ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

何故戦争があるのか

2018-10-30 | アメリカ事情

https://freechristianmessagecards.wordpress.com

 

 


学校での最初の日だった。私は緊張していたし、びくびくとした気持ちだった。連れ立っている知り合って長い友達もいずに、すべてのクラスへ行った。誰も私など気にしていないように感じた。


すべての授業に耳を傾け、1時からの昼食時間を待っていた。とうとう昼前のクラスが終わる鐘が鳴った。この時間はお話したりして楽しく過ごす時間だ。


ランチが配られる列で私は頭の上にスカーフ(ヒジャブ)を被った新しい友人に出会った。私はユダヤ人だが、なんの差しさわりもなかったし、彼女が「私達と一緒に同じテーブルで食べましょうよ。」と言ってドアのすぐ横にあるテーブルを指した時は、ほっとしたものだ。

 
私は同意し、自分のトレイを持って、彼女と歩き出そうとした時、突然誰かが私を肘でそっと押した。「ねえ、私はバスであなたを見かたわよ。」と、長いスカートをはいた背の高い女の子が言った。 「あなたがユダヤのスター(ダビデの星)のネックレスをしているのを見たわ。あなたは私たちと一緒に座るべきよ。」


その瞬間、私は周りを見回した。驚いたことに世界の国々が、それぞれが自分達を回りから隔離していたようだった。私のこの目にはそう見えた。


スペイン人はスペイン人だけと座り、ヒンズー教徒はヒンズー教徒だけと、ロシア人は常にロシア人とだけ、そして決してユダヤ人とアラブ人は一緒に座ってはいなかった。


その時戦争が始まる理由を知った。誰もが自分と同じ種類の人間と一緒にいることに固執するのだ。ランチルームは世界地図のようだった。なぜ誰もがそんなに盲目だったのだろう?


そして、私はこの背の高い女の子の申し出を断って、最初の女の子と一緒に同じテーブルへ行った、そして、そこには敵意も憎しみもなかった。私が自分と異なる人々と一緒に座った時、2つの異なる世界の間に橋が架けられたのだ。 私は、あなたも同じことをなさるのを希望している。


上記は、シャロン・フライシャーさんという女性が、11年生(高校二年生)の16歳だった時に書いたものである。彼女の目標は、外交官となり、平和を構築する者となることだと語る。


https://en.wikipedia.or

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自分を信ずること

2018-10-29 | アメリカ事情

 www.wanderlustworker.com

 

 


朝起きると、物事が自分の望むようなものではない日々があります。


そんな時は、自分自身に物事はよくなるものだ、と言い聞かせる時です。

 


人々が自分を失望させる時があります。


しかし、それは自分の判断や意見を信じ、自分の人生を、自分自身を信じることに焦点をあて続けることを思い出さなければならない時です。


挑戦に直面し、人生で変更をとらなければならないことがあり、それを受け入れるのかは自分次第です。


絶えず自分を正しい方向に向かわせてください。 時にはそれは容易ではないかもしれませんが、そんな苦闘をする時に、あなたは自分が何者であるかをより強くわかるでしょう。


だから、欲求不満や予期せぬ責任でいっぱいいっぱいになった時が来たら、自分自身を信じ、自分の人生が欲するすべてを信じることを忘れないでください。挑戦と変化は、自分の目標が自分に合ったものであるかを見つけるのに役立つからです。


御自分を信じ続けてください。


ーAcademicTips.org

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三本の弦

2018-10-27 | わたしの好きなもの

 https://www.tdf.org

 

 

私はカリフォルニア州の中都市とよばれる所に住む。そんなところにも、フィルハーモニックオーケストラがあり、時には、信じられないほどの高名な演奏者がやってくる。いままでに夫と私が行ったコンサートには、ウィーン少年合唱団や、ジョシュア・ベルというアメリカの誇るヴァイオリニストがいたし、また世界的に有名なイツァーク・パールマンもいる。初めてセサミ・ストリートに出演したのを幼い子供達と観た時と同じように、パールマンの演奏は、誰もの目を見開かさせる彼の才能をふんだんなく披露し、聴く者の心をつかむ。そんな彼の素晴らしい生演奏を拝聴できた時の私の感動は言葉では言い表せなかった。これはジャック・ライマーと言う人が語った私の尊敬するイツァーク・パールマンの話である。


 

1995年11月18日、ヴァイオリニスト、イツァーク・パールマン(Itzhak Perlman)がニューヨーク市のリンカーンセンター(Lincoln Center)のエイヴァリーフィッシャーホール(Avery Fisher Hall)でのコンサートの演奏のために舞台に上がった。


パールマンのコンサートに出席したことがあれば、ステージに上がることは彼にとって小さなことではないとお分かりであろう。彼は子供の時にポリオを罹患し、両足に補強用具を付け、2本の松葉杖を使って歩く。彼が一歩ずつステージを痛々しくゆっくりと横切って歩くのは、印象的である。


