かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

2010年度が終わります

2011年03月31日 | Weblog
いろんなドラマを感じながらついに2010年度が終わります。素敵な思い出もいっぱいできました。でも悲しい出来事もありました。いろんな思いを持ちましたが、明日から2011年度のスタートです。自分のペースで一歩ずつ踏み出していこうと思います


昨日は、離任式があり、夜は、先生たちの送別会が開かれました。寂しい気持ちになりました。一年間、そして、それ以上一緒に生活、活動をしてきた人たちと、これから離れてしまうつらさがあります。


何度か話の中に出しました。
「こうやって、知り合えた縁をこれから大切にしていきたいです。」
 勤務したときだけなく、これから生活していく中で、またこの縁が生かされるときがきっとやってくると思います。そして、昨日は、離任されていく先生方と別れました。



そして、今日。荷物を取りに来た先生もいました。いろんな思いを胸に離れていきました。




 気持ちは、複雑なものがありますが、でも現実は、年度末、年度初めの仕事量のすごさが待ち構えていました。朝から、ずっと書類作成や来年度のPTA参観の小学校との日程調整の連絡・・・仕事のオンパレードです。また、自分の仕事の引継ぎをするために明日からの会議の資料などを作成していました。またそれとともに自分の仕事も。夕方遅くまでかかりました。




「今日は、暑かったあ。」
と部活の顧問の先生方。外は暑いのですが、閉じこもっている室内はちょっと薄着では寒い感じ。昼ご飯の時以外は、パソコンとにらめっこ。




 でもハプニングが。ある学校で教えたお家の方から夕方電話。
「先生、今度、退職だそうですね。おめでとうございます。もうそのお年だったんですね。」
えっ。
 どこで、どうそういう話になったのか・・・。


 
 このブログの文章は、一年間単位でまとめています。240の思いが綴れました。この一年間、無事に過ごせたことに感謝しながら、明日からの新しい年度での新しい歴史の風を感じていきたいと思います。新年度、またこれからもよろしくお願いします。

先生との別れ・・・離任式

2011年03月30日 | Weblog
 30日、学校の離任式が行われました。今日、朝生徒たちが来る前に、先生たちで離任の式を行いました。そして、9時から生徒を交えての離任式。夜は、送別会。一年間、一緒にいろんな活動をしてきただけに、別れていくことがとても寂しく感じました


 離任式の中で、離れていく先生たちに紹介を兼ねて、言葉を言いました。思い出のために、表します。



先生方一人ひとりの似合う漢字は何だろうと思いながら、国語の先生の筆を借りて、書いてみました。みなさんは、どんな漢字であらわしますか。



 今は、今ここに6人の転任する先生がいて今までと同じで、去っていく実感がまだわきませんが、明日、明後日からは、三光を離れ、違う学校や職場で勤務をするのです。そう考えると、寂しくてたまらない気持ちがあふれます。一人ひとりの先生方を紹介します。

校長先生
「温」です。
 三光中学校4年間の勤務でした。温かい笑顔と優しさで三光中学校を包んで下さいました。いつも生徒のことを一番に考えて行動をしてくれる校長先生でした。優しさの中から、いろんな生徒の気持ちを考えて、声をかけながら励ましている姿をよく見かけました。


 校長先生の活動は、生徒を大切にするものでした。三光タイムなどにも積極的に参加をしました。授業中も教室を回りながら、みんなの姿を見ていてくれました。悩んでいる生徒には、家庭訪問もしていただきました。



 そこから生まれる学校だよりは、みんなが楽しみにしていたでしょう。みんなが頑張っている姿が映し出されるものでした。学校の環境整備も生徒のことを考えて、バックネット、図書館整備など平山先生などと相談をしながら、生徒が活動しやすい学校づくりをしていただきました。

~略~
校長先生は、長い先生の勤務を終えられて、退職をされます。これから公民館活動を生徒だけでなく、地域全体のために勤務します。お体を大切に頑張って欲しいと思います。


N先生
 「母」です。
 学校のお母さんでした。みんなに良くなってもらいたいところは、一人ひとりに「びしっ」と話をしていました。それは、先生がみんなへの心からのねがいがあったからだと思います。


 その裏には、一人ひとりを思う優しい気持ちがありました。「こんなになったらうれしいだけどね。」など、いつも話をしていました。いろいろ心配りができる先生でした。その中に2年生59名を中心に引っ張っていく強さをもった頼れる先生でした。



 生徒が休んだとき、悩んだとき、困ったときは、きちんと一人ひとりに寄り添っていました。その信頼関係の厚さが、今日、T先生が転任していくことへの寂しさを感じている生徒が多いのではないでしょうか。



