かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

STEP勇気づけ技法

2013年08月30日 | Weblog
「子どもらを幸せにできる学舎に」
          心がけ過ごす2学期もすぐそこ


 



おとといの午後、大分大学付属教育実践総合センターで福島県の短期大学の先生が来県。その先生の講演を聞きに行きました。




「STEP勇気づけを活用した中学校の生徒指導の実践」というテーマで話をされました。




以前、先生の本を読んだことがあります。福島という遠い地に住んでいる先生の話を直接聞けることは、最初で最後かも知れないので、いろんな行事に断りを入れて、出かけました。




小さな研修室で20人くらいの中で一番前で、目の前で聞くことができました。





ちょっと感動。斬新な考え方で生徒たちに接しています。本を書いた頃は、中学校の数学の先生でした。「勇気づけ」という手法を用いて、学級崩壊をしたクラスを立て直していったことを書き表しています。



先生の境地にはまだまだ至ることはできませんが、多くのことを学びました。勇気づけの姿勢は次のようにとらえています。






①あるがままの子どもを受け入れる。
②子どものよい点や長所に目を向け、建設的な見方をする。
③子どもを信頼して、先走りをしない。
④結果よりもプロセスを認める。
⑤長所や能力に注目し、人の役に立っていることを感じさせる。



その姿勢の中で、目標は、




①子どもの言動の目標を理解し、それを建設的な方向に導き、そして子どもを勇気づける。
②子どもの話をよく聴き、子どもも親や教師の言葉に耳を傾ける効果的なコミュニケーションを創る。
③子どものしつけに関しては、日常生活の中で子どもたちに『自然の結末』などを体験させることを通して、責任感を育てる。



中学校教師、武道家をめざす空手家、半そでから出ている腕は筋肉もりもり。そして何より若い。



そんな先生が管理型から「子どもを幸せにできる教師」をめざした実践家に変貌して子どもとのあたたかな関わりを持ち続けて活動しています。



残りの教師生活。少しでも「子どもを幸せにできる」先生に近づくことができることをめざしたいです。

いぶし銀・・・勝負師

2013年08月27日 | Weblog
脇役に徹したプレー十九年
          今季限りの引退寂し






宮本慎也という人を知っているだろうか。知っている人は知っている、知らない人は何のことだか。






プロ野球ヤクルトスワローズの遊撃手です。現在42歳。8月26日に、今季限りでの現役引退を表明しました。あと2カ月で引退です。けっして派手ではありませんが、渋いプレーヤーです。いぶし銀、勝負師的な存在感のある選手です。テレビで宮本選手のプレーを見るのは楽しみでした。





ちょっと紹介をします。。2004年のアテネオリンピック野球日本代表では、予選より長嶋茂雄代表監督より主将の指名を受けています。2008年の北京オリンピックでも星野仙一監督から主将をまかせられていました。2012年に2000本安打を放ち名球界入りを果たしています。



しかし、それ以上の記録があります。



バントなどの犠打数が通算400を超えています。史上3人目です。犠打がなければ安打ももっと増えているかも知れませんが、縁の下の力持ちの役に徹しています。



2011年に、292回の守備機会で失策をわずか1つに抑え守備率’997を記録し、三塁手の守備率のプロ野球新記録を更新しています。エラーがわずか一年間で一個。信じられないプレーです。



「ファインプレーがいかにも守備でのファインプレーだったとなると、たとえアウトが取れたとしても、投手には打たれてしまった気分が残るから、難しい打球でも簡単に取っているように見えることが守備の能力として必要だ。」



難しいプレーを、いかにも簡単に見せていました。そのため、宮本選手は難しいゴロも正面でさばく守備をしていました。自分がスポットライトを浴びるのではなく自分のプレーから他の選手をひきたてていきました。存在感のある脇役に徹していました。



今月の8月、試合に負けたのにも関わらず、シャワー室で大声ではしゃいでいた選手に「場をわきまえろ。」と叱責。侍の雰囲気も持っています。





名言もたくさんあります。
「チームは背中と口で引っ張る。」


「脇役の一流になれたと思います。」(2000本安打を打って)



