今日、結婚式の時の思い出の写真も持っていきました。


 いろいろとお世話になりました。あの優しく温かくみんなを包んでいった姿を忘れることはありません。


 謹んで心よりお悔やみ申し上げ、ご冥福をお祈りいたします。今までたくさんの心配り、本当にありがとうございました。

街を包むろうそくの灯り

2011年11月13日 | Weblog
秋が深まっていく中、いろんな行事が各地で行われています。お誘いがあって、昨日、日田の「千年あかり」に行ってきました。ろうそくが天領の街を淡く灯していきました



 『過去千年 未来千年」過去の歴史をひもといて今ここであかりをともして立ち止まり、さらに未来へとつなぎ、この町にも歴史にも光があたってほしいとの願い』

ということから平成17年から竹灯ろう2万本が川や豆田町の周辺を埋め尽くし、千年あかりと名付けられました。その千年あかりが昨日から日田で行われています。



 昨日は、日田にいる時からお世話になった知り合いの方たちからの誘いもあってわずかな時間でしたが、千年あかりを見に豆田町の方に行きました。


 以前、花月川の明かりを見たことはありましたが、豆田町の千年あかりは初めてでした。


 千年あかりが開催されている豆田の街はたくさんの人たちが訪れていました。いろんなところに竹とうろうのアートが飾られています。ほのかに揺れる炎がなんとなく辺りを落ち着いた雰囲気にさせ、街全体を趣のあるものにしています。




 歩きはじめてまず、目に入ったのが、「がんばろう 日本」という灯ろうです。今年は、みんながそんな思いの中で生活をしてきました。

 さらに進んでいくと、
「幸福の鐘」
というアートが。竹灯ろうの前に鐘がありました。多くの人たちがいろんな願いを「鐘」を鳴らしながら祈っていました。



 雑誌などによく掲載されている「秋子想」という築200年という民家風のレストランの前で立ち止まりました。ふだんは、ちょっとお値段もするのですが、
「牛すじカレー 300円」
 夕飯も食べてきました。しかし好物のカレーの匂いと300円にひかれ、入っていきました。


 夕飯プラスカレーを消化するために、ちょっと歩かなければ・・・。


 いろんな竹とうろうの芸術を堪能しながら、知り合いのお寺で、話を弾ませました。お寺の境内やお堂にもきれいにろうそくで彩られていました。
 きっと準備が大変だったと思いますが、素敵なひかりに包まれていました。



 心のリフレッシュができた夜のひとときでした。

生徒たちが追い越していく姿

2011年11月12日 | Weblog
卒業してから生徒たちが頑張っている姿を見る時、とてもうれしく感じます。いつしか自分たちを追い越し社会の中で活躍をしているのです



 学校では生徒であっても、時が過ぎ、社会に出ていつしか考えも行動も自分たちを追い越していきます。でもそんな姿を見る時、とてもうれしく感動することが多いです。


 先日、修学旅行の振り替え休みの時のことです。



 ある小学校時代教えたところの生徒やお家の方が開園している保育園の近くに行くことがありました。めったに行く機会などないので、立ち寄ってみました。園児たちの元気のよいにぎやかな声が聞こえてきました。




 園長さんをしているお家の方は出張でいませんでした。事務をしている生徒のAさんもいなかったのですが、着いてからまもなく戻ってきました。


「あら、先生、懐かしい。」



 すっかりお母さんらしくそして、園の顔になっています。小学校時代、学校の全体の懇親会も園長先生のところのお堂ですることも多かったのです。

 学校の子どもたちも含めて地区のみんなが家族っていうような感じでした。Aさんとしばらく懐かしい話をする時間を持つことができました。



 行って玄関から上がろうとした時に、「先生。」と声をかけられました。今の三光中学校の卒業生のMさんです。保育士として勤務しています。子どもたちがいるので、たくさんの話はできませんでしたが、見る限りに頑張っているということがわかりました。