 先生は、忙しく授業、部活と終わってから、みんなと昼間一生懸命に接している分、家庭に帰って、先生のお母さんやこどもさんのために、夜いろんなところに出かけていました。生徒のため、家庭のためにいつも一生懸命でした。
~略~


T先生の愛情は、今も感じていると思いますが、また離任してからさらに強まると思います。学校での母としての存在感は大きかったです。部活などでまた成長したみんなの姿を見せてあげて下さいね。




H先生
 「包」です。
 先生は、クラス、学校を部活をしっかりと包んでいきました。包容力がある羽野先生でした。クラスをまとめていきました。ほめたりしかったりと生徒のことを考えて一生懸命でした。


 3年生が、今年度しっかりと進路が決定できたこともH先生が、見えるところ、見えないところでも一生懸命にみんなのことを考えていったからこそだと思います。その姿を先生は、見てきました。



 サッカー部も、技術だけでなく、サッカーを通じて、何を学ぶのか生徒に伝えてくれました。先生の存在は、サッカー部にとって、生徒もお家の方にも大きいものがありました。


 先生も常に心配な生徒がいれば、家庭訪問をしながら、つながりを持って行きました。卒業式でも一人ひとりに感動の別れをしました。その午後、学校に来れていなかった生徒のお家の方の前で大粒の涙を流しながら、言葉をかけました。裏表のない素敵な先生でした。

 先生は、ラガーマンでもあります。ラグビーチームに所属し、県体に参加をしていました。家に帰ってから、練習に参加をしていました。エネルギーいっぱいの先生でした。
~略~




K先生
 「優」です。
 先生は、みんなに優しく接していきました。先生と話をすると、心が温まるのか先生と楽しく語っている生徒の姿を多く見かけることができました。優しさをもった先生でした。


 理科の授業では、楽しく実験をしている授業をよく見させてもらいました。理科が好きな生徒も多くいたのではないかと思います。部活では、テニス、野球と生徒と一緒にコート、グランドで汗を流しました。



 昨年の秋、野球部で2年生を主体として、相良先生とチームを創りあげ、県北で3位の成績を収めました。野球の部員にとっては、大きな自信に繋がっていったと思います。


 先生は、いろんな機器を使うのが堪能で、写真もたくさん撮ってくれました。また体育大会や卒業式などで、放送機器を巧みに使い、雰囲気作りをしてくれました。「志」を掲げた卒業式。


 感動の裏には、K先生の努力が存在していると思います。先生は、家庭も大切にしてきました。PTAの球技大会などで子どもさんのたっちゃんを連れてきていました。先生つまりお父さんを慕っている姿は、家庭での優しさがあるのだろうなあって感じます。
~略~




W先生
 「若」
 先生は、みんなと一番年齢の距離がない先生でした。厳しい中にも優しさがあり、卒業式前には、生徒からも手紙をもらったりしていました。


 もっと先生と話したかった生徒もたくさんいたのではないかと思います。先生は、理論もしっかり持ち合わせていて、会議などでもしっかりと自分の考え方を伝えていました。


 1年部の先生がいないときは、教室に行き、生徒とつながりをもっていきました。授業、部活、そして、休みの日には、臨時講師としてではなく、正式の先生になるための試験勉強に真剣に頑張っていきました。先生の数学の授業はわかりやすく、1年生が先生と真剣に頑張っている姿を見させてもらいました。


 黒板の字もていねいで、みんながわかりやすい授業をしようと職員室でも教科書などをみながら、一生懸命に研究をしていました。1年間の勤務でした。先生は、4月から大きい中学校に勤務します。


H中学校の生徒と活動していくと共に、正規の採用をめざして、先生の道をめざします。渡邊先生のチャレンジです。合格をめざして、夢の実現のために頑張ってください。応援をしています。




T先生
「長」
 先生は、耶馬溪中学校から転任されてきました。K先生を中心に授業を組み、2年間、教育補助員として授業のサポートをしていただきました。


 また2年生の教室にも行き、生徒たちの様子を温かく見守ってくれていました。いつも優しく生徒たちにも声をかけて下さり、生徒の良さを引き出してくれました。


 見守るってこういうことなんだと先生の姿から学ばされるものが大きかったです。先生は、人の悪いところではなく、良さをしっかりと見ています。職員室では、「○○ちゃんは、これができるようになったんですよ。」と楽しく生徒の話をしてくれることが、先生たちのエネルギーにもなりました。


 先生は、気が優しく気の長い、懐が大きい先生でした。長い目で生徒を見てくれていました。だけど、先生の横にいて比べると・・・。それで「長」にしました。先生は、2年間の勤務をもち、三光中学校を退職されます。先生、2年間、ありがとうございました。


 




