異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

【朗報】 君が代不起立で懲戒処分 高裁が取り消す判決

2015-05-28 19:46:04 | 国旗 国家

 

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150528/k10010094771000.html

君が代不起立で懲戒処分 高裁が取り消す判決

5月28日 19時15分
 
東京の公立学校の卒業式で君が代を斉唱する際に起立しなかったことを理由に、元教員の女性が教育委員会から受けた停職6か月の懲戒処分について、東京高等裁判所は「個人の思想や良心の自由の実質的な侵害につながる」として、取り消す判決を言い渡しました。
この裁判は、東京・町田市の市立中学校の教員だった女性が、平成19年の卒業式で君が代を斉唱する際に起立しなかったことを理由に、東京都教育委員会から停職6か月の懲戒処分を受けたのは不当だと訴えていたものです。

1審は、元教員は過去にも減給や停職1か月と3か月の処分を受けたにもかかわらず、再び起立しなかったとして訴えを退けました。

28日の2審の判決で、東京高等裁判所の須藤典明裁判長は「処分を機械的に重くしていくと最後は免職処分になり、自分の思想を捨てるか、教員の身分を捨てるかの選択を迫られる。憲法が保障している個人の思想や良心の自由の実質的な侵害につながるものだ」と判断して、懲戒処分を取り消すとともに10万円の賠償を東京都に命じました。
判決について、元教員は「都の教育委員会が処分を機械的に重くすることに対してストップをかける内容で、うれしい」と話していました。
一方、東京都の中井敬三教育長は「誠に遺憾だ。教職員の職務命令違反に対しては、今後も厳正に対処していく」とするコメントを出しました。
 
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判決後の記者会見で喜びを語る河原井純子さん(右)と根津公子さん=東京・霞が関で

写真

 卒業式で君が代斉唱時に起立せず、停職六カ月の懲戒処分を受けた東京都内の元中学校教諭の根津公子さん(64)が、都に処分取り消しを求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁(須藤典明裁判長)は二十八日、「都教育委員会の処分は裁量権を逸脱し、違法」と判断して停職処分を取り消し、慰謝料十万円を支払うよう都に命じた。一審東京地裁判決は請求を退けており、根津さんが逆転勝訴した。

・・・・〇七年の卒業式での不起立で停職三カ月の処分を受け、根津さんと一緒に提訴した都立特別支援学校の元教諭の河原井(かわらい)純子さん(65)については、一審と同様に停職処分を取り消し、慰謝料十万円の支払いを都に命じた。

 
 
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【Action 安全法制特別委員会傍聴記】 27日…注目すべき志位議員の質問内容//日刊ゲンダイ

2015-05-28 17:43:42 | 政治 選挙 

特定秘密保護法に反対する牧師の会・FBより

【Action 安全法制特別委員会傍聴記】
 27日午後1時20分~5時まで傍聴しました。


 いよいよ特別委員会での審議が始まりました。
 本会議場と違い、安倍首相をはじめ、質問に立つ議員ととても近く、録画では見られない緊張や雰囲気が伝わってくる臨場感あふれる時間でした。


 ニュースではあまり報道されませんでしたが、本日の審議は、最後の質問者・志位和夫議員の質疑にすべて集約されていると言っても過言ではありません。...
 同法案の問題点や危険性が、確固たる根拠をもって指摘されており、聞き応えがあり、非常に整理されています。特に、米軍海兵隊の資料から、自衛隊が今後担うであろう「兵站」の定義を引用し、結局、戦闘活動と全く変わらないということを立証。日本側がどんなに安全だといっても、当のアメリカ側ではこの様に見ている、という論理の組み立てで、議場はシーンと静まりかえりました。
 録画がアップされていますのでぜひご覧ください。 (安海記)

※語句の註釈:度々出てくる兵站(へいたん)という言葉は、武器を手にする戦闘行為以外の全ての活動を意味します。

※添付の画像は、イラク戦争の際に自衛隊が携行した「個人携帯対戦車弾」です。「この様な武器を携行して安全だ...」と、この画像フリップが出されたとき、一般傍聴エリア前のプレス席からは「おぉ...」という声が漏れてきました。

http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php…

特定秘密保護法に反対する牧師の会より追記

質問の一部書きおこしデータをいただきました。(正式な議事録ではありません)                         後方支援= 兵站 (ロジスティックス)
新ガイドラインでも、全部「ロジスティックス」になっています。前方とか後方とかという概念はなく、後方支援と言ってるのは、日本だけです。

