かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

出逢い・・・別れ

2010年03月31日 | Weblog
教員になって思うのですが、3月31日と4月1日は、大きな環境の差があります。3月31日。今まで、一年間、一緒に生活をしてきた先生たちが職員室にいます。しかし、4月1日は、赴任してきた先生たちとの新しい生活が始まります。



 今回、5人の先生たちが離任をしていきます。今日、3月31日。転任していく先生たちが、身の回りの整理や引き継ぎをしていました。その様子を見ながら、寂しく感じました。もう、一年間過ごしてきたみんなで過ごすことはないのです。4月からは、新しい生活が始まるのですが、寂しさが募りました。



 そして、時間になると、
「お世話になりました。」
という言葉。下駄箱まで見送りました。袋に上履きのスリッパなどを詰め込んでいる姿に、いろんな思い出がそれぞれによみがえってきました。離任をしていきました。




 そして、17時。帰る時間となりました。退職される学校嘱託の方と戸締まりの確認をしました。この一年、本当にお世話になりました。いろんなことを教えてもらいました。



 校門の施錠をして、「いろいろありがとう。」と言って車に乗って帰って行きました。車を、見えなくなるまで見送りました。ぐっとくるものがありました。


 自分の車に乗って、エンジンをかけようとすると、電話がありました。
「先生、見送りありがとう。」
そう言われると、ぐっとこらえていたものが、壊れて涙が出てしまいました。
「本当にお世話になりました。」
とせいいっぱいの言葉で言うと、
「もう、それ以上は・・・」
ということで、電話を切りました。




 明日から、また新しい生活がスタートします。しかし、三光に来てからのいろんな出会いもいつまでも大切にしていきたいと思います。




 「箭山の空」も今回で最終回です。「箭山の空」にこの一年間の思い出が詰まっています。この一年間、本当にありがとうございました。冊子にして大切にとっておきます。

かったかくん流学級経営論・学力論⑩

2010年03月31日 | Weblog
①2日一回は、5教科すべての家庭学習を自主学習の中に取り入れよう



自主学習に取り組む前に、まず、学習スタイルの確立が大切です。生徒にこんな質問をしたことがあります。



「家で、社会はいつ学習した?」
「えっと、いつだっけ。家ではほとんどしていない。」
これでは、学習していない教科の力がつくはずがありません。また、点も伸びません。計画的に学習する力がついていないのです。担任や学年主任をしたときに、必ず生徒にさせることがあります。



「2日に一回は、5教科すべてを学習しよう。」です。そして、2時間30分の家庭学習の時間を提起します。



1 英語・理科・国語
2 数学・社会・国語



この教科を必ず、交互に学習させます。1の日には、英語に1時間、理科に1時間、国語30分。2の日には、数学に1時間、社会に1時間、国語に30分です。このようにすれば、5教科を2日のうちに一度は学習をすることができます。「いつ、勉強したかわからない。」ということはなくなります。




「英語ができない」生徒の場合、その原因をたどると、家庭学習時間は、たいていの生徒が少ないか、していない傾向があります。その原因に「英語ができない」生徒の家庭学習時間は、たいていの生徒が少ないか、していない傾向あります。




できる生徒とできない生徒には、学習経験の差が考えられます。「数学が苦手だ。」という生徒がいます。苦手というと、その時点で、意識の中に、数学ができないと認識して、ずっとそれがハンディとしてつきまといます。




「苦手ではなくて、点をとりにくいんだ。あなたの学習経験が少ないんだ。」と言います。



数学の学習経験を増やすことを考えてあげます。家庭学習を2時間30分とするならば、2の学習時間を数学に1時間15分、社会に45分、国語に30分と設定します。少し、取り組み方に変化を持たせます。




大学受験は、教科によって、傾斜配分があるところがあります。大学によっても受験教科が違います。傾斜配分の高い教科の点を取りやすいと、合格しやすくなります。




一方、たいていの高校は、5教科すべてが受験教科となっています。高校受験は、大学受験とは、性質が違います。




どの教科の点も伸ばさなくてはならないのです。例えば、数学の点が取りにくいと、その分を他の教科で補わなければなりません。




高校受験は、点をとりにくい教科を作らないことが大切なのです。そこを意識して、家庭学習の取り組みをしていきます。

春満開、笑顔も満開

2010年03月29日 | Weblog
春です。みんなの気持ちも軽やかになるのでしょう。春の陽射しを浴びながら、人も、草も花も虫たちも活動的になります。


 そして、先日、母のところにお見舞いに行きました。ふだんは、眠そうにしている母。声をかけても話はするのですが、なかなか目を開けてくれません。しかし、この日は、お見舞いに来るのを待っていたかのように、笑顔がいっぱいです。天気もよかったので、みんなで、裏庭の桜の花を見に行きました。