彼は自分の椅子に達するまで、痛そうに、けれど威厳を持って歩く。着席すると、ゆっくりと、床に松葉杖を置き、足の補強用具を外し、片足を後ろに引き、もう一方の足を前に伸ばす。そして、彼は体を曲げてバイオリンを拾いあげ、顎の下に置き、指揮者にうなずいて演奏し始める。


今では聴衆は、このやり方に慣れている。彼がステージを横切り席につくまで、聴衆は静かに各自着席している。彼が足の補強具を外す間、聴衆はうやうやしく静かにしている。そして彼らは演奏する準備が整うまで待つ。


しかし今回は何かが間違った。彼が最初のいくつかの小節を終えた時、彼のバイオリンの弦の一つが切れたのだ。聴衆はその切れた音を聞くことさえできた - それは部屋の向こう側に飛んだ銃砲の弾のように消えた。


その音が意味することは、彼が補助用具を再び足につけ、松葉杖を持って立ち上がって、他のヴァイオリンを取りにいくか、切れた弦の代わりを張るか、どちらかに違いないと思えた。


しかし、彼はそうせず、代わりに、しばらく待ち、目を閉じて、指揮者に再び始めるよう合図した。


オーケストラが始まり、彼は先に途絶えたところから演奏した。そして、彼はこれまでに聞いたことがなかったほどの情熱と力と純粋さを注いで演奏した。


もちろん、誰もが、ただ三本の弦で交響曲を演奏することは不可能であることを知っている。私は、それを知っているし、あなたもそれを知っている。しかし、その夜、イツァーク・パールマンはそれを知るのを拒んだのだった。


彼が頭の中で作品を調整したり、変化させたり、再構成したりするのを見ることができたのだ。ある時点では、まるで弦を調律して、以前にはない新しい音を奏でるかのようにさえ聞こえた。


彼が演奏し終わったとき、場内は素晴らしい静寂に包まれていた。それから人々は立ち上がり、歓声をあげた。割れんばかりの拍手が爆発のように講堂のあらゆる場所から沸いた。私たちは彼がおこなったことに、どれほど感謝しているかを示すために、出来る限りの絶賛を叫んで、喝采を彼に浴びせたのだった。


彼は微笑んで、眉に浮かんだ汗を拭い、弓を上げ下げして聴衆を静かにさせ、穏やかで控えめな敬虔な気持ちで - 誇らしげではなく - 言った。「皆さまはご存知でしょう、時には、演奏者は残されたもので、どれだけ音楽を作れるか努力することを。」


なんと強力な台詞だろうか。それを聞いて以来、それは私の心の中にとどまっている。ひょっとすると、おそらく、それはアーティストだけでなく、私たち全員に言えることではないだろうか。


ここでは、4本の弦のバイオリンで音楽を奏でることに全人生を捧げて準備した男は、コンサートの途中で突然、3本の弦だけで演奏しなければならなくなり、たった3本の弦で音楽を奏でた。彼が3本の弦でその夜に奏でた音楽は、4本の弦を持っていたときよりも、はるかに美しく、より神聖で、思い出深いものだった。


だから、おそらく、私たちが生きているこの目まぐるしく急速に変化する世界で、私たちのすべきことは、最初に私たちの持つすべてを使って(人生という)「音楽」を作り、それがもはや不可能になったら、 残されたもので「音楽」を作っていくということだろう。


   

https://academictips.org                                 http://muppet.wikia.com

天才少年だった頃と、セサミストリートに出演した頃のイツァーク・パールマン

 

 

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七歳で

2018-10-25 | アメリカ事情

 

Picture Credit: The Muslim Guy/Facebook

 

 


2015年11月13日の金曜日、フランスのパリでのテロリスト襲撃事件後、テキサス州のとあるモスクは、復讐攻撃され、破壊された。その翌週月曜日、同じくテキサス州の7歳の少年ジャック・スワンソンは、母親ローラがモスクの被害について彼に話した後、その地元の破壊されたモスクを助けるために、自分の貯金箱を壊して、そこにあった彼の全財産を母親に渡したのだった。総額20ドル分の貯金は自分にアイパッドを購入するためにしていたが、彼はそのすべてを差し出し、イフラエルビルのイスラム教徒センターを支援したい、と言った。モスク委員会のファイサル・ナイーム氏は、「このジャックからの20ドル分のペニー(1セント硬貨)は、私のコミュニティには2000万ドルの価値がある」と述べている。「これが私に希望を与えたのは、そこに敵味方という対決がないからです。」と彼は付け加えた。[訳者注:ジャックと家族はイスラム教徒ではない。]


 
その感情はイスラム教徒コミュニティの皆が共有したようだ。そしてジャック少年は、その週、特別な郵便ー真新しいアイパッドーを受け取った。その小包には、お礼状が入っていて、「親愛なるジャック、あなたはアイパッドのために貯金箱に20ドルを貯めていました。しかし、地元のイスラム教徒のモスクが破壊された時、あなたはその20ドルをこの地元のテキサスのモスクに寄付しました。あなたの素晴らしい寛大さと親切なお心を感謝します。 このアップルアイパッドを私たちの心からの感謝の気持ちのあらわれとして、お受け取りください。楽しんでください。:-) 。」とあった。