ベナンからのメール

2011年03月28日 | Weblog
ベナンは、ブードゥー教の聖地、奴隷貿易の史跡、アフリカ唯一の水上集落、世界遺産の王宮跡などが存在する、見どころがたくさんある国。また、乾季(12月~5月)に限られるが、国立公園で野生動物を観察することもできます。治安がよいこともあり、欧州を中心に毎年多くの観光客が訪れます


ベナン?その国はどこにあるの?と思う人がほとんどであると思います。マレーシアのペナン島は有名ですが、ベナンは知らない人は多いでしょう。


 ベナンという国は、西アフリカにあります。カメルーン、ナイジェリアの近くです。主要産業は、鉱業(石油・金)、漁業、農業(パーム油・綿花等)となっています。日本の面積の約3分の1の国土に約700万人の人々が生活をしています。



15歳以下の子供達が人口の約半分をしめていて、平均寿命は、58歳だそうです。



そんな国に、青年海外協力隊に参加しているHさんが管理栄養士として派遣されています。Hさんは、10年前にクラス担任をしました。今日帰ってみると、Hさんからメールが来ていました。


 私たちの生活環境とは全然違います。Hさんが赴任したことで、少しベナンについて知識を持つことができています。メールの内容は次のようなものでした。




『ベナンに来て2か月半が過ぎました。日本の地震はベナンでも放映されており、地震の翌日から「日本の家族は大丈夫か?」「連絡は取れたのか?」と毎日、声をかけてくれます。



 原発の問題にも詳しい人もいて、「日本はアメリカから長崎と広島、2回も原子爆弾を落とされていて、被害を受けているのに、何で原子力発電所があるんだ?恐ろしさは知っているじゃないか?非核の国じゃなかったのか?」と言われた時は、驚きました。




まだまだ語学力に乏しくて、討論出来る程ではないので、話を聞くだけですが、日本とベナンの距離はあっても繋がっていることを感じます。
以下は私の活動についてです。



1か月の現地語学訓練のあと、隊員総会とオリエンテーションがあり、任地に赴任してちょうど1か月が経ちました。配属先の病院の小児科に勤務していますが、ベナンには栄養士がいないため、専門的な話が出来る人は限られています。活動は始まったばかりですが、2年後を見据えて内容を充実させたいと思います。』





 発展途上国で活躍をしています。今までHさんが学んだことを生かしながら、ベナンの国の人のためにがんばっています。活動を通しながら、日本を見つめなおす機会を持てています。



 明確に目標を持ちながら、果敢に活動をしているHさんの強さは輝いています。


一日も早い回復を祈っています☆

2011年03月27日 | Weblog
教えた生徒たちも学校を卒業してから学校時代とは違ういろんなドラマに出くわします。そんな中に、その人の生き方を見ることができます。今日も大切なことを学びました


 先日、採用まもない小学校勤務時代のお家の方のSさんのお母さんから、電話がありました。
「先生、Nちゃんが入院しているんですよ。今は、ちょっときついみたい。」
という内容でした。



 Nちゃん。昨日は、Nちゃんからのお父さんからも、自分の役職が代わったことに対しての電話がありました。



 教えた頃のNちゃんは、元気しるしそのものでした。スポーツを習っていて、それを高校まで続けました。今でも覚えているのが、体つきは、ふつうの女の子ですが、腕ちからは、すごい。40人のクラスで、男子も含めて、Nちゃんに勝つ子どもはいませんでした。


 鍛えた筋力は、抜群でした。病院に着くと、お姉さんが偶然にも入り口にいました。
「先生じゃないですか。」
お姉さんは、教員に採用されて年、4年生を受け持ったときの6年生でした。それ以来です。何年ぶり・・・?Nちゃんの病室まで連れて行ってくれました。



Nちゃんの温かな人柄でしょう。病室のテレビの周りは、いろんな方からのかわいいお見舞い品などでいっぱいでした。ちょっとタイミングが悪く、今日は、体調がいま一つでした。でも、
「先生、来てくれてありがとう。」
といろいろ気を配ってくれました。




「昨日は、あの頃の同級生がお見舞いに来てくれて、たくさん話をしていたんですよ。」
とお姉さん。




何年たってもいつまでもみんなが仲がいいことにうれしさを感じます。体調が戻るまでには、もうちょっと時間がかかるかも知れませんが、これから気候もだんだんと暖かくなってきます。焦らず、治療に専念をして欲しいと思います。




「ちょっと休憩だね。」
と話をしました。無理をしたらいけないので少しだけ話をして帰りました。また調子のいいときに見舞いにいきたいと思います。




 部屋を出るまで手を振ってくれました。
 家に帰り着いて中に入ろうとしたら電報が。なおこちゃんからの、役が代わってのお祝いの電報でした。
「病室から N」
ジーンと胸が熱くなりました。