「球道即人道」 (勝てばいい、上手くなればいいという考えで、野球以外のことを大事にしない選手は人間として成長できないし、心も育たない。ひいては野球でも成果が残せなくなる。ゴールは野球にとどまるものではないということを心にとめておきたい。また野球を通じて幸福になるための勉強をしているという意味)



「変化できない選手は通用しないですね。特に顕著なのが外国人選手ですよ。俺はこのスタイルでここまで来たからこれでやるというのはやっぱり駄目ですね。なんとか日本のスタイルを学ぼうとした選手が成功していますよね。典型なのがラミレスですね。日本のスタイルを学ぼうと努力した選手ですね。」



「プロのアスリートだって、やってきたものしか持っていないんです。それ以上のことはできない。」




重みのある人の言葉には重みがある。

上からドウキュウセイ

2013年08月26日 | Weblog
同級生卒業以来の再会に
         恩蒸し返す上から目線





先週、別府ビーコンで研修会が2日間行なわれました。九州大会でしたので、九州の各県から参加者がありました。主催は大分県だったので、受付の係を担当しました。



熊本県担当です。会場がいっぱいになるほど多くの人で席は埋められました。 
「おーっ、元気?」
見ると、くまもんに似ているけどくまもんではなく、大学時代の同級生で、同じ学科でした。いろいろ苦労をおかけしました。



大学時代以来の再会です。
「久しぶり。」
何か当時に戻ったような懐かしさ。名簿、名簿。名簿を見ると、ない。
「名前がないぞ。」
「苗字が変わったからね。」
あった。天草にいるのかあ。





「覚えてる?おまえは、ちーとん勉強せんと野球ばっかだったよな。俺んおかげで、卒業できたんだからね。」




第一声からそうきたか。たしかに・・・。何から何までお世話になりました。あなたがいなければ、卒業できていないかもしれません。




昔のことをよく覚えているし、相変わらず饒舌で。

「来年も会おう。」

はい。




相変わらず、上から目線で。しかし、恩があるから許そう。

ひと区切り

2013年08月25日 | Weblog
向日葵が晩夏の雨にこうべ下げ
          訪問客に「今日はごめんね」






今日も大雨警報が出る天気でした。梅雨のような天気となっています。大分県西部ではかなりの雨が降ったようです。



予報が少し外れて、警報が出ていましたが、そんなに激しく雨も降らずにほっとしたところです。




そんな中で、お盆の後片付けを土日で行いました。なかなか平日にする時間がないので、時間が経ちましたが、土日に延ばしていました。




今日は、教えた生徒のてっちゃんのお父さんも来てくれました。お盆で使ったいろんな道具や飾りなどを持って帰ってくれました。居間にいろいろ置かれていた提灯や飾りがなくなり、何となく部屋の静寂さも感じます。父の時も母の時もすっかりてっちゃんのお父さんにお世話になりました。




支払いなども済ませて、すべてが終了しました。子どもとして父、母の見送りができたことで何となく気持ちの中でひと区切りがついたような気がします。





ここまで来る中で、家族、きょうだい・・・周りの多くの方たちに支えられたことに感謝の気持ちでいっぱいです。また時間を経過してから、なお一層、両親の存在感の大きさ、そして感謝の気持ちが溢れてきます。




片づけが終わってから、お盆に行くことができなかったので、連れ合いの両親のところに行きました。年齢を重ねてなかなか外に出る機会が少なくなっているので、ドライブも兼ねて食事に誘いました。





「ひまわりフェスタ」の鑑賞がてら長崎鼻に行きました。「長崎鼻リゾートキャンプ場」近くに広がる段々畑で、約100万本のヒマワリが順次見ごろを迎えています。




しかしこのところ天気が崩れています。雨で太陽が隠れていたために、向日葵も元気なさそうにこうべを垂れていました。青空、青い海、潮風、ひまわり・・・とギラギラ太陽が照りつけていたら壮大な風景だったでしょう。


しかし、海を見ながら食事ができました。





ちょっと残念でしたが、あわただしく時間が過ぎていく中、気になっていたお盆の片づけ、両親へのあいさつといい時間を過ごすことができました。

猛暑から猛雨?

