マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

日本ハムのアジア食彩館ユッケジャンクッパ+菊水の札幌生ラーメン

2020年04月20日 10時11分44秒 | カンタンオリジナル
一週間前、スーパーオークワ大和小泉店で買っておいた日本ハムアジア食彩館ユッケジャンクッパクッパ。

シリーズ纏めて2品買えば500円。

1品が250円だ。

賞味期限はまだまだ。

いずれは麺の食感が大好きな菊水の札幌生ラーメンを買ってからと思っていた。

札幌生ラーメンは3袋入り3食。



安く売る店なら160円台で買えるが、オークワやイオンならだいたいが188円以上。

特価になるまで待てばいいと思っていた。

それがなんとアジア食彩館シリーズを2品纏めて買えば500円。

つまり1品が250円でいただけるというのだから、ありがたく速攻買いした。

先月の9月23日は、日本ハムのアジア食彩館シリーズに赤クッパを食べたことがある。

そのときの麺は冷凍うどん麺。

これが美味いのである。

赤クッパもユッケジャンクッパもアジア食彩館シリーズ。

同じクッパであるが、味の違いはどんなものなのか、一度は試しにと思って本日のひる飯に手を差し伸べた。

ただ、今回の麺はとびきり美味しいちぢれ麵の菊水の札幌生ラーメン

美味いものに美味いものが被さったら2倍の美味さに・・・ならんと思うが、どちらも好みのクッパ中華ソバとしようか。

実は赤クッパもユッケジャンクッパの食べ方推奨は雑炊である。

赤クッパは過去なんどもストレートに生たまごを落としてスープとして食べたこともあるし、雑炊もチャレンジした。

いずれであっても美味しいなら麺であっても・・・。

と、云うことで前回はうどん麺。

そして、今回は菊水の札幌生ラーメンとのコンビ味をいただくことにした。



一口食べて、旨いと唸る。

コクとか濃厚とかいう表現は当てはまらない。

旨みたっぷりにとじたまごが混ざったユッケジャンスープのあまりの旨さに感動する。

菊水の生ラーメンはちぢれ麵。

絡んだスープとともに口に吸い込まれる。

ずるずる・・ずるずるすするラーメンが美味い。

極上の味にひと際大きい肉の塊にあっと驚く。

赤クッパにはそれがなかったように思う。

赤クッパの特徴はごま油にピリ辛のコチジャン。

ユッケジャンクッパももちろんコチジャン入り。

豆板醬も入っているが、大きく味が違うのは、牛肉に牛スープである。

ニンジン、モヤシ、菊菜などの具材が大きいことだ。

歯ごたえはシャキシャキ。

気持ちのいいシャキシャキ感に肉汁がコチジャン、豆板醬の旨い辛みが絡んだラーメンが美味う。

麺は食べきっても極上のスープがこれまたむちゃ美味い。

食べ応え満点、満杯のアジア食彩館ユッケジャンクッパに乾杯だ。

ところで菊水の生ラーメンである。



翌日に買物したマツゲン(松源)は、なんと158円で売っていた。

特価でもないから、食べたくなったら、次回はここで買おう。

(H30.10.22 SB932SH撮影)
(H30.10.23 SB932SH撮影)

大阪四天王寺・聖霊会舞楽大法要

2020年04月19日 13時04分14秒 | もっと遠くへ(大阪編)
聖霊会(しょうりょうえ)舞楽大法要が営まれる主な場は、国の重要文化財に指定されている石舞台の場で披露される。

赤く、大きな飾り物を立てている場だからすぐにわかるその場で披露される。

ひと際大きい球体はとても鮮やかな紅い色。

深紅の色に心が惹かれる。

巨大な球体飾り物は天上に咲く仏花の曼珠沙華を表現しているそうだ。

その曼珠沙華の周りをぷらぷら飛行するものが見える。

よくよく見れば燕の形。

では、球体の中心に赤く染めた太い棒や四方に拡がる竿は何を表現しているのだろうか。

ここは大阪・天王寺区にある四天王寺(※平成30年現在、中心伽藍は工事中)。

今では林立するビルに囲まれる都会の大寺である。

遥か昔のこと。

北の御崎に伸びる上町台地(※洪積台地)。

北端は大坂城と考えられ、古代の都である難波京があった地。

現在の法円坂辺りが都の中心地だった。

台地西に今では想像しがたい大阪湾が拡がっていた。

一方、東側から見ても河内湾。

つまり古代の上町台地は半島状のように突き出た砂嘴であった。

縄文期から土砂が溜まり、弥生期には東の河内湾は姿をかえて河内湖に。長い年月の期間を経て河内平野に移っていった。

その上町台地の南。

かつては聖徳太子が建立した四天王寺の範囲だとする説もあったが、現在は住吉大社のある地が南の端になる。

ここでは詳しいことは述べないが、古代に思いをはせるのもいいだろう。



毎年の4月22日、聖霊会舞楽大法要を四天王寺で披露すると教えてくださったのは、FBでご縁を繋げてくださったMさん。

所属する団体は、天王寺楽所(てんのうじがくそ)雅亮会(がりょうかい)。

聖徳太子の時代に遡る長い伝統を有し、京都・宮廷におかれた内裏の大内楽所(おおうちがくそ)、奈良・大社寺の雅楽を担当する南都楽所(なんとがくそ)とともに三方楽所の一つとして日本の雅楽を伝承してきた。

Mさんが担当される楽器は鳳笙(ほうしょう)。

前月の3月6日、大阪・フェスティバルホールの舞台で出演・演奏された「海神への供物Ⅰ」で拝聴・拝見したが、オペラグラスの用意もしていなかったので肉眼でしかわからなかった。