 Mさんが3年生の時に、自分が家庭科を担当していました。保育の学習をしました。みんなでいろんな遊びを勉強して学校の近くの保育園で子どもたちと交流しました。


 子どもをだっこしている彼女の笑顔の写真がすごく印象的でした。今でも覚えています。


 数年経て、保育士になり年長組の担任をしています。教室をのぞいてみました。

 中学校当時のいい笑顔で子どもたちに接している姿を見たときにちょっと感動をしました。2枚の写真が中学校時代の実習のときのものです。




 小学校時代のTさんもここの保育士です。一緒に話すことができました。お父さんや弟と一緒に野球をしているので、会う機会が多いのですが、保育園で見るとしっかりとした中核の保育士として活躍をしています。



 子どもさんがこの保育園に通わせている同じ勤務の先生がいます。学校に戻ってから「保育園に行ってきたよ。」といろいろ行った時の話をしました。「この保育園にやってよかったと思っているんです。」とのこと。




 保育園の先生たちみんなが子どもを大切にしていることを感じました。また教えた生徒たちが子どもに囲まれている姿が輝いて見えました。

なしかの意地だ☆

2011年11月10日 | Weblog
秋が深まっていく中、日々いろんなことがあります。いろんな取り組みなども次から次にあります。そんな中、こんなことがありました。意地の一発を出す瞬間が2つありました



修学旅行中の先生たちの打ち合わせの中で・・・。

「それぞれの先生方が撮った写真をどうしようかなあ。」

という話になりました。いろんな意見が出ましたが、

「個人ごとに写ったのをCDにしていいよ。」

と言いました。

「そりゃ、大変やろう。」

という話になりましたが、ここは軽い気持ちで引き受けました。



 それぞれの先生たちが写した写真をまとめました。で、それからです。最初に個人のフォルダを作っておいて、800枚近くの写真を一枚一枚を見ながら、写っている画像をそれぞれの生徒のフォルダに入れていきます。


 最初は、面白、楽しく写真を見ながら入れていきましたが・・・。次第に数をこなしていくうちに、過酷な作業になりました。ちょっとは要領を覚えました。


①一回につき、せめて、8人が限度だ。
②同じクラスの生徒がやりやすい。
③男子は男子で、女子は女子ですると見つけやすい。



 平均で一人あたり、フォルダに分類してCDにして・・・とすると、30分かかります。


「ほらほら大変ち、言うたでしょう。」たしかに・・・。

「いやいや、ここは意地で最後まで・・・。」変な意地。


でも出来上がった生徒には、渡しています。喜んでくれる時がちょっと嬉しいかな。



でも・・・。


あるお家の方から、「写真、よかったら下さい。」と言う言葉。なにぃ。すでにこの生徒には、CDを渡している・・・。なしか。


 呼び出して、「あのなあ、どんくれ、○○をさがすために時間かかっちょっと思っちょるんか。。。ちゃんと家の人に見せな・・・。」と恩着せがましくお説教?!「あの、今日、帰ってから見せます。」まったく。



 あと、半分の生徒。意地でがんばります。



 2つ目です。先日の土曜日のこと。ある高校の記念式典がありました。出席をするために学校から高校へと向かいました。途中、ちょっとのどが渇いたので、自販機へ。



 ミネラルウォーターを買うために、値段の110円を入れました。電気がついて、ボタンを押しました。あらら・・・出てこない。



 お金がひっかかったのかなあと思い、もう一度、110円を入れました。ここも意地の投入。さらに出てこない。この自販機は貯金箱かい。



 自販機を置いてある店に行きました。だれもいない。きっと貯金をしてそのままの人もいたかもしれません。またこれからもそんな人がいるかもしれないと思って、自販機に書かれている0120のところに電話をしました。事情を説明しました。でもなんだかこちらが悪いような感じ・・・。



 しばらくしてから、市内の営業所の方から電話がありまいた。



「すみません。よくなりました。今のペットボトルは柔らかいものがあるので、引っかかって落ちないことがよくあるんです。お金をどうしましょうか。」

「いやいや、よくなればいいですよ。」ここも強気の意地?

「そりゃ、悪いですから。では、勤務先までお持ちします。」

「わざわざ220円のために、悪いですね。」

「悪いのは、こちらですから。そこのところはよく通りますし。」すごく対応が優しい。


 
でも・・・一週間たっても持ってこないのは、なしか。ひょっとして、おなじ名字の先生のところに行ったのか・・・明日聞いてみよう。