中さん

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日記(5.15)

2023-05-15 17:25:00 | 日常
5月15日  (月曜日)    ②  午後は曇りになったり雨が落ちて来たりだ。
小降りになったので車の税金納付にコンビニに行く。
 ついでにスマホのモバイルスイカにチャージを行う。
  先日スイカカードの残金をスマホに移したので、いろいろやってみる。

  時代がどんどん進んでいて・・個人としては情報化からだいぶ遅れてしまった感じだ
  最もそれ程使うこともないので必要はないのであるが・・・
  デジタル機器を使うことや 知っておきたい要求はまだある。この気力が消えたら・・・
その後、民生委員の推薦書にサインをもらいに連合自治会長宅に。・・その足で市役所の
市民福祉課に提出して、一段落した。
やれやれ約1年かけて、十数軒目の訪問でようやく候補者が決まった。
だんだん役割の担い手も厳しくなってきている。
ただ民生委員の退任年齢も75歳から78歳までに枠が広がったのは救いだ!
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福島民友のコラム記事 大横綱
 鋭い眼光と鍛え上げた肉体から「ウルフ」と呼ばれた横綱千代の富士は、
  肩の関節の受け皿が普通の人の3分の2ほどの大きさしかなかった。
  若い頃は100キロに満たない体で強引な投げにこだわり、
  脱臼と休場を繰り返した。

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 ▼克服のために取り入れたのが徹底した筋力トレーニング。
  1日最低500回の腕立て伏せと20キロのダンベル上げで 、
  外れやすい関節周りを鋼の筋肉で覆った
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 ▼同時に肩に負担のかからない取り口に改めた。
  相手の前みつを取るや、脇を締めて一気に前に出る速攻相撲だ。
  北の湖や小錦といった巨漢力士を次々と土俵外に追いやる姿に、
  日本中が拍手を送った

 ▼不運を嘆いても始まらない。その暇があれば、黙って腕立てをしてダンベルを上げた。
  横綱在位59場所、優勝31回、通算1045勝...。
  20年余りの土俵人生で築いた数々の偉業は、
  脱臼癖という弱点がなければなし得なかったといえるだろう
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 ▼夏場所はきょう今日で2日目を迎える。
  福島県 地元出身の
  右膝の靭帯(じんたい)損傷で若隆景が長期離脱したのは寂しいが、
  まだ28歳。焦る必要はない。今はリハビリに専念し、復帰への力を蓄える時だ。
  あの低い姿勢からの頭脳的な攻めで、兄の若元春と共に再び
  土俵を沸かせる日をみんなが待っている。
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★私も相撲はよく見るので親父に似てきたなあ~
 横綱、照ノ富士も土俵に戻った!初日が白星で良かった。
 高安が怪我で休場でもったいない。
 先場所優勝の霧馬山・・大関狙いも応援したい。
元大関 正代・御嶽海にも頑張って欲しいが・・
国技館での客席の芸能人を見つけるのも楽しみだ!
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日記(5.15)

2023-05-15 14:28:36 | 日常
5月15日  (月曜日)  雨
昨年に獲ったスイカの種を蒔いておいたら芽を出してきた。

果たしてうまく成長するのか!育ててみよう。実験だ。
通常は接木のものが売られているので、如何かなあ~!
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新潟日報のコラム日報抄「14日」には私も見た景色のことが載っていた。
 長岡から関越道を魚沼方面に向かい、小千谷市の山本山トンネルを抜けると、
 越後三山が視界に入る。

 最も標高が高い中ノ岳を中心に、左に越後駒ケ岳、右に八海山。
 魚沼市辺りからの見栄えが最もいい
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〈神のごと魚沼三山ならびたまふ関越自動車道をひた駆けくれば〉
魚沼三山とは越後三山の別称である。
同市の旧堀之内町で育った歌人、宮柊二の最晩年の作品だ

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▼糖尿病で脚が不自由になった柊二は関越道が全線開通して間もない1985年11月、
 町制60周年の式典に参加した。息子夫妻の介護を受けながら、
 東京から帰郷した際に詠んだとされる。
 魚沼の風景は心を癒やしたのだろうか。翌年この世を去った
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▼柊二は古里の自然や風土をたたえる歌を多く残した。
 旧制長岡中を卒業後は家業の書店を手伝うが、商売に陰りが見えると20歳で上京した。
 三山が織りなす景色を思い浮かべて望郷の念を膨らませることもあったようだ。
 歌集をめくると幾ばくかの寂しさもうかがえる

▼昭和から平成、令和と三山を仰ぐ町の様子は一変した。
 柊二は魚沼をはじめ県内各地の学校の校歌を作詞しているが、
 それを歌う子どもたちは半減した。
 山からの清流を集める魚野川の橋は架け替えられ、強固な堤防も築かれた。
 だが、山の姿はかつてのままだ
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▼魚野川の土手を眺めると、高齢者のグループが柔らかな日差しを浴びていた。
 三山は残雪と新緑に彩られ、悠々とした時間が流れている。
 柊二が大切にしたという飾らない日常がそこにあった。
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★私の越後三山の思い出は
 出向先の小千谷から熊谷へ帰る関越高速道から見る
 10月初旬からは雪化粧の始まった越後三山の巨大な山容は神々しいものであった。
 しかし、すぐに曇天の空からの雪に見舞われると美しいなんて言っていられない!
 雪のない場所で育った自分には雪の怖さを知った時期でもあった。
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