つながりを大切にしたいです②

2011年03月25日 | Weblog
大学生や専門学生は春休みになっています。中には、実習中の生徒もいますが、ちょっとの間、休憩中と言ったところでしょうか。母校の中学校に遊びに来てくれる生徒も増えています。懐かしい顔を見るとき、嬉しさを感じます


 職員室で作業をして、ちょっと横を見ると、入り口のところに人影が・・・。行ってみると、5年前に三光中学校を卒業した生徒っぽい?です。


 女性は、そのくらい年数がたって、お化粧などしていると、よく見ないと、だれかわからないのです。そのときいたああ先生も、
「だれだっけ?」
RさんとMさんでした。


 Mさんは、冬休みの時に、来てくれたので、すぐにわかりました。
懐かしい話に花が咲きました。


 Mさんは、専門学校で添乗員の資格などをとっています。高校に進学するときも、旅行関係の仕事につきたいと「国際コース」を選んでいます。すでに国内の添乗員の資格をとったということで、Mさんの夢を少しずつ達成しています。今度は、海外旅行の添乗員の資格を取るということでがんばっています。


 またRさんは、大学に進学をして経営学を学んでいます。高校時代は、野球部のマネージャーとして3年間頑張ったRさんです。のんびりした口調ですが、自分が決めたことはやり通す強さを持っています。
「先生、今日は、歩いてMのところまでいったんよ。」
こうして卒業しても、みんな仲のいいことがうれしいですね。



 中学校、高校そして、会社で野球を続けているTくんもやってきました。東北地方の地震災害のために、会社が休みになっているので、中学校の部活の指導に来てくれていました。
「休みの間は、給料が出ないんですよ。」
職員室がミニミニ同級会となりました。


 
 来年の1月は、早いもので、成人式となります。先日は、保育園の実習中のHさんが遊びに来ました。また資格試験に合格していたKくんの名前が新聞に掲載をされていました。みんながそれぞれに目標をもってがんばっています。



 あの頃のみんなと再会できることを楽しみにしていますが、近いうちに、何人かで集まるとのこと。それも楽しみにしています。

つながりを大切にしたいです①

2011年03月24日 | Weblog
明日は、修了式です。何となくあわただしい日々がちょっと続きました。一年間、終わったなあ・・・と本年度最後の授業が行なったとき、しみじみ思いました。ほっとしたようなちょっと寂しいようなそんな感じでした



 4時間目は、本年度最後の授業でした。1年生といろんな作業をしながら、学習のまとめをしました。一年間楽しく授業をすることができました。


 子どもたちと一緒に活動でき、充実した時間を持つことができました。最後は、パソコンで新聞づくりをして、プリントアウト、ラミネートをして、展示できるようにしました。



 生徒とプリントアウトするとき、新聞を見ていると、担任の先生の紹介を書いているところがありました。読んでいると、
「担任の先生は、とても優しいです。」
いい関係をもっているなあ。ちょっと感動。



 授業が終わり、続けて読みながら、にぎやかにパソコン室から教室の方に一緒に向かいました。


「担任の先生は、かったか先生より優しいです。」
むっ。おい、おい、どういうこと?



「この文章は、いらんやろ。」と言うと、
「だって、本当のことやもん。」



 むっ。他の生徒がやってきました。
「先生、いいんやら。ちょっとは、こわい方が威厳があるんやら。」
それって、ほめ言葉?その生徒続けて、
「わたしは、おねえちゃんから、かったか先生のことを聞いていたからね。」
どのように聞いていた?



 聞こうと思ったときに、教室と職員室との別れ道のところにきてその答えを聞くことはできませんでした。



 こわくて、やさしくて・・・いろんな顔を持ちながら、生徒とのつながりを大切にしていきたいと思います。

今日は小学校の卒業式

2011年03月23日 | Weblog
小学校の卒業式に出席をしました。中学校とはまた違ったあたたかい雰囲気の中で卒業式が行われました。校長先生から一人ひとりに卒業証書が手渡されました。体育館に響き渡った在校生、卒業生の贈る言葉・・・感動的でした



 今日は、中学校校区の卒業式でした。三光中学校の校区には4つの小学校があります。先生方が分かれて、卒業式に参加をしました。


 隣接した小学校の卒業式に行きました。小学校の卒業式の雰囲気は、また中学校とは違ったものがあります。あたたかい式の中で、式は進んでいきました。

 
 大学を出てから、16年間、小学校に勤務をしていました。16回の卒業式を創ってきました。その内の半分の8回、6年生を担当しました。でも月日がたってその感覚が薄くなってきています。


