畑屋の集落には山の頂辺りに鎮座する八大龍王社が祀られている。
天水分神社とも呼ばれている神社を守っているのは東の講と西の講の宮座講の人たち。
畑屋川を跨るカンジョを正月前に掛けた人たちだ。
毎月初めの太鼓叩きがたいへんだ。
朝は4時半のことだ。
神社に登って太鼓を叩く。
月参りの日は村の人に参りにきてやといって「マイレー、マイレー」と叩く触れ太鼓。
叩くのは一年間もそれをするタイコタタキの当番の人である。
一年間きっちりとこなす二人には「座」にあたるそうだ。
この日は夏にお供えを供えて営む夏祭り。
かつては18日だったが集まりやすい第三日曜にされている。
両講のトヤは神饌に8個のモモと8尾の開きトビウオを供える。
カンジョと同じように夏祭りには「八」の数が絡んでいる。
お供えは山盛りのハランキョ(スモモ)やゴボウ、ナスビ、キュウリも供える。
それらは三方に置かれて献饌を待つ。
急坂を登ってやってきた氏子たち。
息が切れるころにようやく辿りつく。
それまでに草刈りをして参道を奇麗にしていたトヤ。
こうして参拝者を迎えるのだ。
「昔からそうしていると」いう。
桧垣本の八幡神社から来られた宮司が神事をされる。
祓えの儀を経て揃えた神饌を御供上げする。
そして村の安全を祈って祝詞を奏上されて玉串奉奠。
撤饌をして夏祭りの神事を終えた。
これらの御供はそれぞれの講中に分けられる。
宮司と禰宜は自社へ戻っていった。
その日の夕刻には八幡神社での夏祭り。
大淀町の他、川上村、五條市などに亘り数十社も兼務されている。
夏を含め秋が一番忙しい祭りどきだと話される。
戻られたあとは両講の語らいの場。
西の講の拝殿床下には空っぽになった酒ビンが残っている。
東の講にはそれはない。
そんなことで西の講を「のみ講」と呼ぶのだとくったくなく笑って話す。
それでは東の講はと尋ねれば「飲まん講」だとこれまた笑っている。
こうしてオツマミを肴にお酒が空いた。
秋にはマツリを営む畑屋の人たち。
そのときに供えられるエダマメを育てられている。
今じゃエダマメというがアゼマメと呼ぶのが本来なのだと話す。
そういや「畔に植えてないもんもアゼマメと呼ぶなぁ」と笑って話す。
そのアゼマメは「カンジョカケにあるし、あっちこちにもあるで」と仰ったので探してみた。
(H23. 7.17 EOS40D撮影)
天水分神社とも呼ばれている神社を守っているのは東の講と西の講の宮座講の人たち。
畑屋川を跨るカンジョを正月前に掛けた人たちだ。
毎月初めの太鼓叩きがたいへんだ。
朝は4時半のことだ。
神社に登って太鼓を叩く。
月参りの日は村の人に参りにきてやといって「マイレー、マイレー」と叩く触れ太鼓。
叩くのは一年間もそれをするタイコタタキの当番の人である。
一年間きっちりとこなす二人には「座」にあたるそうだ。
この日は夏にお供えを供えて営む夏祭り。
かつては18日だったが集まりやすい第三日曜にされている。
両講のトヤは神饌に8個のモモと8尾の開きトビウオを供える。
カンジョと同じように夏祭りには「八」の数が絡んでいる。
お供えは山盛りのハランキョ(スモモ)やゴボウ、ナスビ、キュウリも供える。
それらは三方に置かれて献饌を待つ。
急坂を登ってやってきた氏子たち。
息が切れるころにようやく辿りつく。
それまでに草刈りをして参道を奇麗にしていたトヤ。
こうして参拝者を迎えるのだ。
「昔からそうしていると」いう。
桧垣本の八幡神社から来られた宮司が神事をされる。
祓えの儀を経て揃えた神饌を御供上げする。
そして村の安全を祈って祝詞を奏上されて玉串奉奠。
撤饌をして夏祭りの神事を終えた。
これらの御供はそれぞれの講中に分けられる。
宮司と禰宜は自社へ戻っていった。
その日の夕刻には八幡神社での夏祭り。
大淀町の他、川上村、五條市などに亘り数十社も兼務されている。
夏を含め秋が一番忙しい祭りどきだと話される。
戻られたあとは両講の語らいの場。
西の講の拝殿床下には空っぽになった酒ビンが残っている。
東の講にはそれはない。
そんなことで西の講を「のみ講」と呼ぶのだとくったくなく笑って話す。
それでは東の講はと尋ねれば「飲まん講」だとこれまた笑っている。
こうしてオツマミを肴にお酒が空いた。
秋にはマツリを営む畑屋の人たち。
そのときに供えられるエダマメを育てられている。
今じゃエダマメというがアゼマメと呼ぶのが本来なのだと話す。
そういや「畔に植えてないもんもアゼマメと呼ぶなぁ」と笑って話す。
そのアゼマメは「カンジョカケにあるし、あっちこちにもあるで」と仰ったので探してみた。
(H23. 7.17 EOS40D撮影)