2013年08月24日 | Weblog
猛暑日を忘れるような降る雨に
        ひんやり秋風カーテン揺らす





秋雨前線が南下して、梅雨に戻ったようなしとしとと降る雨。時折、雨が屋根に激しくたたきつけます。島根大雨が発生しています。




昨今、ニュースで「今までに経験したことのない雨」「特別警報」(予想される現象が特に異常であるため、重大な災害の起こるおそれが著しく大きい旨を警告する新しい防災情報)などの言葉がよく聞くことができます。それほど異常気象が発生しているのでしょう。



テレビを見ていると、住んでいる地域に対して、
「大雨警報」
「洪水注意報」「雷注意報」「竜巻注意情報」
などが出されました。




雨が激しい時に、よく家の周りをまわります。状態を見ておかないと、家が傷んでしまいます。今日も、ぐるっと一周回りました。といの穴に木切れが詰まっていて、雨水がといからあふれ、家に激しくかかっているところがありました。はしごを持ってきて、急いでといのそうじをしました。水がすうーっとといを伝って落ちる音が聞こえはじめました。なんとも言えない心地よさ。




猛暑が続いてきましたが、今度は猛雨?




自然の力には勝つことができません。

夏休みの課題の追い込み

2013年08月23日 | Weblog
継続が力をつける根幹の
         時を重ねて大きな山に






小学校時代に勤務した頃、百人一首に取り組んでいました。中学校勤務時代には、野球部の顧問をしていました。そこで生徒たちに伝えていたことがありました。百人一首に取り組むのは、生徒を担任してからです。子どもたちは「0からのスタート」です。




1学期中に百首を覚える、2学期中には下の句から上の句が言える・・・3学期は実践練習です。一定の生徒だけでなくみんなを達成させていくといかなければ意味がありません。3学期にはいろんな大会があります。


列車に乗っていきながらみんなで転戦をしました。





取り組む前はお家の方と百人一首をしたときに、お家の方が強い場合がありました。しかし、1学期も中盤になると、もう子どもにはかなわなくなります。言いたいことは、一日の進歩はほんのわずかですが、その努力が積み重なったら大きな力となります。


その実感をして欲しいということも取り組もうとする重要な要因でした。





中学校の野球も同じです。当時は、小学校時代に野球をしてきた生徒は1人か2人でした。ほとんどの生徒が中学校から野球を始めました。キャッチボールからの練習です。




この生徒たちが小学校から野球をしてきているチームと対等に試合をするためには、日々の練習と効率的な練習の積み重ねをしなければなりません。





野球を始めたときは、他のサッカー部の生徒の方が上手な場合もありました。しかし、2ヶ月、3ヶ月となると、もうサッカー部もかないません。つまり日々の練習の成果です。



小さな力の積もりが大きな力に変化しています。



さらにそれが効率性を高めると、都市部のチームにも勝つことになります。別府にある強豪の私立中学校にも、最初はかなわないことがありましたが、勝つ試合も出てきました。



「継続は力なり」と言いますが、継続することが成長の基本です。小さな一歩でも毎日一歩ずつ歩けば、100日で100歩先に行っています。




今日、夏休みの課題を終わらせるためにたくさんの生徒たちが学習に学校に来ていました。



三光中学校では「90分以上学習(モア ザン ナインティ」」と言いますが、まったく毎日学習をしていない生徒がいたとします。毎日90分学習する生徒がいたとします。100日経ってもかたや0分です。90分した生徒は9000分です。当然、力が違います。






9000分という経験をしているのです。そこで0分の人は、「あの人は頭がいいから。」と経験の違いを能力に責任を転嫁します。生徒たちにも継続的な学習をして、自分のめざす進路を実現させて欲しいと願っています。