「満開の桜を見に行こうかね。」
と言うと、
「きれいだろうねえ。」
と話がかみ合います。下の写真のように桜も青空の下で、きれいに咲いています。


ゆっくりと母のところにいる時間を、なかなかとることができませんでした。姉たちから送ってもらったお菓子を一緒に食べたりしながら、時間を過ごしました。心地よい春風を浴びながら、久しぶりに外に出る喜びを感じているのでしょう。喜んでいる母の笑顔を見ることができ、とてもうれしく思いました。



外に出ていると、すれ違う施設の人からも、
「今日は、とても嬉しそうな顔をしていますね。」
と話しかけられていました。



 施設のみんなから、優しく接してもらっていることに感謝をしています。母の笑顔も満開でした。

春を感じました

2010年03月28日 | Weblog
 やや雲が多かった土曜日の午後、浮羽の方に自転車を積んで、春の再発見のドライブに行きました。きれいな車窓などからみた花を見て欲しいと思います。


 浮羽に入ると、桃の花も満開に咲いていました。ピンクが鮮やかです。冬の寒さに耐えながら、春が来るのを待っていたかのように一気に花を咲かせています。


 国道210号線から、1キロくらい星野村の方に入り、国道210号線と並行に久留米方向に向かうために、右折をします。



 そして、3~5分、車を走らせると、右手に「流川桜並木」が見えます。たくさんの人が訪れています。土手沿いに桜のトンネルができています。光が反射して、桜の花びらのイルミネーションの中を歩いているようです。延々と2キロくらいに渡って、土手の両側に桜並木が続いています。ここを通るだけで、日々の生活の慌ただしさを忘れさせてくれます。



 自転車を降ろして、土手をサイクリングしました。春の空気をいっぱい吸いました。いっぱい春を体に感じることができます。毎年行っていますが、桜を堪能したいなら、おすすめスポットです。



 土手にそって、きれいな草原があるので、そこでコンビニ弁当を食べました。親子連れなどたくさんの人がシートを広げ会話を弾ませていました。草原には、菜の花がたくさん咲いていました。桜と菜の花がマッチしています。



 ちょうど菜の花の写真を撮ろうとしたときに、列車がファインダーに入ってきました。
 いい雰囲気です。


 そして、十分桜を堪能したあと、次に浅井の一本桜を見に行きました。流川の桜並木から久留米の方に、20分行ったところにあります。人はたくさんいました。しかし、周りの桜が満開とは違って、一本桜は、まだ蕾でした。残念!
 樹齢100年の木です。




 一本桜の花は見ることができませんでしたが、近く咲いていた、ボケの花や、レンギ
ョウの花が見送ってくれました。



 春は、花の季節です。自然がいろんな花で優しさをかもし出しています。



 年度末、年度初めとこれから、一年間で一番緊張感のある日々を過ごします。ちょっと心を潤すことができました。

うすもも色のランドセル

2010年03月27日 | Weblog
 家に帰ると、姉から小包が届けられていました。何かと思い、中を開けてみると、かわいい絵本でした。


 すぐに読んでみました。


 「うすもも色のランドセル」という本です。はやらなくなったカバン屋「ハイカラ堂」に女の子が、「ランドセルをつくってください。」とお願いにやってきました。店の主人のおじいさんは、喜びます。その女の子のために一生懸命にランドセルを作ります。しかし、その女の子は、実は亡くなったおじいさんのむすめの心を持っていました・・・。というような話です。ほのぼのとするようなまた、ちょっとせつないそんな童話です。



 今までにたくさんの童話を姉は書いてきましたが、今回初めて、大分合同新聞社から自分の童話を出版しました。


 書評の一部にこんなことが書かれていました。



「・・・(略)・・・今、改めて自分の書いてきた作品を読み返してみると、私の作品のほとんどに「学校」への思いが込められていることに気づきました。「学校」がいつまでも子どもたちにとって憧れの場所であり、温かい場所であることを願ってやみません。