 こうして小学校の卒業式に参加して見ると、小学校に勤務していた頃がとても懐かしく感じられます。今日の卒業式では、じーんとくる場面がありました。2つのシーンを紹介します。



 卒業式の前に、小学校の思い出のビデオと生徒たちの成長の足跡のビデオが流されていました。卒業生一人ひとりの小学校1年生の時の顔写真が流れ、すっと6年生の今の写真に変わります。どのくらい大きくなったのか映像で見ることができます。ほのぼのとした時間が流れました。



 また式の中で卒業証書を受け取り、自分の席に戻るときに、お家の方の席の前に立ち、卒業証書を渡します。小学校6年間の生活で、子どもたちも大きく成長しています。自分の席の前に我が子が立ち、その姿を正面から見たとき、お家の方もきっと感慨深いものがあったに違いありません。子どもから証書を手渡されたとき、いろんなドラマが脳裏を駆けめぐったことでしょう。



 自分自身を振り返ったり、自分の周囲の人に感謝をしたりする節目の式となっていました。ここまで準備してきた在校生も先生方も大変だったと思いますが、卒業生にとっては生涯にわたって心に残るものになったでしょう。卒業生も素敵な卒業制作が完成していました。心を込めてみんなで創った卒業制作が会場で輝いていました。




 ほとんどの生徒が、三光中学校へ入学してきます。中学校でも小学校と同様、充実した生活を送って欲しいものです。小学校で頑張った子どもたちを、


 今度はしっかりと中学校で、育てていかなければならない責任を感じながら、小学校からバトンが渡されます。

賑やかな土曜日の夜

2011年03月22日 | Weblog
進学を希望する卒業生たちは、全員が進路先を決定していきました。3年生にとっての春がやってきました。そんな中で、お家の方たちが企画して、土曜日に懇親会が開かれました


 3年生にとって春が訪れました。これから、自分の目標などに向けて、また高校生活を充実させてもらいたいと願います。


 そんな中で、この間の土曜日の夜に、お家の方たちが企画して、夜景のきれいな「八面山荘」で3年生の「お別れ会」が開催されました。


 たくさんの生徒やお家の形が参加して、大きな広間が3年生、保護者、先生たちでいっぱいになりました。にぎやかなお別れ会が催されました。



 これを開催するにあたって、役員さんたちを中心に、招待状や食べ物などのお世話をしてくれました。おかげで盛り上がった会となりました。生徒たちも受験前とは違って、表情もゆるみっぱなしでした。自分の力で、受験という初めての壁を乗り越えきました。3年生は、受験に対して、ふだんから真剣に取り組んできました。その姿勢はすばらしかったです。



 この日は、携帯電話を買ってもらった生徒も多く、会の中では、メールのアドレス交換を友だち同士で行ったりもしていました。でも、でも、携帯電話におけるいろんなトラブルも特に中高校生は多いです。有効に利用して下さいね。



 お家の方たちともふだんは、ゆっくりと話すことはできませんでしたが、いろんなお家の方たちと、会話を弾ませることができました。


 次回卒業生と会えるのは、30日の離任式の時です。それからは、卒業生は、それぞれの高校へ進学していくので、みんながそろって再会できるのは、成人式の時なのかも知れません。ひょうとしてもう会うことのない友だち同士もいるかも知れません。でもこの三光中学校で3年間一緒に学んだかけがえのない思い出を大切にして下さいね。



 体を大切に、日々の生活を送って下さい。また学校にみんなが高校生活の様子などを話に来るのを待っています。

息が苦しい・・・

2011年03月21日 | Weblog
杉花粉も最高潮となっています。いろんな対策グッズが薬店などに行くと店頭に出ています。職員室での様子も花粉対策をしている人が多いです


 昨日の夜、寝ていると・・・息が苦しい夢を見ました。嫌な夢だ。
「息ができない。」
目が覚めました。


 鼻が詰まって、本当に息をするのが苦しかったのです。できるだけ、市販の薬は飲まずに点鼻薬だけにしているのですが、さすが、昨日だけは、飲んでまた寝ました。



 まさしく杉花粉が最高潮となっています。まもなく減ってくるとは思うのですが、今年は、昨年と比べると飛散量が多いとか。


 花粉対策は、症状が出る前からやってはいたのですが、ここまでくると、その効果はなきに等しいものがあります。薬店に行ったときに、店員の薬剤師さんから、


「これを飲んでおくと、症状が出ないかもしれません。」


 えっ、そんなものが。杉花粉がはいった?エキス。ちょっと高いと思ったけれど、花粉症の苦しみを思えば、勇気を持って購入しました。


 確かに、前半戦、症状が出始めた人が多くなってきたときに、症状が出ませんでした。「おっ、効き目がある。」とちょっと優越感。



 それもほんのつかの間。症状が出るのは、確かに遅かったような気がしますが、症状が出たらまったくその効果なし。いつもの年と同じ苦しみです。昨年は、症状が軽かったのですが、花粉量のせいかな。