コスモス園の種まき

2013年08月22日 | Weblog
満開に咲いて欲しくて種を蒔き
         コスモスアートの完成祈り






今日は、朝7時からの駅伝の練習から、夕方まで久しぶりに一日中学校にいました。かつての学校と違って夏休みはいろんな研修会が続きます。また学校にいても会議や研修などが行われます。




ここ最近、どんどん行事が入ってきて、先生たちも夏休み、生徒たちとゆっくりと向かい合うというような時間が減ってきているというのが実感です。




今日もそんな感じでしたが、ちょっとだけほのぼのとした行事がありました。それは、「三光コスモス園」でのコスモスの種まきです。





ちょっとコスモス園の紹介をしましょう。昨年度の紹介です。





『約16ヘクタールの広大な転作田に咲く1600万本ものコスモスが、ピンクのじゅうたんのように広がっている。九州最大規模のコスモス畑として知られる中津市三光の「三光コスモス園」が見ごろを迎え、大勢の人たちが散策を楽しんでいる。


三光地域の11集落営農組合でつくる「日本一のコスモス園をつくらんかいエーノーグループ」が、地域活性化を目的に、5年前からコスモス園づくりに取り組んでいる。』 






コスモス園は毎年同じ場所で開花させることはできないので、開化させる場所を年ごとに少しずつ移動させています。





昨年度は、学校の近くだったので、音楽室からコスモス園をきれいに見ることができました。また駐車場が学校の近くだったのでたくさんの観光客が見えられたり、ぶらぶらと散歩をする姿が、なんとなくミニミニ軽井沢のような感じがしました。




今年は、学校から500メートルくらい離れているところがメイン会場となります。午前中、部活生や先生方と一緒にそこまで行って、種をまきました。





暑い、とにかく暑い。着くまでに汗びっしょになりました。田んぼに右のような絵が描かれていてそこに、部活割り当てがあります。なに色の種をまくか計画がなされています。部が責任をもって、下の図面通りにまいていきます。「アート共同体」です。




一昨年はうまくいかなかったのですが、昨年は見事コスモスのアートができ、ちょっと感動しました。目を奪われるほどの美しさだったのです。





生徒たちが地域の行事に関わっていくことはとても大切なことだと思います。ふるさとに貢献することがふるさとに自分の存在感を感じることにつながっていくと思います。また自然とふれあう中で、あたたかな心の成長にもつながっていって欲しいと願います。

暑さの中の幸せ☆?

2013年08月19日 | Weblog
猛暑日がオンパレードの水無月は
           日照り続きで水も無き月







暑い、とにかく暑い。異常気象なんでしょうか。朝、水をやったのに、庭のプランタで育てている植物も夕方家に帰ると枯れかけています。立ち直りに期待するしかありません。




昨日、日田に行きましたが、日田盆地に入ると、一気に車の温度計が上昇しました。納得です。今朝の新聞によると、「日田で38.7度。2日連続日本一」平年は33.1度だそうです。すごい。





日田に勤務していた時に、ある方が、「玖珠には負けられん。」と言っていました。暑さにも勝つ、負けはあるのでしょうが、でもこれほどまで気温が上がると、負けた方がいいかも。





猛暑日、真夏日とは、一日の最高気温がそれぞれ35度以上、30度以上になる日のことですが、大分市でさえ、猛暑日が連続12日続いているということです。1981年から2010年までの大分市の8月の平均気温が下の表にあるように、27.3度となっています。




過去の最高気温が31.8度だったので、温暖化傾向がどれほど進んできているのかがわかります。








今日のニュースで、「ゲリラ台風」の発生する可能性があると言っていました。どういうことかと言うと、例えば、東京のすぐそばで台風が発生する可能性があるということです。それほど海水の温度が上がっているのです。




そのため、発生してすぐに東京などにも上陸ということが考えられると報道していました。




そんな中にも暑い、暑いと気候に文句を行っても仕方ありません。暑さの中にも幸せなことを見つけましょう。





2つ見つけました。





一つ目はそれは、夜の風です。昼間は暑くても山あいの川沿いでは夜になると、風も涼しくなります。窓をあけて、冬布団をかけて寝る幸せ。毛布では明け方は寒いです。昼間の暑さは変わりませんが、夜は、ちょっとぜいたくです。





