かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

今年一年お世話になりました

2010年12月31日 | Weblog
昨日から雪が降っています。朝の積雪は、耶馬渓は、10センチ近くありました。久しぶりにこのような雪が積もった風景を見ることができました。銀世界の中で、新しい年を迎えようとしています



大晦日から正月にかけて、雪が降るという天気予報が出ていました。まさに予報通りになりました。



 昨晩からものすごい雪が降りました。朝は、見事に銀世界。正月に雪が降るというのが、3年連続です。今年は別ですが、あったかい冬でも正月になってから、雪が降ります。



 昨晩は、中津市内に泊まったのですが、朝、耶馬渓に戻るとき、家族と車で耶馬渓の方に車を走らせました。



 街部は、ほとんど雪がなかったのですが、だんだん奥に入って、三光を過ぎるころから雪景色となってきました。道路は、まだ凍っているところがあって、どの車も減速をして運転をしていました。すれ違う車の屋根は雪が覆っています。



 写真は、昨日からの雪景色です。玄関前の足跡・・・。夕方5時過ぎには、もうこのくらい雪が積もっていました。新雪を踏んだのは、誰でしょう。
そして、家の前の川の水面に朝日が当たった風景がきれいだったので、シャッターを押しました。冬の訪れをしっかりと感じました。



 2010年の終わりを告げます。今年一年お世話になりました。

子どもの頃の年の瀬

2010年12月30日 | Weblog
年末となっています。テレビをつけると、年末特別番組オンパレード。今年のニュース特集、スポーツ特集、お笑い・・・。今年も残すところあと2日。2010年が過ぎていきます



 今年も残すところあと2日となりました。2010年の終わりをいろんなところから感じさせられます。



 物心ついたころから学生くらいまでの年末の過ごし方は、学校に勤務していている今とはまた違ったものがありました。



 家は建材やいろんな生活用品を扱う田舎の店を営んでいました。


 節期払いというのでしょうか。昔は、つけをして、盆や正月前に支払いをするという家がほとんどでした。だから年末は支払いに来る人が家にやってきたり、また集金に駆けずり回るというのが毎年やってくる恒例の出来事でした。



 人件費がかからないように、小学生になってから、この季節は、子どもたちは、両親に集金用のかばんを持たされました。かばんの中には、領収書、請求書、釣り銭が入っていました。歩いて、集金に回ります。




 子どもながらにいろんな生活が見えてきます。家の様子を感じてきました。今でもあの頃のそれぞれの家がどんな家であったのか、どんな人だったのかをおぼろげながらに覚えています。



「感心やね。ごくろうさん。」と優しく接してくれる人。「まんじゅうを食べていきなさい。」と気づかってくれる人。あったかい家も多かったです。



 こんな家がほとんどならいいのですが、いろんな家があります。



「今度は、こんくらいしかお金がないから、そう家の人に伝えてくれない。」
「うちには、金がねえんじゃ。かえんない。」
 請求書を見ながら、
「こんなもの、もろちょらん。」



 帰っても、年末や盆だけは店も人でいっぱいです。大晦日のレコード大賞が始まるころにやっと、人の気配がなくなります。(今は、レコード大賞は30日だけど)今になってみれば、いい経験、勉強でした。




 こうやって、田舎で小さな店を営みながら、学校に行かせてくれた両親に感謝をしています。


冬休みの学校

2010年12月28日 | Weblog
冬休みが始まりました。しかし、冬休みとは言えども学校では、いろんな活動が行われています。部活、学習会・・・生徒たちの活動の声が聞こえてきます