 

質問の一部書きおこし

<志位議員>
これは、米海兵隊がつくった「海兵隊教本」でございます。
現在使われているものであります。

「兵站はいかに重要か。兵站は軍事作戦のいかなる実施の試みに置いて も不可欠な部分である。
兵站なしには計画的組織的な活動としての戦争は不可能である。

兵站がなければ、武器は弾薬なしになり
装備は故障し、動かないままとなり、
病人や傷病兵は治療のないままになり
前線部隊は食料や避難所や医療なしに過ごさなければならない。
兵站の重要性について 非常にわかりやすく書かれています。

「兵站と戦争」、という項があります。
兵站は戦争の一機能であるがゆえに兵站システムとそのシステムを作動させる部隊および要員が暴力および危険の対象となる。
兵站の部隊、設備、施設は、 軍事攻撃の格好の目標であることを認識することが重要である。
先ほど総理は、「兵站は安全なところでやるのが常識」と言いましたがしかし、海兵隊教本には逆のことが書いてある。

結論です。

兵站は戦争と一体不可分である。 兵站が軍事行為の不可欠の一部である。兵站は、いかなる、すべての戦争の中心構成要素である。

非常に明瞭。

総理に伺います。昨日私の質問に関して「我が国が行う後方支援は他国の武力の行使と一体しないように行うも のである。武力行使と一体不可分であるというご指摘は当たりません」とおっしゃいました。

総理がなんと言おうと、自衛隊が支援する米軍が兵站は戦争と一体不可分である。 兵站が軍事行為の不可欠の一部である。兵站は、戦争の中心構成要素だ、ここまでいっているんですよ。

相手はこういってるんですよ。
これが兵站の本質ではないですか?

<安倍総理>
たしかに今、志位委員がご紹介されたように兵站というのは重要ですよ。 だからこそ、安全が確保しなければいけない。
兵站の安全が確保できないような場所であれば作戦行動は成り立たない。
兵站の安全が確保されている場所において、後方支援をするわけであり ます。

食料等々を届けていく。攻撃されて奪われてしまったら、相手のものに なるわけですから。だからこそですね。
また、後方支援をしている間は攻撃に対しては脆弱である、という考え方のもとに しかし、これもちゃんと、安全を確保しましょう、という ことだと思いますよ。

後方支援に関しては危険を回避し安全を確保することは当然でありまし て軍事的に合法性のあることでもあると思います。
後方支援を充分に行うためにも、必要なことでありまして危険な場所に物資をたくさん届けるというのは敵に届けてしまうようなことになってしまうわけでありますから、そんな危険なところで後方支援しないということは常識であります。

繰り返し申し上げてきたわけですが、また繰り返し 申し上げたいと思う。
戦闘現場ではない場所、そして安全を十分に確保できるということを
しっかりと見極めながら活動をして 区域を設定していくことになるわ けであります。

<志位議員>
総理はね、これだけ議論したのにまた、同じ事を繰り返す。
「安全を確保します」、と。
これまで「非戦闘地域」でしかやっていけないという歯止めがあった、これを廃止する。
戦闘現場でなければ。これまで政府が戦闘地域と呼んで行ったところま で自衛隊が出かけて活動することになる。
攻撃される可能性がある。これをお認めになりました。
攻撃されたら武器の使用をする。これもお認めになりました。

戦闘になるんじゃないか、ということを私は提起してまいりました。
まさにこれ 議論を通じてね、 自衛隊のやる後方支援は、戦闘になるということがはっきりしました。
これがこの議論の到達点なんですよ。

