マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
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田原本町多観音堂の夏の観音講

2011年08月04日 06時38分45秒 | 田原本町へ
そうこうしているうちに講中が観音堂に集まる時間が迫ってきた。

公民館の放送設備を使ってマイク放送された。

「観音講よりお知らせします。今日、15時からお下がりをお配りしますのでおいでください。子供さんらにもお配りしますのでよろしく願います」と伝えられた。

というのは用意された個数は講中の戸数以上もあって多い目に作られたアンツケモチとムシナス。

それは村の子供や年寄りにも分けるお下がりである。

今では少なくなったが十年も前はたくさんの子供がもらいに来たそうだ。

どれだけ来るか判らないがいつもの通り多い目に作っておいたのである。

そうしてコメアライさんらが作ったごちそうを観音堂に運び込まれた。

ご本尊や弘法大師など両脇の仏さんにアンツケモチとムシナスを供える。

スミソを垂らしたムシナスには手作りのシロウリを添える。

御供と同じように講中が座る席にもごちそうが並べられた観音堂。

そこにはその年の当屋の名前が記された鉄製の行燈がぶら下げられている。

半紙を張った六角形の古い行燈だ。

それは1月3日のボダイボダイの時に吊るされたもので明治37年4月に観音講が新調された箱に納められている。

そうこうしている講中がやってきたのでお迎えにあがる。



灯明を点された観音さんの前に座って手を合わせる講中たち。

この観音さんは二度も盗難にあったという。

盗った泥棒はニキ(新木であろうか)池とも呼ばれるハスイケ辺りまで来たときに重たくなったからそこに置いて逃げたという。

ある人の話によればその池から光を放ったという。

伝説と思える話にありがたさを感じる観音さんに手を合わされた。



そうして座席に座る。

集まって来た人たちはご婦人がほとんど。

唯一一人の男性がおられたが特に性別の決まりはない。

ただ、こうしてみればボダイボダイは男性で、この日の集まりは切り分けて女性であったのではないかと思えた。

「多の観音講の伝統行事の一つとして集まっていただきました。コメアライさんのお手伝いでこうして会食に間に合うことができました。どうかごゆっくりとよばれてください。」と当屋が挨拶されて始まったヨバレの会場。



平成11年にお堂を改築されるまでは境内にゴザを敷いてそこでよばれていた。

お堂の中は風が入らないので暑くて汗をかく。

昔のようにしてみようかと話される。

昭和15年まであった桜が咲く頃の春の「大飯喰い」行事にボダイボダイのときの「牛蒡喰い」行事。

多の観音講は講中が「食べる」のが目的の行事のようである。

この観音堂がある地はかつて集落があったそうだ。

それがいつのころか判らないが東に移ったという伝えがある多の集落だそうだ。

ごちそうをよばれている最中には子供がやってきた。



「たった一人だけどもらいに来てくれたんや」と喜んでモチを2個包んで帰らせた。

そうこうしてヨバレをいただいて村へ戻っていく講中。

田んぼの稲は青々している田に混じって田植えを終えたばかりの田もある。



それらは小麦を栽培していた田んぼだ。

刈り取ったあとに田植えをする。

時期は一か月も差異がある。

それらの田んぼの牛のエサ用として作付する田んぼであるという。

稲穂が出て間もないころに刈り取ってしまうのでこれでいいのだと話す。

それは早期に籾と茎葉を一緒に収穫して乳酸発酵のもとロールベイルサイレージ化され酪農乳牛の飼料として使われるようだ。

県農協の取り組みでもある事業の作付面積は徐々に増えているようだ。

(H23. 7. 9 EOS40D撮影)