中さん

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日記(2024.3.1)

2024-03-01 15:58:11 | 日常
2024   3月1日   (金曜日)   ②   晴れたが強風が吹く日
あっという間に3月だ
〇雨も止んで強風が吹き荒れる。
 どうにも、たまらなく嫌だ!
 知り合いの方に頼んで保存してもらているお米8袋の中から
 今回1袋分を持ってきてもらって即お米の精米機のある場所に出かける。
 ★このところ30㎏の袋がとても重く感じる様になったなあ~!
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北の方向には雪を被って富士と同じようにコニーデ状の様相がくっきり見える。
スマホで撮ってちょっとしたテクニックでズームアップ。

風の強さを空の雲が語る。

 晴れ間も出てきたが風は相変わらず強い。
自治会の総会用資料を作成。
 準備が悪いせいか2時間ほどかかった。
 まあ取り敢えず概要は作成・・一旦落ち着いた。
 別の資料は庶務さんに頼んだ。
〇来年度の新班長の名簿集めを始めた。
 3月から4月はいろんな提出資料も多く忙しくなる。
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毎日新聞 余録

〇米時間の10日夜に発表される米アカデミー賞の有力候補、
 米映画「オッペンハイマー」
 視覚効果賞部門にノミネートされた「ゴジラ―1.0」
 二つの映画をつなぐのがきょう70年を迎える「ビビキニ事件だろう。

この映画日本人は見るであろうか?被爆国として・・・・
パンドラの箱を開けてしまった人物だからなあ~
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▲米国がマーシャル諸島のビキニ環礁で広島型原爆の1000倍の威力という
 水爆実験を行ったのが1954年3月1日
 周辺で操業していた「第五福竜丸」など
 多くの漁船や強制移住させられた島民らが「死の灰」を浴びた。
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▲「原爆の父」、オッペンハイマー博士は広島、長崎への投下後
 「手が血で汚れている」と核開発から距離を置き、水爆開発に反対した。
  〇公職を追われたのはビキニ実験の翌月だ。

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 〇水爆実験で安住の地を奪われたという設定の初代ゴジラは同じ年の11月にデビューした。
 ▲「雪のような粒子はやむことなく量を増しながら降っている」と島民が記録している。
  「光と轟(とどろ)きが雪に化けて。太平洋の真中から。ビキニ。
   島の名でない新しい地獄の門から」。
   草野心平の詩「ビキニ微塵」である。
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▲人類滅亡まで「残り90秒」。
 ロシアのウクライナ侵攻後、過去最短を記録した
 「終末時計」の針は今年も同じ位置にある。
 米国はロシアの宇宙への核配備計画を疑っている。
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「水爆と云う怪物をお前が爆発さすから俺もやると
 お互いに強力な物を次々と造り爆発させたら、
 第二、第三の僕達が生まれて来る事は必ず有ると思います」

 〇事件の半年後に亡くなった第五福竜丸の久保山愛吉さんが手記に残した言葉が重く響く。
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日記(2024.3.1)

2024-03-01 08:29:19 | 日常
2024   3月1日  (金曜日)   雨

〇天気は毎日変化して個人的にはウットウしい事
〇雨は昨晩から降り出して続いている。
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上毛新聞・コラム
 ▼長崎市にある北村西望(せいぼう)作の平和祈念像は、
  天を指した右手が原爆の脅威を、
  水平に伸ばした左手が平和への願いを示す。
  巨大な石こうの原型は本県に設置される可能性があったらしい。
  親交のある議員が働きかけたという
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 ▼祈念像の制作にあたり、
  筆頭助手を務めたのが館林市出身の彫刻家藤野天光だった。
  昨年の生誕120年を記念して、市は代表作を展示している。
  天光らに焦点を当てた彫刻展も県立館林美術館で開催中だ

 ▼晩年の内弟子だった阿部光住(みつよし)さん(館林市)は
 「あらゆる面でパワフルな人だった」と振り返る。
  創作だけでなく、本県やアトリエを構えた千葉県で文化振興に奔走した

 ▼65歳で声帯を摘出したが、補助器具を使って会話するなど意欲が衰えることはなかった。
  その際、雅号を舜正(しゅんせい)から天光に改めた。
  その理由を阿部さんは「土地が開け、日照の多い故郷の風景を思ったのではないか」と推察する

 ▼祈念像制作時のアトリエがある井の頭自然文化園で、
  彫刻の保存に関するシンポジウムが開かれた。
  高温多湿の気象条件下では石こう像が傷みやすく
  保存や修復は美術関係者共通の課題となっている

 ▼館林市は20年前、天光の遺族から作品約370点の寄贈を受けた。
  市内に設置されたブロンズ像の原型など貴重なものもある。
 「食とアートのまち」を掲げる市がこれらの宝をどう
  保存活用していくかに注目したい。
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◆熊谷市にも北村西望の像「戦災慰霊の女神」がある。
 
昭和20年(1945)8月14日深夜から15日未明にかけての熊谷空襲の被害があった。
市街地への空襲で多くの人間が星川で亡くなった。

昭和50(1975)年8月16日、終戦及び熊谷空襲戦災30年を契機とし、
熊谷市戦災慰霊碑建立奉賛会は終戦前夜の空襲で死没した266名の霊を慰め、
永遠の平和を祈るため、星川上に「戦災慰霊の女神」像が建立された。

★この像は、北村西望氏が「熊谷直実像」に続いて、
 北村氏自らの手によって造られたものである。
 像の高さは1.725メートルである。
 この女神像は死没者の遺族をはじめ、
 多くの市民からの浄財によって完成した。
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熊谷次郎直実像

 熊谷駅前の熊谷次郎直実像。昭和49年10月に、北村西望氏が、
 渡辺崋山の描いた直実挙扇図を元に制作したブロンズ像。

 馬上で、平敦盛を呼び止めようとする姿をあらわしている。
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