 学校では冬休みになりました。終業式では、クラスの代表の生徒たちがそれぞれに2学期の反省を発表をしました。体育大会、合唱祭に多くの思い出が残ったようです。



 休みになったものの、三光中学校ではさまざまな活動が展開されています。部活動。計画的に実施されています。大会なども開催されています。



 バスケットボール部は、阿蘇クリスマスカップに熊本県の内牧まで遠征をしています。試合も競り合った試合をものにしたり、粘り強いチームになっていると話を聞きました。



 また吹奏楽部は、アンサンブルコンテストに参加。見事金賞をつかんでいます。見に行くことはできませんでしたが、次の日に学校に来た生徒が喜んでいるのをみて、こちらもうれしく感じました。




 3年生は、「オープンスクール」と銘打って、学習教室を行っています。来月の中旬からいよいよ入試が始まります。学習している教室に時々行くと、生徒たちも真剣に学習しています。先生に聞いている生徒、友だち同士教え合いをしている生徒・・・もくもくと問題を解いている生徒と、集中して頑張っています。



 学校のホームページにも書きましたが、受験は、個人プレーではないと思っています。チームとして取り組む学年は、やはり結果がいいと感じています。




◇学習しようとする雰囲気が教室にあること。一緒に励ましあって学習して欲しいです。(大切ですよね。これがなければ、緊張感、集中力にも欠けてしまいますよね。追い込みがきかないです。)




◇自分さえ合格すればいいというものではないと思います。合格する時期は、生徒によって違います。先に合格した生徒の動きが大切です。最後の生徒が合格するまで、心配りできる繊細さのあるクラスであってほしいです。




◇先に合格した生徒が、まだ受験が終わっていない友だちの分まで卒業に向けた取り組み、例えば、卒業文集、卒業式、卒業式のあとの教室でのセレモニーなどの企画を率先して取り組んで欲しいですね。





◇みんながストレスを抱えています。教室が安心感のある場所にして欲しいです。



 3年生にとっては受験は、初めて出会う大きな壁。最後まで応援をしていきたいと思っています。


 冬休みの学校も活気があります。


人の命を守るために必要なもの

2010年12月27日 | Weblog
上田口地区の青少年健全育成会に参加をしました。映画鑑賞と講演会が行われました。教えた生徒が講師となって、自分の出身の小さな地区の公民館で頑張っている様子を話してくれました


Hくんは、中学校時代野球部に所属して、3年間頑張り通しました。また中学校を卒業してからも高校野球に身をおき、甲子園を目指した生徒です。


 そして、航空自衛隊へ。入隊してから、空自の救難隊を知り、人の命を救う職務を目指し救難教育隊に入学しました。



 といっても入学すれば、必ずなることができるとは限りません。厳しいトレーニングが待ち構えています。採用が0だった年もあると言います。昨年は、1人の合格者。過酷なトレーニングを通過したものだけが救難員として、人命救助にあたることができます。日本救難の砦なのです。



 トレーニングの様子を映像で見せてもらいました。深いプールに候補生みんなで素潜りで潜り活動を30分行います。酸素ボンベが数カ所置かれています。一カ所には、一回につき、二回だけ吸うことができます。そのうちに苦しくなってきます。



 ボンベを自分の方に引きずって持って行く人が出てきます。すると、みんながボンベを競って奪い合うような形になったのです。それで、気持ちが乱れて、水面にあがってしまいました。



「おまえたちは、人命救助から逃げたんだ。」



と強く責められます。極限の状態でも人のことも思い合える気持・・・そこに救える命があるのです。落下傘の初降下の時には、「遺書」を家族宛に書きました。実際に遺書を手にすると、「家族」のことが思われて、ぼろぼろ涙がこぼれ落ちたそうです。




 人を助けるということは、自分に厳しく人に優しくなければならないのです。話をしているHくんが大きく見えました。



「救難者が命を落とすのもその人の運命です。それを変えるのが私たちです。神の領域なのかもしれません。自分に厳しいことはもちろんのこと、苦しいときにどれだけ相手のことを考えて臨めるかが重要なのです。」