 また、この作品には、今は亡き父への思いも込めたつもりです。離れていても子どもたちの幸せと、いつも遠くからエールを送ってくれていました。かけがえのない親と子の絆、父は私の中で今でも生き続けていると思っています。」





 前号のかったかくんの冊子「たいせつなもの」の中にも書きましたが、以前姉が創った童話には、こんなエピソードがあります。


 連れ合いが熊本の病院に入院をしていたときのこと。子どもを連れて、路線バスで、見舞いに行っていました。数人しか乗っていない路線バスは、ラジオを流していました。

「けんくんのおうちは、おじいちゃん、おばあちゃん、おとうさん、おかあさん、けんくん、そしておとうとのたくちゃん・・・と六人かぞくです。



 でも、いまは、いまは・・・五人しか、おうちにいません。おかあさんはとおくのびょういんににゅういんしているんです。


「さみしいだろうけど、ほんのちょっとだけだから、たくちゃんとなかよくるすばんしていてね。」
っていって、ちかくのびょういんににゅういんしていたんだけど、それからまた、とおくのびょういんにかわって“ほんのちょっと”が“ずっと”になって、もう十ヶ月になってしまいました。


 ちかくのびょういんにいるときは、ときどきおみまいにいけたけど、いまのびょういんはとおいからほんのたまにしかいけません。

おかあさんにあえないのは、さみしいけど、おじいちゃんやおばあちゃんがなんでもしてくれるし、おとうさんはべんきょうをおしえてくれたりあそびにつれていってくれたりするし、たくちゃんはおもしろいことばかりいっているし、みんなであかるくがんばっています。・・・・・(略)・・・・・・・




 なんだか自分の家族のことと同じようなことがあるんだなあって思ってしんみりと聞いていました。しかし、最後に作者の名前が出てきました。それは姉の名前でした。そんな童話を作っていることも知りませんでした。驚きました。そして、次から次へと涙が伝わってきました。



 連れ合いの病院に見舞いに行っている時のこと、姉の童話が流れたこと、内容も連れ合いが入院をしていること、偶然にも見舞いの途中のラジオで作品を知ったこと。それは、忘れることのできない時間になっています。



 姉の活動には憧れるものがあります。姉の童話を読むと、心が温められます。これからも、多くの人たちに、殺伐としたものになりかけている社会の中で、ぬくもりを伝えて欲しいですね。


 写真は、姉の童話の本と三光中の校庭に咲いている桜の花です。

桜咲くときに・・・

2010年03月25日 | Weblog
桜の花が満開になろうとしている時、教えた生徒のお父さんが亡くなられたという訃報が入ってきました。突然のことで驚きました。すぐにお悔やみに行かせてもらいました。



 家に入ると、残された家族みんなが、涙にくれていました。遺影を見ると、優しく微笑みかけるお父さんの姿がありました。大切な大切な家族を失ってその悲しみは深いものがあります。それぞれが社会人として巣立ち、これからゆっくりと過ごしていくという時だったと思います。そんな中で、どのような言葉をかけていいかわかりませんでした。




「お母さんをしっかり支えていきます。」



と涙ながらに教えた生徒が口を開きました。悲しみの中でもお母さんを支えていこうとする言葉にぐっとくるものがありました。生徒の頬には、次から次へと涙が伝わっていました。
「そうか。頼むね。」
という言葉を返しました。



 今は、悲しみがのしかかっています。



あまりにも重すぎるものです。そして、まだお父さんの「死」を受け止めることができないのが実感でしょう。家族が気持ちの整理をつけるには、遠い先のことかもしれません。




まだその道のりは遠いものかもしれませんが、お父さんの分まで、残された家族みんなでまとまって、歩いていって欲しいと願いました。




 心から、お悔やみ申し上げます。そして、あなたたちの歩いていく姿を見ながら、心から応援をしていきます。

時を刻む古時計

2010年03月24日 | Weblog
親戚の老夫婦で時計屋を営んでいました。しかし、時計は、デジタル化となりそして、老いも感じてきたというので時計屋をたたむことになりました。長年夫婦でやってきた店を閉じるという思いはどうでしょう。時代を生きぬいてきた満足感と、寂しい気持ちが交錯をしているのかもしれません。