撮影不可の舞台環境と違って、本日の披露は青空の下。

カメラレンズを通してでも拝見できるアウトドア視覚に一度は見てみたいと思ってやってきた。

奈良・大和小泉駅からJR大和路線の列車に乗り、着いた駅は天王寺駅。

降車して歩く北への道

ほぼ真っすぐ道沿いに歩いていけば南大門が目の前に現れる。

門をくぐった目の前にまたも門がある。

それは仁王門。

五重塔、金堂、講堂を通らずに左に迂回した。

回廊沿いに歩いたその角の向こう側にあった北鐘堂。

手前に立てた幟旗に「虚空蔵菩薩 十三詣り」とある。

さらに歩いた右手。



そこに見た六時礼賛堂。

手前にある橋が石舞台。

四方に立てた天上に咲く仏花の曼珠沙華に圧倒される。

石舞台は聖霊会(しょうりょうえ)舞楽が披露される舞台。

関係者以外は立ち入り禁ズのようだ。

その場を避けて、幕を張った学舎裏の通りを行く。

右手に歩いたそこに大きな輪を設営していた。



形態は茅の輪くぐりと同じであるが、どうも違うように思える。

後にわかったそれは、十三詣りにくぐる智慧の輪だった。

その右に建つ建物は太鼓楼。

よく見れば、学舎の角にひと際大きな太鼓がわかる。

雅楽に用いられる楽太鼓のうち最大の大きさを誇る太鼓である。

周囲に宝珠形の五色の雲形板で囲み、さらに外側はたくさんの朱色火焔を取り巻く火焔模様を装飾していることから火焔太鼓の名で呼ばれる鼉太鼓(だだいこ)である。

午後12時半より出発する聖霊会舞楽大法要の一行。

出発門は本坊西通用門だと教えてもらったのは、警備詰所におられた指令責任者の隊長。

出発までに伺った一行のコース。

通用門を出てすぐに二手に分かれるらしい。

後ろから付いていきたいが、独りではどちらにするかそのときになって判断するしかないだろう。

奈良から寄せてもらったと警備の合間に話しかけたら、なんと、橿原市の無形民俗文化財に指定されている「ほうらんや」行事に奉納している地区の人だった。

二つの神社に奉納するほうらんや。

夏場の暑い盛りに奉納する距離も長く、日差しはきつく汗でぐだぐだ。

ほんとに暑くてクタクタになる身であるが、なんとか頑張ってきた、という。

また、菜種の植付けに刈り取りもあり手間がかかるとか、若い二十歳代のころは踏切辺りで停止して近鉄電車を停めたこともある、という隊長に、古川地区のノガミ行事を尋ねてみれば、知らない、という。

で、あれば他の弓場か川端、大北、万田、出垣内地区のいずれかだろう。

そうこうしているうちに出発時間が迫ってきた。

六時堂東側(※四天王寺HPによれば六時堂は六時礼讃堂の表記)で資料を配る関係者がいた。

手にした資料に「重要無形民族文化財 聖霊会次第」とある。



昭和51年5月4日に“民俗芸能”として指定された国指定の重要無形民俗文化財であるが、当資料の記述文字に誤りがある。

民俗”を“民族”に誤変換されるケースは、よく見かける。

誤変換ならまだしも“民族”と思い込んでいる人もまた多く、指摘すること度々である。

なお、指定解説文は「聖霊会は聖徳太子の御忌にその聖霊をまつる法会で、四月二十二日天王寺区の四天王寺で執行される。法会は王朝時代の舞楽法要の姿を伝えているもので、古式豊かな舞楽が六時(※礼讃)堂前の石舞台上で四隅に巨大な赤紙花の曼珠沙華を飾って舞われる。惣礼伽陀(そうらいかだ)、四箇法会(※しかのほうよう)儀式に織り交じりながら、“振鉾(えんぶ)”、”蘇利古(そりこ)“、“菩薩(ぽさつ)”、”獅子“、”迦陵頻(かりようびん)“、“胡蝶”などの舞楽が舞われる。四天王寺は、三方楽所の一つに数えられてきた由緒ある舞楽の伝承を持っており、明治初年に楽所を一つにして宮内庁楽部にした後も、その伝統を伝え残して現在に至っている」である。

なお、四箇法会(しかほうよう)とは、「唄匿(ばいのく)」、「散花(さんげ)」、「梵音(ぼんのん)」、「錫杖(しやくじよう)」の四箇の声明曲(しようみようきよく)を具備した法要をいう。



さて、式次第である。配布されたパンフレット資料によれば、「先、道行(※みちゆき)(左方右方)、次、舞台前庭儀(※ぶたいぜんていぎ)、次、両舎利入堂、次、惣礼伽陀(※そうらいかだ)<※僧侶開始告声明>、次、衆僧入堂、次、諸役別座、次、学舎揚幕、次、集会乱声、次、振鉾三節(※えんぶ/左方右方)、次、舞楽/蘇利古(※そりこ)(右方)、次、楽/河水楽(※かすいらく)(右方)、次、御上帳(※みじょうちょう)<※六時堂内・聖徳太子御影の帳>、次、御手水、次、楽/廻盃楽(右方)、次、両舎利登高座、次、願文、次、舞楽/打毬楽(※たぎゅうらく)(左方)、次、行事鐘、次、楽/十天楽(左方右方)、次、伝供(※でんぐ)、次、行事鐘、次、菩薩(左方)、次、獅子(右方)、次、舞楽/迦陵頻(かりょうびん)(左方)、次、舞楽/胡蝶(右方)、次、行事鐘、次、楽/承和楽(右方)、次、祭文、次、行事鐘、次、楽/賀王恩(左方)、次、声明/唄匿(※ばいのく)、次、楽/天人楽、次、声明/散華、次、行事鐘、次、舞楽/延喜楽(右方)、次、楽/延喜楽(右方)、次、声明/梵音、次、声明/錫杖、次、楽/長慶子(左方右方)、次、両舎利降高座、次、舞楽/太平楽(左方右方)、次、入調(※にゅうじょう)、次、舞楽/蘭陵王(左方)、次、還御(※かんぎょ)」の並び。

