ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

しばしの別れ #2

2023-08-04 | 国際恋愛・結婚

 

実家近くに住む娘たちやホスピスと葬儀社に知らせると、すぐに深夜の我が家に集まった。 やがて葬儀社が遺体を引き取りにやってくる間に、スエーデンの次男一家、マサチューセッツ州の三男一家に連絡したが、二人ともついこないだカリフォルニアへ父親の見舞いに来ていたばかりだった。私は葬儀の予定が決まるまで急いでくることはないと言い、また本人たちも変わり果てた姿を目に焼き付けるよりも最後に話しのできた顔を覚えていたい、と希望した。

同様に末娘は5月に次男を出産したばかり、4歳の長男もいることで深夜に疲れている娘に、もう話せない父親に会わせるのは酷だと思い、明日でも子供たちといらっしゃいと告げた。末娘も数時間前土曜日の晩に、「また明日くるわね」と父親に話していたのだった。下3人の子供たちは、痩せ衰えた父親の姿に涙していたのを私は知っている。

私は深夜実家に駆けつけて泣く長女と末娘の夫と長男を抱きしめ、その時初めて少し泣いた。

こちらの例年の酷暑が続き、そのためなのか、亡くなる方が非常に多く、葬儀社と墓地は二週間後でないと葬儀も埋葬式もできないとのことで、エムバウミング(防腐措置)と冷蔵を取り計らってもらい、教会のビショップに連絡を取り、7月31日の教会使用を確保してもらった。すぐに新聞社に連絡し、訃報欄用に記事を書き、生前の写真を添付して送り、会社や保険会社や親族・友人には長男と共に、次女の夫が弁護士なので、全て連絡を執り行ってくれた。

そしてこの月曜日、葬儀が無事行われ、多くの方々が参列してくださった。フェイスブックの力は大したものだと思うが、アメリカのあちらこちらから参列なさる方々もいらっしゃり、特にヴァケイション中なのに急遽飛行機で来られた方々もいらして、心から感謝している。花やプランツもまるで花屋が開けるほど贈っていただき、教会の礼拝堂から埋葬式の墓所に溢れ、我が家のダイニングルームのテーブル、応接間のコーヒーテーブル、キッチンテーブルとカウンターまでぎっしりと花瓶に入ったブーケやプラントの鉢でいまだに賑わっている。参列者記帳を見ると、律儀な方々のサインで埋まっている。感謝の念に絶えない。

葬儀後、教会のカルチャーホールで昼食を用意し、その支度もサーヴィングも後片付けも全て教会員の皆さんが取り仕切ってくださった。ベッドに寝たきりの夫だったが、毎週必ず訪問してくださった友人、知人、夫の兄姉、隣人、教会員の方々は庭の芝刈りや手入れに毎週のように世話をしてくださった。私も夫も食事は一人分でさえ余るので、それは辞退したが、物質的なことばかりか、精神的な支えとなってくださり、毎日祈りに私たちを含めてくだっていることは、実際に非常に感じていた。

こうしたこの世での人生における負の経験の中でさえ、私も夫も実は、苦しみ、悲しみ、絶望することは一度もなかった。どちらも不満や不平を口にせず、夫は私に面倒をかけてすまないと常に言ったが、私は、毎日ずっと一緒にいられることがどんなに楽しいことか、と答えて、本当にそれは真実だったから、私は落ち込むことなどなかったのである。

今ほど夫と私と子供たちの持つ信仰を有難いと思ったことはなかった。福音という知恵は絶望や失望どころか、希望に満ちている。わたしたちがどこから来て、何故ここにいて、何の目的があるのか、死後どこへ行くのか、すでに知っていることはどれほど幸せなことだろう。夫も私も子供たちもだから、取り乱して泣き叫ぶなどはせず、夫の「卒業」を静かに感謝し、霊の世界に赴き、やがて復活の朝に再び肉体を得てお互いにまみえることを知っていて、それを楽しみを超えた希望として残りの人生を全うするのみである。再会の嬉しさがどれほどかは、想像がつかない大きな喜びであるのは間違いはないだろう。