 「最後になるから、もし修繕などをする時計があったら言って下さいね。」


 探してみると、二階の使っていない部屋の隅にかけてあった動かない古時計。修理しても動くかなあって思ったものの、とりあえず持って行きました。


「しばらくかかるかもしれないけど。」


と言って預かってくれました。



 ゼンマイ式の時計。幼い頃は、動いていましたが、いつしかほこりをたくさんかぶった状態となっていました。



 そして、先日の休みに修繕をし終わった時計が戻ってきました。磨かれた時計に変身をしていました。一つ一つの部品をていねいに磨きながら、修理をしてくれたのでしょう。


「一週間に一度、ねじをまけばいいよ。」
「ふりこのところの取り扱いに気をつけて。」
と指示を受けました。



 「120年前に製造された時計ですよ。」
ということでした。



 ずっとずっと時を刻んできました。しかし、流行におされて、今までの誇りに埃をかぶった状態となってしまいました。



 振り子がうまく動き、ゼンマイをまきやすいところの場所を選んで、丁寧に据えました。
 


 ねじを巻いて、振り子を動かしました。
昔、懐かしい「カッチン、カッチン。」と音を響かせながら、古時計が十数年ぶりに時を刻み始めました。昭和の時代に戻ったような、幼い頃にタイムスリップしたような気がします。



 時計の針がちょうど8時や9時になると、「ボーン、ボーン。」とアナログの音が部屋中に響きます。父や母、祖父や祖母たちがこの音を聞きながら、時代をつないできました。120年の家での多くの出来事を見つめてきた時計。これからも家庭の新しい歴史を見守りながら時を刻んでいくのでしょう。



 復活した古時計。しかし、おじさん、おばさんもこれからも二人で、いつまでもお元気で新しい時を刻んでいって欲しいと願っています。素敵なプレゼントをありがとうございました。

役員さん、おつかされさまでした

2010年03月22日 | Weblog
先週、一年間PTA活動を中心となって運営をしてくれた6名の三役の方との集まりがありました。みんなでおいしく食事をしながら、一年間をふりかえっていきました。


 新しく役員になられてからいろんなことがありました。その中で、本当に一つひとつのことに子どもたちのことを考えてくれながら活動をしていただきました。何かあると、すぐに対応をしていただきました。



 6名の役員の方々。本当に真剣にそして楽しい活動にしていただきました。新しい役員が決まりましたが、4月の総会までは、任期を務めていきます。しかし、活動はほぼ終わっています。一緒に活動をしてきただけに寂しい気持ちでいっぱいです。


 まとまりをもって運営をしていくことができました。おいしい料理と楽しい話で時間が過ぎていきました。



 本当に一年間お世話になりました。

かったかくん流学級経営論・学力論⑨

2010年03月22日 | Weblog
(4)家庭学習の方法論
 
 今から、学習方法について述べていきます。まず、家庭学習からです。「自主学習」この言葉は、いろんな学校で使われているでしょう。家庭学習の中に、この方法は、取り入れている学校は、多いと思います。


 でも「自主学習」の中味はどうでしょう。わたしは、自主学習は、「自分で学習をしてくる」だけではなく、学習の仕方を身につける」ことも中味だと思っています。学習が遅れている子どもに、「自分で学習の内容を見つける。」ことは、無理だと思います。「自分で学習をしてくる」だけで取り組んでいる先生は、きっと家庭訪問をしたときなどに、お家の方から、


「子どもが何を勉強したらいいかわからない。」


と感想を言われていると思います。心当たりはありませんか。実際にわたしも以前は言われていました。



 そんな子どもの学習内容を見ていると、毎日大きな字の漢字だけ。簡単な計算をわずかにしている。そんなノートだと思います。



 わたしは、いろんな学習の指導をするとき、必ず生徒に伝えることがあります。それは、
『間違いは宝である』
ということです。



「ドリルをしたら、答えを見て必ず、まるつけをしなさい。力を上がるのは、ドリルをしながら間違ったところが分かったときです。その量が増えれば増えるほど、成績が上がるのです。だから間違ったところがわかるようになった・・・ということが大切です。」



成績をあげるということは、
・今まで知らなかったことを知り、理解ができる。
・間違ったところが理解できる。



すでに理解できているところに○をもらったとしても、成績はあがりません。間違ったところにキーポイントがあります


それは、スポーツの世界でも同じです。もちろん長所を伸ばすことも大切です。一方、野球で外角球が打てない、変化球に対応できない選手が、トレーニングによって、外角球でも、変化球でも対応できはじめたときに、大きな成長があるのです。ウィークポイントが少ない選手が、打者として打率を残すことになります。