そしてね、兵站というのは、戦争行為の不可欠の一部であり
武力の行使と一体不可分。 軍事攻撃の目標になる。
これが世界の常識であり、軍事の常識です。

武力の行使と一体でない後方支援など世界でおよそ通用するものではない。

なお、1986年のニカラグア事件に関する国際司法裁判所の判決では、
兵站が「武力による威嚇、または武力の行使」と観なされることもあり うる、と書いている。
あらゆる兵站がすべて武力の行使でなないということがありえないとい うことは国際司法裁判所も明記している。

しかもこれまでは「非戦闘地域に限る」、「弾薬を運ばない」とか言う歯止めがあったが、 今回の法案は外してしまっているではないですか。
武力の行使と一体ではないというごまかしは、いよいよ通用するものではありません。
今日の質疑を通じて、政府の法案が 武力の行使を禁じた憲法九条一項に反する違憲立法であることは、明瞭になったと思います。
絶対に、認めるわけにはまいりません。

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           戦争法案 志位委員長の質問(5/27) - YouTube

            戦争法案 志位委員長の質問(5/28) の動画検索結果www.youtube.com/watch?v=0AxtxAeVc3c
 
 

戦争法案 志位委員長の質問(5/28) - YouTube

戦争法案 志位委員長の質問(5/28) の動画検索結果
www.youtube.com/watch?v=x8wM9L2lUp0
 
 
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日刊ゲンダイ 2015.5.28

 


辺野古か普天間かを迫る政府にCoccoが反論!「ギロチンか電気イスかじゃない選択肢を」

2015-05-28 17:42:02 | ご案内

LITERA/リテラ 本と雑誌の知を再発見http://lite-ra.com/2015/05/post-1138.html

辺野古か普天間かを迫る政府にCoccoが反論!「ギロチンか電気イスかじゃない選択肢を」

2015.05.27
cocco_01_150527.jpg
Coccoの2014年のアルバム『プランC』(ビクターエンタテインメント)

 昨日26日の会見で、またしても菅義偉官房長官が沖縄に“脅し”をかけた。辺野古への基地建設工事の中止を求める翁長雄志・沖縄県知事に対し、それに応じるつもりがないとし、「辺野古移設を断念することは普天間飛行場の固定化を容認することにほかならない」と述べたのだ。

 沖縄が選挙というかたちで出した答えは「基地の県外移設」である。にもかかわらず、いまだ政府は辺野古か普天間の二択を沖縄に迫りつづける。こうしたなか、沖縄出身のミュージシャン・Coccoがこんなコメントを発表した。

「ギロチンか、電気イスか。苦渋の選択を迫られたとしてそれはいずれも“死”だ。辺野古か普天間を問われるから沖縄は揺れ続ける」

 Coccoのこのメッセージは、現在、ポレポレ東中野で先行上映が行われているドキュメンタリー映画『戦場ぬ止み』(いくさばぬとぅどぅみ)に送られたもの。Coccoは同作品のナレーションを担当しているのだが、コメントは以下のようにつづく。

「口をつぐんでしまった友、デモに参加する友、自衛隊に勤める友、みんな心から沖縄を愛する私の大切な友です。ギロチンか電気イスかではなく根底からの『NO』を誰もが胸に抱いてる。人として当たり前に与えられていいはずの正しいやさしい選択肢が欲しいと私は、そう想うのです」

 正しい、やさしい選択肢が欲しい──。この切実な訴えの、ほんとうのところを、そのじつ「内地」に住む人びとはよくわかっていない。ボーリング調査のための重機が辺野古沖に沈んでゆく映像をニュースでちらっと観ても、そのことが孕む問題がわからない。オスプレイが旋回する空が映し出されても、その音は消されている。ネット上では「基地建設に反対しているのは住民ではなく県外の左翼ばかりだ」と書き込まれ、政府は「沖縄は国防の要だ」と言う。そして「だったら、沖縄にあればいいんじゃない?」と安易に答えを出す……。

 わたしたちはいま、沖縄で何が起こっているのか、“ほんとうの沖縄”を知らない。だが、映画『戦場ぬ止み』は、Coccoの言う「人として当たり前に与えられていいはずの正しくやさしい選択肢」の意味を教えてくれる。