「絶望を感じている遭難者に救いの翼でありたい。」




第一線で体を張っているHくんの言葉に胸が熱くなりました。また地区の方々も涙をこらえている人も多くいました。

今日から生徒は冬休み

2010年12月25日 | Weblog
昨日は、学校の終業式でした。生徒たちも2学期が過ぎていくとともに、2010年もまもなく終わっていきます。今年一年生徒たちとの思い出が心に強く残っているのかなあ。大切な思い出がたくさんできました



 昨日は、終業式。


2学期も終わりになります。また1年の終わりです。ところで、どんな事が学校の中で心に残っているだろう。う~~ん、ちょっと考えてみよう。



 たくさんあって、どれが重大なニュースかと言っても言えない。例えば・・・



①3月終わりから4月にかけて、監督の先生がいなくなって、次の先生が決まるまで、3週間くらい野球部の監督をしました。4年ぶりくらいのグランドだったかなあ。わずかな期間なので、難しいところもあったけれど、引き継ぐことができました。グランドに立つとやっぱり気持ちいいですね。




②体育大会かな。まずは、雨とグランドコンディションが悪かったので、できるかなあと不安だったけれど、パソコンで体育の先生と朝からにらめっこ。雲の動きを予想して、実行を決断。「本当にあるんですか。」という電話も何件か。でも見事あたりました。よかった。3年生を中心にすばらしい体育大会を展開していきました。応援もまとまっていました。



③卒業生たちも活躍してくれました。ひろみさんは、学校公開日に歌声を披露してくれました。きれいな歌声が体育館に響き渡りました。


ハニカムズにもお世話になりました。




やっくんは、1年生の職業人講話で話をしてくれました。消防士として、市民の命を守っていく様子をじっくりと1年生に話してくれました。2人ともたのもしく成長しています。




④合唱祭。日を追うごとに生徒たちは、盛り上がっていきました。特に終盤の練習は、どのクラスも気合い十分でした。リハーサルで披露したもの以上の歌声を聴かせてくれました。またお家の方も協力してくれて、会場と一体となって、歌声を楽しむことができたのもうれしかったですね。




他にも部活の試合もたくさん見に行きました。感動のドラマがたくさんありました。


日々の生活の中に忘れることのできない素敵な思い出が生徒たちの活動の中にたくさんありました。



今日から冬休みとなります。

明日は2学期終業式

2010年12月23日 | Weblog
昨日は冬至でした。今、日の出が遅く、日の入りが早いので、平日の通勤は、暗いうちに出て、暗いときに帰ります。なかなか明るい通勤の風景を見ることができません。学校では、昨日と明日は、大掃除。掃除時間には、頑張って生徒と職員室の掃除をしました


 昨日から、学校では大掃除です。掃除の時間が盛り上がっていました。みんながんばって掃除をしています。



 職員室の掃除担当の3年生がやってきました。Tくん、Mくん、Aさん、Yさんです。
 いい感じで掃除をしています。



 にぎやかな女子が窓ふきです。年に1.2度の窓ふき。話に弾みながらもしっかりと手は動かしています。MくんとTくんは、黙々と床をはわいています。




 職員室には、
「先生、床を拭くクリーナーを下さい。」
と3年生のEちゃんとYくん。




「技術教室のゴミ袋がいっぱいになっているので、新しいのを下さい。」とDくん。



 職員室にいると、それぞれの掃除区域で生徒たちが頑張っている様子がわかります。掃除の時間は、なかなか動きが遅い生徒もいますが、大掃除となると、気合い十分です。
 「あ~汗がでたあ。」
と帰ってきた先生たちも。



 暑いので、一枚、二枚と服を脱いでいます。みんなから、「脱ぎすぎ!」




 金曜日は、終業式です。その前にも大掃除があります。今度は、ちょっとだけ長い掃除時間です。



 窓・床ふき・黒板、ロッカーの整理・・・きれいな学校で次の年を迎えることができそうです。

先生はマラソンランナー?!