わたしは、学校で使用するドリル類などは、解答を渡しています。答えを写す子どもは、ノートを見たらわかります。そのときは、評価の時に、しっかりと指導をします。ここを押さえておかないと、あとが続きません。




 そして、わからなかったところ、間違ったところをアドバイスしながらマスターさせます。



 できなかったところをマスターさせる方法、また知識を持つこと方法を含めながら、今から、自主学習の取り組みを紹介します。

桜咲く中の演奏会

2010年03月22日 | Weblog
 3連休の真ん中の休み、そして、桜が咲く中、中津市中学校吹奏楽部合同演奏会が行われました。豊陽中学校、中津中学校、緑が丘中学校、本耶馬渓中学校そして、三光中学校が参加をしました。


 昨日、そして、この日の午前中まで春の嵐でした。ニュースによると、風速30メートルを超えて地域がたくさんありました。全国各地、この嵐による事故がたくさんおきていました。また今年になって2回目の黄砂が覆っていました。


 しかし、演奏会が開かれる午後には、嵐もおさまり穏やかな春の日射しが会場を包む中、中津文化会館で合同演奏会が開かれました。三光中学校は、
①マーチ「春風」
②カルメン組曲より
③ウィ・ア・ザ・ワールド
の3曲を演奏しました。


 3年生が卒業してしまいわずか10名の部員で、この演奏会にのぞみました。今、部活時間は、5時30分までの冬時間です。短い練習時間の中で生徒たちは、一生懸命にこの演奏会に向けて頑張ってきました。そして、すばらしい演奏を披露しました。



 3曲ともに、心のこもった演奏でした。一人ひとりの演奏に、見応え、聴き応えがありました。


 演奏を終えた生徒たちが、ステージから降りてきた表情は、みんなが生き生きと輝いていました。たくさんの部員のいる学校もありました。それも迫力がありました。しかし、人数が少なくても、聴き手の心に響かせる演奏ってあるんだなあってつくづく感じました。


 いろんなことにチャレンジしながら、生徒たちは、確実に成長をとげています。

全員の春を迎えました

2010年03月20日 | Weblog
今、自分がここにいることができること・・・


時として感じることがあります。それは、自分の周りの見えないところでたくさんの人に支えられているということを気づくことがあります。あたかも自分がしていることがすべてだと思っても、一つひとつ活動している裏側には、それに関わってくれている人たち、支えてくれている人が必ずいることを感じます。




 今日の午後、今年卒業した生徒がお父さんとお母さんと一緒に遊びにきてくれました。学校の急用でその時間はわずかでしたが、これから中学校とは違った環境の中で活躍をしていきます。そのチャレンジ精神にすばらしさを感じます。



 話をする中で、お父さんやお母さんの愛情を感じることができました。またそれに感謝する生徒の姿も見ることができました。大きな絆で結ばれていることのほのぼのした空気にふれることができました。




 3年生は、卒業をしていきました。自分の机が3年生の先生たちのすぐそばにあるので、その様子を間近に見てきました。夜遅くまで、受験の書類の整理、一人ひとりの受験に対しての関わり・・・卒業文集の整理、印刷・・・大きな山もたくさん乗り越えていました。たぶん、このようなことは、生徒たちには、伝わるはずもありませんし、その必要もないけれど、進路を決定していく中で、時間を忘れるほどの作業をしています。写真は、夜遅くまで作業をしている先生たちです。




 学校の全員の生徒たちの進路が昨日決定をしました。全員の春を迎えて、特に3年生の先生たちの緊張もとけています。文章にはできにくいのですが、見えるところと見えないところで、生徒一人ひとりのために力を尽くしてきただけに喜びもひとしおです。




 生徒だけでなく自分自身にも置き換えることができます。受験する生徒と同じでここにいること、ここにあることで、また日々活動をしていく中で、どのくらいの人に、支えられているでしょう。またみえないところでもきっと、助けられているんだろうなあって、先生たちの姿を見ながら、思いました。

