中さん

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日記(3.12)コラム「デストロイヤー」

2018-03-12 17:34:26 | 日常
3月12日   (月曜日)  晴れ


当時は夢中でみた”ザ・デストロイヤー”のプロレス技。
コラムにあった!

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 日米が開戦したのは彼が10歳の時だという。
 日本を「敵国として憎んでいた」という。
 日本人も米国人が嫌いなのではないか。
 1963年に初来日した時は
 受け入れてもらえるのか怖かったそうだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼何をおっしゃる。
 怖かったのは私たちです。
 目、鼻、口以外は白覆面の異形
 必殺技、足に4の字固めを掛けられた相手が
 悶絶するさまに、茶の間は震え上がった。


 ★そうだったなあ~!
  素早い技のかけ方、四の字掛けを見ていると・・嗚呼もうだめだと
  思ったものだ。
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▼往年のプロレスラー「ザ・デストロイヤー」さん。
 元気な姿を久しぶりにテレビで拝見した。
 昨秋に旭日双光章を受章。
 先月、米国で伝達式があった。
 今年87歳。「この上ない栄誉」と、
 覆面の奥はたぶん感極まっていた。


▼名勝負の一つが初来日時の力道山戦。
 4の字固めで絞め上げるも力道山は降参しない。
 「このままでは2人とも選手生命が終わる」と
  レフェリーが試合を止めた。
  テレビの視聴率64%
  力道山は腫れた足を1週間冷やし続け
  片や空手チョップを受けた口は前歯4本が折れたと伝わる。

▼引退後は地元の子どもにレスリングや水泳を指導。
 日本に連れて行って交流したり、
 逆に日本の子どもたちを受け入れたりした。
 東日本大震災の支援にも取り組んだ。

「敵だった私に日本では誰もが親切にしてくれた。
  日本と恋に落ちてしまった」と
  語るデストロイヤーさん。
  そんなにまで好きになってくれてありがとう。
  長年の活動をたたえる叙勲は、
  私たちからのチャンピオンベルトでもある。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ★87歳になったんだ!
  思えば随分日本に娯楽と興奮を提供してくれたなあ~!

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午後は暖かくなったので草取りをしながら
摘み菜をしてくる。
わさび菜

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日記(3.12)方言のこと

2018-03-12 12:06:56 | 日常
3月12日  (月曜日)   晴れ

俳優とは大変な仕事である。
今年のNHK大河ドラマ「西郷(せご)どん」で
出演者が使う方言を耳にしてそう感じる人も多いのではないか。
薩摩弁はことのほか難しい。
それでも地元の人に自然に聞こえるようにセリフを話せなければならない。

▲だから地方が舞台のドラマには方言を指導する人が欠かせない。
 NHK朝の連続ドラマ「あさが来た」には
 大阪弁がひんぱんに出てきた。
 船場の商人が使う言葉には品のよさが求められるという。
 方言指導者によれば「どうにかならへんの」
 相手に強く迫る場面でも「どうにかならしまへんの」と柔らかく表現した。

方言はそこに暮らす人の文化、魂と言っても言い過ぎではない。
 だが東日本大震災では沿岸部の住民が内陸部に移り住んだことで
 方言が途絶えかけている地域もある。

 東北大学はインターネット上に「東日本大震災と方言ネット」というサイトをつくり、
 方言に関する情報を集約、発信する。

▲復興に役立てることが大きな目的だ。
 東北大の小林隆教授は共著「方言を救う、方言で救う」の中で、
 こう記している。

「地域の復興は文化の復興と一体にならなければ成し得ない」

▲7年前のあの日から東北には全国各地からたくさんの応援の声が届いた。
 中にはこんなメッセージがあったという。
 鹿児島県姶良(あいら)市からだ。

「お気張(きば)いやったもんせ 姶良より」。
 元気を出してくださいませと。
 遠く離れた土地からの難しい方言でのメッセージ。
 それがこうも優しく、力強く心に響く不思議さを思う。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
鹿児島の方言単語
クリックして単語を・・。
~~~~~~~~~~~~~~~
参考に

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