七夕といえば笹に飾り付ける短冊を思い浮かべる。
その翌日、暮らしていた大阪の住吉を流れる大河の大和川へ飾った笹を流していた。
奈良から集まった水の流れは合流を繰り返し大阪湾へと注いでいく。
その光景は昭和30年代の子供のころだった。
そのころの大和川はシジミが採れるわ、ウナギの稚魚が俎上しているわ、奇麗な川で泳いでいた。
砂地で三角野球をしていたことも覚えている。
昭和40年代半ば辺りから徐々に水質が汚濁していた。
砂地にヘドロがあった。
そして、生まれ育った大川の様相は生活文化の向上とともにワースト上位の席を確保していった。
近年の水質改善によってワースト4(平成22年の全国一級河川の水質現況の結果公表)になったそうだ。
いつのころに消えたのか覚えていない笹流し。
環境汚染の元凶だと叫ばれたのであろうか、行事を終えた笹の始末は焼却されるようになったのだろう。
各地の河川でもそれがまったく見られない。
50年以上も前の郷愁はさておき、笹飾りは幼稚園や小学校の行事に組み込まれているところが多いようだ。
その子供たちの願いを込められた笹飾りを飾っているのが葛城市太田の棚機(たなばた)神社だ。
南阪奈道路沿いの側道を山手へ上がって行くと左側に「棚機(たなばた)の森」と呼ばれる地がある。
畑田を歩いていけば鳥居が現れる。
その奥まったところがタナバタサンと呼ばれるところで、石造りの祠が置かれている。
織物の神さまである天棚機姫神を祀っているという。
この辺りは朝廷に献上する布を織る人たちが暮らしていたという棚機の地。
太田川は太田と兵家の境目を流れ、その上流に鎮座する棚機神社はその昔、さらに奥まった地にあったそうだ。
山が崩れてこの地に下りてきた。
古墳ともいう人がいるが太田の長老は塚だという。
南阪奈道路工事の際に発掘調査された報告書によれば東50m付近で埋没古墳が発見されたそうだ。
横穴式石室の痕跡があったようだ。
また塚と呼ばれていた高台の古墳頂から天井石が露出していたという。
普段は訪れる人もなくひっそりとしている棚機神社はこの日はにぎわいをみせる。
近くの小学校から奉納してもらった七夕飾り。
それは棚機の森の一面を色とりどりの短冊で飾っている。
普段の静寂の森は華やかな様相を描き出す。
村起こしを願って平成13年から始まった七夕の日のイベント。
実はそれよりも早い平成4年から行われていた。
棚機神社としての祭祀を復活させようと立ちあがった保存会は地区周辺の有志7人が発起人となって始められたタナバタサンの行事なのだ。
この行事のことを平成22年7月7日に産経新聞で紹介させていただいた。
記事の内容も事前に保存会会長に検証してもらっていたが行事そのものは拝見したことがなかった。
今年もされているのだろうか。
昨年のお礼を兼ねて訪れた棚機の森。
この年は子供たちがやってくるのを14時から待っていた有志たち。
市のイベントともあって、平成の中将姫こと蓮花ちゃんとせんとくんもそれに参加していた。
雨が降り続く日であったが、着ぐるみのゆるキャラが来てくれたので子供たちは喜んでいたのであろう。
私が到着したときには既にそれを終えて戻っていった着ぐるみキャラたち。
一年に一度のにぎわい行事はこれからも続けていきたいと話す保存会会長。
「地元自治会も応援してくれるし、子供たちが行事を繋げてくれればと思っている」と話す有志たち。
例年よりも多く飾られた七夕飾りに目を細める。
「たなばたに 願いをこめて つなげたい」と一句詠んだ
(H23. 7. 7 EOS40D撮影)
その翌日、暮らしていた大阪の住吉を流れる大河の大和川へ飾った笹を流していた。
奈良から集まった水の流れは合流を繰り返し大阪湾へと注いでいく。
その光景は昭和30年代の子供のころだった。
そのころの大和川はシジミが採れるわ、ウナギの稚魚が俎上しているわ、奇麗な川で泳いでいた。
砂地で三角野球をしていたことも覚えている。
昭和40年代半ば辺りから徐々に水質が汚濁していた。
砂地にヘドロがあった。
そして、生まれ育った大川の様相は生活文化の向上とともにワースト上位の席を確保していった。
近年の水質改善によってワースト4(平成22年の全国一級河川の水質現況の結果公表)になったそうだ。
いつのころに消えたのか覚えていない笹流し。
環境汚染の元凶だと叫ばれたのであろうか、行事を終えた笹の始末は焼却されるようになったのだろう。
各地の河川でもそれがまったく見られない。
50年以上も前の郷愁はさておき、笹飾りは幼稚園や小学校の行事に組み込まれているところが多いようだ。
その子供たちの願いを込められた笹飾りを飾っているのが葛城市太田の棚機(たなばた)神社だ。
南阪奈道路沿いの側道を山手へ上がって行くと左側に「棚機(たなばた)の森」と呼ばれる地がある。
畑田を歩いていけば鳥居が現れる。
その奥まったところがタナバタサンと呼ばれるところで、石造りの祠が置かれている。
織物の神さまである天棚機姫神を祀っているという。
この辺りは朝廷に献上する布を織る人たちが暮らしていたという棚機の地。
太田川は太田と兵家の境目を流れ、その上流に鎮座する棚機神社はその昔、さらに奥まった地にあったそうだ。
山が崩れてこの地に下りてきた。
古墳ともいう人がいるが太田の長老は塚だという。
南阪奈道路工事の際に発掘調査された報告書によれば東50m付近で埋没古墳が発見されたそうだ。
横穴式石室の痕跡があったようだ。
また塚と呼ばれていた高台の古墳頂から天井石が露出していたという。
普段は訪れる人もなくひっそりとしている棚機神社はこの日はにぎわいをみせる。
近くの小学校から奉納してもらった七夕飾り。
それは棚機の森の一面を色とりどりの短冊で飾っている。
普段の静寂の森は華やかな様相を描き出す。
村起こしを願って平成13年から始まった七夕の日のイベント。
実はそれよりも早い平成4年から行われていた。
棚機神社としての祭祀を復活させようと立ちあがった保存会は地区周辺の有志7人が発起人となって始められたタナバタサンの行事なのだ。
この行事のことを平成22年7月7日に産経新聞で紹介させていただいた。
記事の内容も事前に保存会会長に検証してもらっていたが行事そのものは拝見したことがなかった。
今年もされているのだろうか。
昨年のお礼を兼ねて訪れた棚機の森。
この年は子供たちがやってくるのを14時から待っていた有志たち。
市のイベントともあって、平成の中将姫こと蓮花ちゃんとせんとくんもそれに参加していた。
雨が降り続く日であったが、着ぐるみのゆるキャラが来てくれたので子供たちは喜んでいたのであろう。
私が到着したときには既にそれを終えて戻っていった着ぐるみキャラたち。
一年に一度のにぎわい行事はこれからも続けていきたいと話す保存会会長。
「地元自治会も応援してくれるし、子供たちが行事を繋げてくれればと思っている」と話す有志たち。
例年よりも多く飾られた七夕飾りに目を細める。
「たなばたに 願いをこめて つなげたい」と一句詠んだ
(H23. 7. 7 EOS40D撮影)