 今年は、家を出るときは、鼻の周りに薬を塗って、マスクを着用して・・・。あれこれ、あれこれ・・・。


 医療が発達してきている時代に、花粉症が改善される特効薬がないものでしょうか。本当に薬業界やマスク業界の繁栄のために、花粉症治療を遅らせているのではないかと疑いたくもなる花粉グッズおたく?のぐちです。



 自分自身は、5月の中旬まで症状が出ているので、あと一ヶ月半近くの戦いです。

春とともに部活も活発

2011年03月20日 | Weblog
春になりました。しかし、連日、地震のニュースが流れています。自然の力の残酷さを感じさせられます。そんな状況を払拭させるようなエネルギーを生徒たちは発揮しています


 卒業式が終わって、早いもので2週間が過ぎようとしています。2年生といっても、考えてみると、市総体まであと3ヶ月もありません。市の総体で敗れると、部活の引退となります。部の活動もいよいよ終盤戦となっています。実践的な練習の一環として土日には練習試合を組んだり大会などに参加をしています。



 今日の日曜日、サッカー部は大会の予定でした。しかし、地震の関係で大会は中止。その代わりに、練習試合を行っていました。試合の様子を見ました。土日の2日間で、福岡や大分市のチームと4試合行いました。冬のトレーニングの成果がしっかり見られ頼もしいチームとなっていました。


 3年生が引退してから、部員数もぐっと少なくなっています。そのハンディを跳ね返しながら、試合にのぞんでいました。闘志あふれるプレー。体を張った動きで大きくグランドに倒れこむ生徒も。でもまた立ち上がり、ボールをつないでいきます。この2日間で生徒たちは、さらにレベルアップしたと思います。



 先週は、市の中学校吹奏楽部合同演奏会が行われました。7月には、県の吹奏楽コンクールが行われます。自分たちの力を高めるためには、ちょうどいい時期での演奏会です。中津市の吹奏楽部の生徒たちが集まり、お互いの交流と共に、保護者・地域の方たちにメロディの贈り物をしていきました。会場の中津市文化会館ではたくさんの保護者や地域の方が見えられていました。




 三光中学校は、
 ①行進曲「K点を越えて」
 ②序曲「バラの謝肉祭」
 ③3月9日
の3曲を披露しました。練習の成果をしっかりと発揮していきました。



 そのあと、中津中学校・豊陽中学校・緑ヶ丘中学校・東中津中学校の2年生と合同演奏を行いました。
 ①パクス・ロマーナ
 ②インヴィクタ序曲
を演奏。聴く人を魅了していきました。



 エネルギッシュな生徒たち。これからも躍動感溢れる活動から周りの人たちにたくさんの感動を与えて欲しいと思います。

うれしい来校

2011年03月19日 | Weblog
明日、サッカー部が練習試合があるというので、車でグランド整備をしていました。それが終わって、職員室に戻っていると、先生。」という声。教えた生徒が遊びに来てくれていました


 三光中学校に来て、初めて担当した学年の生徒たちも早いもので、すでに22歳になっています。すでに社会の一線として活躍をしている人もいます。また今年大学や専門学校を卒業する生徒たちは、これから社会に巣立って行きます。



 今日は、二人の生徒たちが遊びに来てくれました。成人式の時、同窓会をして以来の再会です。

「先生、年をとったねえ。」
がくっ。


 一人は、今年専門学校を卒業して、作業療法士として病院に勤務します。


 高校を卒業してから、専門学校に進学をしていきました。医療関係は、かなり進学しても勉強をしていかなければなりません。それは、人の命や健康を預かるのですから、当たり前のことかもしれません。


「先生、相当勉強したよ。」と最近国家試験も受けています。合格できているといいです。そして、医療の前線へと出て行きます。明るさは中学校時代そのものです。きっと患者さんにも、たくさんの元気のエネルギーを与えていくのでしょう。



 そしてもう一人は、短大を卒業してからホテル勤務へ。すでに社会に出てから2年が経とうとしています。ホテル勤務も、華やかなようで、かなりハードな仕事です。



「きついときもあったけれどもね。」



 何人もの人たちが辞めていったそうです。しかし、そこは、ねばり。「接客は楽しいよ。」と充実して仕事をしているようです。



 二人とも、さらにたのもしくなっていました。二人とも人に接する職業です。二人の優しさと明るさが、きっとお客さん、患者さんに伝わって包んでいくのでしょう。



 それぞれの道や生き方は違うけれど、日々の仕事や勉強を真剣にそして、楽しんでいる様子がしっかりと伝わってきました。
 体に気をつけて頑張って下さいね。



 同じ社会人として頑張っている生徒に負けないようにしないと。


いい笑顔

2011年03月17日 | Weblog
東北地方太平洋沖地震の被害の大きさを日々痛感します。悲しい残酷な現実をメディアが伝えます。何もすることができない歯がゆさを感じます。そんな中、今日はいい生徒の笑顔を見ることができました。