2010年12月21日 | Weblog
今日は、偶然にも学校に教員に採用された年で担任をした子どものお家の方が学校に来らました。教員を何年も続けていると、歴史を感じさせられることがあります


今日、職員室にいると、新採用の年に担任だったかずなおくんのお父さんが来校していました。久しぶりに懐かしく話をさせてもらいました。


「かずなおくん、どうしている?」


と聞くと、お父さんもにこにこしながら、


「仕事に頑張っています。以前は、中津に勤務していましたが、今は、転勤をして、福岡にいます。」
と近況を教えてくれました。


 
 元気で頑張っていることがうれしく感じました。


 
 今思えば、至らぬことが多かったけれど、若さという武器で突っ走っていた時期です。



教員をしていて感じることがあります。それは、年齢です。





 新採用の時に職員室にいると、まさに親と同級生の先生もいて、座っていると、日々、PTA参観日の生徒のような気持ちがしていました。「日々是恐縮」っていう感じです。職員室に先生だけで、50人近くいました。保護者の方もかなり年が上で、自分が小さく感じました。




 しかし、次第に、「あなたのお姉さんと同級生です。」という方が出てきました。



 続いて、入学式の職員紹介の時に前に立っていると、同級生の保護者が出てきました。


次には、中学や高校の後輩が保護者の方になり・・・。



マラソンランナーにたとえると、距離の離れた前のランナーを追いかけ、追い越しているというような表現かなあ。



 そして、ついにマラソンランナーが追い越しから引き離しにかかります?!

 
 なんと、教えた生徒が保護者というケースが出てきました。ぎょっ。



「先生、○年○組の・・・・は、うちの子や。」と見覚えのある教えた生徒が声をかけてくれることもありました。ついにでたあ。自分がお年寄りに感じます。2世代かあ。


 今の学校でもいます。


 

 今年の秋の体育大会の時には、新採用の時の6年生が保護者になっていることを知りました。


 「先生、おぼえちょる?ぼくは、先生が担当している学年とは違ったけれど、先生が豊田小学校にいたときの6年生だったんです。」と声をかけられました。

「えっ!まさか。」


 あの頃、児童数1500人の小学校でした。でも子どもは、印象が強かったので、知っていました。あれから、30年ぶりの再会。子どもの頃の印象しかなく、顔を見ても分かるはずがありません。でもその再会がうれしく感じました。


 いろんな巡り合いをこれからも大切にしていきたいですね。



 教員は時代(とき)を走るマラソンランナーなのかもしれません。

学期末になっています

2010年12月20日 | Weblog
学期末という雰囲気が漂っています。今週は、2学期終業式が行われます。いろんなところにその様子が表れています。あと10日で2011年が訪れます


 2011年の足音が大きく聞こえるようになっています。学校でも年末の雰囲気が漂ってきています。


 まずは、通知表の作成。担任の先生を中心に今先生たちは、頑張っています。中学校は、教科担当制なので、まずは、教科の担当が評点をつけ、それを〆切日までに担任に渡します。そして、担任がそれをまとめます。先生たちは、22日迄に仕上げます。


 放課後は、部活に学期末の整理に先生たちはあわただしく過ごしています。



 また、3年生は、来月から入試が始まります。まずは、私立の推薦入試・前期入試からです。1月18日から開始です。そのために、受験する生徒も勉強の追い込みです。また面接がある学校は、その面接練習などにも今、取り組んでいます。2学期末は、3年生の先生は、私立高校の願書をまとめていきます。


 今日、電器店でお家の方に会いました。
「今、一生懸命に勉強、がんばっています。英語がわかるようになっています。」
と子どもが頑張っている様子を話してくれました。


 受験生にとって、また受験生がいるお家の方にとっては、この時期は、今までにはなく緊張した期間となるのですね。でも自分の力でこの壁を乗り越えたときには、喜びとともに、大きな自信となっていくことでしょう。