この7ヶ月夫の傍で、以前にまして聖典を読み、キリストの福音を学び、多くの聖句に喜びを得て、励まされ、時には二人で英国のミステリー番組や古い映画を熱心に観て、よく話し、よい思い出をたくさん作れた。夫は私の一番の親友であったし、私や家族をいつも優先してきた。この最後の月日、片時も離れずに夫の世話に専念できたことは、私にとっては今までの恩返しで、また栄誉に思えさえする。夫は本当に良い人で、人を助けることは自分の家族を助けることと同様に大事なことだった。そんな彼の素晴らしい笑顔にまみえる日まで、多くの思い出が私を支えてくれるだろう。そして夫の人柄のひな型かのような娘たち息子たち、その伴侶、10人の孫たちが、私の時がくるまで心の灯火となることだろう。未来は明るい。

誰にでも愛されて、誰にでも親切でいた人。

 

 

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結婚記念日のキルト

2019-03-22 | 国際恋愛・結婚

   picclick.com

 

 

 

 

 

ほとんどの若い夫婦と同様に、夫と私は、結婚1周年の記念日に贅沢な贈り物をするためのお金を持っていなかった。私たちはしゃれた詩の書かれた思いやりのある結婚記念日カードを交換し、家で手料理の食事を楽しみ、テレビの前でロマンチック・コメディを見ることに満足していた。お互いの存在を楽しむことができるだけで十分だった。私たちは愛し合っていたし、地上のどんな贈り物も私たちのお互いへの愛に近づくことさえできないほど意味がなかった。


だから郵便配達員がドアをノックしたとき、私の母からの中型の小包を見て非常に驚いた。箱の中に何がはいっているのか、好奇心と期待で、すぐに箱を開けると私の目はそれを見て、涙で溢れた。箱の中には、母が手作りし、きちんと折り畳んだキルトがあった。ライラック色と白の生地が、交互に絡み合った模様のキルトで、金の糸でステッチされていた。裏地は私のウェディングブーケと同じ美しい小さな紫色の花だった。


このゴージャスなキルトに添えられていたのは母からのメモだった:「ステファニーとコーリー、幸せな記念日を!あなた自身の『結婚指輪』のキルトを贈ります。紫色はもちろんあなたの結婚式の色でした、そして金色の糸はあなたたち2人が結婚式で交換した金の指輪を表します。寒い時期には、このキルトで二人は暖かくして、誓いを述べたあの日のことを思い出してくださいね。愛をこめて。母より。」


私は言葉に表せないほど感動した。 母は、私たちがその年の結婚記念日を豪華に楽しむお金を持っていなかったことを知っており、そして私は母がそのような美しいキルトのための材料に使うお金を持っていなかったことを知っていた。 それでも母はこれを作れるように、犠牲を払っただろうことを私は知っていた。 そのような細かななキルトを手縫いするのにかかった時間を思うだけでも気が遠くなるようだった。 母が長い一日を仕事で費やしてから帰宅し、夜が更けるまで起きていて、この繊細なキルトのパッチワークの小さな布同士を慎重に縫い合わせている姿を私は脳に描いた。 夫と私は、ひとステッチごとに母の愛がキルトに縫い付けられていることがわかった。 どのような贈り物がそのような本物の贈り物と比べられるだろうか。


夫と私が最初の結婚記念日を祝ってからもう何年も経ったが、私たちのどちらもあの時受け取った美しいキルトを忘れていない。夫はいつも、私が今までに受け取った最高の結婚記念日プレゼントは彼からではなく私の母親からだった、と冗談を言い、そして私は彼に同意する。


ーステファニー・スペックさんの思い出から。



weddingrings.blogspot.com

結婚指輪パターンのキルト



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二人は

2019-03-13 | 国際恋愛・結婚

irishtimes.com




先日私たち夫婦をよく知る主治医の許へ夫が朝、私が午後、健診に出かけた。夫は朝、その医師に午後に私が来ることを話した。そして午後私が行くと、「XXX(私のファーストネーム)、あなたは、良いご主人をお持ちですよ。今朝色々お話ししたのですが、今時妻の医師の予約日や時間をちゃんと言える夫は珍しく、お二人が本当に仲よくお幸せだと言うことですよ。」と、今風に言えばバツイチの医師は言った。は?そんなこと?


