須山の子供涅槃の際に聞いていた東金坊(とうこんぼう)子安地蔵尊。
それはどこに存在するのか探し求めて山間を巡った。
須山もなく茗荷でもない。
それは鉢伏町との境界付近になろう鉢伏峠だった。
大きく立派な地蔵さんは祠の中。
周りには奉納された人たちの名が記されている。
須山の住民の話によればかつてそこに住んでいた人が古市に下った。
その人たちが寄進したのであるのか判らないが今でも参拝をされているようだ。
お花を飾ってお神酒も口開けをしている。
この日は各地で地蔵盆が営まれているが当地ではその様子が伺えない。
地蔵堂には何やら歌が記されている。
「<1.>つきに一どは とくぼさんえまいり (ホンニナ) ふくよ あたえて (コオリヤ) くださるでね (ホンニホンニ) <2.>なやみあるなら とくぼさんえまいり (ホンニナ) むねのなやみは (コオリヤ) たすけておくれる (ホンニホンニ) <3.>とくぼさんえまいるひと みんながよいおかた (ホンニナ) よくよかけるに (コオリヤ) みながまいるね (ホンニホンニ)」とある。
これは昭和51年5月吉日と記されている。
歌のことも判らず、帯解子安地蔵の分家だという話も聞いていたがそれも確かめられず美しい地蔵さんに手を合わせて山を下った。
(H23. 7.23 EOS40D撮影)
それはどこに存在するのか探し求めて山間を巡った。
須山もなく茗荷でもない。
それは鉢伏町との境界付近になろう鉢伏峠だった。
大きく立派な地蔵さんは祠の中。
周りには奉納された人たちの名が記されている。
須山の住民の話によればかつてそこに住んでいた人が古市に下った。
その人たちが寄進したのであるのか判らないが今でも参拝をされているようだ。
お花を飾ってお神酒も口開けをしている。
この日は各地で地蔵盆が営まれているが当地ではその様子が伺えない。
地蔵堂には何やら歌が記されている。
「<1.>つきに一どは とくぼさんえまいり (ホンニナ) ふくよ あたえて (コオリヤ) くださるでね (ホンニホンニ) <2.>なやみあるなら とくぼさんえまいり (ホンニナ) むねのなやみは (コオリヤ) たすけておくれる (ホンニホンニ) <3.>とくぼさんえまいるひと みんながよいおかた (ホンニナ) よくよかけるに (コオリヤ) みながまいるね (ホンニホンニ)」とある。
これは昭和51年5月吉日と記されている。
歌のことも判らず、帯解子安地蔵の分家だという話も聞いていたがそれも確かめられず美しい地蔵さんに手を合わせて山を下った。
(H23. 7.23 EOS40D撮影)