刻印は見られないが古いお釜を四方竹で設えた拝殿前の斎場に置かれた新木(にき)町の新城(にき)神社。
この日は牛頭(ごず)さんを祭る祇園祭の宵宮日。
神社総代や責任役員たちが拝殿に集まって宵宮の神事が行われる。
参拝する人たちは新木以外に西岡町、箕山町、矢田口から来られた。
この日の役員たちは忙しい。
境内には自治会のテントが張られて福引きやヨーヨー釣りなどの夜店を開く。
一等賞といえば今年の震災を受けて節電を願う扇風機。
豪華な賞品を目当てに親子連れで来る人たちはそれが楽しみでやってくる。
4、50年も前は夜店がたくさんあったので近隣の小南町や柳町からそれが目当てで祭りに行ったと話す人も多い。
神社本殿に向かって手を合わせる子供たち。
それは今でも同じであるがにぎやかさは随分と変わったようだ。
かつては御輿(神輿とも)係と御渡り係の二つの組の座講があった。
そのころの祇園祭では矢田口のお旅所まで鳳凰の飾りがある御輿を担いでいた。
担ぎ手をしていた青年団は解散され御輿は蔵に残された。
渡御はなくなったが、大きな鏡餅を供えて今でもそれを披露している大正八年に寄進された御輿。
掛けられた幕も同じく大正八年とある。
宵宮の神事は修祓、開扉、祝詞奏上、玉串奉奠などだ。
それを済ませて巫女による御湯神事が始まった。
御湯の祝詞を奏上し春日、大神、石上、龍田など数十社の神名を詠みあげ新木の里に呼び寄せる。
そして竹の御幣を左右に振って祓え清める。
お神酒や塩、洗い米を釜に注いで釜を清め鈴で四方を祓う。
御幣で湯釜を掻き混ぜあとは2本の笹でその湯に浸して上方左右へ振り上げる。
それと同時に鳴りだした太鼓と鉦。
その音から「ドンチャン、ボンチャン」と呼ばれている音色だ。
太鼓と鉦を叩く音がそう聞こえてくる新木の祭りに欠かせない樂音である。
十数回もその作法をされたら湯を継ぎ足して再び火を点けて追い炊きをする。
またもやお神酒や塩、洗い米を釜に注いで釜を清められた。
そして2回目の御湯の作法に移った。
それは同じように十数回であった。
こうして新木の里を祓い清めて地区の安全を祈ったのであろう。
神妙な面持ちでそれを見守っていた神社役員や参拝者には一人ずつ湯で清めた笹を頭へ翳し身体堅固を祈るありがたい御湯である。
社務所で一息つく宮司と巫女さん。
神社役員たちもそれぞれ会食をする時間だ。
そして夜には鈴祓いで舞われるお神楽がされる。
そのときには多くの家族連れ参拝者が訪れるという。
その町に住むYさんの話によれば、かつて2月11日に「座」があった。
その日は公民館に集まって会食するなどの寄り合いで男性が集まっていた。
若い人は酒の返杯をいやがった。
年寄りの話題についていくのがしんどくて辞退が出た。
13、4年ほど前まではパック詰め料理だったがそれもやめてしまった。
パック詰め料理になるまでは当屋の家に集まって「座」をしていた。
「座講(ざこう)」の当番の家では婦人たちがごちそうを作っていた。
それはマナとアブラアゲの炊いたものと二杯酢でしめたカマスゴだったそうだ。
マナは当屋になった家が作るもんだと栽培していたと話す。
Yさんの子供は3年ほど前に右大臣、左大臣を勤めた。
一日中縛られるので、したいという子供はその後現れないという。
(H23. 7.13 EOS40D撮影)
この日は牛頭(ごず)さんを祭る祇園祭の宵宮日。
神社総代や責任役員たちが拝殿に集まって宵宮の神事が行われる。
参拝する人たちは新木以外に西岡町、箕山町、矢田口から来られた。
この日の役員たちは忙しい。
境内には自治会のテントが張られて福引きやヨーヨー釣りなどの夜店を開く。
一等賞といえば今年の震災を受けて節電を願う扇風機。
豪華な賞品を目当てに親子連れで来る人たちはそれが楽しみでやってくる。
4、50年も前は夜店がたくさんあったので近隣の小南町や柳町からそれが目当てで祭りに行ったと話す人も多い。
神社本殿に向かって手を合わせる子供たち。
それは今でも同じであるがにぎやかさは随分と変わったようだ。
かつては御輿(神輿とも)係と御渡り係の二つの組の座講があった。
そのころの祇園祭では矢田口のお旅所まで鳳凰の飾りがある御輿を担いでいた。
担ぎ手をしていた青年団は解散され御輿は蔵に残された。
渡御はなくなったが、大きな鏡餅を供えて今でもそれを披露している大正八年に寄進された御輿。
掛けられた幕も同じく大正八年とある。
宵宮の神事は修祓、開扉、祝詞奏上、玉串奉奠などだ。
それを済ませて巫女による御湯神事が始まった。
御湯の祝詞を奏上し春日、大神、石上、龍田など数十社の神名を詠みあげ新木の里に呼び寄せる。
そして竹の御幣を左右に振って祓え清める。
お神酒や塩、洗い米を釜に注いで釜を清め鈴で四方を祓う。
御幣で湯釜を掻き混ぜあとは2本の笹でその湯に浸して上方左右へ振り上げる。
それと同時に鳴りだした太鼓と鉦。
その音から「ドンチャン、ボンチャン」と呼ばれている音色だ。
太鼓と鉦を叩く音がそう聞こえてくる新木の祭りに欠かせない樂音である。
十数回もその作法をされたら湯を継ぎ足して再び火を点けて追い炊きをする。
またもやお神酒や塩、洗い米を釜に注いで釜を清められた。
そして2回目の御湯の作法に移った。
それは同じように十数回であった。
こうして新木の里を祓い清めて地区の安全を祈ったのであろう。
神妙な面持ちでそれを見守っていた神社役員や参拝者には一人ずつ湯で清めた笹を頭へ翳し身体堅固を祈るありがたい御湯である。
社務所で一息つく宮司と巫女さん。
神社役員たちもそれぞれ会食をする時間だ。
そして夜には鈴祓いで舞われるお神楽がされる。
そのときには多くの家族連れ参拝者が訪れるという。
その町に住むYさんの話によれば、かつて2月11日に「座」があった。
その日は公民館に集まって会食するなどの寄り合いで男性が集まっていた。
若い人は酒の返杯をいやがった。
年寄りの話題についていくのがしんどくて辞退が出た。
13、4年ほど前まではパック詰め料理だったがそれもやめてしまった。
パック詰め料理になるまでは当屋の家に集まって「座」をしていた。
「座講(ざこう)」の当番の家では婦人たちがごちそうを作っていた。
それはマナとアブラアゲの炊いたものと二杯酢でしめたカマスゴだったそうだ。
マナは当屋になった家が作るもんだと栽培していたと話す。
Yさんの子供は3年ほど前に右大臣、左大臣を勤めた。
一日中縛られるので、したいという子供はその後現れないという。
(H23. 7.13 EOS40D撮影)