かつては七人家族でひしめき合った家だったが、今は、すっかり空きの巣族となり、再び夫と私は本当に何から何までほとんど一緒にする。車は四台ガラージにあるが、毎日一台の車で出勤は一緒だし、土曜日の買い出しも日曜日の教会ももちろん一緒である。金曜日のデートはほとんど欠かさないし、最近火曜日は地元映画館でシニア市民は、終日一人$5で映画を見られると知ったので、すでに何回か翌日が出勤日でも二人で出かける。つまり仕事以外の時間は殆ど私たち夫婦は、一緒にいることになる。飽きがこないか、と心配なさる方もいらっしゃるかもしれない。


答えは「全然」。一緒にいても私はタティングでレースを作ったり、パッチワークをしたり(夏新しい孫二人が生まれるのでキルト作りのために)の何らかの手仕事・手芸をしているし、その脇で、夫は夫で読書したり、タブレットやノートブックで仕事関係のことをしている。


そして二人で本当に様々なことを話すのも未だ飽きない。どちらかが、いつも「良い話」をどこから仕入れてきて話す。良い話ばかりとは限らないが、「ああ、一つ知恵になったね」くらいのことは時折ある。二人とも古い映画が好きなので、古い映画チャンネルや英国作品を専門に流すチャンネルで、ポアロの俳優はスシェが一番だの、キャロル・オコーナーと言う男優が犬のように小さなロバに乗る古い滑稽な西部劇を見て笑ったりする。つまり何てことはない小さなことでも一緒だと楽しめてしまう。


勿論面白おかしいだけの人生ではないから、病める時も、健康や仕事で心配な事態もあったが、お互いの支えと二人で築いてきた家族としての歴史が、一つも色褪せずにある。夫も私も四角定規な性格ではないし、むしろ欠点の多い性格だからお互いにそれを補ってきているのかもしれない。完璧ではないから、救われるているのだろう。


私たちが結婚した時、「ああ、国際結婚じゃあ、人種も文化も人生の背景も違うから、いつか別れるだろう」と、同人種、同国人で結婚なさった方々が懸念されたが、今やその方々が、離婚してしまっている。そのような一人だったある方は、最近「あの時はいつまで持つかと思ったが、自分たちは、たった18年結婚して破れてしまった。君たちはもう40年近く結婚しているんだねえ。秘訣は何だろうか?」とおしゃった。


秘訣?。。。おこがましいが、あえて言えば、コミュニケイションと黄金律、としか思えない。黄金律とは、イエス・キリストの山上の垂訓の一節:なにごとでも人びとからしてもらいたいことは,すべてそのとおり人びとにもしてあげなさい。(つまり相手の嫌がることはしない、言わない、と言う逆もあり。)それしか考えようがない。


本当の秘訣は、多分婚約する前、二人が出会った時に遡るかもしれない。婚約に到るまでは、大きく両目を見開き、相手を見通すほどに、性格や人格を知り、他人への言葉遣いや接し方などをよく見ることだ、とよく言われるが、その通りなのでは。欠点のない人はいないが、その欠点が自分の許容量であるか知った方が賢明でもある。結婚してからは、片目を少し閉じて、相手を見られたら、長い生活を共にしていけるのではないだろうか。








 

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Happy Valentine's Day!