 受験生みんなが希望するいい春を迎えてもらいたいですね。




 部活の計画表が職員室に貼られてきました。休み中の部活の練習・練習試合・大会などが掲載されています。よくよく考えてみると、2年生もあと総体まで半年なのです。6月の大会に向けてこの冬休みに十分に基礎体力・基本的な技術をマスターしていきます。



 冬休みは、クリスマス・正月と楽しい行事が続きます。あと10日で2010年が終わり、そして、2011年を迎えます。

デジタル放送開始

2010年12月19日 | Weblog
昨日、電気工事をしている教えた生徒がやってきました。ケーブルテレビの工事が外の部分が終わっていました。そして、今度は、中に引き込んでいく工事をしてくれました。おかげで、なんと、デジタル放送が開始されました


 教えた生徒とその会社の同僚がやってきて、デジタル放送が映るように工事をしてくれました。田舎で、いろんなチャンネルを見ることができます。まさに文明開化です。



 今までは、難視聴地域でした。そこで、地域では、共同アンテナを立て、アナログ放送を見ていました。それでも画像は悪く、日によっては見ることのできないチャンネルもありました。



 でもこのデジタル放送では、九州北部の放送局の番組をクリアにみることできます。またBSとCS放送の一部も視聴できます。この後は、3月には光ケーブルが入るので、インターネットの利用も速くなります。


 リモコンで番組表をめくっていけば、いくらでも見たい番組がでてきます。見る番組のところでボタンを押せば、映像が出てきます。すごい時代です。どの家庭でも十数チャンネルの番組を見ることができます。またお金を出せば、CSなどの番組を増やすこともできるようになっています。


 デジタル放送やインターネットなどの急速な普及で、情報社会が加速化されています。



 先日も書きましたが、情報の得方を家庭などでしっかりとルールを作っておかなければ、リスクもあると思うのです。例えば、テレビにおいては、今まで以上に番組が増えます。



 テレビをつけておけば、どこかで好きな番組が放送されています。時間の経つのを忘れさせます。視聴時間が増え、テレビによって、生活が左右されたり、コミュニケーションを遮断される怖れがあります。


 またインターネットも、先日も書きましたが、時間を制限しなければ、バーチャルな世界に入り込む可能性もあります。情報過多になるので、どの情報が正しいのか、どの情報を使えばいいのか・・・しっかりと認識しなければなりません。



 デジタル化は、確かに便利です。しかし、人と人とのつながりを希薄にする可能性があります。


 人と人とが家族同士が繋がっているという前提において・情報を得るための手段の一つ・生活を楽しむための手段の一つという構造であってほしいものです。


 便利さが人より上に立っては、社会全体のバランスが壊れてしまいそうでちょっと怖いですよね。

友だちの話から

2010年12月18日 | Weblog
この年齢になると、友達の中にも子どもたちが結婚をしたり、中にはおじいちゃんやおばあちゃんになったりしている人もいます。今日も同級生に会い、そんな話になりました

 
 買い物に行っていると、十数年ぶりに中学校時代の友だちに会いました。

「おまえ、どげしよるんか。」

という学生時代と変わらないままの口ぶり。子どもが結婚したといいます。そんな話をしてくれました。結婚式が終わってほっとしたとともに、自分たちが結婚した時には、親もこんな思いだったんだろうねという話をしてくれました。

 子どもたちが結婚ということで、親としての責任を果たしたという安心感もあるのでしょう。


 子どもが新婚旅行に行き、帰ってきた時の二人の最初の言葉が、「楽しかったあ。」そんな幸せいっぱいの言葉が何ものにも代えられない最高のお土産だったといいます。

 新しい夫婦が帰ってきて親子で一緒に新婚旅行のDVDにした写真を見ました。満面の笑みでの青空の下で、青い海をバックにした二人のたくさんの写真を見たとき、その友だちは感激したそうです。子どもたちが幸せを体感していることが親にとっても幸せなのですね。