奉納時間帯は、正午の12時半からはじまって午後5時ころに終える長丁場。

全編を拝見するにはたぶんに長居のできない身体状態。

体力、気力の状況を判断しながら拝見することにする。

なお、下線を敷いた箇所の舞楽は毎年の曲目は替わるようだ。

南谷美保氏が論じる『江戸時代の聖霊会における行幸・大行道・還御~移動を伴う法儀についての考察~』によれば、現在の式次第と違って明治3年までの江戸期では、はじめに唄、散華、対揚、講問などの太子殿法要があったそうだ。

曲目も次第構造に違いが見られ、安城楽と呼ぶ廃絶曲もあったとか・・。

当時の曲目は全部で18曲もあった舞楽。

ただし、うち2曲なしし4曲は、年ごとに入れ替えた、とある。

南谷美保氏が平成20年8月に東邦出版から発刊された著書『四天王寺聖霊会の舞楽』が詳しい。

また、大法要時間帯は、一番鐘の午前5時に出仕、二番鐘の午前8時ころより法要、舞楽がはじまり、再び太子殿に戻り、老君子、梵音、陪臚、錫杖、仏名、甘州、回向、鶏徳。終わるのは午後8時ころだった。

さて、御幸行列である。



道行は左方に右方列の揃いがある。

先導に就くのは僧侶(左方、右方)。

次に、錫杖を手にした烏帽子被り、素襖姿の先駆。続いて僧侶、獅子、菩薩、左方に迦陵頻、右方が胡蝶、衆人、楽人の楽頭、鳳笙、篳篥、龍笛、太鼓、鉦鼓、僧、掃部、長者、八部衆(赤装束の左方、緑装束の右方の各4人)、三綱(左方、右方)、<※江戸期は、左方に玉の輿、右方に鳳輦が参列に入っていたが、現在は先に六時堂に置かれる>、左方に二舎利、右方に天蓋の一舎利、<※江戸期は左方に警護(※与力・同心)、右方に庄屋(※天王寺幕府領の庄屋)もあった>の大行列。















進行の速度は、右方の方は距離があるのか少し早い。

徐々に離れていく。



門を出て右方は足早に六時堂北側を抜けていくが、左方は門を出てすぐに左折れ。



両者、左方右方はぐるりと回って石舞台の南側に出合って合流、また揃う。



なお、楽人は参進しながら楽奏される。



これを「道楽」というようだ。



また、八部衆は法華経や金光明最勝王経などの説により、天、龍、夜叉、乾闥婆(けんだつば)、阿修羅(あしゅら)、迦楼羅(かるら)、緊那羅(きんなら)、摩睺羅伽(まごらか)の八衆をいうが、興福寺の場合はは、五部浄(ごぶじょう)、沙羯羅(さから)、鳩槃荼(くばんだ)、乾闥婆(けんだつば)、阿修羅(あしゅら)、 迦楼羅(かるら)、緊那羅(きんなら)、畢婆迦羅(ひばから)になる。



後列の参進を見届けてから撮影位置を探してみたが、入り込む余地はない。

先行の人たちでびっしり埋まった後方に立つことにした。



しばらくしたら、そこにおられた人たちは、行列を見終わったからなのか、場を離れた。

少しの隙間が生まれたその場からとらえる石舞台までは距離がある。

滅多に持参することのないレンズに交換したが手ぶれでぶれぶれ映像になるだろうが、仕方ない。



石舞台を渡りかける左右両頭の獅子。

そして楽人。



行列に見た菩薩、迦陵頻、胡蝶はどこへ。

奉納、演じる場は亀がびっしり暮らしている両亀の池に挟まれた石舞台。

擬宝珠があるから橋のような造りに見える。

演舞および楽奏する会の人たちは、その前に設営した楽舎内で演奏され、入道された僧侶は六時堂へと向かう。

その間にマイクを用いて諸役それぞれについてアナウンス解説をされる。



法要の導師である舎利職二人の入道。

そしてはじまる惣礼伽陀(※そうらいかだ)。



石舞台で務める衆僧は、法要に先立ち、聖徳太子始め諸仏を礼拝する声明を唱える。



衆僧もまた入道され、楽舎の幕を揚げてから演奏がはじまる。

はじめに振鉾(※えんぶ)三節。



天地の神と祖先の霊に祈りを捧げ舞台を清める。

鉾を振る様が清めである。

二節目は右舞人。



地祇に和し、三節目に左右の舞人が祖霊を祀る。

楽人たちが奏でる鳳笙、篳篥、龍笛の音色に、ひときわ大きく打たれる火焔太鼓の音に、この場の空気全体が震える。

次の舞楽は朝鮮半島伝来の舞、百済から帰化した須々許理(すすこり)が伝えたとされる蘇利古(※そりこ)。

演舞される前に解説が入る。

本来は竃(かまど)の神を鎮める蘇利古の舞であるが、ここ四天王寺の場合は、聖徳太子を目覚めさせる舞である。

また、舞人は4人であるが、四天王寺では5人が舞う。

舞われている間に、六時堂内では宮殿(くうでん)に安置されている聖徳太子の御影の帳(とばり)を揚げる「御上帳」(みじょうちょう)の儀式と御水を捧げる「御上水」(みちょうず)の秘儀が行われる。

そのことから、太子のお目覚めを慰めるための供養舞であるとも伝えられている。



顔にあてているのは「雑面(ぞうめん)」という人の顔を抽象的に描いた布。

手には「白楚(※ずわえ・ずばえ)」という棒をもつ舞い。

奈良では見ることのない舞楽。



特に面、風流(ふりゅう)でいえば、“フクメン“のような形態であるが、この文様、不思議の世界に魅せられる雑面(ぞうめん)にゾクゾクしながら拝見していた。

蘇利古の舞が終わった時間帯は、午後1時半。

道行前からずっと立ちっぱなし。

持病の関係もあって身体がもちこたえない。

日射に身体が悲鳴をあげている。

場を離れて日陰を探す。

六時堂の北側は涼しい。

火照った頭に身体を休ませていた。

後半どころか、1/5くらいしか拝見できなかったが、念願が叶った蘇利古蘇が拝見できたのがいちばんに嬉しく、打毬楽の音色を耳にしながら帰路についた。



ご縁を繋げてくださったMさんのおかげで感動をもらった聖霊会舞楽。

この場を借りて厚く御礼申し上げる次第である。

なお、令和2年の「聖霊会舞楽大法要」もまた新型コロナウイルス拡散予防のために聖霊院(太子殿)にて無参拝者法要の通知もあったが、緊急事態宣言発令を受け、和宗総本山四天王寺は、新型コロナウイルス感染症拡大防止策として令和4月10日より当面の間、本坊を含め境内全域、すべてのお堂を閉堂