二つ目は、鈴虫です。先日学校に前の校長先生が、鈴虫を持ってきてくれました。昼間でもいい鳴き声をしています。、リィーン、リィーンと鈴のような心を癒してくれる鳴き声を聴かせてくれます。涼感のある雰囲気になります。



先生たちがキュウリやナスを飼育箱に入れています。これも幸せを感じさせてくれます。




8月7日は立秋でした。暦の上では立冬まで秋です。しかし、この暑さはいつまで続くことでしょう。とにかく暑い。

五馬の台地へ

2013年08月18日 | Weblog
採れたての水分甘い梨つまみ
          五馬の台地に思いを馳せる




暑い毎日が続きます。お盆が終わり、ちょっと日田に行く用事がありました。昼過ぎ、車に乗ってスタート。




日田で用事を済ませてから、梨を買うために懐かしの五馬の台地に足を延ばしました。




農園まで行きました。五馬中学校を離任してから5年の年月が経とうとしています。月日のたつ早さを感じます。途中の風景がとても懐かしく感じました。高台から見える玖珠の風車、九州山地のきれいな山並み・・・あの頃から少しも変わっていません。




車の温度計も日田に着いて38度までぐいっと上がって、五馬の台地で33度まで下がりました。





農園に着きました。今では迷わず行くことができますが、赴任した当時は、入り組んだ道にどれほど迷ったことでしょう。




家族の方々が作業をしながらも出迎えてくれました。家族で農園を営んでいます。当時中学生だったYさんもしっかりと大学生になって、夏休みに農園を手伝っています。高校時代に吹奏楽部に所属していました。




昨年の九州北部豪雨で高校が災害を受け、県の吹奏楽コンクールに出場できるかどすることができました。




Yさんを含め部員の人たちのドキュメンタリーをニュースで見たことがあります。しかし、実際に会うのは五馬を離れてから初めてです。久しぶりに会い、いちだんとたのもしくなった姿にうれしさを覚えました。





「幸水」という梨を買いました。たっぷりと甘い水分も入っていておいしい梨です。試食もさせてもらいました。




Yさんのお父さんもお母さんも孫ができています。写メで撮った写真や動画をたくさん見せてもらいました。あたたかな梨園での贅沢な時間でした。





せっかくここまで来たので、五馬中学校にも立ち寄りました。赴任していた時に、旧校舎から仮設校舎へ、仮設校舎から新校舎へと3つの校舎での生活を経験しました。



ちょうど、今頃の暑い季節に移転作業をしましたわずか2年の生活でしたが、。グランドに立った時にとても懐かしい気持ちになりました。



当時、環境整備をしてくれていたKさんの家にも行きました。赴任していた時にどれほどお世話になったことでしょう。アポなしの訪問だったので、家族の方しか会うことはできなく残念でした。あとから電話ではしっかりと話をしました。




たくさんの楽しい思い出がぎっしり詰まっている五馬の台地です。




また明日から仕事です。リフレッシュできました。しっかりと一週間がんばらねば。

あの頃に戻った同級会

2013年08月17日 | Weblog
時忘れ声高らかな団欒の
        優しい笑顔はあの時のまま






16日の金曜日に、樋田小学校時代の教えた生徒たちの同級会がありました。20名足らずの少ないクラスでしたが、みんな元気いっぱいでした。こうちゃんがしっかりと仕切って、このクラスでは初めての同級会となりました。



京都や長崎からも帰ってきている人もいました。同級会の場所は、ひでくんのお父さんとお母さんが営んでいる小料理屋の二階です。いろいろご両親からご配慮もしてくれました。




にぎやかな会となりました。久しぶりに会う人もいました。みんなが仲がよく、まとまりのあるクラスでした。




修学旅行の前日で足の骨を折ったまりちゃん。行けるかどうか微妙でしたが、主治医の先生の懸命な治療で行くことができるようになりました。みんなで車いすを押しながら見学をしました。またいろんなところに百人一首の大会に出かけていきました。