 たとえば、辺野古のキャンプ・シュワブのゲート前には基地移設に反対する多くの辺野古住民たちや、名護市以外からも県民が集まり、日々、工事車両を阻止しようと行動している。そのなかに、ひとりのおばあがいる。85歳のおばあは杖をつき、ときには沖縄県の警備機動隊たちにもみくちゃにされながら、反対の声をあげている。おだやかな顔をしたおばあは言う。「ダイナマイト腰にでも巻いて、政府の前に行ったほうがいいんじゃないの(と思う)」。

 おばあは沖縄で繰り広げられた地上戦のとき、目の不自由な母親と幼い弟と連れ立って糸満の壕に避難した経験がある。米軍は壕に手榴弾を投げこみ、さらには壕を火炎放射器で焼いた。大やけどを負って瀕死となった母は、助かる見込みが少ないからと野戦病院で毒殺されそうになるが、そこから母を連れて逃げ、若かったおばあが一家の大黒柱になって家族を守ってきた。あの地上戦を沖縄は忘れたのか──その苦しさ、悔しさが、おばあをゲート前に向かわせる。

 ゲート前の反対運動のリーダーは、同じ沖縄県民である機動隊の隊員たちに、こう語りかける。

「我たちはきみたちを敵だと思っていない。きみたち若者を含めて、すべての若者を守りたい。二度と戦場に若者を送らないという想いであるから一生懸命なんだ。沖縄を二度と戦場にさせないという想いがあるから、見てごらん。70、80(歳)になっても、ここに立ち尽くしている」

 じつはこのリーダーは、今年の2月に基地の敷地内であることを示す「黄色い線」を越えたといって、米軍に身柄拘束されている。そのことが報道されると、ネット上には「テロリストは拘束されて当然」「暴力団は取り締まれ」などと彼を罵る書き込みが溢れたが、いったい彼のどこがテロリストで暴力団なのか。まるで過激な闘争が行われているように情報操作したいのか、あるいはほんとうに反対運動が危険なものだと信じているのかもしれないが、実際の様子を見れば、そんなことは言えなくなるはずだ。

 昨年8月、辺野古の海上に工事のための海域囲い込みがはじまった日。反対派は4隻の小さな船と20艘のカヌーで抗議したが、それに対して、防衛局と海上保安庁は80隻以上の船を動員。なんと20ミリの機関砲を装備した大型の艦船まで出している。わざわざ政府は尖閣諸島の海域から巡視船を呼び寄せ、辺野古に結集させたらしい。もちろん、カヌー隊がこれに対抗できるはずもなく、あっけなく制圧されてしまう。この異常な風景には、反対運動が嫌いだという防衛局に雇われた船の漁師さえ、「かわいそうに」とこぼす。

 なかでも住民たちの怒りが頂点に達するのは、翁長知事が当選した3日後から“粛々と”海上工事が再開されたときだ。しかも4日目の朝には、前述したおばあがゲート前で機動隊に引き倒され、救急車で運ばれるという事件が起こる。ゲート前は騒然となり、あまりにむごい機動隊のやり方に集まった人びとは厳しく詰め寄る。だが、そんなときでも、反対派のリーダーは機動隊にこう声をあげた。

「機動隊の隊長は辞表出せ! おまえくらいの体格があれば、我々行動隊の隊長にすぐ抜擢する! 辞表を出して、こっちにこい!」

 この演説には笑い声と拍手が起こり、つづけて「我々の気概を見せよう!」と言ってはじまったのは、機動隊を威嚇したり責め立てる行動ではなく、余興のような空手ふうのパフォーマンスだった。機動隊に対して許せない怒りはある。でも、彼らも同じ沖縄県民だ。この憤りをわかってほしい、わかるはずだと、どこまでも訴えかけるのだ。

 そう。映画に出てくる沖縄の人びとは、どこまでもおおらかでやさしい。反対運動が嫌いだと公言する漁師は、「ケンカばかりしてたらダメなんだよ」と言って、大晦日の夜、辺野古の浜に集まった反対派の人びとのためにおいしそうな刺身盛りをつくる。「これ食べて、来年から基地反対やめろや」と軽口を叩きながら、でも、みんなで一緒に酒を飲み交わし、歌を歌う。