 時代は閉塞感が漂っていますが、そんな中だからこそ、二人で温かな家庭を築いて欲しいと思います。

パソコンに振り回され

2010年12月17日 | Weblog
パソコンの調子が悪い・・・デスクトップの調子がこのところ不機嫌なのです。ノートパソコンを用いようとすると、デスクトップでするよりスピードが遅い。ストレスがある。まったく・・・


情報機器になんとなく振り回されている自分にふと気付きます。数年前から比べると、はるかに情報手段が発達をしています。


 携帯電話・・・この間、教えた生徒が、「先生。」と見せてくれたのが、スマートフォン。調べたいものをさっさと見つけてくれました。指で画面を広げたり、まったくもって、まだこの分野には踏み込んでいませんがすごい世界ですよね。


 パソコン・・・もう、使えないなんて言えないですよね。例えば、仕事で文書は、メールで送付されてきます。そして、メールで送り返すものが年々増えてきています。



 通知表もかつては、手書きでした。書いているうちに人数が多いクラスだと、だんだんと手が痛くなってくるのを感じていました。しかし、今は、パソコンで打つ先生がほとんどです。今日、学校で話していると、手書きで挑戦という先生がいました。アナログもいいですよね。



 先日は、教材会社の方が学校に来ていました。電子教科書の説明をしていました。「これが、電子教科書かあ。」


 まさにパソコン文明が学校もそして、いろんなところが開花しています。一方、そんな流れの中で、いったん、このようにパソコンに不具合が生じると、生活の流れがスローダウンになってしまいます。

 ちょっと重いファイルを使用して、固まるなどでは、仕事の効率が落ちてしまいます。
 


 まさに、生活がパソコンによって、振り回されている自分に気づきます。

 先日、ある会で、子どもが店に行かずに、インターネットで品物を購入するという話を聞きました。親が宅配便がたびたびくるので、キャッシュカードでの請求が高額になり、驚いたという事例を聞きました。


 情報社会の中ではあるけれど、「フェイス トゥ フェイス」でという部分も大切にしていかなければ、違った形での弊害もでてきます。バーチャル的な買い物で金銭的感覚も麻痺することは怖いですよね。


 せめてパソコンに使われない自分のライフスタイルも確立しておきたいものです。
でも仕事が遅くなるのはつらい。明日教えた生徒がみにきてくれます。

生徒からのいい知らせ

2010年12月16日 | Weblog
三光で初めて担当した学年の教えた生徒たちで大学に進学した人は、今度の春に卒業する生徒が多いです。就職活動に頑張っているという生徒の話も聞きます。先週、「先生、仕事が決まりました。」という朗報ををもらいました

今、大学を卒業してもなかなか就職先が見つかりにくいという就職氷河期になっています。

 いろんな生徒から、「なかなか就職口が見つからなくてね。」という言葉を聞きます。奮闘している生徒たちも多いようです。



 高校を卒業して、すでに社会の中の前線で活躍をしている生徒もいます。三光中学校に勤務して初めて担当した卒業生たちのほとんどがこの春で、社会人になります。



 先日、ジャスコの中を歩いていると、AさんとAさんのお母さんが仲良く買い物をしていました。看護学校に進学して、現在、正看の資格を取得して、福岡の病院に勤務しています。指導が厳しい学校でしたが、卒業して病気と闘う人たちをしっかりサポートしています。



 そして、先日、しょうたくんから電話がかかってきました。中学校・高校と野球部で活躍をした生徒でした。

「先生、就職が決まりました。」

 弾んだ声で電話がかかってきました。就職先をインターネットで調べると、京料理が専門で全国チェーンとなっています。おいしそうな料理が並んでいます。
「がんばります。」
というやる気ある言葉。