クラス劇では、感動あるステージにすることができました。いろんな思い出がいっぱい。




話をしながら、ふとあの頃に戻ったような気になりました。当時のいろんな話や仕事・・・話がつきませんでした。あっという間に時間が過ぎていきました。



みんなとまた会える時を楽しみにしています。

たいせつなもの

2013年08月16日 | Weblog
押し入れの残った遺品に手をあてて
            父母(ちちはは)の顔ふと蘇る





母は、カラオケが大好きでした。父と一緒に、カラオケを歌うのが唯一の趣味でした。仕事が終わったあとや孫たちが集まった席には、必ず家でカラオケ大会をしていました。






そのことが分かっているので、きょうだいや孫たちも家に来るときには、歌の一曲を練習してきたり、得意の歌のカセットテープを持ってきたりしていました。





地域のカラオケ教室にも行っていました。カラオケが地域の交流の場にもなっていました。地域の人にお会いしても「あの頃は楽しかった。」と話を聞くことが多くあります。




カラオケボックス風にしている部屋もありました。




父母が他界しても、カラオケのカセットテープ、8トラのテープ、レーザディスク、プリントされた歌詞などがたくさん残っています。しかし、今ではテープや8トラのカセットなど聴くこともありません。もう機器も不具合になっています。




部屋の片隅にたくさん残っています。よく、父と母が孫も連れ添って、中津や日田の音楽の店にテープを買うためにいい笑顔で車に乗って出かけていく姿を見かけました。





お盆にかつてのカラオケ仲間の方が来たときに、その思い出話に花が咲きました。その話からまた父や母の姿を想像することができました。話の中に、「テープなどがたくさん残っているんですよね。」と話題に出しました。




一番リーダとなる方が話をされました。そこは、年齢を重ねているだけに、話にも重みがありました。




「思い出の品物を捨てるにもつらいものがあるよね。しかし、捨てることも供養だよ。あんたたちにとっては、思い出の物だから、すぐに捨てることはできないかも知れない。だからもう一年くらいもっちょきない。」





あと一年くらいもっちょきない・・・つまり3回忌くらいまでは大切にしておいて、整理をしたらどうかというのです。なるほど。わたしたち、きょうだいにこれからもしっかり前向きに頑張ってほしいという思いだったのでしょう。




「捨てることも供養」この言葉がすごく印象的でした。

お盆が終わる

2013年08月15日 | Weblog
立秋のツクツクボウシが鳴きはじめ
           ほおづき飾りお盆を迎え






今日でお盆が終わりです。お墓のあるお寺まで夕方お参りに行きました。



幼少の頃、自分自身、お盆ではお墓参りとかいう経験はあまりありませんでした。というのは、社会人になるまで、家は昔で言う「よろづや」を営んでいました。簡単に言うと、「なんでもや」です。



昭和時代の田舎のことですから、売るのは「掛け売り」です。買い物や配達に行っても「つけておいて。」というのが、一般的でした。だから、お盆の時と年末は、集金に回らなければ、生活ができません。




お盆や年末は、店は支払いに来た人でごった返していました。また小学校に上がったころから、請求書をもって、子どもが行ける範囲のところをかばんをぶらさげて一日中歩いて周りました。



お金をくれたら、名前と金額を書いて幼い字で領収書を書いていきました。




それでも子どものことです。いろいろ傷つくこともありました。



「お金なんか、ねえ。」
「もう払った。」「では、領収書を見せてもらえますか・・・。」
「こんなの、もらっちょらん。」
「こんつぎ、払うわ。」この次となると、数か月先になります。そうなると、商売もあがったりになります。父とあとからもう一度行くことになります。
 




悪いことばかりではありません。
「えらいねえ。アイスクリームでも食べて行きなさい。」
「おつりはおこづかい。」




そんな家もありました。今でも、どの人が優しかったかなどしっかりと記憶に残っています。




特にお盆の前やお盆は、友だちと遊ぶなどそんなことなどありえませんでした。また家でどこかに行くなどの経験もありません。一年の中の一大事の時期です。生活をしていく上で、大事な期間を家族で支えていました。