四天王寺は推古天皇元年(593)に聖徳太子が建立した日本仏法最初の官寺。飛鳥時代の開闢以来、初めての閉堂措置である。

(H30. 4.22 SB932SH撮影)
(H30. 4.22 EOS7D撮影)
( R2. 4. 8 追記)

ディアンドエッチの箱入り博多だるま生ラーメン

2020年04月18日 09時41分54秒 | あれこれインスタント
福岡を代表する有名店の「博多だるまラーメン」がある。

濃厚な豚骨味のようだが、紹介する写真で醤油ベースのように思えるが・・

9月28日にイオンモール大和郡山店で開催していた九州うまか市で買った。

九州うまか市で買った地元産ラーメンはもう一品ある。

ラーメン専門店大黒の「熊本ラーメン大黒」はその9月29日に早くも口にした。

とても美味いラーメンに買って正解だと思っている。

本日は真っ赤なパッケージに収められたディアンドエッチの箱入り博多だるまラーメンである。

ストレート麺は茹で時間が45秒から1分間まで。

お好みの加減はその15秒の差で決まるようだ。

附則の出汁スープは脂を溶かしておきたいから茹で鍋の蓋に乗せて温めた。

コンロで火を使うのはもう一つ。

ポットで沸かすお湯である。

スープを落とした椀に適当な量のお湯を投入。

ざっくり混ぜて脂を馴染ませる。

脂はなんとなくというか、間違いないというか、豚の背脂であろう。

湯切りした茹で麺を落とす。

箸で上手いこと形造り・・・はする必要もないので、ざっくりと。

ややスープに馴染ませてトッピング。

予め、スーパーサンデイ住之江買っておいた199円のプリマハム・やわらか豚角煮に99円の新進・メンマ。

99円のカネテツ・味付けタマゴを盛り付けして刻みネギをパラパラ。

好きな量だけ胡椒を振りかけていただく。



箸で掬って口に。

ずるずる吸い込むストレート麺が美味い。

濃厚スープが絡んだストレート麺が美味すぎる。

一旦、食べたら、なんせ箸が止まらない。

ズルズル、ズルズル・・・・。

味は濃厚だが、なんとなくすっきりした感がる。

豚骨よりも醤油味が勝っているようにも思えるだるまラーメンはなんとかく優しい味のような気がする。

ガッツリ系ならかーさんは食べないと云っていたが、これなら食べてくれるだろう。

なんせ、パッケージに濃厚の文字があるだけで敬遠するのだから、一度食べて見てみ・・・と云いたいが。

第一印象が脳裏に焼き付いたようだ。

3食で税込1080円。

残り2食も私がいただけるのは逆に嬉しい。

次回はトッピングを替えてみたいのだが、なんせスーパーサンデイが激安だけに、他店舗の商品には目もくれないのが難点だが、豚角煮から一般的なチャーシューにでもするか。

それとも炒めたモヤシでも入れてみるか。

そうは思っていても思うように行かないのが世の中。

食べるチャンスは4日後。

満中陰の果物盛りを買うのに出かけたイオンモール大和郡山。

時間は大きく過ぎて戻ってきたのは午後1時分。

モヤシは・・・冷蔵庫になかった。

ざんねんなことであるが、トッピングを考えてみる。

一つはもみ海苔だ。

もう一値は本場博多ラーメンにはたいがいある紅ショウガに決めた。

麺茹で45秒。

なんせ早くできあがるのが高メリット。



大慌てでかっくらうだるまラーメンが美味い。

海苔も紅ショウガも決まったが、食べ終わってから、あれ。

急いでいたから胡椒を忘れていた。

底にとごっていないからソコに気がついた、なんてシャレは無用。

美味さは半減していたのに気がつかず・・・。

それもあってか、博多だるまラーメンに、気持ちが少し飽いてきた。

(H30.10.21 SB932SH撮影)
(H30.10.25 SB932SH撮影)

石木町登弥神社・廻り当番の燈明箱

2020年04月17日 09時38分29秒 | 奈良市へ
この日、朝から出かけた京都山城町・涌出宮の百味御食取材を筆頭に、帰路に見かけた木津の布団太鼓巡行もあれば、奈良に戻ってからご挨拶と思って訪ねた奈良市高樋町へも。

予定していた民俗探訪を終え、帰り道に買い物を済ませてようやく戻ってきた居住地。

ここからは狭い道になる。

これまでは奈良交通のバスが運行していたが、現在は奈良県総合医療センターに向かう新道(※平成30年5月開通の石木―城線)に移ったが、以前は対向車のにらみ合いに、無理して抜けようとする車がよく水路に落ちてしまうこともあった狭い道。ここは奈良市石木町。

登弥神社に向かう参道道でもある。

神社前の通りを抜けようとしたそのときである。

一人の男性が燈明箱をもっていた。

行先は、言わずもがなの登弥神社。

夕刻に火を灯す燈明番の人である。

急なことだが、ここで停車してお声をかけた。

午後4時半である。すぐさま火を点ける場所は、鳥居前に建つ石灯籠である。

土台の刻印は四面それぞれに「施主」、「木嶋屋」、「平井氏」、「源右衛門」があり、灯籠本体は「天保四癸巳(1833)九月」、「油料 自領字吉山 田地七枚 高領 壹斗 五斗」である。

