中さん

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日記(3.20) 名刺のこと

2018-03-20 16:22:03 | 日常
3月20日    (火曜日)  寒い日になった。

コラムに名刺のことが・・・

うまいなあ。
南魚沼市の人たちが新米と名刺をくっつけた。
1合分を真空パックした袋を名刺に仕立てた
先日の記事によれば縦が23センチもある。
差し出せば、心だって胃だってつかむ。
出会いの滑り出しは上々だろう。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼フレッシュなんて呼ばれたころ、ある業界の懇親会場で失敗した。
 話を聞かせてくれる人を探し、手当たり次第に名刺を配っていたら、
 相手が「えっ?」。
 愚かなことに、さっきもらったばかりの某社長さんの一枚を差し出していた。
 大笑いされ、真っ赤っかになった。

▼交換の儀式は悲喜劇を生む。
 姓名には目もくれず、ヨロシクの瞬間に肩書比べの火花を散らす人もいる。
 昔は違ったのだという。
 18世紀のヨーロッパでは、不在の人に用件を伝えるために使ったようだ。

▼作家の半藤一利さんが「歴史のくずかご」(文春文庫)に書いていた。

 ある紳士が淑女の家を訪ねたものの、あいにく外出中。
 そこで枚数不足で使いものにならなくなったトランプの余白に名前と用件を書いて、
 留守宅に残してきたのが、名刺の始まりであると・・。


▼一説には、それがハートのエースであった。
 となれば、恋文だ。
 これがしゃれているということで、がぜんはやりだした。
 それで名刺は原則的にトランプと同じ大きさなんだそうな-

▼いい出会いを望む季節になった。
 新米さんと呼ばれることになる人たちは、
 どきどきしだすころでしょう。
 どんな巡り合いから、どんな仕事をつかむのか。
 しのばせた胸ポケットの名刺より度胸がものをいう。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
蛇足)
名刺の起源で検索してみた。

■名刺は"あの国"から始まった
名刺の起源については、さまざまな説があるようです。
中でも一般的なものは、中国を発祥とする説。
248年に没したとされる三国時代の武将・朱然の墓から、名刺が発見されました。
その頃は、まだ紙のない時代。
そのため、名刺は竹を割って作られ、そこに自分の名前を書いて使っていました
この竹のことを『刺』と呼んでおり
名前の書かれた『刺』ということで『名刺』と呼ばれるようになった...というのが、
名刺のはじまりのようです。

竹の名刺は、イメージするとすごく嵩張りそう。
しかし、約2000年も前から名刺が存在していたというのは、驚きではないでしょうか
その後、名刺は16世紀にヨーロッパへ。
ドイツでの使用を皮切りに、ヨーロッパ全土へと広がっていきます。
さらにアメリカでも使われ始めた名刺は、日本でも使われるようになります...

■日本で初めて名刺が使われたのは「○○時代」!
日本で名刺が使われ始めたのは、江戸時代(19世紀初期)からと言われています。
中国で名刺が使われ始めてから、ずいぶんと間が空いています。
ここには、当時の文化の違いなどがあったのかもしれません。

日本では、墨で名前を書いた和紙を、
訪問先が不在だった際に置いてくるという使い方をしていました。
今でいう、郵便物の不在票のようなものですね。

手描きから印刷になったのは、幕末開国頃
印刷技術が西洋から日本へと伝わったことがキッカケです。
ちなみに当時、名刺には家紋が描かれ、その下に名前が書かれていたとのこと。

名刺にロゴや顔写真を載せる人がいますが、家紋はそれと同じような位置づけなのかもしれません。
時代と共に、名刺はどんどん頻繁に利用されるようになります。

明治時代以降のいわゆる「鹿鳴館時代」には、社交の場において
既に必須アイテムとなっていたようです。
今や日本は、発祥の地である中国以上に名刺をよく使っています。

世界的に見てもその数は多いというイメージがあり、
例えばキレイにファイリングした名刺の束を見せると、外国人は驚くようです。

確かに日本では『名刺』という存在を非常に重んじる文化があり、
よく会社でも名刺の扱いについて「その人の分身だと思え」など注意されます。
ですから、中には名刺が日本発祥だと思っていた方も少なくないのではないでしょうか。
名刺の起源。何気なく使っているものにも、意外な歴史や真実があるのですね~。
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日記(3.20)人口減少カレンダー

2018-03-20 09:42:32 | 日常
3月20日  (火曜日)   雨
本を読み返してみた。



「未来の年表」という本に言及しながら・・こんなコメントが載っていたので。
 転記させていただく。

これからの日本が無子高齢化社会に突入するだろうという予想を立てている。
 2016年の合計特殊出産率1.44が今後も変わらないと仮定したうえで、
 人口の推移を分析している。