しかし、両親が店をたたんでからは、お寺などに行く機会ができました。この時から初めてお盆の雰囲気を感じることができるようになりました。




今回は、母が亡くなって初めてのお盆でした。ゆっくりとお盆の行事をつとめました。




「迎え」に行って「送って」行きました。きょうだいたちも帰ってきて、たくさんの親戚が泊まって行きました。ふだんの静かな家に賑わいが帰ってきました。お盆を通して、母をはじめ祖先の人たちが、多くの人と人とのつながりを深めてくれました。

かつての生徒との再会

2013年08月13日 | Weblog
やまなしの楽しい思い出よみがえる
            時がすぎゆく早さを感じ







小学校6年生の国語の教材に「やまなし」という宮沢賢治の童話があります。




『お父さんの蟹は、遠めがねのような両方の眼をあらんかぎり延ばして、よくよく見てからいいました。
「そうじゃない、あれはやまなしだ、流れて行くぞ、ついて行って見よう、ああいいにおいだな。」

なるほど、そこらの月あかりの水の中は、やまなしのいいにおいでいっぱいでした。三ひきはぼかぼか流れて行くやまなしのあとを追いました。』






童話の一部です。自然や風土を香りや色や感触で表したものが多い宮沢文学。空想的で現実からはなれて物事をとらえている童話もたくさんあります。西谷小学校で「やなまし」を学習した時、「先生、ぼくんちにやまなしがあるよ。」といういっくん。




自分自身の経験の中で「やまなし」とは今までの体験の中で、出会った・・・ことはありませんでした。こちらも初体験です。「やまなし」の単元が終わった時に、いっくんの家の近くにあるやまなしの木があるところまで、いっくんがみんなを引き連れて行ってくれました。




まずは、おばあちゃんにあいさつ。いつもやさしく子どもたちに接してくれていました。今は、他界しているのが寂しく感じます。
「みんな持って帰っていいからね。」
とおばあちゃん。やまなしを落とす棒と袋までくれました。





でかい。やまなしはでかかった。ドッチボールの球よりちょっと小さいくらいの大きさ。木にぶら下がっています。棒で落としていきました。みんなグローブを持っています。下でキャッチング。食べることができないほど、収穫しました。楽しい時間でした。




しかし、ドラマが。終わり近くになって、まあくんがキャッチングをミス。やまなしをグローブではなく顔面でキャッチ。おいおい。鼻血が。やまなし鼻血事故。グローブで一旦クッションをつけていたので、鼻血もすぐ止まりました。


子どもたちにとっても生涯忘れることのできない楽しい思い出。






6年生で担任をしたやまなしのあるところに連れて行ってくれたいっくんと今日は、話をする機会がありました。




おねえちゃんのたかちゃんと一緒に家に来ました。たかちゃんは、4年生、5年生、6年生の3年間担任をしました。「たかちゃん、早く嫁に行かんとね。」と言うと、「せんせい、いい話があるんよ。」




小学校時代、読書好きですが、のんびり屋のたかちゃん。「あのねえ・・・。」早く次を話せよね・・・というくらいののんびりぶり。





しかし、都会の事務所でしっかりと経理をしているだけ、頭もキレます。こちらが一言いうと、十言くらいばりばり言葉が返ってきます。

「せんせい、結婚するようになったよ。」




ついに・・・。





いっくんも生活の中で、いろいろ頼りにしています。またたかちゃんともこうして、いつまでも交流を持つことができてうれしく感じています。

熱い夏の続き

2013年08月12日 | Weblog
戦いも終わりあるから始まりも
         エンドレスの燃え上がる夏




九州大会などから生徒たちは戻ってきました。それぞれ力を発揮しながら、戦いに挑んできました。この大会までに苦しい練習も重ねてきました。それがなければ県代表までのぼりつめることはできません。