燈明を灯す油料を寄進していた施主の名である。

願主氏子でなく、屋号木嶋屋の平井源右衛門が建てた石嶋大明神灯籠の火袋に灯す蝋燭。燈明番は14軒で廻しているというから旧城村の氏子中。

登弥神社は石木町、大和田町、そして大和郡山市の城町(東城)の人たち3カ大字の氏子中が守っている神社である。



現在の燈明箱は新調したもの。

薄っすら墨書文字の「垣内安全 ■十九年一月吉日」までが読み取れた。

以前、古びた燈明箱で廻していたが、玄関前に置いていたら盗人に盗られたので新調した、というⅠさん。

生まれも育ちも大和郡山であるが、サラリーマンゆえ茨城県で仕事に就いていたが、近年になってUターン。

生まれ故郷に戻ってきたそうだ。

息子の長男さんは茨城県に居るが、奥さんと次男さんとともに戻ってきた、という。

奈良に戻って奈良の良さをあらためて知り、氏子入りをした。

Ⅰさんのお兄さんは、なんでもNPO法人ならソムリエの会に入って勉強した結果、奈良検定の奈良通1級に合格した、という。

県人としても誇らしい奈良まほろばソムリエ検定(主催は奈良商工会議所)の合格である。

私ももっと学ばなければならないと思うのだが、県内行事の記録取材で目いっぱいである。

(H30.10.21 SB932SH撮影)

木津の布団太鼓巡行

2020年04月16日 10時54分57秒 | もっと遠くへ(京都編)
午前中の取材先は京都南部の山城町の涌出宮。

百味御食の取材を終えて帰路に就いていた行程中に遭遇した布団太鼓の巡行。

ただいま休憩中の状況の様相の際に車はのろのろ渋滞中。

信号待ち停車時に窓から押したシャッター。



ここはどこであろうか。

後日にわかったそこは木津川市木津馬場南。

国道24号線・大谷信号付近で見かけた木津大谷に鎮座する岡田国神社の布団神輿の巡行であろう。

江戸時代までは、天神宮・木津駅惣社天神社と呼ばれていた岡田国神社

ニュータウン建設に伴って、山の中腹の現在地に遷された、とある。

布団は三層構造。

地区ごとの布団太鼓それぞれに太鼓打ちの子どもがいる。

台車に乗せて曳行する布団太鼓は長いオーコ仕立て。

場所、場所によって担いでいた様相が見える。

紺地に白抜き紋。

社町の文字が見える。

近隣村の御霊神社、田中神社をともにする三神社に6基の布団太鼓を宮入するそうだ。

ネット調べによるが、地区、或いは組織は、岡田国神社が社町、義友会(五丁目・三桝町)。

御霊神社が敬神組(北大路町・南大路町・橋本町・江戸町・泉町)、拝神團(峠町・燈籠寺町・北畑町・南畑町・上津町・片山町)。

田中神社は西町(平成17年より休止していたが平成29年に復活)、小寺町(白山神社だったが、40年ぶりの平成15年に宮入)。

なんとかとらえた2枚の映像に3基の布団太鼓

祭り名称は、木津三社祭りであるが、木津町指定無形民俗文化財の指定名称は「木津布団太鼓台祭」だ。

行事日は、10月の第4土曜日と翌日曜日。但し、10月20日、21日が土日の場合は、20、21日になる、とあるから今年は20日と21日。

まさに当たり年であった。

(H30.10.21 SB932SH撮影)

やまもりの大人の麺ソースシリーズの四川風担々麺

2020年04月15日 10時03分46秒 | カンタンオリジナル
寒いから温めて食べると云われてからうどんに合うレトルトパックを探してみる。

我が家の在庫にあったレトルト食品はやまもりの大人の麺ソースシリーズの四川風担々麺。

お買い得価格の税抜き59円で売っていた四川風担々麺。

これもまた、つい先週に買っておいたレトルト食品である。

やまもりの大人の麺ソースシリーズを初めて口にしたのは台湾まぜそば。

味はまま美味い。

これならと思って他の商品も買っておいた。

それが四川風担々麺。

担々麺はカップ麺とかでいくつか食したことがあるが四川風は見当たらない。

「風」とつくから適度な四川風。

我が家の近くに四川料理の専門店がある。

大昔のことだ。当地に引っ越してきたころである。

富雄川沿いに建っていた四川料理明星飯店

物は試しと入店。

何を注文したのか覚えていない。

食べた料理も覚えてないが、なんせ、えげつないくらいに辛いと思った記憶だけがある。

汗は流していたのだろうか。

最近になって明星飯店の四川料理を再び、味わいたいと思うようになってきた。

昼どきの明星飯店はいつも数台の車が停まっている。

お客さんが常に来ている証拠である。

ネットで調べてみれば本物の四川料理が食べられるようだ。

料理人は超有名な陳健一さん、若しくは陳健民さんの弟子だとか・・。

かーさんは辛いのがダメだから行くことはない。

独り昼飯ランチをする機会があれば、と思っている。

さて、やまもりの大人の麺ソースシリーズの四川風担々麺である。

丼に盛ったうどん麺は冷凍もん。

つい先日にならコープ七条店で買った3食パック入りの冷凍麺。

お湯で温めて戻したうどん麺である。

そこにぶっかけた四川風担々麺。

刻みネギをぱらぱら落として食べる。



箸で掬ったうどん麺。

担々麺ソースをたっぷり絡めていただく。

口に入れた途端にうまさ爆発。

旨みたっぷりにやや大きめの具材も絡んだソースが美味い。

こりゃもう箸が止まらない。

中国産かもしれないタケノコがシャキシャキ。

これもまた中国産のように思えるイクラゲの食感。

ねり胡麻が利いている坦々肉みそ。

つぶつぶ感だが美味い。

旨み・・・えっ、

甘み。

パッケージに赤トウガラシ3本で示す辛口表記。

ピリ辛でもなんでもない。

ここが四川風たる所以。

四川山椒の表示もあるが・・、本物ならもっと強めのピリピリ感が口内に拡がるはず・・。

決して不味くはないのだが、インパクトが思ったより、下だった。

もひとつはらならコープの冷凍うどん麺。

シコシコ感のまったくないふにゃら麺。

つるっと感もないのが気になった。

もしかとすれば茹ですぎ・・・かもしれない。

マイナス面もあったが、スーパートライアルで売っていた59円の魅力。

また食べたくなるやまもりの大人の麺ソースシリーズの四川風担々麺は魅力的だ。

(H30.10.20 SB932SH撮影)