 3年生が卒業してから、2週間が過ぎようとしています。

 毎朝、3年生の廊下をはわいていきながら、静まり返った教室が何となく寂しく感じます。にぎやかだった教室。今は「夢の跡」になっています。
 


 3年生は、進路決定に向けてがんばってきました。朝の三光タイム(学習タイム)では、黙々とがんばっていました。


 先日、県立高校一次入試の結果が発表になりました。悲喜こもごもの発表でした。当然、入学試験であるので、合格する人、思うような結果が出ない人がいました。合格した人は、合格証書をもらいに学校に来ました。合格証書をお世話になった3年部の先生方から受け取ったあと職員室に来た生徒たちがたくさんいました。



 今年から面接を入れた高校もあったので、いろんな先生方が面接練習を行いました。そのお礼を言いに来ていました。
「先生、面接の練習ありがとうございました。」
職員室がにぎやかになりました。



 そして、今日、進学希望の生徒の最後の合格発表日でした。高校から直接、先生が合格証書を持ってやってきました。担任の先生もなんともいえないほっとしたいい表情でした。試験の前日まで、丁寧に受験指導を行っていました。



 お家の方と生徒に電話をして、「合格」の知らせを伝えました。生徒はすぐに学校にやってきて、校長先生から合格証書を受け取りました。最後まで本当に粘り強くがんばってきました。


 校長室いっぱいに響く大きな拍手と、3年部一人ひとりの先生から、「これから、体に気をつけてしっかりと資格を取ってくださいね。」などのコメントと「おめでとう。」という言葉を受け取っていました。



 生徒も今までに見たことのない満面の笑顔でした。友だちも駆けつけていました。



 受験が終わりました。3年生の先生たちは、今度は、受験指導が終わり、今度は、高校へ送るいろんな資料作成にがんばっていました。生徒には見えないところで最後まで生徒のために頑張っています。



 春になりましたが、今日は、雪が舞う寒い一日で、教室にもストーブが復活しました。しかし、3年生は次のステップへ踏み出していきます。

2010年度も終わろうとしています

2011年03月15日 | Weblog
いろんなことがおこっている2010年度末。連日連夜、東北地方太平洋沖地震のことが放映されています。そんな中で、今年度も終わろうとしています。


 東北地方太平洋沖地震が多くの人の命を奪っていきました。まだまだその全貌は見えてきませんが、今年度の終わりにこのような天災がおころうとは誰が感じたことでしょうか。



 こんな中で、年度末のいろんな会議などが行われています。ここ何日間で最後の会が開催されています。今年は、いろんな役があったので、ハードな何日間を過ごしています。



 今日は学年末PTAが行われました。たくさんのお家の方が学校に来られました。PTAの会計の監査も受けました。それまでに帳簿の整理もしておきました。これで、お家の方と一緒になって取り組んできた本年度のPTAの活動が終わりました。



 昨日は、市の教頭先生の会の最後の研修会が行われました。今年度は、研究部長を務めていました。竹田市で行われた県の大会で発表をしました。また8回にわたって定期的に研究を進めていったり、九州大会参加や芦屋町への先進地校への視察に対して、打ち合わせやバス手配などのお世話をしたりしていきました。
 
 みんなで充実した研究ができたことがうれしく思います。でも役目が終わってちょっとほっとしています。



 県北の教頭会では事務局長をしていました。特に、他市の先生方を迎えての研究大会が中津市で開催されました。100人近くの大会がありました。その企画をしていきました。

 夏過ぎてからこの準備や事前の打ち合わせを何度も行いました。行動することで、みんながまとまったり、みんなが満足できるように中津市の先生たちと会を創りあげていくことに充実感を感じました。先週はこの最後の会があり、まとめをしていきました。



 学校だけでなく、市・県北教頭会と確かに忙しかったけれど、いろんな方と縁を持ちました。戸惑ったことも多くあり、たくさんの方にアドバイスをいただきました。その中で、もし何もしなかったらできなかったであろう経験をすることができ、自分の幅を少し広げてくれたかなあと思います。