また、辺野古の海にブロックが沈められる様を海上の船から涙を流しながら見つめる女性は、海保の男性に「お兄さんたち、止めて! みんなで肩もみするからよ」と声をかける。「おれは言えないよ」。その返事に、彼らの葛藤が浮かんでくるが、対して女性は、笑顔で「いつも気にかけてくれてありがとう」と礼を述べ、手を振った。──いがみ合ったりなんてしたくない。それが沖縄の願いであるはずだ。

 映画は、美しくゆたかな辺野古の海を映し出す。海底には色とりどりの珊瑚が息づき、ジュゴンは波にゆられながら、碧い海をゆったりと泳ぐ。こうした自然が壊されていく風景を目の当たりにすることは、住民じゃなくても胸が締め付けられるような痛みを感じる。しかも、沖縄は「県外移設」「新基地建設反対」という民意を知事選によって政府に示しているのだ。沖縄で日本政府がやっていること、それを表現する言葉は「理不尽」という三文字以外、見つけられない。

 本作の監督は、以前本サイトでも紹介したことがある『標的の村』の三上智恵氏。彼女は今回の映画について、こう綴っている。

〈辺野古のゲートや海上で彼らに襲いかかってくる権力は、警察、防衛局、海上保安庁にその姿を変え、素手の県民を押さえつけます。でも、いくら押さえつけられても、その口は歌を唄う。怒りの絶頂を瞬時に笑いに変え、気力を盛り返す。撮影しながら、私は確かに地鳴りを聞きました。「島ぐるみ闘争」の震動は、やがて激震となって本土に到達するでしょう〉

 タイトルの「戦場ぬ止み」とは、「辺野古のゲート前に掲げられた琉歌の一説に由来している」という。《今年しむ月や 戦場ぬ止み 沖縄ぬ思い 世界に語ら》。──「今年11月の県知事選挙は、私たちのこの闘いに終止符を打つ時だ! その決意を日本中に、世界中に語ろうじゃないか」。そんな意味が込められている。

 もうすでに沖縄の答えは出ている。いまは「内地」が、「人として当たり前に与えられていいはずの正しいやさしい選択肢」を国に訴えるときがきている。「ギロチンか、電気イスか」なんて選択を沖縄に押し付け、人びとのあいだを分断する、わたしたちはその当事者なのだから。
水井多賀子

 

『戦場ぬ止み』http://ikusaba.com/
6月5日(金)まで東京「ポレポレ東中野」で先行上映中
7月11日(土)より沖縄「桜坂劇場」、7月18日(土)より東京「ポレポレ東中野」、大阪「第七藝術劇場」で本上映開始。以降、全国で順次公開予定(詳しくはHPまで)

 

 


教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために㉑  在日朝鮮人(2)

2015-05-28 17:41:30 | キリスト教 歴史・国家・社会

木下裕也先生の「教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために」記事を連載しています。

木下裕也木下裕也(プロテスタント 日本キリスト改革派教会牧師、神戸改革派神学校教師)

教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために

在日朝鮮人(2)


1945年の敗戦のおり、在日朝鮮人は「朝鮮戸籍」をもつ「日本人」でした。しかし、この年早くも在日朝鮮人の参政権は奪われます(今も奪われたままです)。1947年の外国人登録令によって在日朝鮮人は外国人と見なされ、その年発布された日本国憲法では日本国籍をもつ人々には認められた基本的人権は在日の人々には保障されず、1951年のサンフランシスコ講和条約締結のさいに朝鮮人、台湾人の「日本国籍」は一方的に奪われてしまいます。指紋押捺制度もこのときから始まります。

そうした経緯により、在日朝鮮人は税金を納めているにもかかわらず、さまざまな社会福祉制度からも除外されることになります。

...