 自分で道を切りひらいていっています。きっと会社もしょうたくんを採用して、良かったと思うときが来ることでしょう。


 中学校でいろんな活動に頑張っている姿が思い出されます。でも早いもので、大学を卒業していきます。進路決定にとって、大事な季節となっています。

がんばれ!しょうたくん。





ベナンでの活動

2010年12月15日 | Weblog
今日、学校で仕事をしていると、突然の来訪者。かつて担任をした生徒です。青年海外協力隊としてこれから派遣されます。目標をもって頑張っていることは、目の輝きから感じることができました



 昨日の大分合同新聞で、かつて教えたひろみさんが青年海外協力隊員として派遣されることを知りました。そして今日、学校にひろみさんが訪問をしてくれました。



 管理栄養士として、ベナンへ乳幼児・妊産婦の栄養指導、栄養改善指導のために派遣されます。

「ひろみさん、ベナンってどこ?」
 すぐに教えてくれました。


 アフリカのカメルーンやコンゴがある近くです。ひろみさんの話によると、かつては、フランスの植民地だったそうです。ベナンのウィダというところに奴隷海岸があるそうです。かつては、そこからフランスなどに住民が送られていたそうです。


 協力隊員として派遣されるための苦労話も聞かせてもらいました。

 ベナンは熱帯なのでマラリアなどが発生をします。そのために毎週注射を打ち続けたそうです。また現地でも薬を飲み続けるそうです。


 辛かったのは、フランス語のマスターだそうです。2ヶ月間、フランス語をみっちり学習させられたそうです。栄養士としての勉強なら、好きだから頑張れるけれど、行くためには、フランス語をマスターしなければならない課題があったのです。



 青年海外協力隊のエンブレムをつけたブレザーを着ていました。


 来年の1月出発。2年間帰国せずに、現地の人たちの生活向上のリーダーとなります。

 彼女の思いは、ただの好奇心だけではありません。暮らしに困りをもっている人たちの役に立ちたいという強い気持ちからです。厳しい生活を目のあたりにして、辛いこともあると思いますが、彼女の活動は、きっと周りの人たちに希望の光を与えてくれることでしょう。



 帰ってから、体験したことをぜひ子どもたちに聞かせてほしいと頼みました。活躍を期待しています。

作品の製作

2010年12月14日 | Weblog
技術の時間を担当しています。今、みんなで本立てやCDラックの製作を行っています。使い慣れないのこやかなづちを手にして生徒たちも奮闘中です。完成をした生徒たちは、苦労しただけに大喜びです。



 週に何時間か技術の時間を担当しています。1年生と「ものづくり」をしています。


 便利な世の中。今は、100均の店などがたくさんあり、何でも安く手に入ることができます。家庭でも物を作るより、できた物を買う方が多くなっているのが現状だと思います。



 だから、技術や家庭などの時間でいろんな物をつくるということは、大切な経験であると思います。いろんな教科の学習をしていることも大事な部分です。また実技教科の中で、必要な技術を学ぶことは将来生きていく中で必ず役に立つことであると思います。



「あのね、前、先生と技術の時間に作った本立てをお姉ちゃん大事に使っているよ。」
と今日の生徒の言葉。とてもいい気分になりました。


 自分たちで実際にのこぎりやかなづちを使いながら、悪戦苦闘して「本立て」の製作をしていきました。


 作成していく中で、友だち同士教えあったり、またちょっと手を貸してあげるなど、自分のことだけでなく周りのこともちょっとだけ気配りすることも教えています。



 今日は、1年生の2クラスのうち、1クラスの全員の作品が完成をしました。全員というのがうれしいです。

 
 みんなていねいに良くできています。オリジナルな「本立て」を使う中で、1年生の頃の技術の時間を思い出して欲しいですね。

悲しい死

2010年12月12日 | Weblog
保護者の訃報に接した。悲しい死でした。言葉ではいい表せないほどの。家族を遺して逝ってしまいました。今まで本当にお世話になりました。ありがとうございました。