キャノンプリンターの買換え機種はTS8130

2020年04月14日 10時00分01秒 | つうしん
数日前からプリント印刷面に縦筋が出るようになった。

いつものように連続出力をしていて・・・あれぇ、である。

出始めの数枚はなんともないが、それ以降のすべてにわたって縦筋。

お礼の写真がこれではダメだ。

メンテナンス機能にあるクリーニングをしたら正常になった。

そう思って今度も連続印刷。

またもや出始めの数枚以外は縦筋。

強力クリーニングをしても同様である。

年末には大量出力の年賀状がある。

いちいちクリーニングして検証している場合でない。

毎度、毎度に出かけるジョーシン電機の富雄南店。

なにかとお世話になっている。

商品棚に並ぶプリンター。

機種によって異なるインクカートリッジ。

機種対応のインクカートリッジはいくら?。

大量に使用するケースが多い我が家のプリンター。

これまでどれほどのインクカートリッジを買ったことか。

それほど多くの利用ならインクポット型とかインク1本でカラー色すべてを印刷するタイプは選ばない方がいいと云われた。

尤も低価格のプリンターがある。

たったの8千円にどぎも抜いたが、性能、機能からいって後々に損をみると云われて、今以上の、いや、6年間も使用してきたキャノンプリンターPIXUSのMG6230BKより下らなければそれでいい。

平成24年9月4日、Ksケーズデンキで買ったMG6230BKは特価と割引で14800円だった。

丸々6年間の使用でとうとうプリントヘッドがへこたれてしまった。

一枚の印刷にいちいちするクリーニングに耐えかねて車を走らせたジョーシン電機富雄南店。

ついこの前までは無線LANでご迷惑をかけた。

プリンタはそんなことにはならない商品であるが、店員さんのアドバイスはいつも仰ぐ。

そして、今回選んだ商品は・・・PIXUSTS8130。

幅が372mm。奥行きは324mm。高さは139mm。重さ9.2kg。

実にコンパクトになったPIXUSTS8130の発売は前年の平成29年9月22日。

それから1年後の平成30年9月6日、早くもマイナーチェンジした新型のTS8230が発売された。

違いは流行りのインスタグラムに対応したスクエアプリントにスマホニーズに沿った仕様が追加されただけ。

新発売中のTS8230は28,800円。

一般的なプリント機能を求めるなら、在庫一掃価格になったTS8130が買いどき。

なんと、税抜き14,480円。

我が家の財布に優しい値段に飛びついた。

自宅に戻って梱包を解く。

6年間もずっしり構えていたMG6230BKを床に降ろして空いた棚位置を少し掃除する。



その場所に置いたTS8130。

上下になるが見た目でわかるコンパクトさ。

G6230BKの幅は470mm。奥行きが367mmで高さが173mm。重さは6.5kg。

その差は幅が-98mm。奥行きが-43mm。高さは-34mm。重さも-2.7kg。

ずいぶんと軽量化されたマイナス差が嬉しい。

逆に上昇したのはインクカートリッジ価格である。

MG6230用インクカートリッジはBCI-326シリーズ。

1本が960円。

PGBKを加えた6色セットなら5,550円になる。

一方、新商品のTS8130/TS8230に対応するインクカートリッジはBCI-381シリーズ。

標準容量タイプの1本が1,030円。

PGBKを加えた6色セットなら6,170円だ。

1本当たりであれば70円増し。

6色セットなら620円増し。

相も変わらずメーカーはインク代で稼いでいる。

プリンターのセッテイングは簡単ラクラク。

説明書通りにしていけば、勝手に無線LANを繋げてくれるし、テストプリントも。

旧式になったMG6230はスキャンもできるし、一枚程度の印刷ならまだまだ利用できる。

それもインクカートリッジのすべてがなくなった段階で大型ゴミ出し行き。

それまではなんとかリサイクルカートリッジで使いたしをしていこうと思っている。

ちなみに新式のPIXUSTS8130は最終的に14,856円で買った。

割引はジョーシンカード会員に入っていたから5%引き。

消費税込みの14,856円。

445円も払ったジョーシンの5年間保証で今後も頑張ってほしい。

(H30.10.18 SB932SH撮影)
(H30.10.20 SB932SH撮影)

三者面談は再認定結果をもって5回止めになる可能性が大

2020年04月13日 09時25分59秒 | むびょうそくさい(おかん編)
この日は5回目になる三者面談。

介護認定4のおふくろをリハビリしてくださっている介護老人保健施設アロンティアクラブの施設医師長、施設主治担当の介護福祉士ならびにリハビリ療法士と進展状況ならびに次月の取り組みを面談する会合である。