「なごり雪」からの便り

2010年03月20日 | Weblog
 今日は、春の嵐でした。風、春雷そして、雨が激しいです。この厳しい自然現象があるからこそ、穏やかな暖かな春を迎えることができるのですね。ちょうど、県立一次入試のころ、「なごり雪」が降りました。やっぱりかったかくんが高校受験をするときも同じような雪が舞っていました。



 先日のブログに伊勢正三の「なごり雪」を載せましたが、この唄を聴くと、青春時代のいろんな思い出が脳裏に浮かんできます。



 今日、かつて小学校の4年生と6年生の時に教えたよっくんからメールが届いていました。本当に久しぶりの連絡です。とてもうれしく思いました。

 以前、地元で働いているときは、よく見かけていました。それから、転職。自分にあった仕事に出会い、大分の方で頑張っているという話は、聞いていました。しかし、連絡は、とれていませんでした。


 それが、「なごり雪」からのブログでメールでの再会をしました。
よっくんそして、その仲間とは、本当に友だちのようなつきあいでした。小学校に入ったときから、魚釣りが大好きで、小学校の前の橋からよく釣り糸を垂れていました。それがまたうまいんですよね。野球も大好き。プレイはもちろん、観戦も。よっくんのお父さんたちも連れ添ってプロ野球の観戦にいったこともあります。絵や時も得意。アイデアマンでした。「誕生日プレゼント」と言って、板に似顔絵を彫ったものをもらいました。20年たっても今でも大切な宝物になっています。


「先生お元気ですか。
小学校時代にお世話になりました。ご無沙汰しています。
突然、申し訳ありません。
たまたま先生のブログを見つけて思わずメールしてしまいました。
自分は今、大分のイベント会社で働いているのですが、仕事で、伊勢正三さんのコンサートツアーの照明オペレーターとして、全国を回っています。


なごり雪について、ブログで書いていたので、びっくりして今回こんな形ではありますが、ご連絡させてもらいました。


この歳になって改めて感謝しています。
あれから、かなりの月日が流れましたが、当時の経験が今になってもの凄く活かされているのを日々感じています。


語れば、尽くせないほどの思いはありますが、機会あれば直接あって話しをしたいと思っております。

花粉が飛び交う季節です。あの頃もそうだったとはおもいますが、そのへんも踏まえ体には気をつけて、元気に頑張って下さい。
今後も、ブログを拝見させてもらいつつ、たまにメールさせて頂きたいと思っております。
自分もがんばります。」



 うれしいメールでした。おそらく「なごり雪」の言葉でブログにヒットしたのでしょう。本当に偶然の再会でした。そして、大変だろうとは思いますが、よっくんらしい生き方をしていてうれしく感じます。



 写真は、よっくんが小学校4年生の時に、クラスみんなでサイクリングロードを一輪車でかったかくんの家までのサイクリングしたときの様子と、山国町から中津駅まで、夜中に50キロ歩いたあと、足が動かない状態で出場したソフトボール大会の時のショットです。懐かしい思い出がよみがえってきます。

3年後の再会

2010年03月20日 | Weblog
 おとといの夜、お家の方の計らいで、以前三光中学校に勤務していたときの野球部の生徒たちと会って話すことができました。


 その生徒たちは、学年を最後担当した部員たちでもありました。学年を担当していたので、何かにつけ関わりをもつことができ、いろんな思い出もたくさんあります。全員が今度高校を卒業して大学や社会へと次のステップをふんでいきます。みんなが・・・というのが感激ですね。


 集まったところのお母さんたちがいろんな料理をしてくれていてみんなで、賑やかに食事をしながら時間を過ごしました。

 10人を超えていた部員たちです。毎日、練習に頑張っていきました。楽しかったこと、叱ったこと・・・時が経てばすべてみんな素敵な思い出と移り変わっています。進学した高校ではそれぞれの生活の中で充実していたことをよく耳にしていました。


 決めた進路を無事みんなが卒業しました。そして、3年後、すでに仕事などで2人来ることができませんでしたが、11名の生徒が集まりました。こうしていつまでもみんなが楽しく集まることができることに嬉しさがこみ上げてくるものがあります。中学当時のエピソードや高校生活のことなどわいわい話しながら、あっという間に夜がふけていきました。




 高校卒業後も大学に進んでいく生徒もいます。(一人だけ合格待ちの生徒・・・本人いわくたぶん大丈夫)受験に合格して4月から、家を離れて大学生活を満喫します。


 社会人になる生徒。みんな努力して、地元の企業に就職をします。立場が違って、逆にこれからいろいろとお世話になることもあると思います。これから社会人としてつきあえることを楽しみにしています。