在日朝鮮人たちは日本社会にあって、さまざまな差別や偏見に苦しみ、今にいたるまで厳しく、過酷な生活を強いられてきました。とくに在日一世の人々の労苦は想像を絶するものでした。かつて日本の手によって土地を奪われ、生活を断たれ、あるいは強制連行によって連れて来られた在日一世たちの多くは、戦争中は労働力として酷使され、戦後は帰国の望みも失い、何の補償もないまま日本に残され、排除と切り捨ての対象とされました。

在日朝鮮人に対する日本社会の差別と偏見は今なお存在しています。日本国籍をもたないゆえに仕事や住まいを得られない貧困と苦境に加え、朝鮮名を名乗っただけで冷たい視線にさらされ、人権をおびやかされるといった状況が今もあるのです。

 

そこで生じるのが「帰化」、すなわち日本国籍取得の問題です。差別の壁に苦しめられた在日の親が、子供には同じ苦しみを味わわせたくないとの思いから日本国籍を得るということも起こり得ます。そうすることで日本社会に暮らしやすくなるということはあるかもしれません。

しかし、そこにも大変な苦しみがともないます。多くの苦しみや困難の中で在日の人々を支え続けたのは、朝鮮民族としての誇りでした。彼らは異教の地日本で、かつて植民地支配の時代に同化政策により根こそぎにされた「民族」を大切に守り抜いたのです。懸命になって子孫たちに朝鮮の歴史や言葉を教えたのです。

帰化をするというのは、その意味で朝鮮人であることの根本を揺るがす選択なのです。朝鮮籍を保持し続けることには、当然さまざまな困難やたたかいがともないます。一方帰化の道を選ぶ人々も、自分は朝鮮人でも日本人でもないとの意識に苦しめられることになるのです。

 

この国にあって、故国喪失と自己分裂の苦しみに耐え続けた人々があります。この人々と共に生きること。この人々の隣人となること。この国の人々が平和に生きるために、不可欠の課題です。

 

 


教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために⑳  在日朝鮮人(1)

2015-05-28 17:41:04 | キリスト教 歴史・国家・社会

木下裕也先生の「教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために」記事を連載しています。

木下裕也木下裕也(プロテスタント 日本キリスト改革派教会牧師、神戸改革派神学校教師)

教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために
 

在日朝鮮人(1)


1945年8月15日は日本にとっては敗戦の日ですが、朝鮮の人々にとっては36年にも及ぶ植民地支配から解放された記念日【注1】です。その時点で、日本には朝鮮の総人口のおよそ1割にものぼる人々が生活していました。この人々は日本の敗戦を知ると、もちろん歓喜の声をあげました。ようやく祖国に帰ることができる、新しい歴史の歩みを築いていくことができると、希望に胸をふくらませたのです。帰国を望む人は8割を超えました。

...

しかし、日本政府はこの人々が朝鮮に帰国するための便宜をはかろうとしませんでした(ある人々は命がけで、自力で玄界灘を越えていこうとしました)。加えて、変えるべき祖国がどのような状況にあるのかもしだいに伝わってきました。日本の支配からときはなたれたのもつかの間、朝鮮の人々にはあらたな苦難の歴史が待ち受けていたのです。

 

敗戦により日本は朝鮮の統治権を手放しますが、このときすでにアメリカとソビエト連邦とは朝鮮半島を北緯38度線をもって分割統治することを決めていたのです。38度線の南側ではアメリカが軍政をしき、北側もソ連軍によって占領されました。そして南と北のそれぞれが、アメリカとソ連の支配のもとに単独国家の樹立へと向かっていきます【注2】。戦後の冷戦の枠組みの中で、自由な国家をつくるという願いはまたも押しつぶされてしまったのです。そして朝鮮の人々は、愛する祖国を分断されてしまうこととなったのです。

 

日本にいた人々の多くは南朝鮮の出身でしたが、南朝鮮はすでにアメリカの軍事占領下に置かれていました。インフレ、住宅難、食糧難、自然災害といった暗い知らせも入ってきました。さらに、日本政府は彼らの財産の持ち帰りを厳しく制限しました。

そのような事情によって、祖国に帰ったところでそこに生活の基盤を据えることはむずかしいという現実が重くのしかかってきたのです。今も日本で生活している在日朝鮮人の人々は、そうしてやむなく異国に残ることとなった人々と、その子孫たちです。

 

【注1】「光復節」と呼ばれます。

【注2】1948年8月に資本主義国の大韓民国が、翌月には社会主義国の朝鮮民主主義人民共和国が成立します。