暑い夏の熱い戦いの夏は終わりました。しかし、熱い夏は続きます。例年より少し始動は遅くなったのですが、お盆の前になって、10月に行われる市駅伝大会(県駅伝大会予選)に向けての練習が始まりました。


駅伝大会は臨時の部です。それぞれの部から選手が集まってチームが結成されます。




臨時の部で思うことがあります。正式な部なら年間通して部員たちが練習に取り組んでいます。駅伝は達成感等を感じることはしっかりとできますが、ある意味、練習がきついところもあります。



学校が荒れているところや生徒に意欲がない学校では、臨時の部では駅伝で走る生徒は集まりません。避けていく傾向があります。チームも結成できません。学校にパワー、エネルギーがある学校は、なんでも頑張ってみようと思う生徒たちが、たくさん出てきます。




それが生活面や学習面でも落ち着いたいい雰囲気を創っていきます。生活、学習で頑張れるから、駅伝などでも自分の力を発揮させてみよう・・・その循環で学校が形成されます。




またいろんな人としての効果もあります。自分の専門の部だけでなくいろんな指導者との出会いがあります。いろんな人との出会いの中から生きていく中で、大切なことを学んでいきます。



それをまた自分の専門の部で生かしたり、生きていく上で支えとなる心を創ります。駅伝でも数名の方が指導にていねいにあたってくれています。


今、学校では部活動そしてこのような臨時の部も、勝利という点だけでなく、未来にむけて線としてとらえて指導してくれている強さがあります。



駅伝そして部活動の練習を見ていると、生徒の接し方、意欲を高めるための言葉がけなど自分も学ぶべきことが多くあります。これから2か月、駅伝では、部活動や受験学習の合間の中で、練習を進めていきます。




昨日は、卓球部の新チームで中津市予選で5人の選手が予選通過して県大会に出場することができたそうです。熱い夏がさらに種目や選手が変わっても続行中です。

つながること・・・父母見送り

2013年08月11日 | Weblog
今あるは祖先のつながりあったこそ
           父母見送り役割果たし






朝から母の初盆の法要を行いました。昨日より姉たち、孫たちが集まっていました。父や母は子どもたち、孫たちが集まることをこよなく楽しみにしていました。初盆の法要でなく、もしこれが両親が健在であればどれほど喜んだことだろうと思います。



昨日から来てくれていたので、昨日の夜は15人近くが家に集まり泊まりました。にぎやかな法要の前日の夜となりました。子どもたちも食事の準備をしてくれました。





朝、親戚の人たちも集まってくれました。高齢になってきている人もいますが、いてくれる存在感は心強いものがあります。母に何かにつけて関わりがあった人ばかりで、感謝しています。お寺の法上さんが来て下さり、お経をあげてくれました。




続いて、いつもお世話をしてくれるTくんの料理店でみんなで食事をしました。法事などは古来からあるものです。いつも思うのですが、法事ってよくできているなとつくづく思います。




法事によって、ふだんは何かと忙しかったりして、会うことが少なくなっている人もいますが、みんなが顔を合わせます。




亡くなった人、つまり自分で言えば、母が「あとはみんなでまとまっていくんだよ。頼むよ。」と言うことでみんなを集めてくれたのかなと思ってしまいます。通夜、葬儀はもちろんのことですが、それから初七日、49日・・・初盆、むかわり(一周忌)、三回忌・・・とみんなが集まる機会、法要は続きます。




なんとか初盆の法要が終わりました。昨年、突然の母は逝ってしまいました。とまどいの中で、時間は過ぎていきましたが、この初盆まででなんとか自分の代の責任が果たせたのかなと思います。



それはきょうだいたちも同じ思いをしていると思います。寂しくも父そして母を見送りました。





こうして祖先の人たちは、順繰りで、「死」の悲しみと向かい合いながらも見送っていくという責任を果たしてきたのだと思います。子どもたち、孫たちがあたたかく初盆の法要の時を迎えていきました。




それぞれみんなは、戻って行きましたが、にぎやかな時を母はどこかできっと喜んでいるのだろうと勝手に思っています。