 最初の世代を男女合わせて200人と仮定すると、
 その子どもの世代では生まれる子どもの数は144人、
 孫の世代では104人となる。

つまり人口の減少は加速度的に進むというわけである。
その調子で進むと、遠からず生まれてくる子どもは劇的に減少する。
子どもの殆どいない社会がやってくるかもしれない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
一方高齢化のほうも加速度的に進む。
2024年には団塊の世代がすべて後期高齢者になるが、
その年の人口1億2300万人のうち65歳以上の老人が占める比率は29.8パーセントである。
また、2039年には団塊ジュニアが高齢者の仲間入りをするが、
その年の日本の人口は1億1180万人で、
そのうち高齢者の割合は34.9パーセントである。

こんな具合に高齢者の割合が増える一方で、子どもの数は劇的に減る。
だから無子高齢化と言ってもよい現象が現れる確率が高いというわけである。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
人口減少そのものは問題ではないという意見もある。
実際ドイツは8000万人、イギリスとフランスは6400万人で、
それなりにうまくいっている。
しかしこれらの国は人口が少ないなりに、
世代間の比率もそんなにひどいバランスではない。
高齢化率は日本よりずっと低いし、
子どもの割合は日本よりずっと高い。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
要するに人口構成にバランスがとれていれば
少ない人口でもなんとかうまく回転するが、
子どもが殆どおらず、
老人ばかりが多い社会では、
さまざまなひずみが出て来る。
~~~~~~~~~~~~~~~~
政府もやっとこの事態に危機感を持つようになり、
少子化に歯止めをかける政策を本気で考えるようになってきたが、
M 女史によれば、もう手遅れだということだ。

多少出産率が上がっても、子を産む女性の数が絶対的に少なくては、
生まれて来る子どもの数も増えない。
日本では、団塊ジュニアが出産適齢期にそれなりの対策を打っていれば、
少子化に歯止めがかかったかもしれない。
しかし団塊ジュニアが年齢的に子どもを産めなくなった今頃になって
少子化対策に力を入れても無駄だというのである。

こんなことを聞かされると、ますます憂鬱になるばかりだ。
誰が一体こんな日本にしたのか、
と言いたくもなるというものだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
★孫の時代、日本という国はどうなっているのかなあ~!
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日記(3.20)プーチン

2018-03-20 09:12:39 | 日常
3月20日   (火曜日)     雨

昨晩から予報通り雨が降り出した。気温も一桁代らしい。
春雨にしては冷たい。 寒の戻りだ。


~~~~~~~
コラムに プーチン氏のことが・・
戦国武将の武田信玄が残した名言の一つである。
「およそ戦というものは、
  五分をもって上とし、
  七分を中とし、
  十分をもって下とす」。
 

 五分の勝ちなら今後の励みとなり、
 七分なら心に怠りが生じる。


▼十分つまり完全に相手をやっつけると、
 驕り高ぶってしまう、との警告である。
~~~~~~~~~~~~~~~
その伝でいくと、


ロシアの大統領選でのプーチン氏の勝利は、「十分をもって下」となる。
現職のプーチン氏の得票率は76%を超え、通算4選を果たした。


幼少時代

KGB時代

▼もともと有力な対抗馬は見当たらず、勝利は確実視されていた。
 それでも政権側は「勝ち方」にこだわる。
 まず投票日を、ウクライナ南部のクリミア半島併合からちょうど4年の18日に設定した。
 もちろん実績をアピールするためだ。

▼無料のがん検診や人気歌手のコンサートのチケットなど
 「景品」まで用意して投票率アップを図った。
  もっとも今回の結果が、ロシアに明るい未来をもたらすとはとても思えない。
  プーチン氏の強権支配が続く限り、
  欧米諸国との関係は改善せず、経済改革も進まない、
  との見方がもっぱらである。


「九勝六敗を狙え」
  信玄と同じく、作家の故色川武大さんは勝ちすぎを戒めた。
  若いころのばくち三昧の生活のなかで会得したセオリーは、
  その後の人生でも役立ったという(『うらおもて人生録』)。


  「正論」によれば、少年期のプーチン氏がレニングラードの
   街頭で学んだ人生哲学は違っていた。
弱肉強食の世界で生き延びるには、ひたすら勝ち続けるしかない。 
 プーチン氏は2024年の任期が終わっても、
 最高権力者の地位に止まる、と見る。
 権力を手放せば、暗殺の危険
 さえあるからだ。・・・・独裁者として生きるのも大変らしい。

~~~~~
★ロシアは十分でなくてはいけないんだ!
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