イスラム月刊誌の著者兼編集者であり、人権擁護弁護士でもあるアーサラ・イフティカー氏(別名モズラム・ガイ)によって、この贈り物をする組織が作られたのだ。彼は英国のメトロ紙に語った。「ジャックが自分の貯金箱から20ドルを寄付して、破壊されたモスクを助けたいという話を初めて聞いたとき、文字通り私の目に涙が浮かびました。ジャックのお母さんと連絡を取ると、彼女は、息子さんがアップルアイパッドを買うために、ここ数ヶ月にわたって、20ドル分の家事手伝いをしていたところだ、と教えてくれたのです。」と氏は説明する。 「私は個人的に、米国のイスラム教徒コミュニティに代わってアイパッドを自分で購入し、彼の信じられないほど寛大で無私の愛と思いやりの行為に感謝しました。」 



それは素敵な話の素晴らしい終わり方である。


間違いなく世界にはまだ多くの良い人がいることを証明している。

2015年11月20日付けーメトロニュース、アリソン・リンチの記事から。  

 

下はABCニュースから。

 

 

 

 

 

 

 

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父親の時間を買う

2018-10-23 | アメリカ事情

depositphotos.com




ある男は夜遅くに疲労と苛立ちを持って帰宅すると、五歳の息子が玄関口で父親を待っているのを見つけた。

「お父さん、僕はお父さんに質問してもいい?」

「そりゃいいが、どういうことだ?」と男は答えた。


「お父さんは、一時間いくらで働いているの?」

「お前には関係のないことだ!何故そんなことを聞くのか? 」 その男は怒って言った。


「ただ知りたいだけだよ。おとうさんは一時間いくらで働いているのか、どうか教えて。」と息子は聞いた。

「知らなければならないなら言おう。1時間に20ドルを稼ぐ。」


「ああ、」少年は答え、頭を垂れた。再び父親を見上げると、彼は言った、 「パパ、僕、10ドル借りてもいい?」


父は怒っていた。 「もしお前がどれだけのお金をおとうさんが稼ぐのか知りたい理由が、馬鹿げたおもちゃや、他のいろんなくだらない物を買うためであれば、お前は自分の部屋へまっすぐに行き、寝ることだ。なぜお前がとても自分のことばかり考えるのか、よおく考えてみなさい。おとうさんは毎日辛く長い時間仕事しているんだ、だからそんな子供っぽい馬鹿げたことなどする暇はないんだ。」


小さな男の子は静かに部屋に行ってドアを閉めた。


男は座って、小さな息子の質問についてさらに腹を立て始めた。いくらかのお金のために、あんな質問をしたなんて。


1時間ほどして、男は落ち着いて、彼が息子に少し強く言い過ぎでいたかもしれないと考え始めた。もしかしたら、本当に10ドルで買わなければならない必要なことがあったのかもしれないし、そしてあの子は、実は今まで頻繁にお金をせびったことはなかった。男は小さな息子の部屋に行き、ドアを開けた。


「眠っているかい?」と彼は尋ねた

「いいえ、パパ、僕は起きているよ。」と少年は答えた。

「考えていたんだが、さっきおそらくちょっとお前に言い過ぎたと思う。」と 男は言った。 「長い一日だったので、その怒りをお前にぶつけてしまった。ほら、お前が欲しい10ドル、あるよ。」


小さな男の子は起き上がり、まっすぐに座り、輝くように言った。 「わあ、お父さんありがとう!」と彼は叫んだ。そして、枕の下に手を伸ばし、しわしわになった紙幣を引き出した。少年がすでにいくらかお金を持っていたのを見た男は再び怒りを感じた。


少年はゆっくりと自分のお金を数え、その男を見上げた。


「そのお金があるのに、何故お前は、もっとお金を欲しかったのかね?」と 父親は不機嫌に言った。


「十分じゃなかったから。でも今全部で20ドルあるでしょう。パパの1時間これで買えるかな? 明日早く家に帰ってほしいんだ。僕はパパと一緒に夕ごはんを食べたいんだ。」


父親は打ちひしがれ、自分の息子に腕をまわした。


著者不明


これは、それぞれの人生で一生懸命働いている私たち全員への小さな助言である。私たちにとって本当に重要な人、私たちの心に近い人と時間を過ごすことなく、時を過ごしてしまうことがないように。 あなたが愛する人と時給相当の時間を共有することを忘れないように。明日いなくなっても、私たちが働いている会社は数時間で簡単に代わりの者を雇える。けれど私たちが残す家族と友人たちには、彼らの余生分の損失である。愛する者との共有する時間は、プライス・レス(貴重で、値踏みができない)であるのを忘れたくないものだ。

 

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