2019-02-13 | 国際恋愛・結婚

childrens-ministry-deals.com 

 

 

 

西部の一州にある大学の男性アカペラグループの「ボーカルポイント」は、キャンパス内で女の子たちの背後からラブソング(Nat King Coleの "L.O.V.E."やブルーノマーズの "Just the Way You Are"など)を歌い、バラを贈った。 何人かの女の子たちは最初はびっくりしが、最期には、微笑みを浮かべた。その様子をユーチューブでご覧あれ。


 

 



実はこの大学は、夫と私のAlma mater、母校大学で、そこで私たちは知り合ったのだった。付き合い始めた最初のヴァレンタインズ・ディには、夫は(まだFriend who is a boyだった)小さなハート型のデコレイション・ケーキを贈ってくれた、と思う。思う、というのは、実際はどなたが私に贈ってくださったか、不明なのである。彼に尋ねると、「そうかな?」と言うばかりで、一応それでは彼からの物とした。ケーキはルームメイトたちや、当時食事を一緒にしていた男子学生グループが片付けてくれた。大学では、singing telegram(歌を歌う電報)やcandy telegram(思いをキャンディにたくして配達)が盛んで、今思い出しても、かなり楽しいヴァレンタインズ・ディを過ごしたものだ。成人した子供たちに、話すと、「え?おとうさんとおかあさんもデートしたことあるの?」などと言われそう。




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月までも

2017-12-06 | 国際恋愛・結婚

夫の両親の書斎にあった美しい手描きの、おそらくローヤル・ババリアン(Royal Bavarian)の絵皿。白い大きな薔薇の花だったと記憶するが、とても古く、おそらく夫の両親が婚約・結婚した頃の物だったに違いない。未亡人だった義理の母が亡くなった時、義理の姉は、大方の物をPoke & Peek(古道具屋、ガラクタ屋、の類の店)へたくさん持って行ってしまい、あのお皿は勿論その中に入れられていたのだろう。 たいして価値のある物ではないし、断捨離上手な義理の姉は躊躇しない。

 

これによく似た絵皿だった。 これは、eBayから。

 

私が心惹かれたのは、この絵皿の後ろに、”I love you to the moon and back." (あなたを心底愛しています)と手書きされていたことだった。 最初に見た時、ここに夫の両親のお互いへの愛情を感じて、思わず微笑んだ。 夫の両親は、夫と私同様、大学で知り合った。その時父親は大学院を卒業し、数理を同じ大学で教えていて、その学生の一人が、夫の母親だったのである。


1941年12月7日その大学町の映画館でデート中、突如緊急ニュースが入り、真珠湾が日本軍によって攻撃されたのを知ったそうで、二人はそれぞれの下宿へ戻り、結婚をすぐさますることになった。即時に合衆国海軍に召集された彼は、オフィサーとして訓練を受けるため、ニューハンプシャー州ポーツマスに送られる寸前の1942年1月17日結婚した。


二人は、ウィスコンシン州のベースに少しの間住み、やがて彼は単身アラスカのアリューシャン列島を守る海軍基地に赴任した。実際に戦闘を日本軍と交えるのではない任務で、教育担当将校として配属された。 この時彼の部隊にいた若い水兵の一人が、後に偶然アリゾナのビジネス会議で夫に出会い、あなたはXXXの息子さんですか、と尋ねたことがある。話を聞くと、彼は従軍中、夫の父親に薫陶を受け、教育の大切さを説かれ、励まされ、戦争が終わってすぐに、大学へ進むことにしたとのこと、「あなたのお父さんには本当に感謝しています」、と言ったそうである。


離れ離れになる前に、ほんの少しの間サンフランシスコで落ち合えた二人は、楽しい時間を過ごしたのだと、いつだったか義理の母が笑顔で話してくれたことがあった。あの頃は、戦争中なのに、サンフランシスコの街角には、花の屋台がたくさんあって、夫は妻に白いクチナシの花束を買って、帽子や襟もとにさしてくれたそうだ。「だから、私はくちなしがその時から大好きなのよ。」と幸せそうに語った。なるほど、義理の母の好きだった香水は、White Shoulderで、それはクチナシの香りである。義理の両親は45年間仲睦まじく、暮らした。


そんな二人を思いしのべたのが、その絵皿だった。でも絵皿は、本当はもう必要がないのかもしれない。何故なら、二人はもうすでに月へ行って戻って来るのにも耐える愛を育み、今は再会を喜び、子供達や孫達を見守っているだろうから。 12月7日の真珠湾攻撃の記念日を前に、そんなことを考えた。



 

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