今年の4月に介護の在り方が法令によって改革された。

その指示に従って運営する半年間に毎月定例会合をする介護認定患者の介護状況を確認する三者面談である。

保健施設の状況報告を中心に進められる会合は30分ほど。

住之江に戻ってきたときよりも明らかに状況は良くなっているリハビリ運動の結果にここまでしてくださって、ありがとうと感謝を伝えるのだが・・・。

おふろくの容態を直接見たのは10月2日。

台風24号が去って我が家で一時避難をしていたおふくろを住之江の居住地に戻した日である。

以前より目薬だけをもらいに行っていた眼科は大阪市市内中央の伏見町。

車で走っても片道40分もかかる。

尤もその時間は奈良からではなくおふくろの居住地からの距離。

信号が多いからどうしても時間がかかる大阪の市街地。

目薬だけなら地元でもいいんじゃないのとかーさんがネットで見つけていた眼科に立ち寄る。

場所は住ノ江の加賀屋。

なんと、私が卒業した旧南陵中学校のすぐ傍。

長居公園通り沿いに建つビルにある松嶋眼科である。

都合を伝えて同じ処方箋をいただくことで合意した。

おふくろを戻して奈良に戻った直後に電話が鳴った。

おふくろではなくケアマネージャーだった。

二日後の4日の朝11時より介護認定の再認定のための介護調査員が身体状況ならびにヒアリングを行うという連絡であった。

ケアマネージャーが立ち会ってくださるので家族さんは必要ならば、ということであった。

実は私の身体の変調である。

しごく身体が怠い。

2日に診察してもらった循環器内科診察。

ヘモグロビンが低い値。

排便時の出血でずいぶんと減った我が血液。

フェロ・グラデュメット105mgを服用することになったが、身体は急には戻らない。

歩くのがまだまだ難義だったので、ケアマネージャーさんにお願いしたわけだが・・・今ごろになって悔やまれることになるとは思ってもみなかった。

さて、17日の三者面談である。

リハビリ療法士が伝えるおふくろの身体状況。

なんでも4日前の状態からである。

おふくろ本人が云うには、自宅でカーテンを閉めようとした際にふらりとなった。

そのときである。

掴む柱もなくて身体がよろけて座椅子に腰を打った。

その身体状態を診たリハビリ療法士の診たて。

本日はずいぶんマシになっているという。

ただ、経過観察を要するので、次の通所日に診ましょうということになった。

もう一つは眼の症状である。

これもまた4日前から急に左目が腫れて赤ずむ。

状態を診たリハビリ療法士が受け持つ範囲ではない。

以前の眼科から同じ処方をしてもらった目薬であるが、これをおふくろ本人は気になるという。

信用できんとは口にしないが、眼科を替えたことによる不信にとらえているように思えた。

介護施設の範疇ではない眼の違和感は眼科に行けばいいのだ。

本日も通所サービスは午後4時に終わる。

いつもなら施設の送迎車に乗って自宅まで送ってもらうが、本日はすぐさま眼科に・・。

そういうことにして三者面談を終えた後で話す主治担当の介護福祉士。

ケアマネージャーさんから月初の介護調査員が調査した結果連絡の一報があったという。

一報の内容は介護認定ランクの大幅な下落である。

ランクが下がるのは良いことなのだが、要支援になりそうだというのだ。

現在は要介護の4。

調査員結果をもって介護審査会が行われる。

その結果がでる前にあらかたわかった一報は要支援の2若しくは1である。

2と1では大違いである。

要支援2であれば個別のリハビリ運動ができなくなる。

その結果、毎月の三者面談も必要としなくなる。

ただ、個別リハビリはできなくとも集団、つまり介護者纏めてするグループリハビリはできるという。

通所回数も週2回を維持できる。

ところが要支援1であれば、えらいことになる。

通所回数が週1回である。

おふくろのリハビリ通所介護は入浴サービスが決め手。

住居のお風呂は高さがあるから無理がある。

無理があるから週2回でも入浴してもらっている。

それがありがたいのであるが、週1回となれば・・・。

えー、通所が1回になったら、みなさんとお話機会が少なくなるから、と駄々を云い出す始末。

そう、おふくろはおしゃべりや仲良くなった患者さんと会える機会が減るのが、嫌だというのだ。

遡ること9カ月前。

我が家のわる奈良・大和郡山で介護施設の通所サービスの件を伝えたら、そんなとこいくの嫌だと云っていたおふくろ。

一旦、通所してみたら話し合える仲間がすぐにできて喜んでいた。

住之江に戻っても同じ。

通所サービスに出かけることが一番の喜びになっていた。

介護の身となってからは独りで出かけることはもう無理な身体になった。

付き添いがなければ、いつ倒れてもおかしくない危ない身体。

杖を搗いても足元は不安な状態。

カーテン事件は直前にあった。

今のところ何も障害は起こっていないが・・・。

いずれにしても今月末にはおふくろを前に家族を入れてサービス担当者会議をしなくてはならない。

ケアマネージャーさんを中心に介護施設のアロンテイアクラブにヘルパーさんに来てもらっているハート介護サービス。

それぞれの担当者とともに認定が要支援になると想定して今後の在り方を設定し直しである。

翌日の18日、ケアマネージャーさんから電話があった。

前述した件である。

調査員からもらった調査データをパソコンシステムに入力したら、間違いなく要支援1になるという。

で、あれば通所サービスは週1回。

入浴が週1度しかできなくなる。

もしも、住居のお風呂に入りたいということになれば住居の改修ということが考えられる。

要支援2であったらヘルパーさんの入浴サービスがあるのだが、要支援1では回数が週2回しかないので、現状の買物、掃除の見直しするしかないと・・。

実は、調査員のヒアリングにおふくろは介護施設での入浴状況を、こう答えていた。

「独りで身体も髪の毛も洗っています。介護の人が忙しいときは、逆に遠慮して独りで洗っています」と答えたそうだ。

入浴における衣服の着替えも独りでできる、と答えていた結果が要支援1の裁定になるという皮肉な結果に、あぁー、である。

介護施設でのリハビリ運動に廊下の独り歩きがある。

杖を搗いて歩くのはもちろんだが、怖さというか、安全を思っての壁寄りに歩いているとリハビリ療法士から報告を聞いている。

入浴も何事もない、でなく、リハビリ療法士が見守ってる中での独り入浴である。

それが調査員に観てもらえなかったことが残念に思うがもう遅い。

ケアマネージャーがいうように、期待は主治医が下す意見書の内容次第である。

(H30.10.17 記)