そして、専門学校に進学する生徒。福祉関係や情報関係の専門学校に進みます。その中で、専門知識や技術を身につけていきます。


 まもなく半分の生徒はふるさと中津を離れていきます。大きく環境が変わっていきますが、みんなが健康で、活躍できることを期待しています。休みになり、またみんなが集まったときに、その話を聞かせてもらうことを楽しみにしています。


 彼らのがんばりが、きっと自分自身のエネルギーにもなるのかなあと思います。

一年間のPTA活動

2010年03月16日 | Weblog
 学年末PTAが開催されました。今年度最後のPTA行事です。PTA関係での仕事を一年間やってきました。今日は、PTAの会計監査もありました。


 振り返ってみると、昨年の3月26日、異動の発表がありました。以前勤務していた中学校と聞いて驚きましたが、その後が大変。勤務先の整理、引継ぎ、水道・ガス・電話などの関係機関への手続き、引っ越し、赴任先の引継ぎ、あいさつまわり・・・アパートの関係や勤務の関係で、30日までの5日間で終えてしまわなければなりません。忙殺?!された状態でした。
 


 そして、赴任すれば、始業式まで赴任先の職員会議の準備、学校運営の話し合い。引っ越しがあっただけにあまりに時間が不足でした。勤務していた学校だったので、事情は分かっていますが、PTAの事務となると、また前任校とは違った運営なので、一つひとつやり方を調べなければなりません。



 そんな中でも、本当にいろんな方との出会いという縁で、助けられた部分が多いと痛切に感じます。PTA会長さんをはじめとする役員の方々の機動力、先生方のあたたかさ・・・。体調を壊すことなく、今日で一年間のPTA行事を終えたことがうれしく思います。



 校長先生と一緒に中学校を離れていく会長さんと遅くまで校長室でいろいろ話をしていました。この一年、いろいろあったことなど振り返りながら、長いようで短く、短いようで長い一年でした。何度、携帯電話に電話をかけたことでしょう。でもいつも前向きに学校のこと、子どもたちのことを考えてくれた行動や発言をしてくれていました。


 職員室にいた先生にそのことを話すと、「尊敬できますよね。」という言葉。だれもがそう感じているのでしょう。たくさんのことを学ばせてもらいました。




 仕事をする中でこれからもいろんな人と出会っていくでしょう。縁を大切にしながら、自分自身も成長できたらいいなあと思います。


 
学年末となり、一つ一つの行事が最後となります。今日、開花した桜を見つけました。ラストであり、スタートでもある春を迎えています。

まさひろくんの門出の日

2010年03月14日 | Weblog
 まさひろくんの結婚披露宴が大分のホテルで行われました。ついについにまさひろくんも新しい家庭を持つことになりました。まさひろくんを小学校4年生で担任したときに、かったかくんは結婚しました。何かと縁があります。



 まさひろくんに小学校の時の日記や写真などをまとめた新聞を披露宴で配りました。披露宴会場に入るときに、新郎新婦が出迎えてくれました。「先生、新聞ありがとう。」ってまさひろくんが涙を流しながら言ってくれたとき、ぐっとくるものがありました。



祝辞の中で、
「あたたかい家庭の中で成長をしていきました。学級の行事にも家族で参加をしてくれました。家庭訪問も温かく迎えてくれ、話が弾みました。昼休みや放課後、毎日のように、ソフトボールやおにごっこをして一緒に遊びました。家にもみんなでよく来てくれ、川で遊んだり、魚釣りをしたりしました。思い出はつきません。元気で明るくそして、心配りができるまさひろくん・・・。」と話しました。




 あれから30年近くなりますが、あの頃のことも大切な思い出でとして心に強く残っています。まさひろくんが仕事の関係で、中津を離れたので、会う機会は少なくなりましたが、今でも年の離れた兄弟のように接することができています。教えた生徒というより、お互いに理解し合える人なのです。



門出の時に、立ち会える喜びを感じます。幸せそうな満面の笑顔をたくさん見ることができました。



 近くに写真店があったので、披露宴が終わってからすぐに現像してもらい披露宴の写真を貼ったアルバムと、フォトブックにしたものをプレゼントしました。
新しい家庭の幸せを二人でしっかり創っていって下さいね。