 
 早いもので、あと半月で2010年度が終わります。年度の終わりですが、地震で被災した地方を、せめてみんなで温かい心で包み込んでいかれたらいいですね。


 写真は、芦屋町の中学校での授業のものです。

あたたかい会話で包もう

2011年03月14日 | Weblog
最近、感じることが多いものがあります。それは、人と人とのコミュニケーションの大切さです。今の世の中、コミュニケーションがなくても過ごせることのできるような社会になってきているような気がします。


 ある場面で、生徒に「がんばってるね。」と声をかけたとき、「別に。」という言葉が返ってきました。それ以上の会話が続きませんでした。


 家に帰ってそのことを話しました。それは、突っ張っているのではなく、子どもの中に、何を話したらいいのかわからない状態なのだろうということになりました。」

 「別に。」と言われると、もう、会話は遮断されてしまいます。



 遮断言葉や自分の意に沿わなければ「無視」という行動、特定の友達しか話せない・・・言い換えれば、違う友達が入ろうとすると、無視をする。それを言ってはいけないだろうという言葉を平気で使ったり、メールで飛び交っている実態。




 コミュニケーション力をつけるためには、乳幼児~幼少期により多くの大人に関わる体験が大切、友達と関わる体験も大切とある講演会で話していました。




 優しく接してくれる人、ちょっと怖そうな人、甘えられる人、厳しい人・・・いろんな人と接することがコミュニケーション感覚を磨くことになるとそう思います。



 今は、話さなくても通じることが多いですよね。昔は、物を買うときには、近所の小売店で買うことが多かったので、つながりがありました。でも今は、コンビニ時代。機械的に話す店員。自販機。お金を入れるだけですみます。



 買い物・・・インターネットも主力となっています。核家族、少子化、過疎・・・家に帰っても、遊ぶ人が、話す人がいない子どもたちも多くなっています。



 携帯電話。
 かつての電話機時代。誰が出るかわかりません。学生の子どもが家にかけたときに、たとえば、おじいちゃんが出て、おばあちゃんに代わり、お母さんに代わり、お父さんに代わり・・・といった家庭の風景がありました。


 しかし、今は、その幅がありません。携帯電話を否定するつもりはありませんが、携帯電話は、特定の人しかつながりません。用事をこなすには、無駄はありませんが、無駄がない分、幅もありません。またメールで・・・という時代でもあります。



 場や相手の立場を考えた物言い。媚びへつらうことはありませんが、相手と繋がりがもてる会話。



 人と人との関わりが薄くなりがちな世の中ですが、一度しかない人生。暖かな生き方をみんなでしていきたいものですね。今回の多くの命が亡くなったことを思うとなおさらそう感じます。


 コミュニケーションの基本は、フェイス トゥ フェイス。自分自身もまだまだ反省することだらけ。でも人との関わりを大切にしようと心がけていきたいと思います。子どもたちもひきこもらない心優しい生き方をしてもらいたいです。

東日本の巨大地震

2011年03月12日 | Weblog
東北・関東でマグニチュード8・8の巨大地震がおこりました。テレビの映像では、街が壊滅しているシーンが映し出されていました。一瞬で平和な街がなくなっていく現実。あまりにも残酷です。


 きょうだいが東京で入院。そして、姉がお見舞いに行ってくれていました。そんな中、昨日の午後、東北・関東で地震のニュース。


 インターネットやラジオのニュースを聴きながら、情報を得ていました。携帯電話は通じない・・・夜になって連絡が取れました。無事の連絡。



 震源は三陸沖でした。マグニチュード8・8の巨大地震。東京でもすごい揺れだったそうです。病院の食堂の机の下にすぐにもぐりこんだそうです。それでも食堂のテレビなどが落ちてきたりすごい部屋になったそうです。かなり長い時間の強い揺れだったそうです。コンビニは食料品がない状態だったとか。



 姉たちは、無事で安心をしたのですが、三陸を中心とした被害です。多くの人たちが被災をしました。陸前高田市、気仙沼市、宮古市・・・多くの市町村が津波に飲み込まれ、火災で燃えつくされ壊滅的被害です。



 どんな街だったか知るすべもありません。南三陸町の半分の一万人の人と連絡が取れなくなっているとのこと。現段階では1000人以上の方が死亡しています。そして行方不明・けがをしている方が多数います。



 避難している人も、寒冷地だけに夜過ごすのもつらいものがあると思います。福島第一原発付近で被ばく者が出ています。被害状況は言い尽くせないものがあるでしょう。


 
 朝まで家族・地域が平和に暮らしていたところが、地獄絵図となりました。




 今、願うこと。復興もありますが、どんどん死者・行方不明の人の数が増えています。まずは多くの人が助かって欲しい。早急な組織的な救助体制しっかりと組んで欲しい。



 今、私たちができること、社会全体でできることを示してもらい、支援できたらと思います。