仏さんに供える御膳の精進料理パック

2020年04月12日 09時48分42秒 | 民俗あれこれ(売り場の民俗歳時記編)
とうとう仏さんに供える御膳の精進料理パックまで商品化されていたんだ。

驚くことはないかもしれない。

需要があるから商品化される。まったくもってのことであるが、まさか仏膳までとは想定範囲を超えている。

三重県伊賀市の加工業者。

㈱サッポロ巻本舗が発売した商品名は「仏膳お供えセット 精進料理」は、自宅近くにある山陽マルナカに売っていた。

それも期限切れ近しコーナーの一角に置いてあった商品。

お盆もお彼岸もとうに過ぎ、賞味期限切れを待つしかない商品だから特価扱いに半額サービスしていた。

なんと、盛り付けの方法まで掲載しているこの商品は既にアマゾンで販売していた。

これまた驚き、時代の変容はすごく早いと感じる。

アマゾン価格が1箱594円。

商品はお湯かけ戻しやレンジでチンしてできあがるお手軽さはあるが、消費者側はどのような思いで購入されたのか知りたいものだ。

(H30.10.16 SB932SH撮影)

度々発症する咽頭炎の処方箋に注意書き

2020年04月11日 09時58分53秒 | むびょうそくさい
今年の3月、4月に発症した咽頭炎。

4月は処方箋副作用による薬害で難義した。

循環器患者である私を浮腫みや膨満状態にした犯人はロキソプロフェンナトリウム錠だった。

喉の痛みを和らげて炎症を抑えるロキソプロフェンナトリウム錠60mg「CH」は体重が2kgオーバーも認定できた段階で取りやめた。

やめたとたんに症状が消えたから間違いなく副作用である。

今回はそうありたくない。

そう思って出かけた診療機関は長年に亘ってお世話になっている上田診療所。

再発を受付で訴えたらすぐさま体温計測定。

1分も満たないくらいの早さで結果が出る体温計表示は36.7度。

喉の炎症だけで済んでいるが・・・。

症状が現れたのは14日だった。

入浴する直前より鼻水がだらだら止まらず状態。

食後にやや収まるものの就寝前からは喉の痛みがキツくなる。

深夜になって更なる痛み。

またもや咽頭炎になったと感じる痛さに唾液を呑み込むことも苦難状態。

朝方になれば鼻詰まりも。

で、あれば医者に行くべしである。

かーさんに伝えたら喉、咽頭の専門医院に行けば、というが、安心できる民医の診療所でいい。

ベタベタ貼っているお薬手帳をもって足を運んだ診療所。

お熱がないから炎症を抑える処方箋・・。

えっ、先生、喉の状態は診てくれないのですか、と伝えたら診てくれた。

診察結果は、腫れもなく、赤み炎症の咽頭炎。

季節の変わり目になりやすい症状だという。

そういえば、同時間帯に受付していた男性は2日前に症状が現れたとか訴えていた。

今回の処方箋は熱をさげ痛みを和らげるカロナール錠300。

同薬の服用中は禁酒とある。

もう一つは発熱、痛み、鼻水、鼻詰まりを和らげるピーエイ配合錠。

アルコールを含む飲料水は避ける。

眠気を起こすことがあるから車運転操作に注意とある。

その他の薬に咳を鎮める作用があるムコプロチン配合シロップ2種混合。

これもまたアルコール飲料スルを避けるとある。

それから痛みを和らげるSPトローチ0.25mg「明治」や口内、喉の細菌やウイルスを殺すうがい薬のポピドンヨードガーグル7%「明治」の5種。

受診した時間帯は午前中。

朝、昼、晩の適用内服薬に待ったなし。

そう思って朝に服用する分を早くも服用した。

昼食後の薬は遅めに飲んだら、というが、朝用を飲んでからもう3時間以上も経っている。

問題なしと判断して昼用も適用する。

晩食後も服用した夜中に痛みはほとんど収まっていたが、排尿の出が悪い。

回数は普段の一日13回と同じであるが、出が悪い。残尿感はあるし、どうもおかしい。

翌日の16日になってネットをぐぐっていたかーさんが云った。

処方箋のピーエイ配合錠に注意書きが・・。

な、な、なんと。

前立腺肥大症状をもつ患者は尿路を閉塞性疾患者ならびに肝障害の患者さんは使う前に担当の医師と薬剤師に伝えてください」とある。

おぉー、なんてこったい。

診療所の先生には昨年の夏に肥大症になったことを伝えていたから、当然、外してくれると思っていた。

また、診療所前のあすか薬局にはお薬手帳を当日もお渡ししている。

どこをみていたんじゃ、と云いたい。

田北病院前の自分薬局も、ひらた泌尿器科クリニック下のさくら薬局の薬剤師は丁寧に処方箋を見てくれている。

常時、或いは臨時診療であっても発行された薬リストを縮小してお薬手帳に貼っている。

こうしておけば、私もわかるし、かーさんも。薬剤師なら専門家。

薬のどれが副作用を起こすのか、薬を服用する患者さんの疾患状態を尋ねるであろう。

あすか薬局にはそれがなかった。

次回に行かねばならないときがくれば、今回の事件を訴える。

で、ないと患者さんのためにもならん。

そう思っている。

ちなみに直ちにピーエイ配合錠を停止した日は16日の夜より。

17日、18日と日増しに排尿が容易くなったのがその証拠である。

その加減かどうかわからないが、ワソラン錠を飲むくらいの頻脈になっていた14日、15日、16日、17日、18日・・・。

14日の起床時が51拍で朝食後は61拍。昼は測れず、晩に69拍。

15日の起床時が55拍で朝食後は64拍。昼は69拍に晩が79拍。

16日の起床時が66拍で朝食後は70拍。昼は測れず、晩に74拍。

17日の起床時が60拍で朝食後は69拍。昼は73拍に晩が65拍。

18日の起床時が48拍で朝食後は61拍。昼は60拍に晩が62拍。

起床時の48拍が実に嬉しい。

19日の起床時が52拍で朝食後は52拍。昼は51拍に晩が58拍。

すいぶんと治まってきたのがよくわかるデータ値である。

70拍以上になってもドキドキ感を感じない頻脈。

だからワソラン錠を飲まなくても大丈夫。

20日の起床時が51拍で朝食後は49拍。

昼は60拍だが・・・・に晩が58拍。

喉の痛みが16日に消え、ピーエイ配合錠を停止してからの排尿は実に気持ちいい。

ヘモグロビン値も順調に戻っていることだろう。

(H30.10.15 SB932SH撮影)